第2話 中上和也 14歳
「朝だ!起きろ! 朝だ!起きろ!」
ここは東京近郊の住宅街、周りには似たような分譲住宅がいくつも立ち並ぶ。その一軒の二階部屋で、目覚まし時計がけたたましく電子音声を鳴り響かせている。
「ウエエ!もう7時かよ」
中上和也は寝ぼけ眼で目覚まし時計の時刻を見ると、頭を掻きむしりながら起き上がった。
和也は今年で14歳の中学2年生。この年代はどんなに寝ても寝たりない。
目覚めし時計の音声を止めたのはいいものの、まだ睡魔に打ち勝てず、再び眠りの中に引きずり込まれていく。
「和也ちゃん!起きてる?もうご飯できてるからね!」
階段の下から声が聞こえた途端、和也は焦ってベッドから飛び起きた。
「すみません!すぐ起きます!」
やばい!寝過ごしちまった。
和也は大急ぎで着換え始める。
声を掛けたのは和也の母親ではない。
和也は父親の弟、つまり叔父さん夫婦の家に居候している身分で、声を掛けたのは義理の叔母、希美だった。
和也は着替えを終えると階段を駆け下りてリビングに顔を出す。
「すみません!すぐに顔を洗ってきます」
「ああ、先に食ってるからゆっくりしな」
叔父の幸太郎がそう言ってくれるものの、居候の和也としてはそうはいかない。
顔を洗い、歯を磨くと改めてリビングの食卓に着く。
食卓にはすでに朝ご飯が並べられていた。
メニューは目玉焼きと炒めたソーセージ、白菜のお浸しと茄子の味噌汁である。
「いただきます!」
「慌てないで、たくさん食べてね」
叔母の希美がご飯を大盛によそってくれるのだが、気を使われていることが痛いほど解るので、食べるのがぎこちなくなってしまう。
和也がこの家の居候になったのは一ヶ月前。ある事件がきっかけだった。
それは和也の両親が、夜中に押し入った何者かに斬殺されるという悲惨なもの。
土曜日の夜で、ちょうど和也が友達の家へ泊りに行っている時のことである。朝方にスマホへ連絡が入り、家に駆けつけてみると、警察官がたくさん来ていた。
この事件で和也は一命を取り留めはしたものの、両親を失うことになった。和也は一人っ子。天涯孤独の身になってしまう。
犯人は行方をくらまして、逃走中とのことらしい。
和也が住む片田舎では、殺人事件なんて滅多に起きないことから、この事件で小さな町は大騒ぎになった。
和也の父親、中上直樹は地方にある土木施工会社の営業担当者だったが、その勤め先は色々と贈収賄などの黒い疑惑が持たれていた。たぶん、直樹はその件で係わっていたことから、口封じされたのではないのか。葬式の席上でそんな噂話が囁かれていたが、真相は警察が捜査中とのことで本当のことは判らない。
残された和也をどうするか、本人の気持ちなどそっちのけで、親戚中が集まり、話し合いの場が持たれた。その席で、和也を引き取ることに名乗りを上げたのが叔父の幸太郎で、自分たち夫婦には子供はいなかったことと、東京近郊の住宅では二階の部屋が空いており、和也一人養うのも別に苦にならない。何よりも昔、幸太郎自身が兄である直樹に可愛がってもらったというのがその理由である。
幸太郎はトラック運転手上がりの43歳で、小さいながらも運送業の会社を経営していた。トラックの台数も5台ほどに増えたことだし、将来は甥の和也に会社を継がせるのも悪くない、と考えたこともある。
だが、和也を引き取ってみると、幸太郎の目からは和也が居心地悪そうにしているように見えてならない。妻の希美が構い過ぎるような気もする。
「両親が死んじまったんだ。心も傷つくってもんだぜ。しばらくはそっとしておきな」
「でも、そんなこと言ったって・・・」
希美にしてみると、小さい頃から知っているとはいえ、自分には子育ての経験がないし、和也と果たしてうまくやっていけるのかどうか、自信が今一つ持てなかった。
特に中学生の男子は難しい年頃だと聞いている。自分は32歳で年齢的にも和也の母親代わりになれるとは思えず、どう振る舞って良いのか解らない。そう考えると不安でもあった。
実は希美にとって、もう一つ気になることがある。
和也はアイドルグループに入れても遜色ないような可愛い子で、絵に描いたような美少年。
もろに好みの男の子であり、夫の幸太郎がいない間に和也と二人っきりなんて・・・と、そんな想像をしてしまう自分が怖かった。
それで和也に色々と気を使ってしまうのだが、さすがに疲れてきたところでもある。
こんな具合に和也は幸太郎夫婦の元で新しい生活に入ったのであるが、3週間ぐらい前は、両親が事故で死んでしまって悲しいとか、悔しいとかそんな感情よりも、いったい、どうしてこんなことになってしまったのか、頭の整理が追いついていかなかった。
だから、現在の状況に実感が湧かなかったので、ひょっとしたら自分は悪い夢を見ているのではないか、とも考えた時期でもある。
しかし、時間が経つにつれ、一ヶ月以上過ぎた今になると、やはりこれは残酷な自分の運命なのだと、やっと認識したのだった。
さて、叔父夫婦の家に移り住んだ時に、中学校も元の田舎の学校からこちらに転校したのだが、これが実をいうと大問題で、和也は殆どノイローゼ状態なのである。
今日も登校時間になってしまったよ・・・
和也は憂鬱な気分で制服に着替えてカバンを持ち、家を出る。
とぼとぼと数十分ほど歩き、学校に着く。
「おはよう!」
あちこちで生徒たちが声を掛け合う。
「中上クン!おはよう」
和也にも声が掛かるが、なぜか自分から返事を返せない。
和也が転校してきた時、担任の先生からクラス全員に紹介されたのだが、その時の状況がいまだにショックで、すっかりトラウマになっていた。
「中上和也君です。仲良くしてくださいね」
先生がそう言い終わると、教壇に立っていた和也は一礼して顔を上げる。その瞬間、痛いほどの視線が自分に集まるのを感じた。
この強烈な視線はなんだよ?
ボクはみんなが驚くほどヘンな顔をしているのか?
和也が狼狽えていると、クラスのあちこちから、感嘆の溜息とザワメキが起こる。それがさらに和也を不安にさせた。
これは実をいうと、和也の美少年ぶりにクラスの全員が驚いたというのが真相で、女子たちは当然のこと、男子たちまでも和也の中性的な美しさに衝撃を受けてしまい、その結果、クラス全員がマジマジと和也を凝視してしまったのである。
ところが当の本人には恐怖でしかなかった。
第一、和也には自分の姿が人と違っているなんて、そんな認識がなかったのである。
確かに小学生の時から周囲の人たちに「かわいいね」とは言われていたが、バカにしてるか妙なお世辞だと思っていた。
和也が今まで通っていた田舎の町立中学校は、一学年一クラスしかない。同級生も小学校からずっと一緒だったし、転校したのは今回が初めてである。
つまり、田舎暮らしだった和也には、初対面の人に会う機会が乏しかった。だから、クラス中の皆から『驚きの視線』が自分に集まるなんて、そんな体験をしたのも生まれて初めてだし、その理由は自分があまりにも美少年過ぎたからだとは、和也に理解できる筈もない。
和也は担任の紹介が終わって指定された席に着こうとした時、隣の席の男子が口をポカーンと開けながら自分を見つめているのに気が付いた。
「オ、オマエさ、男とは思えない可愛さだな・・・」
そんなこと言われても気持ちが悪く、背筋が凍る思いである。
休み時間になると、今度は女子たちが周囲を取り巻いてきた。
「中上クンって、美しいよね」
こんなことを言いながら盛り上がる始末。その何人かは瞬きもせずに顔を見つめて来る。
これで和也の心にトラウマが完全に出来てしまった。
周囲から注目の眼差しを感じるものの、自分からは恐怖でクラスメイトに声をかけられず、いつも居場所がない感じである。
授業では前の学校と進度が違っているためか、ちょっと付いていけない。
だいたい、両親の死というショッキングな事件から心が立ち直っていないこともあり、勉強に集中できなかったこともある。
だから授業中は先生が何を言っているのか理解できず、家に帰って教科書を開いても、さっぱり頭に入って行かない。
来年は高校受験だというのに、これでいいのか!
そう自分を責めてしまう。
そんなつらい日々が続いたのである。
最後の悩みは、下校の時だった。
ここは前の学校よりガラの悪い生徒も多く、先生たちの手には負えず見て見ぬ振りをするだけ。
和也の外見は規格外の美少年なのだが、別の見方をすると、あまりにも弱々しく、なよなよしたイメージである。
そんな感じの転校生が不良グループの目に留まらぬはずがない。だから数組のグループが和也を見つけては虐めたり、からかいの対象にしてくる。
だから、同級生たちは下校時になると、和也に近寄らなくなっていた。
今日も向こうから絵に描いたようなガラの悪い3人組が近寄って来る。
「おい、中上!」
「おお!かわいいのう」
和也を取り囲むと、頭を撫ぜ回し、小突き、後ろから蹴りを入れるなど、虐めにかかって来た。
和也はたまらず走って逃げる。
思いっきり走って息が切れて、一休みしていると、今度は一番いやな2人組が近寄って来た。
「おやおや、和也クンじゃないか?」
和也が無視して通り過ぎようとすると、いきなり肩を掴まれる。
「どうして先輩を無視するんだよ!」
この2人組は3年生で、1週間前から和也にチョッカイをかけていた。その一人の小田原啓二は和也の中性的な美しさに嫉妬を感じて、ヤキを入れてやろうと声をかけたのである。ところが、啓二の虐めは別なものに変わっていく。
美少年のこいつがオドオドする姿を見ていると、体がぞくっとするじゃないか。
この快感が堪らなく、啓二は和也をマークして虐めていくのだった。はじめはこんな感じの脅しだけだったのだが、次第に虐めはエスカレートしていく。
「和也君はお金持っていそうだな」
「も、もってるはずないじゃないか!」
「じゃあ、2万円ほど、親の財布からクスねてこいよ」
啓二は、別に金には不自由していなかったが、和也の困り果てる顔を見るのが堪らなく快感だったのである。
「判ったな。明日、必ずだぞ!」
和也が青ざめた顔でトボトボと歩いていく。
啓二はそれを満足そうにずっと眺めていた。
「どうしよう、叔父さんに2万円ください、なんて言えないし」
当然、財布からこっそり2万円を持ち出すなんて和也に出来るはずがない。
和也が青ざめながら帰り道を歩いていると、一匹の猫が目の前に座っているのに気が付いた。
その猫は妙に人懐っこく、和也の足元に寄って来ると、顔を足に擦り付けてくる。
毛長でなんとなくゴージャスって感じだが、どこかの金持ち階級の家で飼われていたのだろう。どこかで迷ったのかも知れない。
「おいおい。どっから来たんだい?」
和也は思わず抱き上げると、喉をゴロゴロ鳴らしてくる。なんか心が癒される感じだったが、連れて帰るわけにはいかない。
猫を下して歩き始めると、なんと猫は和也についてきて、とうとう家の前まで来てしまった。
「ごめんな、中に入れるワケにはいかないんだ」
実をいうと、希美が猫アレルギーで、まったく受け付けないのである。
和也の言うことが分かったのか、猫はプイっと顔を背け、スタスタと向こうに行ってしまった。
☆ ★ ☆
そして、とうとう、あの事件が起こった。
それは和也が下校する時のことである。
いつもの帰り道、何人かが和也に虐めを仕掛けてくる。それらをなんとか振り切りながら歩いていると、案の定、例の2人が待ち構えていた。
小田原啓二がニヤけながら近づいてくる。
「今日は持ってきたのか?」
「お、お金なんか、も、もってないよよ! 」
和也がおどおどしながら答えると、もう一人の方が和也の胸ぐらを掴んだ。
「テメエ、約束守れねえのか?!」
彼の名は吉村直仁。かなり体格が大きく力も強い。
直仁は和也の反抗的な一言にカチンときた。
俺たちの言うことを聞かない奴なんて許せねえ。ヤキ入れるしかない。
そう思い込んだら、もう我慢が出来なくなる。
「おう、向こう行って話をしようぜ」
直仁は和也を後ろから羽交い絞めにして引きずっていく。和也は、必死も抵抗して見せるが、直仁の力には敵わない。そのまま引きずられて行くしかなかった。
連れて行かれた場所には人影がなく、助けを呼ぼうにもこの状況で助けてくれるような人なんて来ないだろう。
仕方なく和也は必死にもがく。
「痛い目に遭いたいのか?」
思わぬ抵抗を受けた直仁は、腰に差していたツールナイフを鞘から抜いて、和也に向ける。
直仁の兄は反グレで、喧嘩のためにナイフをいくつか持っており、そのお古を直仁が持ち歩いていたのである。
「暴れると刺されちゃうぞ?」
横で見ていた啓二がニヤニヤしながら声をかけた。
当然、啓二にしてみれば直仁が脅しでやっていると思っていたし、直仁も本気で刺すつもりなどない。
しかし、ナイフを突きつけられた和也にはそうは思えなかったのである。
あまりの恐怖に和也の頭で何かが切れた。
ダメだ・・・このままでは殺される!
惨殺された両親が頭に浮かぶ。
こんな時は、思いッきり抵抗しなきゃダメなんだ!
「うあああ!」
和也は必死に暴れて直仁の腕から離れると、今度は頭から突進していき、がむしゃらに掴みかかって見せた。和也の必死の抵抗で、ちょっとしたもみ合いになる。
「こ、このヤロウ!テメエ!」
思わぬ抵抗をされた直仁は、とっさに持っていたナイフを和也の背中につき刺してしまった。
それも勢い余って、グサッ、グサッと思いっきりである。
「ぎゃああ!」
強烈な痛みで和也は声を上げた。
「やべえ!」
「おい、ど、どうして刺しちまったんだよ!」
啓二は思わぬ目の前の出来事に焦って叫んだ。
刺した直仁は抵抗されて思わず刺したのだが、自分のやってしまったことにショックを受け、呆然と立ち尽くすだけである。
「お、おい!逃げるんだよ!」
啓二は呆然とする直仁を急き立てると、その場から逃げ去って行く。
和也は激しい痛みで立っていることが出来ずその場に倒れ込む。体から血が流れ出し、体が冷たくなっていく。
直仁がその場に捨てたナイフが置き去りにされていた。
しばらくすると、啓二が慌てて戻り、拾いあげる。
その場には動けなくなっている和也が倒れていた。
背中には3か所の刺された傷があり、そこから血が流れている。
それを見た啓二は悲鳴を上げ、慌てて走り去っていった。
和也は呆然としながら考えた。
「ど、どうして、どうしてボクだけがこんな目に・・・」
次第に意識が遠くなり始める。
なんだ?痛みが消えたぞ・・・
すると急に体が軽くなっていく。
痛みが消えたというより、感じなくなっていったのだが、そんなことを想っているうちに、和也は気を失ってしまった。
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