第28話 光の道の清掃夫
「今回の探索は厳しい様子ですね」
ビスターク伯爵カレル・アッシャークラウドはさり気なくそう言って目を伏せたまま紅茶を一口飲んだ。傍目には目を瞑っているようにも見える。
「…それだけ価値がある、とも考えられるかも知れません」
イスタローブ大司教イジ・ノシオは惚けるようにそう言った。
そんな訳がなかろうが。ビスターク伯爵は全く表情を変えずに心の中で否定した。共に探索委員を務める間柄だが、ビスターク伯爵はノシオ大司教を強く警戒していた。
旧王宮に巣食う怪物共は債権や宝物を警備している訳ではない。勝手に徘徊しているだけであり、さらに探索者を捕食しようとしている訳でもない。怪物共にとっての栄養源は旧王宮に滞留する魔力である。だから旧王宮から外に出てこないのだ。
そもそも他の委員達も関係者も今回の探索先がおかしいと思っている。旧王宮東側が旧王侯貴族の居住地域だったのは周知の事実なのだ。そんな所に国家財産がある筈がない。委員会で承認されたのは意外過ぎる探索先に引きずられたものだった。
「…報告を聞く限り、相当に手強い怪物が居るようですね」
ビスターク伯爵は口調こそ変えなかったがさり気なく責任を指摘している。
「その点は私も驚いております」
ノシオ大司教も眉根を寄せてそう言った。
「…しかし、こうとも考えられませんか?」
ノシオ大司教は言葉を続けた。
「東側には極秘過ぎて国庫にすら収められなかったものがある、と」
ノシオ大司教はむしろゆっくりとそう言った。
「そう考えれば多少強引ではありますが納得が行かない訳でもありません」
ノシオ大司教も紅茶を一口啜ってから言葉を続けた。
「強敵というのは、つまり高い知性を持つという事です」
巨人は手強いが知性は低いが?と思ったがビスターク伯爵は黙って聞き続ける。
「なのでその強敵達はその何かを守っている可能性がある、と」
もしそうなら逆説的にこの探索は適正な判断だったかも知れない、と言った。
「…怪物が債権を守る?」
ビスターク伯爵は眉を上げてそう訊き返した。相手がイスタローブ大司教でなければ言下に否定していたかも知れない。
「そうではありませんよ、伯爵」
ノシオ大司教は余裕すら感じさせる微笑みを浮かべて否定した。
「我々が探しているものと怪物共が守っているものは違う、しかし近くにある」
もしそうなら納得が行きませんか?と言った。
「逆説的ですが、そうでなければ東側にそれ程の強敵が蔓延るとは考え辛い」
ノシオ大司教はビスターク伯爵を正面から見据えてそう言った。
「…例えば、それは聖誓とか?」
ビスターク伯爵は少し込み入った事を言った。しかしノシオ大司教はそれに対して眉を上げてビスターク伯爵を見つめ返し、そして首を振って否定した。
「それこそ怪物が守るはずがない」
ノシオ大司教は言下に否定した。
「それに、伯爵は少々ご懸念がお有りの様子ですが」
ノシオ大司教は伯爵を見つめたまま言葉を続けた。
「そんなものが出てきても何の意味もありません」
ノシオ大司教は笑いもせずにそう言った。そしてそれは嘘ではない。
聖誓。それは聖なる光輪と対になるアッシャークラウド家とエヌフォニ教の関係証明であり、その内容は「アッシャークラウド家はエヌフォニ教の最大支援者をその首座と認定する」というもので、つまり事実上カリストブルグ枢機卿を教皇へと推戴する約束状なのだ。聖なる光輪と共に絶対の権威であり、これに逆らう事はできない。
しかし、例えそれでピエラントーニ枢機卿が教皇になっても現状では裸の王様でしかない。いくら地位が保全されても信頼や尊敬がなければ権威は成り立たないからだ。いやカリストブルグ王国の影響が低い現状では共倒れになりかねない。
だがノシオ大司教はそれを理解した上で聖誓を探している。理由はピエラントーニ枢機卿の意向だからである。つまり現状ではノシオ大司教はアナスタシアと似た考えを持っている。探索そのものが目的であり、回収物に対する拘りはなかった。
「…これは単なる想像ですが、例えば魔力を増幅させる何かがあるとか」
ノシオ大司教は適当に、しかしあり得そうな推測を述べた。
「…なるほど、栄養促進剤としてのそういう物はあり得そうですね」
ビスターク伯爵は同意する事でとりあえずこの件についての矛を収めた。
「いや少々不躾な事を申しました。ご容赦頂ければ幸いです。大司教」
そう言ってビスターク伯爵は目を伏せた。伯爵が僧侶に頭を下げる訳にはいかない。
「とんでもありません。私も自身の未熟さを恥じ入るばかりです」
ノシオ大司教も同じように目を伏せた。
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一体なにを考えているんだ。
ビスターク伯爵はサン・リギユ大聖堂を後にすると考えを巡らせた。聖誓というのは結構大きなカードのつもりだったが効果は今ひとつだった。判断が難しいのはノシオ大司教が言った事は恐らく嘘ではないという点である。
確かに現状で聖誓など出てきても意味などない。むしろ危険なだけだ。では東側にありそうな物でエヌフォニ教にとって有効な物とは一体なにか?と考えると情けない事に全く予想がつかない。まさか宝石でもあるまいに。
しかしあのノシオ大司教が全く虚心である筈がない。ただの雑用司祭が10年も経たずに大司教である。歴史的に見ても珍しい程の大昇進なのだ。
ビスターク伯爵は藩屏として王族を監視する役割を担っているが、その同心円上の役割としてエヌフォニ教の突出も警戒しなくてはならない。言うまでもなくカリストブルグ王国はエヌフォニ教の治療魔法技術を支配していたために発展したからである。
「大人しくロスト・テクノロジーの解明でもしてれば良いものを」
王佐の才との誉れも高いビスターク伯爵は馬車の中で苦々しく独りごちた。
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全く、小うるさい王弟殿だ。
ノシオ大司教は少し客間で休憩する事にした。もう遅い時間だが、まだ彼には決済しなくては行けない業務があるのだ。王弟殿の嫌味を聞いてて遅くなってしまった。
ビスターク伯爵はノシオ大司教の考えが今ひとつ判らなかったがそれも当然である。彼自身は実は今は待ちの状態だと考えているのだ。
まず最も待つべきは時間そのものである。ピエラントーニ枢機卿やケーテル大司教といった高齢の上位者が消え去るのを待つべきであり、彼自身も今は若すぎる。そして何よりアナスタシアが消えるのを待たなくては行けない。
ノシオ大司教は悪人ではないが、アナスタシアが探索の途中で生命を落としてくれれば最も面倒がないとは考えている。そうでなくてもアナスタシアが独立したがっているのは知っているし、年齢的にもそれはそう先の事でもないと予測していた。
と言うより、アナスタシアが居る状況でこれ以上の昇進は返って危険なのだ。ノシオ大司教は、あの女はいざとなったらこちらの破滅など躊躇しないと考えていた。
一方でノシオ大司教は、彼女が秘密を守ってくれる限りは最大限便宜を図る事もやぶさかではなかった。俗世の言葉で言えばアナスタシアは彼にとって初めてにして唯一の女性なのだ。愛も信頼もないものではあったが。
聖誓についても現状ではどうでも良かった。出世欲が強いノシオ大司教は、しかしだからこそ、この状況で教皇などになっても裸の王様になると分かりきっていた。彼が聖誓を探しているのは単にピエラントーニ枢機卿の信頼を勝ち得るためだった。
つまり現状、ノシオ大司教自身の都合では回収物そのものはどうでも良く、教会内や委員会内での発言力を維持し、それにより彼らからの信頼を勝ち得たり、或いは彼らを黙らせる事ができれば良いと考えているのだ。
ただ現時点で聖誓が発見されてしまうとピエラントーニ枢機卿が教皇に就任してしまうので、引き上げられるように昇進してしまう可能性がある。その点で言えば出てこない方が良い。それもまあどうとでもできるが。
光の道はどこまでも続いているが、今の彼はそこに溜まった澱や埃を洗い落とすために立ち止まらなくはならず、その汚れを放置して先に進む事はできないのだ。
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