第25話 上がるハードル

「一応言っとくけど、私はあくまでエクソシストだからね」

アナスタシアは言わずもがなな事を改めて言った。今まではこの迷宮では油断や不意打ち以外に恐れる事はなかったが、ロズワルドの推測でさすがに少し恐れを見せた。


「大丈夫です…姉上」

ロディオンはそう言ったが彼も顔が青い。一応剣は使えるとは言え、この一行では下から数えて三番目と言っても過言ではないのだ。


「大丈夫です!」

ルーク王子は元気よくそう言った。思ったよりは剣が使える事は判ったが彼は王子である。最終的にはアナスタシアより彼を守らなくては行けないのだが、どうも本人はその事をあまり考えていなさそうだった。立派といえば立派だが。


「…聖女殿、ひとつ質問があるのだが」

ロズワルドはアナスタシアに向かってそう言った。


「何よ?」

アナスタシアはややした感じでその声に応えた。


「前回の探索はいつだった?」

ロズワルドはそう訊いてきた。アナスタシアとロディオンは顔を見合わせる。


「二ヶ月くらい前…だっけ?」

そう言うとアナスタシアもロズワルドが何を気にしているのか察しがついた。二ヶ月前の探索でこんな事は起こらなかった。では何故今は起こるのか?


「つまりここ最近に起こっているという事だな」

ロズワルドはそう締めくくった。


ロズワルドはそのままこの二ヶ月で起こった事を思い出した。とは言え今はそれに埋没する事はない。彼は研究者として現時点では仮定すら難しい事は判っている。その仮定を導き出す要素を確認しているだけに過ぎない。


「ロディオン、吾輩と位置を代わろう」

リンドがそう言った。今までは後方から襲われる危険があまりなかったので良かったが、何らかの知性を持った存在が居ると判った以上、より感知力の高いハーフリングである彼が後方からの奇襲に備えた方が良かった。


「お願いします」

ロディオンも同意した。一見危険なようだが敵と遭遇した時にこの隊列のままで居る必要はない。いざとなれば姉や王子の盾にもなる。


「いえ!僕が前に出ます!」

しまったついに言わせてしまった。


「ロディオンさんが襲われたら治癒力も防御力も激減します!僕が前に!」

まあそりゃそうなんだけどさあ。キングが敵前に出たら負けちゃうよ。


「まあそうするか」

レオンが軽くそう言った。


「とにかく僧侶を前に出すのは論外だ。ルーク、お前さんだって剣士だよな?」

何とレオンは王子を思いっきり呼び捨てにしてそう確認した。


「はい!」

ルーク王子は眉をきりりと吊り上げてそう返事をした。


「良い返事だ。王様になったら弊社へのご支援を何卒よろしくお願いします」

レオンはそう言って少しにやりと笑い、一行の緊張を和らげた。


---


一行は昨日の階段から2階に登ったが、登り切る前にリンドが前に出てきて辺りの様子を伺った。ハーフリングは五感に優れるのでこういう時には頼りになる。それに彼は地味に離れ業をやってのけた。なんと廊下に耳をくっつけて音を感知しようとしたのである。ゾンビが徘徊する魔宮で大変な勇気であった。あ、ハンカチ使う?


「北側から何かが近づいて来るな…」

リンドはアナスタシアから渡されたハンカチで耳をこすりながらそう言った。


「ひょっとしたら昨日のバンシーかも知れぬ。妙な歩き方が聞こえた」

リンドはハンカチをアナスタシアに返しながらそう言った。アナスタシアは微妙な笑顔でいいよあげる、と言って受け取るのを拒否した。


「もしバンシーならもう倒すしかないな」

レオンはそう言った。罪のない精霊とはいえ巡回する警報機を放置はできない。


沈黙の術サイレンスは私がしよう」

ロズワルドは短くそう言った。


そして一行は階段の影でそれが来るのを待った。来ると判っている敵に突撃したってしょうがない。横から不意打ちした方がいいに決まっている。


そうして少し待つと確かにリンドの言った通りにナニモノかが現れた。そしてそれは視認できる位置まで来てもヒューマンには足音など聞こえなかったし、バンシーでもなかったし、一体だけでもなかった。


「ロウ・ヴァンパイア…」

ロディオンは小さな声でそれだけ言った。二の句が継げない。


「ここって上級者向けなのかな」

アナスタシアも呆れたように小声で言った。


「あれも強いんですか?」

ルーク王子も小声でそう言った。


「強いというか、あり得ない」

アナスタシアはぼそっとそう言った。


不死生物と呼ばれる中でも最も有名な種族である。ここで注意しなくてはならないのは「種族」という単語である。勿論不死生物に生殖機能などはないのだが、この怪物は吸血または輸血により同族を増やす事ができる。


この怪物は大まかに三段階のヒエラルキーがあるとされる。まず一番下級なのが目の前にいるロウ・ヴァンパイアと呼ばれるモノで、これらは吸血行為を受けて死んだ生物の成れの果てである。しかしゾンビと違ってこれらも吸血により同族を増やす事が可能である。もっともそれは吸血で死に至った場合であり、普通はそうなる前になんとか対応はできる、はず、である。吸血のショックで恐慌にならない限りは。


その上がハイ・ヴァンパイアと呼ばれるモノで、これは自我かそれに近いものを持つ非常に危険な存在である。ハイ・ヴァンパイアは吸血行為の結果でそうなったのではなく、さらに上のアーク・ヴァンパイアと呼ばれる存在から血を分け与えられた存在と言われており、生前の知能と不死生物としてしての力を併せ持つ怪物である。


その上、もはや伝説の存在と言ってもいいのがアーク・ヴァンパイアであるが、この存在は噂だけでほとんど情報はない。そもそもどれくらい居るのかも判っていない。と言うより実在するのかも判らない。一説ではハイ・ヴァンパイアの中の一体をそう呼び表しただけとも言われるが詳細は全く不明である。


今、一行の前にはその怪物が四体も居るのだ。恐ろしい程の驚異である。


「まあやるしかないわな」

レオンはそう言って立ち上がった。レオンは知っている。この怪物はゾンビと違って五感が残っている。しかもそれは人間より鋭敏であるという事を。隠れていても不意打ちなどできないのだ。むしろ広い所で戦った方がまだましだ。


レオンの推測は正しかった。ロウ・ヴァンパイアは既にこちらを感知していた。その上でわざと気がつかないふりをして逆に不意打ちしようとしていたのだ。恐らく生前は貴族だったのだろう。そういうような服装をしていた。


「ホウ、大シタ勇気ダナ」

その中の一体はややぎこちなく、しかし明確に人間の言葉を喋った。


「我ラガ領土ヲ犯ス愚カ者メ。天罰ヲ知ルガイイ」

もう一体も嘲笑を浮かべながらそう言った。


「…あれは自我ではないのか?」

リンドは小声でロディオンに訊いた。もし自我ならあれはハイ・ヴァンパイアでは?


「判りません…」

ロディオンは自信なくそう言った。ロウ・ヴァンパイアと言ったのは、見た目は貴族でもその服装が汚く、顔付きからもあまり高度な知性を感じなかったからである。それにハイ・ヴァンパイアは群れたりしない筈である。


「……」

レオンは何も言葉を発さず、ゆっくりとヴァンパイア共の周囲を回り込むように動いた。ヴァンパイアは嘲笑を続けながらもレオンを視線で追った。そうして皆が隠れている方向と反対側に到達するとそこで足を止めてゆっくりと剣を抜いた。


──これはロウの方だな──


レオンはそれを確信した。ハイ・ヴァンパイアという存在を見た事はないが、この眼の前にいるヴァンパイア共はさほど知性は高くない。動いているレオンに攻撃を仕掛けるでもなく、回り込まれてもそれを目で追うだけで何も対応しようとしない。まあ元々貴族っぽいから戦闘知識なんか皆無に等しいのだろうが。つまりこいつらの驚異はあくまでヴァンパイアという要素だけである。


レオンはさりげなくアナスタシアに一番左に居るヴァンパイアを狙うようにサインを出した。サインと言っても思いっきり指でそう示しただけだが。


そしてレオンはいきなり間合いを詰めて一番近いヴァンパイアの首を刎ねた。それに対してやっと他の三匹は対応する。三匹は後ろに他の仲間が居る事など忘れ去ったかのようにレオンだけを狙った。やはりアホだこいつら。生前からかもだが。


その内の一体がいきなりぼしゅん!という音を立てて灰となって崩れ落ちた。アナスタシアの浄化である。そして残る二体はそれすら気にせずひたすらレオンを襲った。


ヴァンパイアは恐ろしい敵ではあるが、所詮は物理攻撃が通じる人間型の怪物でしかない。つまりその驚異の大部分は吸血に対する恐怖であり、それとて要するに噛みつかれない限りは身体能力は生前のそれに準ずる。これが兵士だったら相当な戦闘力に加えて無意識の制御がなくなるという運動能力に対する脅威はあるが、目の前の貴族の成れの果ては普通の人間よりも運動能力が低そうだ。驚異などなかった。


レオンの推測は正しかった。そのヴァンパイア共は本当に噛み付いてくるくらいしか攻撃方法がないのである。たまに掴みかかろうとしてくるが、蹴りを入れて突き放して間合いを確保してから剣を振るうとあっさりと首が落ちた。


しかしこれでも一応はヴァンパイアなので首が落ちても行動を停止しないが、それもアナスタシアの浄化に照らされると一体ずつ灰と化して消え去っていった。


「すごい!」

今回はルーク王子だけではなくロディオンも同じ事を言った。


「いや、アレだよこれは」

レオンはむしろ気がかりそうに言った。


「もうここじゃあ不死生物はむしろボーナスステージだよ」

レオンは皆を引き締めるためにもそう言った。

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