第23話 苦難の道、光の道

「フィレベンテールからの布施が遅れております」

司祭であり実質の秘書官からの報告にノシオ大司教は眉をぴくりと動かした。


「遅延の理由は?」

ノシオ大司教はいらいらと判っている事を訊く。


「信者からの寄付が集まらないと…」

秘書官は目を伏せてそう報告した。


「光が道を照らさん事を…」

ノシオ大司教は普段の祈りの言葉と少し違う事を言った。要するにそんな訳がないから立ち入り調査を入れたいのだが、ピエラントーニ枢機卿の意向もあってそんな強権的な事はできないのだ。祈りの言葉を真似て皮肉を言うしかなかった。


イジ・ノシオ大司教の日常は忙しい。彼の日常の半分程は聖職者だが、もう半分より少し多くは官僚であり政治家であり金融業者だった。


かつてサン・リギユ大聖堂の大司教と言えば実質的に他地域の総大司教と同格とすら言える超権威であった。今は新興国の徴税官としか見られていないが。


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ここ「新」サン・リギユ大聖堂は、その成り立ちからして他教区からあまり好意的には見られていなかったが、それは一方的なものでもなかった。懐古派こと新サン・リギユ大聖堂派はそもそもが他教区のはぐれ者の集団でもあった。


聖遺物「聖なる光輪」が発見されたからと言って即時全面協力などできる訳がない。それどころか他教区からすれば「まだ懲りてないのか」というのが本音である。


エヌフォニ教はその創設段階から二面性がある。つまり宗教であり、同時に医療団体でもある。そしてこの二面性のどちらを重視するかは教区によって違う。


エヌフォニ教の宗教団体としての側面を重視する宗派や教区は医療行為そのものより戒律を重んじる生活こそが大切と考える。サン・リギユが起こした奇跡はあくまで奇跡であって定量的にその力を頼るべきではないという考えである。


医療団体としての側面を重視する一派は要するに医療派閥である。この力はサン・リギユの民衆への慈しみの具現であり、我らはその弟子としてより多くの民衆を癒やす事こそが使命であるという考えだ。


そしてこのふたつの考え方は古来より対立しており、そのふたつの考え方を統括して制御するために生まれたのがサン・リギユ大聖堂であった。そのため当然ながらこの大聖堂は元々どちらからも嫌われていた。


しかしサン・リギユの名前を出されたら逆らえず、しかも結局大陸を席巻する権威の源にもなった以上は、まあ敬い遠ざけると書いて敬遠しておけば害はない、というのが各宗派や教区の考え方だった。


そのような態度も長い年月と実績で薄らいでいき、その権力がカリストブルグ王国に移譲されると一時期は生温い同情めいた敬意へと変わったが、それもカリストブルグ王国が不老不死に関する研究に邁進し始めるとマッドサイエンティスト集団への警戒へと変わった。それはもはやサン・リギユの奇跡の具現ではなかった。


しかしその過程に於いて共有された医療魔法技術は確かに革新的で素晴らしいもので、それによって各教区への敬意がいやました事は確かであった。そして当然の帰結としてサン・リギユ大聖堂を頂点とするヒエラルキーは再構築されてしまったのだ。


そしてグランジオ大震災でカリストブルグ王国ごとサン・リギユ大聖堂が崩壊すると、共有された医療魔法技術という甘い果実だけが残った。各教区は表面上はその崩壊を悲しみつつも、布施という名前の特許使用料がなくなった事を寿ぐのであった。


そういった経緯があるので、聖なる光輪の権威に応えて新サン・リギユ大聖堂に再集合した人間は基本的に各教区の主流派ではない。ある者はこの新天地で再起しようとしていたし、ある者は共有され得なかった法力研究の一旦を入手しようとした。


要するにここ新サン・リギユ大聖堂に再集合した人間というのは、ほぼ全員現世利益しか考えていない山師であり、それが各教区からの尊敬が薄い理由なのであった。


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ノシオ大司教は忙しい。布施だけではなく各教区との交流や内部の政治にも関与しなくてはならない。しかしこの若い大司教は精力的にそれらの業務に邁進した。


「イスタローブ大司教イジ・ノシオは教皇の座を狙っている」


などと言う人間は誰も居ない。日中に太陽を指して「太陽がある」と言う人間が居ないように、地上に居て「空気がある」と言う人間が居ないように、あまりにも自明な事をわざわざ言う人間は居ないのである。


そしてノシオ大司教自身もわざわざそんな事を考えなかった。主の言葉が聞こえなかったあの暗い迷いの時代を越えた今、光の道は果てしなく続いている筈であり、彼は主の御心に沿ってただ邁進するだけだった。


むしろ彼がたまに思い出すのはあの暗い迷いの時代の事である。


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イジ・ノシオが若くしてベアドンレイク村の司祭になって2年が経った頃、彼の信仰は揺らいでいた。村は飢饉と疫病に襲われ、それにより治安は悪化し、しかも村長を中心とする行政機関は全くそんな事情を考えずに徴税を断行し続けた。その貧困は村全体のモラルを破壊し尽くし、教会の中ですら不祥事が頻発した。


──神はどこにいるのか──


イジ・ノシオは聖書や法典よりも鍬や鋤を手にして田畑を耕し続けたが、彼の目の前には灼熱を放つ太陽と、それによりひび割れた田畑があるだけだった。


しかしイジ・ノシオは信仰心とは別に働き続けるしかなかった。本来彼は単なる司祭でありその責任は教会の中だけのものだったが、立て続けの不祥事で近隣の修道院からも逮捕者が出て、そこの管理もしなくてはならなかったのだ。


「いつもありがとうございます」


修道女コレット・カヴェはノシオ司祭が持ってくる僅かばかりの農産物に感謝の言葉を申し述べた。彼女は現在唯一の修道院の管理者であったが、まだ若い女性が一人で修道院を切り盛りなどできる訳がない。当時のノシオ司祭は自身の食事すら減らして彼女と修道院のために農産物を分け与えた。これが当時のノシオ司祭が行う唯一の功徳であったと言ってもいい。教会に祈りに来るような暇人は誰も居なかった。


「光と共にあらんことを…」


ノシオ司祭は痩せた顔に慈愛を込めてそう返した。そう、ここで自分が折れる訳には行かないのだ。この修道院に居る大半の女性達のためにも信仰を放棄する事などできない。いや信仰ではなくても信頼を放棄する事はできないと考えていた。


「なあんだよお、もっとないのお?」


その大半に含まれない哀れな子羊が毒づいた。いや差別してはいけない。空腹の中でそれでもこの子も一応はちゃんと修道院で修行しているのだ。一応だが。


「アナスタシア!」


修道女カヴェはその少女を強い言葉で叱った。来た時期が悪すぎた事もあるが、この子は修道院の問題児でありしょっちゅうどこかで問題を起こしているのだ。畑に忍び込んで野菜を盗むなどもう何回やらかしたか数え切れない。


「司祭さまも畑ばっかり耕してないでどっかから支援とか受けてよ」


問題児と言ってもアナスタシアは聡明である。現状では畑など耕してもほとんど意味がない事を判っている。しかしそこから先は11歳の少女の知識では追いつかない。


飢饉というのは当然ベアドンレイク村だけピンポイントで起こるものではない。つまりこの村は特に酷いが、他だって厳しい状況なのである。知名度などない23歳の若い司祭が支援の依頼を出しても読むどころか受け取ってすらくれないのだ。


「私も努力をしているのだけどね…」


ノシオ司祭がそう言うと三人は、はあ、と溜息をつくしかなかった。


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「むしろ法力で野菜の育成を何とかしてもらいたいくらいだよ」

村長は真剣な顔でそう言い返してきた。彼もまたある意味で被害者である。村長は村の長ではあるが、さらに上位の行政担当がおり、彼らが税率を下げない限りは彼もまたどうしようもできないのだ。


「郡の知事は何もして頂けないのですか?」

言わなくても判っているがノシオ司祭もそう言うしかない。それをしてくれるならこんな会話などする必要がないのである。


「まあ私だって努力はしているのだがね」

村長は昼間にノシオ司祭自身が言った事を繰り返した。はあ、と二人が溜息をつくのも再現された。結局誰もどうする事もできないのだ。


村長の公邸を出て帰り道にもう一度修道院に寄る事にした。何もできないし何も言うことはなかったが、せめて彼の心の拠り所を見ておきたかった。このままでは信頼感すら失われてしまいそうだった。


男性というのは苦境に弱い。力があっても夢や希望が見えないと何もできなくなる。それはノシオ司祭も同じであり、栄養より何より心の拠り所がなければ何もできなくなるのだ。それを求めて夜の修道院に再訪した事を咎める事はできない。そして結局それを咎めた人間は誰も居なかった。より以上の試練が与えられただけである。


全ての女性がそうではないが、女性は逆に苦境に強い。生命を産み育む性としての本能かも知れないが、生命の維持に関しては男性より遥かに現実的であり、そのためには心の拠り所という抽象的なモノより現実の栄養を確保する道を模索する性だった。


なのでその夜ノシオ司祭が見たものは、この苦境にあって男女がそれぞれ求めるものが違っていた、としか言い様がなかったのかも知れない。それもまた咎める筋ではなかった。人は何かしらを拠り所にしないと生きては行けないのである。


修道女カヴェの部屋から僅かな嬌声が聞こえてきて、その少し開いた扉から裸の修道女カヴェと、裸の複数の男が見えた時、ノシオ司祭は最後の心の拠り所を失った。もはや祈りの言葉すら出てこずにふらふらと修道院を後にする。


「あーあ、見ちゃったかあ」


ぼんやりと振り返るとアナスタシアが居た。アナスタシアはノシオ司祭に少し同情していたのだが、それは逆光でよく判らなかった。むしろその時のノシオ司祭には悪魔の使いに見えた。村を、信仰を、信頼を、人間を破壊する悪魔の使い。


「しょうがないよ。食べなきゃ生きていけないもん」


アナスタシアは生意気な問題児だったが、それでもまだ11歳の少女である。信仰と信頼を失った23歳の男がどれほど危険なものだか全く判っていなかった。


そしてノシオ司祭はその瞬間、人間から獣に堕ちた。


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ノシオ司祭は大聖堂に赴き、懺悔室で全てを告白した。もうあらゆる意味で僧籍には居られないと思っていた。ただし彼の告白はベアドンレイク村の窮状を知らせる事となり、村へは即時に支援が行われた。


──なんだ、助けることができるんじゃないか──


その事実すらさらに信仰を失わせる事となった。これは偶然だが彼の告白を聞いたのは師であるケーテル大司教であった。師は弟子の苦難に仰天し、そしてその不祥事が発覚するのを恐れた。ノシオ司祭をそのまま大聖堂に留め、日付を修正した異動命令を発してノシオ司祭がこの大聖堂詰めになる事を公的なものとした。


従ってノシオ司祭はその後の修道女カヴェやアナスタシアがどうなったのかは知らなかった。大聖堂に戻っての2年、彼は司祭とは名ばかりの雑用のみに従事していた。


これでいい。自分など畑も満足に耕せない凡愚だ。いや性犯罪者だ。僧籍を抜けようともせいぜい清掃夫くらいしかできない。ならば抜けても抜けなくても変わらない。


そんなノシオ司祭はある時唐突に苦難の道が終わった。たまたま誰かの円輪が紛失したという話で千里眼を実行してそれを探し当てただけだったのだが、それが瞬く間に広まってあらゆる遺失物探しに引っ張り出されるようになった。


ノシオ司祭は旧王宮探索の事前調査班に抜擢され、数年後にはその首班となった。そしてその精度の高さから「精霊の交流者」とすら呼び表されるようになり司教に抜擢された。暗い迷いは消え去り、目の前には光の道が続いていた。


しかし光の道はその全てが光り輝いている訳でもなかった。大聖堂の悪魔祓い班に美貌と実力と問題行動が目立ちすぎる新人エクソシストが着任してくると、ノシオ司教は恐怖と悔悟の念に囚われた。まさかこんな形で再会するなんて。


アナスタシアはかつて自分をレイプした男が司教になって上司としてここに居る事に大きく驚いたが、怯みはしなかった。丁度いい、積年の恨みやら不遇やらをキッチリ精算させて頂きましょうか。親愛なる精霊の交流者さま。


この信頼感など全くない関係は、しかし双方に利益をもたらした。ノシオ司教はその調査実績を評価されて空位であったイスタローブ大司教に抜擢され、アナスタシアはその浄化実績から聖女の位を授かり、さらにノシオとの裏取引で本来は触る事すら許されない高位法典の鍵を与えられ、ついでに旧王宮から手数料を頂いた。


最終的には破綻するに決まっているこの関係は、しかし現時点ではまだ有効だった。

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