第20話 迷える勝手な子羊

ドミニカ・コウデラはルーク王子を起こしに行く途中で、いつも通り彼のかわいい親衛隊と出会った。親衛隊は大変な陣容である。高貴なる司令官二人と多数の犬達だ。


「おはようドミニカ!」

「おはよードミニカ!」

ユリアン・アッシャークラウドとエルマ・アッシャークラウドの声に続き、数頭の親犬達がわんわん!と元気に挨拶をしてきた。


「おはようございます。ユリアン様、エルマ様」

ドミニカは一応王子と王女に丁寧に挨拶したが、感覚的には息子と娘である。いや子供にしてはちょっと大きいかな。そこは大切なところである。


「兄上を起こしにいこう!」

「いこう!」

ユリアン様とエルマ様は元気に声を上げると犬達も賛同してわん!と吠えた。


その一団と共にルーク王子の部屋に行くと相変わらず扉が開いていた。不用心極まりないが、この親犬たちの出入りは自由なので自然とそうなってしまう。部屋に入ると光の王子は子犬たちと一緒に幸せそうに寝ていた。


ルーク王子の自室には当然天蓋つきの立派なベッドがあるが、彼はほとんどそこで寝ない。そこらへんで犬たちと一緒に寝ることが圧倒的に多い。犬たちはこの天然の王子様が大好き過ぎてどこで寝てても集まってくる。従ってベッドだと暑くて寝ていられないというのがその理由である。


「兄上!朝ですよ!」

「あさですよ!」

ユリアン様とエルマ様と大勢の親犬たちが一斉にルーク王子に声をかける。その声でルーク王子はがば!っと起き上がる。本当に目覚めのいい王子なのだ。むしろ周囲の子犬たちのほうが眠そうにしている。


「おはよう!ユリアン!エルマ!ドミニカ!」

今起きたばかりとは思えないほど元気な挨拶である。楽といえばとても楽だ。


「おはようございます。ルーク様」

ドミニカはそう言って一礼した。


ルーク王子は大半の人間に愛されているが、その中でも最も彼を愛しているのは彼の弟と妹と犬達である。そして彼も弟と妹と犬達をとても愛していた。弟や妹や犬達の頭を撫でたり抱きかかえたりしながらやがてそれらに埋まっていった。


「いけない!探索だ!」

そのまま埋まって寝てしまいそうだったのを再びがばっ!と起き上がりルーク王子はそう叫んで立ち上がった。勢いで子犬たちがわらわらと落ちていく。


「探索だ!」

「たんさくだ!」

年下の弟と妹は訳も判らずそう叫んだ。それが生命すら危険に晒す行為とは判ってはいない。ただ大好きな兄がやる事だからそれに同調するだけだった。


はあ。


ドミニカは内心だけではなく実際に溜息をついた。この天然王子がそれを言い出した時、ドミニカがそれをどれほど強く諌めたかは周囲の人間は良く知っている。父王と王妃すらが彼女の諌めに期待したくらいだった。しかし彼女の本気の叱責と平手打ちをもってしても王子の気持ちを諌める事はできなかったのだ。


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ルーク王子は弟と妹と沢山の犬達を引き連れて食堂に向かう。ドミニカはそれが犬の軍団の大行進に見えてしょうがなかった。実際ルーク王子は犬と似ている。まっすぐ疑いなく真面目に嬉しそうな表情がそっくりなのだ。つまり犬達は王子を主人ではなく仲間かあるいは子供の一匹だと思っているのかも知れない。


そしてユリアン王子とエルマ王女は大好きな兄の真似をするので、これまた子犬に見えてしまう。そして段々と何だか全部犬に見えてきてしまうのだ。


しかしテーブルについてしまえば三兄弟は皆マナーは良かった。まだ幼い弟君と妹君はややぎこちないが、それでも大好きな兄様を真似るのが微笑ましい。


ドミニカはこの幸福な王子が何故旧王宮探索などに行こうとするのか判らなかった。いやそれは嘘だ。実は良く分かっている。この王子は責任感が強いのだ。そして真に周囲を慈しむ心を持った気高い王子なのである。そしてそれが判っているからこそ、ドミニカは本当に身を裂かれるような思いで日々を過ごしているのだ。


しかし当の本人には全く矛盾がないらしく、その屈託のなさは変わる事はなかった。その様子を見ると──本気の平手打ちを見舞う衝動を押さえつけるのに苦労した。


「じゃあ行ってきます!」


王子が王宮を出立するとは思えない程の爽やかな挨拶をして王子は馬車で待ち合わせ場所の旅館に向かった。はあやれやれ。とりあえずは不安の種は元気に出ていった。しかしドミニカは知っている。あの王子は居なければ居ないで今度は心配の種を人々の心に植え付けていくのだ。しかしその種が芽吹くまでの少しの間は平穏であった。


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ドミニカ・コウデラは前カリストブルグ王国の貴族の末裔、らしい。そこは自分でもよく分からない。その血統も母方のものなのでほとんど意味はない。彼女にとって大切なのは、父を失った家庭で安定的かつ確実な収入源を確保する事であり、具体的には家政学校に行って手に職をつけることだった。


当初は侍女になるつもりはなかったが、同様に考える生徒が多かったらしく被服や経理への就職倍率は苛烈だった。彼女は真面目でそれなりには優秀だったが、学年主席などになる程ではなく、はっきり言って地味で暗かった。そんな彼女が王宮の侍女職に応募したのは、自分の意思というより定員割れを懸念する教授陣の都合だった。


そんな彼女は王宮内でも地味な仕事に回される事が多かったが、ある時にとある連枝貴族の侍女に欠員が出たのでそこに回された。そういう経緯なので新しい職場に期待も何もない。ただその一家の長男に会った時は正直失敗したと思った。


何というか、明るいというか、眩しいのである。見てると目が眩みそうだ。暗い性格の彼女にとっては一緒に居るだけで疲れてしまう。しかもこの一家は王家の連枝と言っても永代貴族でもなく、はっきり言って将来性はなかった。と思ったら。


今になって思い出そうとしてもあの頃の事は良く判らない。情報が錯綜し、何が本当なのか判らないうちに別の事が実現して行った。気がついたらドミニカがお仕えしている家の当主が国王になり、その眩しい息子が王子様になっていただけである。


ようやく落ち着いてその事を認識したドミニカは、当初王家直属侍女という立場を辞退しようとした。気がついたらとんでもない舞台に上がっていたのだ。しかし一方で気分も良かった。今まで偉そうにしていた派手な先輩達より自分の方が格上になったのである。まあ多少は今までの意趣返しでもさせてもらおう。


そうしている内にあっという間に5年が経った。地味で暗かったドミニカもようやく開花した。彼女は幼い頃から年重に見られていたが、その見た目相応の年になると焦点が合ったように美しくなった。暗い性格は冷静さと規則正しさという形に置き換わった。或いは置き換わったという事にできた。


ドミニカが5年も王家に仕えていたのはルーク王子という要素が大きかった。どうもこの王子は良い子だけどどこか危なっかしい。誰かこの王子を任せられる人員なり、或いは結婚なりをして貰わなくては気になって仕方がなかった。


実際ドミニカはもっと早い段階でこの王子の前から退去できると思っていた。王子に対する縁談はそれこそ星の数ほども舞い込み、中には直接会って結構いい感じになっている子女も何人も居たのである。しかし少し状況がこじれた。


まず家庭教師のビスターク伯爵がドミニカも結婚相手の選考チームに含めたのだ。「君が一番長く王家に仕えている」というのがその理由であった。まあそれは良い。正直に言うと貴顕の子女に姑の視点であれこれ文句をつけるのは楽しかった。


しかしドミニカはその本当の理由には気がつかなかった。今になってよく考えれば、たかが25歳の侍女が王子の結婚相手を審査するなんて絶対におかしいのだ。そしてそれは疑問に気がつくより回答の方が先に明確になった。


最初に会った時は10歳の少年でも5年お仕えしていれば当然15歳になる。そして15歳の少年というのはつまり思春期真っ盛りであり、彼の近くには人生の三分の一も共に過ごした年上の美人侍女が居るのである。


「ドミニカ!セックスをしよう!」


最初普通にはい、と答えてしまい、その後大慌てて否定した。いきなり何を仰ってるんですか!いやいきなりと言うより何を血迷っているんですか!


つまりルーク王子はドミニカに青い気持ちを抱いており、それを知ったビスターク伯爵は彼女を押さえつけるためにドミニカを選考チームに編入したのであった。


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仮にドミニカに対して「ルーク王子をどう思っているのか?」という質問をしても全く意味がない。その気持ちは複雑怪奇であり、さらに侍女としての建前や形式も入り混じっているし、彼女自身の本心もひとつではないからである。


ただしひとつの推測として、もしルーク王子に押し倒されたら彼女は本気では抵抗できないだろう。そしてこれもまた複雑なのだが、彼女はその仮定の状況「ルーク王子に押し倒されたら」をすっ飛ばして別の推測をしている。


もしどういう形であってもルーク王子と結ばれたら、この王子は間違いなく自分と結婚すると確信していたし、そしてその最初の一度で自分は確実に妊娠するだろうとも信じていた。さらにその子供は双子とか三つ子くらいになりそうだとも思っている。そしてその幸せな家庭を想像してみよう。


その家庭の夫は「光の王子」ことルーク王子であり、その子供たちは彼にそっくりな双子や三つ子である。しかもこの夫は妻に愛と誠実さを失わず、出産するたびに愛の行為を繰り返すだろう。つまり毎年父親そっくりの双子や三つ子が増え続けるのだ。しかも傍らの妻はほぼずっと妊娠しっぱなしである。


絶対に嫌だ。


今でこそ美人侍女などと呼ばれるが、ドミニカの思春期は周囲からおばさん呼ばわりされて暗いものだった。そういうドミニカは今の外見を何よりも大事に思っている。


また多少は慣れたと言ってもやはりルーク王子の持つ眩しさには怯みを覚える。決して嫌いではない。ただ少し距離感が欲しい。30mくらいは離れていて欲しい。太陽は大切でもそこに突入したいとは思わないのと同じ事である。 


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しかしドミニカの懸念はそれだけに留まらなかった。毎日なにかしら大騒ぎを起こす王子ではあったが、特にふたつの大きな懸念が発生したのだ。


ひとつは王家のカミラ姫との邂逅である。男嫌いで有名なこの姫と一緒に乗馬したという話は聞いていたが、なんとこの姫がルーク王子に懸想したという。


もうひとつが旧王宮探索であった。この話はドミニカが最初に聞き、あまりに驚いて口論になり激論になり口喧嘩になり、最後には平手打ちをしてしまったのだ。


このふたつの大問題は、選考チームにさらに国王夫妻を含めた緊急対策委員会が組織されて議論が交わされた。そしてビスターク伯爵の機転により対消滅させつつ時間を稼ぐ方針が決定した。つまりルーク王子には自分を守れる程度の剣技を身に着けさせて時間を稼ぎ、それによりカミラ姫が会える時間を削減したのである。


勿論これは結婚候補と会う時間を削る事にもなったが、そこはビスターク伯爵の裁量である。カミラ姫の婚約相手を探す事も併行し、二人がそれぞれ結婚候補と会う時間を同じにする事で嫉妬や混乱を避けたのは王弟殿の名采配であった。


この猶予期間にルーク王子を結婚させて旧王宮探索の話もなかった事にできれば最上だったのだが、これは巡りが悪く、候補に選ばれた姫君達はルーク王子の志を聞くと感動して同意してしまい、それが理由で候補から外さざるを得なくなってしまった。


そして2年の月日が経ち、王家の事情など忖度してくれない剣の師匠が免許皆伝を言い渡してしまうと、もう誰も止められなくなり、現在に至るのであった。


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ドミニカの複雑な心理は現在さらに複雑である。あまり人と接しないカミラ姫はルーク王子のドミニカに対する気持ちなど全く気がつかず、なんとドミニカを自身の相談相手にしつつルーク王子の状況を探ろうとしているのである。


ある意味でこれはドミニカに有利ではあった。恋敵という訳ではないが、ドミニカも自分より年上の姫君がルーク王子と結ばれるという事態には絶対に反対であり、つまり偽情報を渡して邪魔する事が可能になったのだ。この点ではドミニカとビスターク伯爵の利害は一致している。イヤ全て一致してるんですけど。何を言っているのか。


旧王宮探索の方はもはやドミニカにはどうしようもできなかった。ビスターク伯爵が精鋭を揃えたというのでそれを信じるしかない。


──主よ、どうか王子を──


と祈りかけてちょっと躊躇した。勿論ルーク王子が死んだら悲しいが、良く考えればドミニカが就職して以来の騒動はほぼ全てルーク王子が発端なのである。うーんどうしよう。少し考えてドミニカは祈りの内容を修正した。


──主よ、どうか迷える子羊に安らぎを与え給え──


これならいい。この祈りには庶事の解決も含まれているので、ルーク王子の無事帰還だけではなく幸福な結婚も含まれる。これで万端である筈だ。


あまり迷いのなさそうな子羊は勝手な理屈をこねくり囘して納得するのであった。

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