第19話 二日目の朝
やや意外な事に、ビュレイン家では妻より夫の方が朝が早い。低血圧の妻に代わって朝のコーヒーを淹れるのがレオンの日課だった。とはいえレオンのコーヒーの淹れ方はかなり雑で、それが軽い口論の理由になったりもするのだが。
──飲めりゃあいいの。贅沢を言っちゃあいかん──
前にふざけてそんな事を言ったら、お湯に卵とパンを突っ込んだだけのものを朝食に出された事があり、以来レオンは──淹れ方そのものは変わらなかったが──そういう事をなるべく言わないように心がけた。
その時の事を思い出したせいか、普段より少し丁寧にコーヒーを淹れて、ふたつのカップに注いでテーブルに置き、そして妻を起こしに行った。
「レシーナ、コーヒーが入ったよ」
レオンは妻に優しく声をかける。恋女房ではあるが朝だけは機嫌が悪いのでなるべく刺激しないようにしているのだ。
「…ん…」
レシーナがもぞりと動くのを確認するとレオンは居間に戻った。多分10分くらいすれば起きてくるはずである。触らぬ神になんとやら、であった。
コーヒーを啜りながらレオンは手早く準備をした。とはいえ大した準備でもない。レオンは金属製の防具を好まないので、頭は革の帽子型兜だし、胴も革鎧である。手もグローブだし脚も革製のチャップスをつけるだけで脛当てなどは装備しない。昨日は研ぐ時間がなかったから水洗いした剣を佩ぐとあとは背のうを背負い込むだけだ。
「…おはよ…あれ?もう行くの?」
レシーナが起きてきてそう言った。
「まあ御者としては早めに行っとかないとね」
レオンがそういうとレシーナは少し慌てて朝食の準備をし始めた。優しさと言うより家事で弱みを作りたくないという女性の考え方である。
「…探索の方はどれくらいかかりそうなの?」
レシーナはあくびをしながらそう訊いてきた。昨夜は大雑把な話しかしなかったが、社長としてはレオンの稼働がどうなるかが気になるのだろう。
「判んないなあ。でも長くても2週間くらいじゃないかな?」
レオンは適当に当てずっぽうを言った。そういえば毎日行く訳にも行かないしどうなんだろう?週休二日とかなのかな?そしてそれを口に出した。
「今思ったけど、あれって休みとかあるのかね?」
レオンは呑気な事を言ってのけた。呆れた事に探索班の6人も、その周囲の人間も、これが生命を賭した大変危険な探索という事を忘れ去っているのだ。そして寝ぼけているのか割り切っているのか不明だが、レシーナはもっと呑気な事を言った。
「王子様は大学生でしょ?もっと休むんじゃない?」
そういえばその王子様は門限があったな。なんとも呑気な探索だなあ。
「昔、俺が行った時と比べるとなんとも呑気になったもんだ」
レオンは独りごちた。あの時は酷いチームだったせいもあるが、当時のレオンを象徴するかのように全てが悲惨だった。
「…ちゃんと帰ってきなさいよ。仕事もあるんだからね」
結婚して丸3年経った今、レシーナは以前ほどにはデレデレな事は言わなくなった。あれもあれで良いものだったが、今の方がちょっと粋かな。
「ほい、簡単だけど朝ごはん」
と言ってレシーナはパンとスープと卵を出してくれた。簡単だなんてとんでもない。スープはお湯じゃないし卵だって殻を割ってちゃんと焼いてある。愛を感じるよね!
そうしてレオンは朝から元気よく食事を摂り始めた。それを見ていたレシーナは、ついでに夫の弁当代も請求すれば良かったと思うのであった。同じようなものだし。
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「じゃあ行ってくるよ」
レオンはそう言って馬車を駆って出発した。そろそろさすがに本格的に目が覚めていたレシーナは今更ながらに夫の無事を祈った。言葉には出さなかったが。
「いってらっしゃい」
レシーナは手を振ってそれを見送る。そして少し可笑しくなった。あのレオンと夫婦だなんて。それにレオンも随分と丸くなったし、自分も変わったなあと実感した。
レオンが
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旅館に到着して昨夜の居酒屋に行くとロディオンとリンドが居た。ロディオンは顔色が戻っていたが、リンドは妙に顔色が良い気がした。どうでもいいが。
「よお、おはよう」
レオンが二人に声をかけると二人もレオンに気がついて挨拶をしてきた。真面目な二人はどうやら旧王宮の探索について相談していたらしい。
「昨日のバンシーの事が気になってな」
リンドは相談内容を説明した。あれそのものの対応は既に決まっている。先手を打って
「問題はあれ以外にも外部からの怪物が居るはずだ、という事です」
ロディオンは懸念を言った。確かにそれこそが問題である。
「お前さんがた姉弟でもああいうのは初めてなのか?」
レオンはロディオンにそう訊いた。
「違和感を感じるモノは見かけた事があります」
例えば明らかに亜人種のゾンビやスケルトンなどは見たと言った。
「その時はどこかからか紛れ込んだゴブリンあたりの死体かと思ったのですが…」
良く考えればそれも少しおかしかった、とロディオンは真面目に反省する。
「そう思っても仕方があるまい」
リンドもロディオンを慰めた。レオンはハーフリングかも、とは言わなかった。
「あと二人に確認だが」
リンドは堅苦しく訊いてきた。
「他のエリアと比べて昨日は手強かったか?どこもあれくらいのものか?」
リンドは知識はあっても侵入自体は昨日が初めてである。状況が知りたかった。
「手強いです。1階でデッドアーマーなんて初めてでした」
ロディオンが答えた。レオンもうんうんと頷く。
「そもそもあれ自体が珍しいんですよ。その上にあれは魔法まで…」
ロディオンは眉根に皺を寄せてそう言った。
「まあたまたまだったのかも知れないけどな」
レオンは一応そう言った。とは言えかつてレオンが戦ったデッドアーマーももっと奥で遭遇しており、それにその個体は動き回ったりしなかった。廊下の真ん中でずっと立っていたので最初は誰かが甲冑をそこに飾ったのかと思ったのだ。
「気は抜けぬな」
リンドも眉根に皺を寄せてそう言った。
そこでリンドとロディオンは同時にぐぅと腹を鳴らした。気が合うばかりか腹の減り具合まで合うらしい。
「朝飯食いなよ。俺は食ってきたからいいよ」
レオンは気を利かせてメニューを取って渡した。
「ついでだから姉を起こしてきます」
そう言ってロディオンはいそいそと立ち上がって姉の部屋に向かった。少し嬉しそうな顔をしていたが二人はそれに気がつかなかった。
「リンドは独身なのか?」「貴君は独身なのか?」
二人は同時に同じ事を訊いた。そして少しお互い微妙な笑顔をしてそれぞれ答えた。なんとお互いに妻帯者と聞いてお互い驚いた。
「まあ、会社を経営しているなら不思議ではないか」「王国騎士で当主なら当然か」
今度もまた同時に似たような事を言ってしまい、二人は苦笑しあった。
「奥さんは朝飯作ってくれないのか?」
レオンは疑問に思った事を訊いた。若そうだけどもうそんなに冷めきってるの?
「…奥は生粋のハーフリングでな…」
リンドはそれで充分な回答をしたつもりだったが、レオンには通じなかったらしい。リンドは少し一般的なハーフリングの生活様式を説明した。
「それじゃあお前さんには落ち着かなさそうだなあ」
レオンは少し笑いながらそう慰めた。リンドは口をへの字にしただけだがそれは肯定の意味だった。実際そうなのである。ジャガイモとニンジンを煮込んだだけの大鍋はまだいいのだが、それを取り分ける皿すらないのだ。というか自分のフォークに指したジャガイモすら横から食べられてしまい呆気に取られたことがある。
「…吾輩もなるべく理解に努めておるのだが…」
何せリンドは普段は他人と料理を分け合ったりなどしない。部下と居酒屋に行けばそれくらいはするが、それは彼にとってかなりの特殊状況であり、日常的には個々に用意された食事をするのが当然だったのだ。
それが結婚と共に親族を名乗る謎のハーフリングが50人も押し寄せてきて、悪鬼の如く大鍋からジャガイモを奪い合っているのだ。カルチャーショックそのものなのである。しかも呆れた事にリンドにそういう教育を施した父母までが楽しそうにそれに混ざっているのだ。まるっきり彼だけが浮いてしまっている。自宅なのに。
「結婚って大変だよね」
お互いにほぼ親族がいなくて気楽にやっているヒューマンは偉そうな事を言った。
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