第17話 ハーフリングの生活

大変だたいへんだ。忙しいいそがしい。


リコ・リンドブルグヘンドブルグは目が回りそうな仕事を、くるくると回るように次々と片付けていた。ちょこまかしてるだけの様に見えるのはヒューマンの偏見であり、彼女は本当に忙しく立ち回っているのだ。


ここはリンドブルグヘンドブルグ家の領地であるヘンドブルグにあるリンドブルグヘンドブルグ本家である。この判りづらい名称について、家名と地名のどちらが先なのかは良く分かっていない。


リコは去年この家に嫁に来たばかりだが、それでももう家政を仕切っていた。それはリコ自身が優秀というよりハーフリングという種族の特性なのだが、ヒューマンはそれを誤解する事が多い。そう、ヒューマンという種族はよく勘違いするのだ。


ハーフリングとヒューマンは身長差はあるが、体型は似ているので古来から友好種族である。しかしこの大きい種族は物事の道理を取り違える事が多い。例えば三ヶ月前から住み込みで働いているメイドのサーシャは正にそういうタイプである。


「今日からお世話になります」


サーシャは礼儀正しい女の子できちんと頭を下げた。ニコと同い年だったのですぐに仲良くなれた。そして色々な家事を説明している内に妙な事を言い始めたのだ。


「…それでは、ご夕食は何人分ご用意すれば良いのでしょう?」


サーシャは立ち止まって驚いた様子でそう訊いてきた。しかしそれを聞いたリコには彼女の言っている意味が良く判らなかった。何人分?


この食い違いについてリコ・リンドブルグヘンドブルグとサーシャ・ミリオンの会話を説明しなくてはならない。まず最初にこの食い違いの発端を開いたのはヒューマンであるサーシャの素朴な疑問からだった。


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「…こちらのお宅は随分と家族が多いんですねえ…」

サーシャは驚き呆れてそう言った。最初は館内で会うハーフリングにいちいち頭を下げていたのだが、その数が10人を超える頃にはさすがに疑問に思ったのだ。いくら何でも大家族すぎないか?と。


「ああ、私達は氏族単位で生活するの」

聡明なリコはハーフリングとヒューマンの違いをちゃんと認識している。ヒューマンは家族より大きい単位ではあまり一緒に生活しないと聞いたことがある。そしてそう言ったらサーシャは仰天して最初の質問を投げかけてきたのだ。


リコは聡明ではあったが、さすがにハーフリングとヒューマンの生活様式の前提条件の違いまでは頭が回らなかった。


ハーフリングは氏族単位で生活しているが、ヒューマンのようにその生活基盤となる建物や地域に固定の構成員が定住している訳ではない。分かりやすく言うと、今日リコはこの家で確かに義父や実父や実母や兄弟や従兄弟や再従兄弟のような人間を多数見かけたが、明日彼らがここに居るとは限らず、そもそも彼らの内の何人かは義父や実父や実母や兄弟や従兄弟や再従兄弟ではなかったかも知れない。それは大した問題ではない。ヒューマンが街ゆく全ての人間と知り合いはでないのと同じである。


従ってハーフリングの食事に「何人分」という単位はない。より大きな鍋で多くのジャガイモやニンジンやキャベツを煮込み、それにパンやハムやソーセージを添えて出すのが食事である。つまりヒューマンの言葉で言うと早いもの勝ちである。


もし足りなかったらもう一度作ればいいし、余ってもそのまま置いておけば翌朝には綺麗さっぱりなくなっている。「何人分」という単位が必要ないのだ。


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サーシャは聡明で可愛らしい女の子であったが、それでもハーフリングとの生活に困惑する事が多く、またニコたちハーフリング側も彼女の振る舞いに困る事もあった。


食事の次に問題となったのは彼女のとんでもない誤解であった。ある時サーシャは泣きながらある事を訴えて来た。それを聞いたニコは仰天してしまった。なんと彼女の私物が盗まれるというのだ。


それを聞いたニコは非常に悩んだ。窃盗などという恐ろしい事件がこの屋敷の中で起こっているなんて信じられなかった。しかしニコはサーシャを信頼していた。彼女が嘘をつくはずがない。しかし一体どうすればいいのだろう?


悩んだ挙句、ニコは義父のイーゴリに相談した。イーゴリはニコの話を聞き、にっこりと微笑んで黄札を渡してきたのだ。それを見てニコは笑ってしまった。


ハーフリングの文化では「借りる」というのは信頼の証である。どこの誰が使ったものかも分からないものを借りる事など決してない。例えその交流が1秒であったとしても友情と信頼は確かに構築されるものなのだ。それは窃盗とは全く違う。


しかし貸すのは構わないが、必要な時にはちゃんと返してもらわなくてはならない。そのために先人達はちゃんとそういう文化を作っていた。黄札は返還要求の証であり、それを見たら借りたものはすぐに返さなくてはいけないのだ。


そして黄札を渡したらこれまた問題が発生した。なんとサーシャは翌日以降も黄札を自室の扉に張りっぱなしにしていたのである。これにはさすがのニコも注意をした。


黄札は返還要求であり、つまり「貸したものを返して欲しい」という意味だ。それを張りっぱなしにするのは「貸してもいないものを返せ」という意味になる。それこそ恐喝と同様であり、強く窘められるべき根拠なき横暴なのだ。


「でも下着まで全部持っていかれたんですよ!」


サーシャは何故か顔を真っ赤にしてそう訴えた。パンツを貸すくらいで何をそんなに怒るのか全く判らなかったが、しかしかわいいメイドに対する贔屓もあり、今度は赤札を渡す事にした。これは「貸出禁止」を意味する札である。


以来サーシャの自室には赤札がずっと張りっぱなしである。こんな事をするのは当主である夫のニコライくらいなもので、当主ならともかくメイドがこういう事をするのは周囲から白い目で見られたりするものだ。


「あのヒューマンのメイドさんは随分と頑なだね」


兄弟だか従兄弟だか再従兄弟だかはそう言って嘆息するのであった。


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「戻ったぞ」

玄関から夫の声がした。ニコとサーシャはぱたぱたと玄関に向かって出迎える。


「おかえりなさいませ、旦那様」

サーシャは丁寧に一礼する。夫はこのヒューマンのメイドと気が合うらしく、お茶なども全て彼女に任せている。サーシャの方も夫を尊敬しているようであった。


「おかえりなさいませ」

ニコもにこにことそう言った。そういう挨拶に対して夫は優しい顔で微笑んでくれる。随分と厳しい顔つきの夫だが、そういう所は少し可愛らしい。


「食事は済ませてきた。サーシャ、風呂の準備を頼む」

そう言うと夫は一度自室に向かった。着替えてくるのだろう。居間で夫の好きな酒を用意しているとローブに着替えた夫がやってきた。


「いかがでしたか?旦那様?」

ニコはにこにこと微笑みながらそう訊いた。


「思った以上に難航しそうだ」

夫は厳しい顔でそう言って酒を一口飲んだ。


「しかし仲間は精鋭揃いだ。吾輩も負けてはおれぬ」

夫は少し嬉しそうに言った。それを見たニコも嬉しくなった。ニコは夫がこの任務を受けた時に大層機嫌が悪かったのを知っているのでとても心配していたのだ。


「…しかし、今日は随分と多いな?」

夫は周囲を見渡してぼそりと言った。あらそうかしら?


ヘンドブルグという土地で育った夫の感性はハーフリングよりもヒューマンに近く、ごく普通の氏族構成にも違和感を持つ事が多いらしい。夫の氏族は少なく、その人数はなんと10人にも満たないとの事だ。しかもその大半が滅多にここには戻らないそうで、そういう点でもサーシャと気が合うのかも知れない。


「でも仲間が多いと楽しいですよ」

ニコはにこにことそう微笑んだ。愛妻の笑顔を見た夫は少し顔を赤らめた。


ヒューマンの基準で言えば「超美少女の6歳児」と言った見た目のニコは、当然ハーフリングの基準ではかなりの美女である。当主の夫人でもなければ従兄弟だか再従兄弟だかに口説かれまくっていただろう。


そしてこの堅苦しいハーフリングの王国騎士は美しい妻に強く惚れているのであった。決して寝室以外ではそのような態度を取ることはなかったが。


「さて、そろそろ風呂が沸いたかな」

夫は恥ずかしさを誤魔化すようにそう言って立ち上がった。あらあらテレちゃって。如何にハーフリングとはいえ女性はそういう事は判る。さてさて今日は褥の準備をしておきますかね。うふふ。


ハーフリングの新婚夫婦はまだまだお熱い時期なのであった。

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