第16話 藩屏の責任
カリストブルグ王国の首都イスタローブ西側は貴族や政治家の居住区となっている。つまり領土内では最も旧領土方面に近い方面にある。
事実上の新興国である後カリストブルグ王国は「責任を持つ者こそが危険を背負わなくてはいけない」という考えを内外に喧伝するためにこうなっているのだが、実は区画整理の段階からさほど驚異はないという事は密かに知られており、70年経った今となっては喧伝文句にすら使われない程陳腐化していた。
その区画にある屋敷のひとつにビスターク伯爵カレル・アッシャークラウドが訪れていた。来訪の理由はその屋敷の主人に呼び出しを受けていたからである。実はそれに応じる必要はないのだが、これもまた王族の責任であると考えたのだ。
エントランスで来訪を告げると侍女が予定を確認して客間に案内をしてくれた。侍女は言葉を発しなかったが、ビスターク伯爵の方が先に声をかけた。
「男爵のご様子はどうかね?」
それはこの屋敷の主人に対するものだった。別に心配をしている訳ではないが。
「お変わりなく…」
使用人は微妙な事を言った。その声からは主人に対する敬意をあまり感じなかった。
屋敷の西側にある客間に通されるとビスターク伯爵はそこでしばらく待たされた。急ぐ理由はなかったので一面のガラス窓から夜空を見て時間をつぶした。先程の侍女が戻ってきて飲み物を勧めてくれたので紅茶を頼む。これも形式通りの作法なだけで、別に喉は乾いていない。断るよりも手順に沿った方が面倒がないだけだ。
供された紅茶を飲みながら考えに浸った。我が王家も36代目、復興してからは4代目となり眷属も増えてきた。その全てが必ずしも国家に貢献している訳ではない。王家を離脱する者も居れば特権に浸るだけの者も居る。現在の状況では難しいが、それもそろそろ整備していかなくては。
そのような事を考えていると再びノックがした。応答すると先程の侍女が扉を開けてこの屋敷の主人を誘って入室してきた。
「お久しぶりですね。叔父上、いやビスターク伯爵」
男は一見機嫌が良さそうな笑顔でそう言った。
「お久しぶりですね。ロクスト男爵」
ビスターク伯爵も似たような挨拶を返した。
「ご多忙の折りにわざわざご足労頂きありがとうございます」
ロクスト男爵ハインツ・アッシャークラウドはそう言った。その言葉には多少の嫌味がこもっている。来るならせめて昼間に来い、と言いたげであった。
爵位も年齢もビスターク伯爵の方が上なのだが、この甥がややぞんざいな態度なのにはそれなりの理由がある。彼の父は35代国王エアハルトであり、つまり世が世なら王子または国王になっていたかも知れない男だったのだ。
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35代国王エアハルトの評価は難しい。旧王宮探索による回収の実績なら後カリストブルグで最大の獲得数であったが、それに偏向し過ぎて軍隊にも教会にも大きな負担をかけた。また外交に関しては強硬路線であり、列強からの評判は芳しくなかった。
またその偏向的な性格が災いしたのか、子供たちの教育にもあまり積極的ではなく、脳卒中で倒れた時、長男のハインツは男爵位継承資格しか認定されておらず、結果としてハインツは長男であるにも関わらず王位継承が認められなかったのだ。
従ってロクスト男爵ハインツは、もう一人の叔父である36代国王アベル・アッシャークラウドとの関係は難しい。彼からすれば簒奪者に等しいのだ。
そしてこの微妙な関係の叔父と甥の間を取り持つ良識人と見做されているのがビスターク伯爵なのだが、実は彼は甥たるロクスト男爵の肩など持っていない。現在の情勢で考えれば冷たいように思われるが、当時の情勢を考えれば当然である。兄たる国王の息子で王子だった男が一体何をやっていたのかと言いたいのだ。
しかしビスターク伯爵はそういう態度を表さなかった。彼は三兄弟の末弟であり、言わば生まれた時から王家の藩屏である。この出来の悪い甥も含めて特権に埋没しているだけの親族達を宥めすかして勝手をさせないのも役目のひとつだったのだ。
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ビスターク伯爵は甥たるロクスト男爵の長く歪曲な話を黙って聞き続ける。いちいち細かい指摘など入れてもしょうがない。要するに愚痴と上位の爵位や役職を寄越せと言っているだけなのだ。その中でルーク王子にも言及していた。
「ルークも王位継承を焦っているようですがどうなのですかあれは」
それは質問の形式ではあったが要するに批判である。馬鹿馬鹿しくて反論する気にもならない。ルーク王子が何の爵位も持っていないのは単に未成年だからであり、継承資格だけならもう公爵位継承資格まで認められているのだ。大学すらまだ卒業していないのにである。印象はああだが彼は極めて優秀な王子なのである。
それ故にビスターク伯爵はその事を言わずに、甥の勝手な解釈を聞き流しながら相槌を打ち続けなくてはならなかった。つまりこの出来の悪い甥を刺激して、ルーク王子への害意などを持たれては困るのである。
子供の居ないビスターク伯爵にとって、素直で優秀な生徒であるルーク王子は甥であり息子であり愛弟子である。この馬鹿者の悪意に晒す訳には絶対に行かないのだ。
そんな事も知らずに出来の悪い方の甥はひたすら長い愚痴を続けるのであった。
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ふう。
ビスターク伯爵は真の貴顕であった。2時間近い愚痴を聞き続けた鬱憤の解消がその溜息だけなのだ。その彼にしても本音では扉を蹴飛ばしたかったが。
「伯爵…」
屋敷の外に出て馬車の停留所までの短い道程で彼に声をかけてきた人物が居た。その声にまたも苦さを感じた。一体我が長兄は子供にどういう教育を施したのか。
「こんばんは、カミラ」
ビスターク伯爵は挨拶をしつつ姪の名前を呼んだ。
「兄がご迷惑をおかけしました」
その女性、カミラ・アッシャークラウドは礼儀正しく頭を下げた。
「いえいえ、とんでもありませんよ」
ビスターク伯爵は常識的な対応を示した。暗かったので笑顔を作る必要がなかったのも助かった。声音だけで済むならそのほうが楽でいい。
カミラは美しい女性であった。金髪のまっすぐで長く豊かな髪は美しく、その灰色の瞳とやや眉尾が下がった表情が男の庇護欲を掻き立てるのか、宮廷内でも人気の女性だった。しかし現在までに彼女がそれに応える事はなかった。
「ところで、王子は無事に戻られたのでしょうか?」
そらきた。ビスターク伯爵は内心で溜息をついた。
「大変な勇気と責任感だと感嘆しておりますが、万一を思うと…」
カミラは忙しそうに顔を赤くしたり青くしたりして不安を申し述べた。それそのものは全く同意見なのだが、ビスターク伯爵とカミラではその気持ちの根本が違う。身も蓋もない事を言うとこの美女は従兄弟のルークに恋慕しているのである。
「お気持ちは良く分かります」
ビスターク伯爵は優しくそう言って肩を──抱いたりはしなかった。カミラは確かに美人なのだが、極度の男性潔癖症でもあった。社交ダンスなどした事もないし、手を握られただけで悲鳴を上げて卒倒した事すらある。
その潔癖症の彼女が何故かルーク王子に対しては一切そういう態度を表さないのだ。ルーク王子は何と彼女を抱えあげて一緒に乗馬した事もある。ビスターク伯爵ですら絶句した奇跡の瞬間であった。そしてそれ故なのか、その前からなのかは不明だが、この美女の恋心はルーク王子に釘付けになったのだ。
「ですが王子ご自身がお決めになった事ですし、護衛には精鋭を集めております」
ビスターク伯爵は当たり前の事を丁寧に優しく言った。しかしカミラは逆にその言葉に両掌で顔を覆い、ああ、という嘆きの声を上げた。
ビスターク伯爵は別に従兄弟同士だからどうと言うつもりはない。しかし相手に恵まれない訳でもないのに12歳も年下の少年に恋慕するというのは、さすがに無条件で同意はしきれないのであった。
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