第15話 初日反省会

「なんなのよあれは!」

アナスタシアはビールのジョッキをどん!と置くと共に怒りと困惑の大声を上げた。


「本当ですよね!」

ルーク王子はオレンジジュースのグラスで同じ様な事をした。


ここはチームの初顔合わせをした旅館内の居酒屋である。馬車があるので毎日帰宅はできるのだが、探索が遅くなった時や重傷者が出た時などを想定して、旅館の部屋を無料で利用できるようになっている。チーム内の相談なども必要なので、拠点として活用していい事にもなっていた。しかし勿論、居酒屋の飲食代は自腹である。


ロディオンの疲労が強かったのでそれ以上の探索は避けるべきだったが、デッドアーマーという強敵を見事に倒した勢いも手伝って、一度2階に上がって様子だけ見ておこうという話になったのだ。


---


「ない!」

ルーク王子は相変わらず元気な声で驚きの声を上げた。


「やっぱりなかったか」

半ばは予想していたがアナスタシアはやや残念な溜息をついた。


「仕方あるまい」

リンドはさほど失望せずにそう言った。


別に賭けていた訳ではないが、大きくて長い階段を登っている最中にチーム内で疑問というか期待の声が上がったのである。あれ?これひょっとして3階への階段も備え付けられているんじゃないか?と。


一見そういう構造でもおかしくはなさそうではあった。赤い絨毯が敷いてあるという事は、要するにこれはかなり格調高いエリアの階段であり、利便性を優先されてそういう構造でもおかしくはなかった。しかし登った先には登り階段はなかった。


「王侯貴族の居住エリアならば、より一層警戒しなくてはならぬからな」

リンドは素っ気なくそう言った。誰も知らないが彼は建築学の博士なのだ。


「敵兵の侵攻を防ぐために?」

アナスタシアは前に聞いた事のある話を確認した。


「うむ」

リンドは短く肯定した。


「それさ、疑問があるんだけど」

アナスタシアは言葉を続けた。


「敵が侵入した時点で負けだよね?それ」

アナスタシアは実に本質的な質問をした。


「乱世では主君を逃がす時間を稼ぐ事が重要と考えられていたのだ」

リンドは明確にその疑問に回答した。


「…主君だけ逃げても負けは負けだよね?」

アナスタシアはまだ疑問が解消しなかった。


「兵士も家族も財産もほっぽいて主君だけ逃げても意味なくない?」

アナスタシアは身も蓋もない疑問を投げかけた。


「そこはちと現代と違う概念があってな」

リンドもまた明確な説明を続けた。


「乱世の主君というのは、彼個人が独立勢力と考えられていたのだ」

リンドは、例えれば魔道士のようなものだな、と付け足した。


「だから兵や家族などは付属品であり、大切なのは主君本人と考えられていたのだ」

そこまで言うとリンドもやや皮肉めいた顔をして言葉を続けた。


「…まあ、ならば逆にこういう構造もまたおかしいのだがな」

リンドもそれを認めた。主君個人がそういう超人ならば、敵が攻めてきたらまず自分で戦えという話になってしまう訳で。


「結局、男というのはこういうのが好き、としか言いようがないわな」

リオンもやや皮肉を込めてそう言った。妙な理屈をこねくり回してこういう城や拠点を複雑化するのは、つまり「ぼくのひみつきち」が好きなのである。


「建築学の講義をしている場合ではなさそうだぞ」

ロズワルドは通路の北側を見てそう言った。皆も一斉にそちらを見る。


「ダイギョーだ…」

ロディオンはまだ呆然としたままそう言った。


ダイギョーというのは聞き間違えをさらに省略したものである。以前同行した戦士が言ったのは「大名行列」なのだが、長くて音がかぶっているので適当に短縮してそう言ったらそれで通じてしまい、以後その言葉がそれを表す言葉になったのだ。


それは要するに何らかの集団なのだが、最初のゾンビやスケルトンと違い、何らかの存在が規則正しく一定方向に進行している有様を指す言葉だった。今こちらに向かってきているのは恐らく霊体の集団だった。


「…あんなにはっきりと」

アナスタシアですら少し驚いた。霊体の中には生前の姿を残すケースもあり、それは珍しくはない。しかし眼前のそれは余りにもはっきりとし過ぎていた。霊体の集団に対する驚きより、むしろその向こうが透けて見える方が不思議に思える程だった。


「先頭の方は随分と様子が違いますね!?」

ルーク王子は元気よく礼儀正しく疑問を呈した。そう。勿論そうあるべきなのだ。目前の幽霊たちは見た目で貴顕だと分かるし、不幸な被害者でもある。だの何だのと言い表すのは失礼なのである。さすが王子様なのであった。


さて、そういう礼儀正しさや微妙な違和感やおかしさを無視して集団の先頭を見ると確かに他と違っていた。他は確実に幽霊だが、先頭の女性っぽい存在はどうやらそうではない。物理的な存在のようだし、服装も随分違う。


他の幽霊たちは一目で貴顕のそれと分かる格好なのだが、先頭のそれは随分と粗末な緑色の服を着ていた。ワンピースというより、もっと裾が長かったローブが擦り切れてそうなったように見える。足も裸足で膝くらいまで脚が見えた。髪は手入れのしていない長い黒髪なのだがあまり不潔さを感じない。肌は白く見えた。


ゾンビではなさそうだが、勿論普通の存在である筈がない。初めて見る存在だった。そしてその存在がこちらを見た。目は瞳の部分も白目の部分もなく真っ赤であった。そして唐突にそれの口が開いた。


──ギャア──


一瞬何が起こったのか分からなかった。そしてその違和感に一行はパニックに襲われた。何だ!?どうなったんだ!?みんな大丈夫か!?


お互いの声が聞こえていないと気がつくのに数瞬かかった。可聴域を大幅に越えた叫び声で一時的に耳が聞こえなくなったのだ。


もしこの瞬間に襲われていたら大ピンチだっただろう。しかしそのダイギョーたちは先頭のナニモノかが叫んだ以外は特に敵意を示す事もなく、そのままゆっくりと一行の目の前を素通りしていった。


「…シー……ゲ……」

ようやく少しずつ言葉が聞こえるようになった。ロズワルドが大きく腕を振って階下に移動するように促していた。それに気がついた一行は理由を考えるより先に階段を大急ぎで下り始めた。ロズワルドが即時撤退を提言するなら何か理由があるはずだ。


「…まま…出る…」

ロズワルドは早足で歩きながらそう言った。


「あれは何だったのでしょう!?」

この状態でもルーク王子の声はよく聞こえた。さすがに相対的にではあるが。


「…れはバンシーと呼ばれる精霊だ」

ようやくまともに耳が聞こえてきてロズワルドの説明が耳に入ってきた。


「伝承ではあの声を聞くと近く死人が出るという」

その言葉に皆はぎょっとした。が、ロズワルドは論理的な説明を続けてくれた。


「勿論それはただの伝承だ。だが逆説的に正しくもある」

ロズワルドは魔法使いという職業に似合わず案外と足が早い。


「あれはつまり魔物を呼び寄せる警報機なのだ。今は撤収したほうがいい」

今までもルーク王子の声はわりと響き渡っていたが、そういう事ではないらしい。


まあ当初の予定よりは短く、デッドアーマー遭遇時の想定よりは長かった初日の探索は、これにて無事終了したのであった。


---


「あれは不死生物じゃないんだろ?先生?」

レオンはロズワルドをそう呼び表して訊いた。


「無論」

ロズワルドはその表現には何の反応も示さず、短く肯定した。


「あれ自体は驚異ではないのだが、あれが居て叫ぶのは相当な危険の証でもある」

ロズワルドは説明してくれた。あれは本来邪悪なものではないのだが、危険を意味する代名詞として忌み嫌われているものだという。


「ご本人は可哀想なのですね!」

ルーク王子は慈愛に満ちた大声でそう言った。


「どこがよ!要するに魔物を呼び寄せる警報機じゃない!」

アナスタシアは悔しさと酒の勢いで王子様に食ってかかった。悪魔祓いが通じないのはしょうがないが、あんな存在は初めてだし完全に不意をつかれた。悔しい。


「それより疑問があるのだが」

リンドはロズワルドに向かって疑問を呈した。


「吾輩の認識では旧王宮に居るのはキメラと不死生物だけの筈なのだが」

何故あんなものまで居るのか?と言った。


「貴君が知っているという事は、旧王宮で発生した存在ではないのであろう?」

顔はロズワルドに向けているが、それはチーム全員に対する問いかけだった。


「それに聖女殿も初めて見たと言っておるしな」

そう言ってリンドもビールを一口飲んだ。


「外から連れてこられた、或いはやってきた怪物も居るって事になっちまうな」

レオンは皆が薄々思っている事を代弁した。


「…あのクソ親父…まさかそれを見越して東側を選んだんじゃあ…」

他の4人には具体的にそれが誰だか判らなかったが、ある程度の察しはつく。そしてもし仮にそうであってもどうしようもない。探すしかないのだ。


ちなみに今この場にロディオンは居ない。結界の底上げで精神への負担が大きかったところに超音波攻撃と撤収が重なったので先に休ませたのだ。もしロディオンが居たらアナスタシアはノシオ大司教を連想する言葉を言わなかっただろう。


「だからこそこの陣容なのかも知れぬ」

リンドはその誰かをフォローするような事を言った。


「今日はレオンに前衛を任せきりであったが、吾輩も及ばずながら尽力しよう」

リンドは皆を見てそう言った。レオンには劣るだろうが彼も王国騎士なのである。


「僕も及ばずながら!」

ルーク王子もまた元気よく立ち上がってそう宣言した。それに対して肯定も否定もしない内にルーク王子は、あっ!とより大きな声を上げた。


「大変だ!」

何だなんだ?と言った感じで皆ルーク王子を見たが、彼はそれに答えるというよりは独り言のようにその理由を叫んだ。


「もうすぐ門限だ!今日はこれで失礼します!」

アナスタシアは腕から顎が落ち、レオンは飲みかけたビールを吹き、ロズワルドは驚いた顔でまじまじとルーク王子を見上げた。無反応だったのはリンドだけだった。


ルーク王子はもう一度失礼します!と叫んでぺこりと頭を下げて走って帰っていった。いや外には王室の馬車が待機してるだろうから走る必要はないのだが。


「…良い子ねえ」

アナスタシアは微妙なにへらとした顔でルーク王子の後ろ姿を見送った。


「では吾輩もこれにて。明日はまた同じ時間でよいかな?」

リンドも立ち上がってそう確認した。まあルーク王子には何も伝えなかったのでそれでいいだろう。別に変更する理由もなかったし。


「私は今日はこちらに泊まるとしよう」

ロズワルドもそう言って立ち上がった。今日は1回しか魔法を使わずに済んだので触媒を補充する必要もなく、独り身の彼は他に帰る理由にも乏しかった。


「私もそうする」

アナスタシアもそう言った。ロディオンが既に泊まっているし、たまには外泊してゆっくりしたい。寮は面倒が多いのだ。


「俺は帰るよ。じゃあまた明日同じ時間に」

レオンも立ち上がって荷物を担ぎ上げた。


まあとりあえず初日お疲れ様ということで、と言って4人はそれぞれ別れた。

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