第3話 過ぎたる法力の果て
エヌフォニ教は大陸歴元年に創始された宗教というより、エヌフォニ教が始まった時を指して大陸歴という暦が成立した。創始者にして後に「光の人」と呼ばれるサン・リギユは、当時はまだ未発達だった治癒魔法を研究し、多くの治癒を実施して民衆の支持を得た。今日ではその力は「法力」と呼ばれている。
その力が広まり、体系化して行く過程で、エヌフォニ教はグランジオ大陸を席巻する一大権威となった。後にサン・リギユの代行者と呼ばれたジムリオ・アッシャークラウドがカリストブルグ王国の成立を宣言し、その初代国王に推戴された。
以降カリストブルグ王国はさらに多くの医療魔法研究を重ね、大陸にその勢力を拡大した訳ではあるが、それは必ずしも支配的なものでもなかった。むしろサン・リギユがエヌフォニ教を創始してからの800年こそがエヌフォニ教の大陸支配期間であり、それを打破した結果としてカリストブルグ王国が成立したとも言える。
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少なくとも初期のカリストブルグ王国は他国家の新興に対して好意的だった。多くの支援や援助を行い、近隣国家の成立に尽力した。
中期以降はその支援や援助の手形を使って自国に優位な関係を再構築し、その利益でさらなる富を獲得した。その富の一部は魔法研究に費やされ、その研究成果を以て大陸の医療水準を大幅に底上げした。
後期は結局エヌフォニ教の大陸支配期間とさほど変わらなくなった。父祖たちの慈愛と感謝は形骸化し、債権者と負債者の関係のみが残った。違うのは直接支配している訳ではないので、徴税をしない代わりに国家運営にも関与しない事だけだった。
もし列強がカリストブルグ王国への負債を精算しようとするのなら、実はそれは簡単である。国璽と王冠を差し出せばいいだけだ。無論道義的にそんな事を認める訳にも行かず、また新領土などを貰ってもそこを接収する訳にも行かない。金の卵を産む鶏は飼育するから価値があるのであり、絞めればそれは単なる鶏肉でしかないのだ。
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医療魔法の基本にして究極の概念は「死を遠ざける」事である。逆に言えば死の研究こそがその技術進歩に貢献する訳で、つまりある時点からカリストブルグ王国はエヌフォニ教を通してその研究を行っていた。
生命とは何か、死とは何か、肉体とは何か、魂とは何か。
そして多くの犠牲と失敗の果てに、その力は神の力の具現とすら言える水準にまで到達したと言われている。そしてグランジオ大震災が起こった時、理由は不明ながら、その国土には悪霊や不死生物と呼ばれる怪物達が跋扈し始めたのであった。
「まあ神罰だな」
とは誰も言わなかった。エヌフォニ教自体は滅んだ訳ではないので、その権威も怖ければ医療を受けられなくなるのも困る。批評したってどうなるものでもない。今すべき事は、その過ちを自ら戒める事と、債権者が消えた事を寿ぐ事だった。
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全ての魔法は、ある研究に対してその対抗手段となる手段も同時に考えられる。つまりエヌフォニ教には悪霊や不死生物に対抗する法力も存在していた。
しかし国家財産を投入して研鑽された研究結果に対して十全に対抗するのは難しい。またエヌフォニ教の中にも当然派閥はある。カリストブルグ王国にある大聖堂は総本山であり、他地域にある聖堂や組織は言わば下部組織である。研究精度の違いもあるが、まあ「ざまを見ろ」は言い過ぎだが。要するにそういう事である。
従って、当時アッシャークラウド王家の正統後継者を自称していたカジル氏が「エヌフォニ教のエクソシストの協力を得て旧国土を清浄化した」という喧伝がどれ程の規模で行われたものなのかは良く分かっていない。
ひとつの推測として、悪霊だの不死生物だのと呼ばれる存在は、その原動力となる魔力がなくなれば存在し得ないのではないか?とも言われている。つまり何らかの理由でカジル氏が旧領土を訪れた時、そこには魔力を失って土になりかけた死体の山しかなかったのではないか?とも予想されている。
具体的な状況は不明であるが、カジル氏がアッシャークラウド王家の正統後継者たるを証明し、数年の歳月と国債を担保にした借金を費やして大規模な整地工事を行い、王国の再興を宣言したのは確かである。
「不死生物が居た土地に入植が可能なのか」という疑問には、これは結構いろいろな回答が用意されていた。
新領土は旧領土東部の農地を中心としたもので、エヌフォニ教のエクソシストが調査して清浄を宣言しており、さらにエゼル川沿岸に長大な防壁を建設して入植の不安を解消した。そもそもこの地域は大震災以降に貧農などが勝手に開拓していた地域で、だからこそカジル氏が調査して国家再興事業を志したのかも知れない。
そしてそれらの施策以上の現実問題として、旧カリストブルグ王国の難民達は避難先で困窮しており、経済的な格差からも祖国に帰れるなら帰りたかったのだ。
「動こうが動くまいが所詮死体は死体。生きてる人間の方が恐ろしい」
当時流行した難民たちの内心を集約したスローガンであるが、これもまたカジル氏が密かに行ったプロパガンダとも言われている。
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