四_076 明日の鏡



 見てきた他の本と明らかに紙質が異なる。高級紙という風に。似たような本は他にもあったかもしれない。


 綺麗で、新しい印象。

 なんとなく古い本を選んでいた為、新しく見えるものは頭から除外していた。

 先入観というか、何というか。これじゃないと決めつけてしまって。


「予知?」


 ニネッタが持ってきた本の主題をアスカが声にする。

 最後の頁に先ほどの言葉。裏切り者と書かれた一文があった。表題はその反対側。


「どんなことが書いてあったの?」

「いや、それが……」


 アスカが訊ねると、ニネッタは髭面に苦笑を浮かべた。


「ほとんど意味がわからなくてね」


 肩を竦める。

 持ってきて読んてみたものの、難解な内容だったと。


 理解できず、ぱらぱらとめくって最後の頁に辿り着いたのだろう。

 他の部分とは明らかに違う書体で記された一文に目が留まり、その内容に思わず声が漏れた。


「貸して」


 ニネッタの前から本を引き抜いて中を改めて確認する。

 文字はこれまで習っているものと同じ。女性の手で書かれたような印象を受けるのは不思議なものだ。

 なんとなく書き方の癖で、これは男性、こっちは女性と感じる。思い込みかもしれないけれど。



 予知。

 肉のある身では覗けぬ先を、凌霄橋りょしょくきょうの力で映す。

 映される明日は揺蕩たゆたう水面のようで、正しく見て取ることは困難。

 風が吹けば見える景色も変わり、何かが投じられれば波立つ。明日は定まらぬまま。


 見えるものは光。映すものは鏡。

 明日の光を遠くの鑑に映して返す。これを予知と呼んでいいのかはわからない。

 見て取ったものを誰かに伝えれば、そこからまた配置が変化する。

 世界の間取りが変わり、光の差す向きも影の差す所も変わる。


 大きな色は変わらない。個々の何かで変わらぬものは確かに見て取れる。

 私に見えるその色を伝え、変えたいものを変えていく。

 世界が赤く染まるのは嫌だ。

 世界が暗く染まるのは怖い。




 ニネッタの言う通り、確かに難解だ。

 何を書きたいのかよくわからない。

 言い訳、だろうか。予知の力を得た誰かが、うまくいかない何かに対して弁明しているような。


 ニネッタにはわからなかったかもしれないが、アスカには少しだけ理解できることもあった。

 予知。未来視。


 肉体があるというか、質量を持つ物体が光の速さを超えることはできない。

 光の速さを超えて地球を飛び出して振り返れば、見える光景は飛び出した時点より前の地球のものだとか。

 見るというのは光を認識するわけで、光を追い抜けば過去を覗けるだとか。ブラックホールなどで光が歪むと距離が伸びて、同じ星でも長く時間がかかって遅れて届く。そういう理屈だったような気がする。


 過去ではなく未来を知る場合の手順はどうだったか。

 光の速さを秒速三十万キロメートルより加速させる鏡があるとして、それで反射した光を見れば今より先の姿が見えるのだとか。

 著者は、自身が光の速さを超えることは出来ないけれど、凌霄橋とやらの力を使うと未来の光景を見ることが出来ると言っている。


 理屈はよくわからないが、物理法則について語っているようだ。

 だとすれば、また奇妙な感じもする。

 物理法則をすっ飛ばした不可思議な力と共に、高度な物理の知識を持っているのか。この著者は。


 読み進めてみると、彼女自身完全に理解しているようでもない。三次元世界の自分が高次元の概念を理解しきれないというように。

 凌霄橋という力で実現出来ているけれど、その仕組みを熟知しているわけではない、と。



 もう少し身近で考えれば、伊田家でも冷蔵庫などどうやって冷やしているのか不思議なものがあった。

 何となく理屈はわかるけれど、ちゃんと説明しろと言われたら難しい。そんな機械の仕組み。


 これを書いた著者も、自分が使っている力がどうしてそう作用するのか理解しきれていない。

 だからなのか、身に余る力だという風な書き方をしている部分もあった。



 ――私たちが力に使われている。アグーの言う通り。


 人名が出てくるが、それについての説明はない。とりあえず気にしない。

 結局、何となく理論っぽいものをふわっと頭に入れただけで、それ以上には至らない。

 書いた誰かは、他の誰かに予知の仕組みを伝えたかったというのと、それらを過信するなと言いたかったみたいだ。


 尋常ではない凌霄橋という力。それは便利だけれど力に振り回されてしまう。

 過去にあったという超魔導文明にしても科学文明だとしても、自分の身に余る力は危険を伴うのだと思う。

 教訓的な著書か。



 読んでいるうちに日が傾き、今日はここまでということになった。

 明日からは、この本に似た装丁のものを中心に読んでみよう。


 アスカの思惑は、また違う形で邪魔が入ることになる。



  ◆   ◇   ◆

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