四_069 法官長と商会長



 法官長シャド・タルドは忙しい。


 サナヘレムスの大教会ポルタポエナ。その地下階の彼の執務室には大量の紙がある。

 世界中を探しても、シャドより多く紙を使用する人間は少ないのではないだろうか。


 上質な紙は高級品で貴重品だ。

 シャドも無駄に使うことは出来ない。


 法官長という肩書で、実際にやっていることはサナヘレムスの行政。町長のようなこと。

 祭儀的な役割をするのが神官、司祭など。

 ヘレムス教導区の政治的な実務をこなすのが法官の役目。一部兼任するところもあるが。


 大都市であるサナヘレムスでは、毎日多くの問題が発生する。

 法により定められた通り片付けるわけだが、中にはどう判断すればいいのかわからないことも。


 そういった問題の対処についての相談、決済。

 町の維持管理の為の対応。

 住民からの要望も、中には放置しておけないこともある。


 法官長シャドが全てを考えるわけではなく、部下の法官が受けて対策を練って持ってくる。

 それを精査し、審議して、許可を与える。

 変則的な対応や特例の許可、また新たな法の策定。

 シャド・タルドの毎日は忙しい。



 白い――といってもやや黄ばんだ――紙に、畑の柵作成の強度基準を書き入れ、自分の名を最後に記す。

 そして法官長の印である円環を押して封をした。

 ヘレムの糸車を模した円環と七の数字が、その書類を確かなものとする。


 町の住民が公的な労役として作っている柵なのだが、年月が経てば傷み、壊れてしまう。

 皆が作る中で、強度がしっかりしたものと適当なものとがあった。

 しっかり作っている者から不満が出るのは仕方がない。


 作成してから一年は、走るブーアが一匹ぶつかっても壊れぬ強度を保つこと。

 この基準に満たぬ柵を作った場合は、再度作り直しを命じる。


 こんなこといちいち明文化しなければいけないのかと思うが、シャドの経験からすればまだマシな方だ。

 もっと下らない条文の法を作ったことだって少なくないのだから。



 シャドのような仕事が必要なのは、町を維持管理する為に金が動くから。

 何かをするには金が必要で、金は人を動かす。

 信仰心や善意だけで人間は動かせない。中にはそういう人間もいるにしても、生きるのに金は必要だ。


 金は、悪意も生む。

 サナヘレムスの住民にしろ教会関係者にしても人間には違いない。

 時に、自分が手にするべきではない金でも、簡単に手に入ってしまうなら手が伸びてしまう。


 壁の修繕に金がかかる。その金を多く計算して手にしようだとか。

 凶作の村への援助と称して、自らの懐に入れたりだとか。

 考えればきりがない。



 シャドは上がって来た報告を精査して、報告を上げた者とは別の人間に処理を命ずる。

 絶対に不正がないとは言えないが、減らすことは出来ているだろう。


 シャドがまだ若い頃は、金銭の授受について虚偽の報告を上に上げていた同僚もいた。

 それを上司に報告したら、上司もそこに一枚噛んでいて、ヘレムス教導区の片田舎に左遷されたこともある。

 真面目にやっていて馬鹿を見る。珍しくもない。


 偶然なのかそうでないのか。後にシャドはその真面目な人柄を耳にしたコカロコ大司教から招聘を受け、サナヘレムスに戻ることになった。

 正直な人柄を評価され、町の運営の責任者に。法官長シャド・タルド。

 しょっぱい経験も踏んできて学んだこともある。

 小さな罪を暴き立てることはやめて、不正のしにくい仕組み作りと、より大きな見過ごせない悪事を咎めるようになった。



 ゼ・ヘレム教は巨大な組織だ。

 当然、金も集まる。

 神職ではない者でも、多大な貢献――寄付をしてくれる相手には、それなりの待遇をするものだ。


 円環。ヘレムの糸車を模したゼ・ヘレム教の象徴。

 十の番号入りの黄金の円環は特に意味が深い。

 一番、二番は代々の主教と大司教が持っていると聞いていた。


 シャドが持つ法官長の円環は七番。

 朱印を押す為、この七番は汚れてしまうが、その日の仕事の終わりには必ず綺麗に洗い清めていた。

 それも含めて法官長の職務。



 これらを模造して作られた十一番以降の物は、高位の司祭や、教会に多大な貢献をした者に与えられていた。

 番号と名前を刻み、教会施設への出入りを許可する身分証として。

 一般に出回っているものとは違う。




 バナラゴ・ドムローダ。

 シャドは彼を知っている。

 シャドがまだ働き始めたばかりの頃に知る機会があった。


 ドムローダ家は、ローダ行商会というヘレムス教導区では大手の商会の当主だった。

 大きな金を動かす彼らは、敵も少なくない。


 同業者が仕掛けた大掛かりなペテンに引っ掛かり、隣国でありもしない新規の製鉄所に対する投資をしたのだとか。

 ただのペテンなら良かったが、その嘘を仕掛ける為に神官も何名か関わっていた。


 バナラゴの父は資産の大半を失い、絶望の中で死んだのだと。

 そのことを訴えるバナラゴは、まだ準成人ほどの年齢だった。

 シャドはそれを聞いたが、何もしてやることは出来なかった。所詮は商人同士の騙し合いの結果。



 数年後、ローダ行商会が急速に盛り返した時には、まさかと思う一方でやはりとも思ったものだ。

 少年だったバナラゴの目には、強い怒りと折れぬ心を感じた。

 あれは手強い。


 バナラゴは倒れかけたローダ行商会を立て直し、大きくその力を伸ばした。

 その中でゼ・ヘレム教会に多くの寄進をしていく。

 彼の貢献を認め、教会は彼に番号入りの円環を与えた。一介の商人に与えられる栄誉としては相当なもの。


 復讐心を原動力に、大したものだ。

 途中、一度妻を迎えたと言うが、長くは続かなかったとも聞く。

 それもバナラゴらしいとシャドは思っている。商会を大きく強くすることばかりに目が行き、家庭を大事にするような男ではなかったのだろう。




 久々にバナラゴの名を聞いて、ふと昔のことを思い出してしまった。

 最近は関わることもなかったのだが。


「許可を?」

「はい。平常なら許可できると思うのですが、こういう事態ですので法官長のご判断を」


 こういう事態。

 ポシトル助祭長が何者かに殺され、警戒態勢の教会裏殿。

 町には殺人事件などとは伝えていないが、バナラゴが知らないとは思えない。噂だって出回っているだろう。



「黄の樹園に、か」

「あの……フィフジャ・テイトーが、治癒術士に不当に拘束されていると」

「フィフジャ? あの噂の男か」


 時折、ゼ・ヘレム教会の醜聞として名前の挙がる青年。

 生い立ちがやや特殊で、知らぬ者が聞けばあれこれと余計な憶測を呼ぶのも無理はない。


「この時期に、黄の樹園……」


 法官長を務めるシャドも黄の樹園の内部は全くわからない。

 治癒術士の領分については教会内でも特に秘密が多い。

 法官長などと言う肩書だが、シャドは町の庶務の長ということになる。神に近しい部署のことはよく知らない。知る権限がない。


 バナラゴが黄の樹園に入る許可を求め、事務方としては許可してもいいのかどうなのか。

 部下たちではわからず、シャドの判断を仰ぐのは自然な流れだった。



「……直接話そう」


 いくらか考えた末にシャドは頷いた。

 バナラゴが教会内に情報網を作っていることくらい知っている。誰が、とまではわからないが。


 正直なところ、シャドも情報が欲しい。

 職務の領分とは違うとは言っても、物理的な距離はとても近いのだ。

 近くで異常事態が発生している状況で気分が落ち着くわけがない。


 治癒術士が男を捕らえたというのが事件に関わることなのか、そうではないのか。

 何にしても、そもそも情報の出てこない治癒術士近辺。

 もしバナラゴが何か知っている、もしくは知ることが出来るのなら。


「私が話をする」


 秘密主義者がどういう意図で動いているのかわかるのなら、知っておきたい。


 少しは知っていることもある。

 治癒術士の思考は普通の感性とズレていて、時にそれは混乱をもたらすのだと。

 シャドの町に、混乱を。


 町長的な立場のシャドがサナヘレムスをそのように思うのは、私物化とは違う。

 責任感と愛着。そして法官長という職務への誇りからだった。



  ◆   ◇   ◆

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