四_062 聖堂都市殺人事件
「ずいぶんと気に入られたな」
フィフジャの表情には、安堵もあるけれど翳りも見える。
「面倒なことにならなければいいんだが」
「だから断ったじゃない。毎日ごはん作りに来てくれなんて」
そう言いながらも、アスカの顔が得意げなのは無理もない。
ヅローアガ主教はアスカの料理を認めて、書殿への出入りを許してくれた。
それだけでなく色々と話を聞きたがって、ヤマトたちもあの場で昼を食べながら一緒に話をした。
見る限り、料理そのものの味が最高だったというようでもない。充分に満足できるもので、食べたことのない珍しさが良かったのだろうが。
料理のことよりもアスカ本人が気に入った様子だった。
朝、教会で見かけた他国の貴族。あれは別に不思議な類ではないのだと。
国の重鎮ともなれば、平民と直接話をしないのも普通というか半々らしい。
ヘレムは多くの人々と言葉を交わすことを楽しんだというので、ゼ・ヘレム教では平民や貴族を分けないことにしている。建前では。
コカロコは他国で言えば宰相級の権力者なはずなのだが、教義に沿った振る舞いをしているから親しみやすい。
周りの人たち――コカロコの補佐をする助祭長の方が、あまり気安すぎる上司に苦言するという。
ヅローアガはそういうコカロコらの態度も踏まえて、表向きは厳しい顔をして見せているのではないか。
食後の団欒では、アスカ嬢アスカ嬢と孫娘と遊んでほしがるお爺ちゃんという様子だった。やはり怖い権力者という雰囲気ではない。
権威の頂点にいるからこそ権力というものに価値を感じていないのか。そうした聖職者だからゼ・ヘレム教のトップに選ばれたのか。
サナヘレムスの教会関係者を見てきた限り、ヅローアガ達だけでなく歴代の教会トップがそうした人格者のようだ。威張り散らしたり金銭に固執することがないのは素晴らしいことではあるのだろうけれど、同時に人間味がないようにも感じた。
権力欲や金銭欲がない代わりなのか、食事には変なこだわりがあるようだ。
それにしても毎日ご飯を作ってくれとか、求婚にも聞こえてしまう。
「あいすくりいむ、おいしかった」
表情の変化が読みにくいクックラだけれど、そばかすの残るほっぺが少し赤い。よほど嬉しかったのだろう。
そんな顔を見ればヤマトも嬉しくなる。やはりあれは皆を笑顔にしてくれる食べ物だ。
「また作ろう、クックラ」
「んっ」
ヤマト達の会話を聞いたアスカが、あぁと呻いた。
「次はイルミにも食べさせてあげよっか」
「今朝はいなかったけど、そうだな」
朝ごはんはいつもセルビタが用意してくれる。
イルミも一緒のことが多いのだが、今日はいなかった。セルビタも知らないということで、見つけたら教えてくれと言っていた。
あまり心配した様子ではなかったのは、イルミの姿が見えなくなることに慣れているから。気にしても仕方ないと思っているようだ。
フゲーレもここ数日は休養させているので、こちらも姿はなかった。
「ねえフィフ」
「うん?」
「物を冷やす魔術ってあるの? 代償術の他に」
アスカの質問を受けたフィフジャが視線を空に向ける。
「俺も聞いた話になるが、氷の双球と言ったか。どこぞの王宮なんかにあるとか」
「氷の双球?」
言われた言葉を繰り返し、ヤマトもアスカも想像を巡らせる。
氷の球が二つ?
「あー、違うぞ。双球は氷じゃない。金属のようなものだとか、片方は綿毛のような突起があるとかそんなことを師匠が」
金属の突起がある球。それが片方ということなら、もう片方は普通の丸なのか。
「丸い小さな球の方に、これも何か特殊な魔術士が力を注ぐって話だったと思う。そうすると隣の大きな球の周囲が凍り付くというんだが」
「ふぅん」
見たことがないのでフィフジャの説明も曖昧だ。
ラボッタは見たことがあるのだろうか。
「
「あぁ、ぎゅうって圧縮したのが膨張する仕組みっぽい」
冷蔵庫の原理もそんな感じだったはず。ヤマトは祖父からそんな説明を聞いたことがあった。
なんで冷蔵庫が冷えるのかと聞いた時に。
不思議に思ったことを訊ねると、祖父たちは色々と教えてくれた。
時には家の書棚から辞典などを引っ張り出して、一緒に答えを探したり。
畑のことや家のことをする以外の時間は、ヤマトとアスカの成長を促し、また楽しんでくれていたと思う。
教わったことは無駄にしない。
「数の少ない希少な魔道具だから見る機会はないと思うが」
「この町にもないの?」
「聞いたことはない。この町はそもそもそれほど暑く……?」
言いかけたフィフジャが眉を寄せた。
話しながら疑問が浮かぶこともある。
「……そうだな。そういえば、教会周囲は真夏でもさほど暑くならない」
「おかしいの?」
「町や畑はもっと暑いんだ。言われてみればというところだが」
教会周辺だけ気温が低いというのなら、確かに奇妙な話だ。
過ごしやすいことに不満はないにしても、比較すればおかしい。
町は暑いのに教会は涼しいなど。何かこれも理由があるのかもしれない。
「そのおかげでグレイも快適そうだから私はいいんだけど」
ヅローアガの食事室から最近生活している教会南西区に戻ってくると、木陰でグレイが寝そべっていた。
生まれ育った大森林も気温はそこまで高くはならなかった。涼しい分には過ごしやすい。
グレイの寝そべる傍にイルミの姿もある。お出かけから帰ってきていたらしい。
「アスカ、お帰りなさい」
「ただいま。ばっちり、ヅローアガ主教にも喜んでもらえたよ」
通じるのかどうかわからないVサインを見せるアスカに、良かったと笑うイルミ。
こういう身振りはだいたい感覚的に伝わるようでもある。
「これでアスカも書殿に行けるのね」
「うん。でもまだ読めない文字も多いからイルミも一緒に……そういえば今朝はどこに行ってたの?」
「今朝? 朝は……」
妹たちを見ていたヤマトとフィフジャが振り向く。
後ろから、かなり早足の気配を感じて。
「はぁ、はあ……」
「大丈夫ですか? ええと……サロル助祭長」
コカロコの補助をしている助祭長の一人。名前が咄嗟に出てこなかった。
様子がおかしい。かなり急いでここに来たようで息が荒い。
肩を上下させながら、ヤマトを制するように手の平を向けた。
「君は……」
サロルの目線はヤマトに向いている。わずかにイルミの目を気にして、彼女に聞きとれないくらいの声量で、
「君には、殺人の疑いがある。一緒に来てもらおう」
「は……?」
サロルに遅れて、衛士たちが駆けてくるのが目に入った。
衛士が遅いのは駄目じゃないだろうか。
「武器を……その槍を置きなさい」
言われて、いつも手にしていた槍を見る。
白い槍には血の痕跡などない。そもそも血糊も付きにくい表面ではあるけれど。
「コカロコ聖下の客人である君から無理に取り上げたくはない。素直に聞いてくれ」
「え……あ、アスカ」
ヤマトの手から、するりと槍が取られた。
取り上げたのがアスカだったからというのもあるが、何か力が抜けている。
「よくまあ」
事態が飲み込めないのはアスカも同じ。フィフジャも口を挟めずにいた。
「殺人犯に間違われるね。リゴベッテに来てから」
「……そう、だね」
本当に、何の因果なのだろうか。本当に。
◆ ◇ ◆
「僕がそんなことするはずないじゃないですか」
「はずがないと言い切れればいいが、君たちのことをそれほど多く知っているわけではない」
やや強い語気で言い返したヤマトに、淡々と応じるサロルの声。
冷淡に響く声の中にも、わずかに苛立ちが含まれていて。
「そんな、人殺しなんて……」
別室で待たされているアスカたちは大丈夫なのかと心配になる。
取り調べを受けているのはヤマトだけ。アスカとフィフジャ、クックラはどうしているのだろう。
「ポシトル助祭長は、若い頃には巡教司の中で有名な達人だった。不逞の輩に容易く後れを取るような方ではない」
「それがどうして僕に」
「君が」
すっと目線で手元を見られる。何もないけれど。
「衛士でもない君が、鋭利な槍を持って歩き回っているのを多くの者が見ている」
今は手元にない。武器を置くよう言われたので、アスカに預けてきた。
サナヘレムスのヘレム教会管理区で、余所者が武器を持って歩き回っていれば目立つ。
平穏だと評判の聖堂都市の中心部。
そんな場所で殺人事件が起きて、容疑者として名前が挙がるのは無理もないこと。順当な話と言ってもいい。
「僕はやってません。今日は朝からずっとヅローアガ主教の所に行っていたんですから」
「……そうだな」
サロル助祭長がふぅと息を吐く。
ヤマトの不満そうな表情を受けて、やれやれと首を振った。
「保険だ」
「?」
「私が取り調べをすることで他の者に示すのだよ。君への嫌疑は晴れたと」
怪しい人物として目立っているヤマト達。
放置しておくことは出来ない。多くの人がヤマトを犯人のように見るだろう。
「他の教会の者が君たちを不当に厳しく取り調べるかもしれない。その前に私がやった方がいい」
サロル助祭長が一度は話を聞き、その上で犯人ではないと説明することである程度の鎮静化を図る。
全員がそれを信じるかは別として、とりあえずの処置として。
気遣ってもらったのか。彼とて大変な状況だろうに。
「とはいえ」
サロルの目が、やや鋭くヤマトに刺さる。
「私も、同僚であり先達でもあるポシトル助祭長への気持ちの整理がつかない。君に対する疑念も無いわけではない」
「それは……疑われるのは仕方がないと思います」
無意味な取り調べではなく、気遣いとか優しさからだと聞いてヤマトの語調も弱くなる。
槍を持ってうろうろしていたのも事実。ヤマトの行動を、知らぬ人が見ればどう思うのか。
ここは開拓村や大森林ではないのだ。場を弁えた行動ではなかったと言われればその通り。
「サロル助祭長の落胆もお察しします。無念なことだと。でも僕じゃありません」
「……そうだろう。そう信じたいものだ」
頷き、首を振る。
サロルはヤマトから見ればずいぶんと大人だが、平静ではない。
長く平穏な暮らしに慣れている分だけ余計に、こんな不測の事態に動揺することもあるだろう。
「ポシトル助祭長は、その……どんな風に?」
聞いていいのかわからないが、死因は何なのか。
「それは……君らにはどこからか伝わりそうだな。町に噂が広まるのも止められまい」
サロルの指が、ヤマトの胸を刺した。
胸の、中央から少し左に逸れた辺り。
「心臓を貫かれていた。正面から」
「……」
「昼過ぎになっても姿が見えないポシトル助祭長を、探しに行った侍祭が小教会の裏で見つけた。血痕などから、犯行現場はそこだと思われる」
「朝からいなかったんですか?」
「最後に彼と話したという者は昨夜になる。その後ということであれば、君が夜のうちにという可能性もあり得るわけだ」
アリバイは絶対ではない。
こんなことが起きるとわかっていたわけでもないのだから、完璧なアリバイなど用意できるわけもない。
むしろ完璧に説明できる方が疑わしい気もする。家にあった推理小説でも、そういう輩ほど犯人っぽい。
「葬儀や、それ以外でも。しばらくは忙しくなる。コカロコ聖下も」
「はい」
「……こういうのは、どうなのか……私も案外、君を犯人だとは思っていないのだな」
「?」
深い溜息と共に、もう一度頭を振る。
「
「イルミの?」
今は衛士がついているはずだ。
近くに殺人犯がいるとなれば無力なイルミを一人には出来ない。
「巫華様に近付くなと言うつもりだったのだが。逆の言葉が出てくるというのは、それが私の本心なのだろう」
形だけの取り調べと言いつつ、疑っていないわけでもない。
それでいて、ゼ・ヘレム教にとって重要な位置にあるだろうイルミから引き離そうとはしない。
矛盾しているが、それなりにヤマトを信用してくれているのだろうか。
違う。
おそらくサロルが信じているのはコカロコや他の教会関係者だ。
コカロコたちが厚遇してくれているから、その分の信用が疑いを打ち消してくれた。
「イルミの安全の為になら、わかりました。妹の友人ですから」
「頼む。衛士もつけておくが、彼女は護衛を好かんのでな」
信頼されるのなら応えたい。
そうでなくとも、アスカとすっかり仲良しのイルミに危険が及ぶようなことはないようにしなければ。
「イルミは……その、なんなんでしょうか」
「……」
「皆さんがイルミを大事に……特別に扱われていると思うんですけど」
答えがもらえるか期待はしていなかった。
聞いていいことなのかもわからない。ただ、この状況下でイルミをまだ特別扱いいしようとしているようで、不思議に思う。
「彼女は……」
サロル助祭長の笑顔は初めて見たような気がする。
笑顔と言っても、ほんの僅かに口角が上がったくらい。
「……神への感謝、その道標だ」
その笑みは愛に満ちているようにも見えて、ヤマトの背筋を生温く撫でるようだった。
◆ ◇ ◆
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