四_055 不信心な敬虔な信徒



「アスカ!」


 タイミングが良かった。

 ちょうど宿から出て来た知り合いを見つけると、相手もアスカを見て声を上げる。


「ネフィサ、戻っていたのね」

「よかったアスカ、どうしようかと思っていたの」


 何かあったのだろうか。


 ネフィサに続いてズィムとリーラン、カノウも出てくる。

 ちょうど出るところだったのだろう。

 彼らは湖を見に行くと言っていた。あれから十日以上経って、もしかしたら宿にいるかもしれないと寄ったところだ。


「湖に行ってたんじゃなかった?」

「うん、一昨日戻って、昨日はサナヘレムスを見て回っていたんだけど」


 サナヘレムスは広い。同じ町にいてもそうそう会えるようなものではない。

 昨日はアスカもサナヘレムスの町を歩いていたけれど。


「ズィムが、ポルタポエナ教会で……」

「見たような気がするって言っただけだろ」


 教会で、アスカをだろうか。

 昨日は教会の辺りには行っていないけれど。


「あの変態、ミドオム……だっけか」

「巡礼者の中に似たような奴がいたって」


 カノウが補足してくれた。


「たくさん人がいたから私たちはわからなかったわ」


 ごめんねと続けるリーランだが、謝る必要はない。そもそもカノウとリーランはミドオムの姿だってゆっくり見てはいないはず。

 ズィムとネフィサは何度も会っているけれど、そうは言っても――



「ううん、別にいいけど……大丈夫だった?」


 ネフィサの腹を斬った男だ。怯えたりしなかっただろうか。


「言われてすぐに探したんだけど見つからなかったわ」


 アスカの心配は無用だったようで、やや憤慨したように鼻を鳴らす。トラウマなどではないようだ。



「あいつが、この町に」

「サナヘレムスは人の出入りが多い。入り込んでいたとしても不思議はないが」


 やや力の入るヤマトを落ち着かせるようにフィフジャが静かに続ける。


「それだけ町中の警備は厳重だ。あいつでもそう簡単に妙な真似は出来ない」


 巡礼者の多い町だから、治安の維持には相応の労力を注いでいる。

 イルミに言わせればヘレムの信徒が悪事などするわけがないと言うかもしれないが、町を管理する人間が甘く見ているわけがない。

 そもそも、来訪する全ての人間がゼ・ヘレム教の敬虔な信徒と限ることも出来ないのだし。

 ミドオムのように、不埒な輩も入り込むこともあるだろう。



「サナヘレムスにいる衛士の数は少なくないし、中には相当な腕の奴もいる」


 だから安心していいと。


「あのムースさんとか?」

「あれは……そうだな、あいつなら対処できるんじゃないか」


 記憶を探るように目線を泳がせてから、二度頷いた。


 ラボッタの下で兄弟弟子だったと聞いたが、あまり関心がないようだ。

 ムースの方はフィフジャを意識していないことはなさそうだったが、積極的に関わりたい様子でもなかった。



「ところで」


 改めて、ネフィサが首を傾げる。

 支度をして宿を出た彼女らに、ちょうど訪ねて来たアスカたち。


「アスカ達は揃ってどこに……ウェネムに帰るの?」


 ふと、ネフィサたちの表情に期待が浮かぶのが申し訳ない。


「違うの」


 だったら一緒にと言われる前に首を振る。

 クックラもグレイもいて、荷物もほとんど全て持っている。町を出る装いでネフィサ達がいる宿に訪ねて来たのだから誤解されても仕方がない。


「ちょっと用事が出来ちゃったから、湖に行こうかって」

「そうなんだ」


 残念そうに萎んだ声のネフィサに、ごめんと声を掛けた。


「いいけど、どうして湖に? ヤマトと?」

「馬鹿言わないでよ」


 なぜ兄と縁を結びに行かなければならないのか。そんなことしなくても兄は妹にメロメロだ。

 以前に自分が叩いた軽口を思い返して笑う。



「そうじゃなくって、美味しいものを探しに……」

「随分と呑気ね。アスカらしいけど」

「そう? どっちの湖の方が潜りやすそうだった?」

「潜る?」


 ネフィサ達全員から、やや大きめの疑問符が飛んでくる。

 何か変なことを言っただろうか。


「あー? ヤマトって漁師の子だっけ?」

「違うけど」


 ズィムの質問に首を振るヤマト。漁師さんとは縁がない。


「だから言っただろう。潜って漁をするのは珍しいと」

「港町育ちでもなけりゃ泳げない奴の方がずっと多いし、潜るってなればもっと少ないからな」


 フィフジャには前から言われていたことで、改めてズィムも同じことを言う。

 泳法を教わる機会もなければ、後は見様見真似だ。海が生活に密着している漁師でもなければそんなものか。

 少なくとも遊興目的で泳ぐような人はいない。川で涼をとる為に水に入ることはあっても、普通は足が着くところまでだろう。


「そうなんだ。大丈夫だと思うよ」

「なんでも出来るんだな、ヤマトってば」

「そんなことない、けど」


 苦笑して応じるヤマトの顔が、答えてからさらに苦みを増す。ズィムは気付かなかったようだが。


「まあ、そういうことならレジィグ湖の方がいいと思うぜ。ラビナーラ湖の方は岸が結構険しい所が多かったし」

「湖の中まで見たわけじゃないが、危険な魔獣なんかの様子は見えなかった。目に見える範囲では、だけどな」


 ズィムとカノウから続けてアドバイスを受けて、それならレジィグ湖に行こうかと頷いた。

 町の北西にあるレジィグ湖。反対に、北東にあるのがラビナーラ湖になる。

 神話では、ガズァヌが作ったとされるのがレジィグ湖だったか。

 ガズァヌはズァムーノ大陸を割った神様だったはず。ただの伝説だろうが、出身地に何かしら縁がある神様。


 ウェネムの港町に戻るというネフィサ達と町の外で改めて別れの言葉を交わして、北の山地に向かった。



  ◆   ◇   ◆



「よお」


 教会ポルタポエナは非常に広い。

 そういう中で目的の相手を見つけるのは、待ち合わせでもしていなければ難しい。


 当然だが、待ち合わせなどしていない。

 なのに当たり前のように、ここで待っていたというような顔で。

 声を掛けられるまで存在に気付かないとは間抜けな話だ。


「遅かったじゃねえか」

「……」

「姉ちゃんの弔いならしといたぜ」

「は、それはそれは感謝で涙が止まらないよ」


 嘘つけと言う。

 お互い様だ。誰かを弔う気持ちなんてないくせに。


「なんでわざわざ教会に来るんだか」


 じゃあどうしてあんたは教会で待ち構えているんだか。


「魂になった姉ちゃんが、ヘレムの糸車に紡がれますようにってさ」

「信じてねえだろ、っとに」


 あんたと比べれば誰だって敬虔な信徒だろうよ。

 何も信じていないというのなら、今話しているこの男ほど他人を信用していない人間もいない。ラボッタ・ハジロ。

 こちらは、まあ他はともかく姉のことくらいは信用していた。信頼していたかと言われれば違うとしても。



「引っ掻き回す目的で色々やってくれてたみたいだな」

「あんたが一緒だったのも上の指示ってやつか?」

「いんや、そいつは偶然だ。お前の姉ちゃんには悪い偶然だったかもな」

「はっ、姉ちゃんをやったのはあんたじゃねえ……あいつは?」


 別にお前なんかに負けたわけじゃないと反論しつつ、そういえば後から現れた連中の正体を知らない。

 確かに不意打ちだったとはいえ、ミドオムよりも生存本能の強い姉ミイバを打ち抜いた男。深く考えると腹がむずむずしてきて今まで思考を放棄してきたが。


「ありゃあニネッタだ。イルダンの影……そうだな。あいつがフィフジャを追ってきていたってのが不運だわな」

「探検家だっけか? へえ」


 リゴベッテ大陸で有名な探検家。ヘレムス教区北東のイルダン自治領出身で、たいそうな強弓を使うと。なるほど。

 彼がフィフジャ・テイトーを追っていて、あの村で追いついた。確かに不運なタイミングだと言えるが、フィフジャとニネッタの関係はわからない。

 ラボッタに尋ねたところでまともな回答をするとも限らない。無駄なこと。



「んで、何の用だよ」

「俺が用事があるわけじゃあねえんだが、お前への伝言だ」


 そうそう滅多なことで、この男ラボッタ自分ミドオムが接触することなどないはず。

 顔を合わせて話をするなど初めてだ。

 あの村でのことを除けば。


「お前はなかなか捕まらないからな。次の指示があるから顔を出せってよ」

「こっちは相棒を失ってるってのに、人使いが荒いことで」

「神の御意思の下、世を正せ。二の使い」


 ってことだよ、とか。偉そうに。


 他人も神様とやらも、誰よりも信じていないこの男がよく言う。

 信じていないから臆面もなく言えるのかもしれない。なまじ信心などあれば逆に言いにくいことを、堂々と。


「へいへい、一のつかさ


 真面目に相手をするのも馬鹿々々しい。

 いや、そもそもいつも真面目に何かを相手にすることなどないにしても。


 そんなこちらの気持ちなどお見通しなのか、にぃと笑う。

 自分が言うのもなんだが、ひどく底意地の悪い嗤い方をするものだ。


「大丈夫かよ」


 別に心配するわけでもないくせに。


「独りで大丈夫かよ。坊主」

「あぁ?」


 こちらの神経を逆撫でする為だけにこんなセリフを吐ける。

 こういう所は見習わなければならないかもしれない。先達のやり口を。



  ◆   ◇   ◆

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