四_054 おいしくなる魔法



 はじめちょろちょろ、中ぱっぱ。

 日本で生まれ育ったなら、たいていの人が耳にしたことのあるフレーズなのだろう。

 伊田家では、およそ同じ年代に生まれた人よりもたくさん聞くことになった言葉だ。炊飯器が使えないのだから、鍋で炊くしかなかった。


 炊く。

 この言葉を米以外で使うケースをヤマトは知らない。

 煮る、焼く、蒸す、炒めるといった言葉と違い、炊くというのは米の調理方法に特化している。

 米の為に生まれた料理の工程。


 実際には他の穀物も炊くことはある。

 地域性かもしれないが、大根を炊くという所もあるが、ヤマトは知らなかった。



 生米を煮れば粥になる。固粥とか言うらしい。

 言葉の通り芯が残って堅い。

 芯までふっくら炊くというのは、手法を知らなければ難しいことなのかもしれない。


 ズァムーノ大陸でもそうだったが、このリゴベッテでも穀物類を炊くという習慣はない。

 穀物はある。

 見せてもらったら、米と似たものもあった。バノンの実と言うらしい。収穫量が多く保存しやすいと言っていた。

 これを臼で挽いて粉にしたものがバノン粉。様々な料理に使われると。


 バノンとは別に、非常に淡泊な味の穀物もあった。

 こちらは醸造して酒にするのが一般的。すっきりとした味の酒で、好みにより味付けをする場合もあるとか。

 酒種と呼ばれていた。



 アスカの荷物には家から持ってきた調味料類があった。

 みりんに酢、醤油。小さなペットボトルに詰めて。

 これらには当然ながら酵母というのか発酵の為の微生物が生息しているはず。

 原料となる米や大豆に近い作物は存在した。相性が良ければ追加で作れるかもしれない。


 慣れ親しんだ味とは違うが、醤油のような調味料はこの世界にもあった。これも神々から製法を学んだとか。戯れにひと嘗めした醤油もどきは異常な濃さで、強烈な臭いが鼻を貫いたのだが。



 可能ならヤマトたちが馴染んだものに近い醤油を創りたい。

 調理担当のセルビタから提供してもらった食材で、クックラと一緒に試行錯誤する。

 アスカが小さい頃にも一緒に似たようなことをしていたな、と思い出しながら。


 そのアスカは、フィフジャと一緒にサナヘレムスの町に出かけていった。この町の食文化を知る為だとか。

 たまにはこういうのも悪くない。文字の勉強の合間の息抜きにもなる。


「うまく出来るかな」


 みりんやら醤油やらの醸造は一朝一夕で出来るわけではない。

 とりあえずいくつかの容器に仕込み、後は時間が必要だ。

 無論、ただ中に詰めただけではなくて、蒸したり煎ったりは昨日からアスカと一緒にやっていた。

 うまく出来たらいいのだけれど。


 そういえば、こうした微生物も父が心配していたように外来生物の持ち込みとかになってしまうのだろうか。

 酵母菌のようなものには強さ弱さがあるという。

 場合により、在来の菌に影響を及ぼす可能性も考えられなくはない。

 心配してもどうにもならないのだが。


 楽観的に考えるのなら、一緒に旅をしてきたフィフジャに問題がないのだから、この世界の人々に猛毒ということはないはず。

 他への影響についてアスカに言わせれば、


 ――どうせ見えないんだからわからないでしょ。


 言わなければわからないだろう。

 仮にこの世界の醤油の味が変わってしまったとしても、その理由などわかるはずもない。

 多少の罪悪感も抱かないではないが、本当に考えても仕方のないことなので考えるのはやめた。



「棒の影、しるしまで進んだ」

「と、今度はどうかな?」


 クックラの報告を受け、鍋の蓋を取る。

 もわっとした蒸気が抜けて、少し黄色みのかかったバノンの実の粒が艶々した姿を見せた。


「もう少しつかない・・・・と、ぬかの臭いが残るか」


 保存に適しているバノンの実。まあ米だが。

 収穫から二年を経過していると聞いた。古米になる方がぬかの臭いが残りやすい。

 瓶の中に入れて棒で突き、掻き回すような方法で精米的なことをしてみたが、まだ不十分のようだ。


 ほわっとした炊き立てのそれを少し取り、食べてみた。

 見ているクックラにも渡すと、頷いて口にする。


「……昨日よりも、柔らかい」

「でもまだ芯が残る感じがする」


 昨日も試させてもらった。もちろん炊いた分は無駄にせず食べきっている。

 一粒の米には神様が七人宿るのだとか。お日様だとか水だとか。粗末にしていいはずがない。



「そうですかねぇ?」


 横から声をかけてきたのは、調理担当のセルビタだ。


「バノンの実をこんなに柔く蒸すなんて、あたしでも知らなかったのに」


 調理場なのでイルミーノラークはいない。規則だとかで彼女は調理場に立ち入り禁止、今はフゲーレが昼食を出しているはず。


「浸水した後に煮て、そのまま蒸らすんですけど」


 やっていることは決して難しいことではないのだが。


「煮てもちょっと硬い粥になるくらいだから、粒のまんま料理はしないんですよ」


 蓋を閉じたまま調理する、ということが少ないらしい。

 蓋をしていても、煮立てば取ってしまうのか。赤子が泣いても蓋を取ってはいけないのに。


 生米を蒸してもある程度の調理は出来るはずだが、どうもこのバノンは水を吸いにくいらしい。

 だから粉に挽いて練ったりする調理が一般的なのだろう。

 昨日よりも蒸す時間を長くしてみたら多少は良くなった気がする。だが知っている米の感覚とはまだ違う。



「浸水を長く……しても意味はなさそうかな」


 保存しているものではなく新しいバノンの実なら、もっとふっくら炊けるだろうか。

 それでもいいのだが。ヤマトの幼児期からの習慣で、古い食べ物から優先して消費していくべきだという意識も強い。


 水が浸透しにくく、芯までふっくら炊きあがらない。

 米の炊き方と根本的に合わないのか。だからこうした調理方法が普及しないのかも。

 異なる食材に対して同じ調理手法を試すのが間違っているのかも。


 炊きあがったバノンを食べながら考える。

 いや、実際にこれは米に近い。

 今までの旅の中、穀類の実をリゾットのようにしていた料理は口にしたが、慣れ親しんだ米とは違った。


 そういう意味では、今までで一番近いところまで来ている。

 近いから、違いが気になってしまう。大体一緒だと言ってしまえばそうなのだけれど。

 ここまできたらもっと忠実に再現したい。



「水の浸透、か」

「ん?」


 思いついたことがあった。美味しくなる魔法、というのか。



  ◆   ◇   ◆



「……なに、してるの」


 質問ではなかった。

 帰ってきたアスカが、やや怯えたような声を上げる。


「大丈夫……か?」


 一応、気遣う言葉をくれたフィフジャだが、顔が引きつっている。


「今日の夜ご飯の準備なんですって。ズァムーノには面白い習慣があるんですね」

「ちがう……」


 興味深そうなイルミに、クックラが小さく首を振った。



 ヤマトは手が離せない。

 言葉も返せない。

 手にした鍋を目の前に、集中していた。


「おいじぐなぁれ……おいじぐなーれ……」

「……」


 ヤマトにも使える魔術がある。

 声の振動を響かせる魔術。

 ほとんど誰も魔術だと認めてくれないのだが、これは喉の力だけでやっているわけではない。と思う。


 物を振動させる。わずかにだけれど。

 水も振動する。

 細かな振動は、物に対する水の吸い込みを助長する効果がある。

 伊田家では使われてはいなかったが、物置の炊飯器にそういうシールが貼ってあった。超音波炊飯器。


「ぼいじぐなあれ」


 超音波ではないかもしれないが、ようはそういうことだ。

 ヤマトがバノンの実を浸した瓶に振動を与えることで芯まで水が伝わり、ふっくら炊けるのではないかと。

 思いついたので試してみているだけ。


 結果は、上々だった。



「ヤマトに毎回これをやらせるのはイヤだよね」

「美味いが、同感だな」

「ん」


 あまり評判はよろしくなかった。

 美味しくなったのに。



  ◆   ◇   ◆

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