四_027 生来の



「予言って……」


 声を漏らしたのはネフィサだった。思わぬ言葉に思わず、といった響きで。


「あのエメレメッサの?」

「うそだろ……マジなのか?」


 ズィムも声を震わせてフィフジャを見る。瞳に少しばかりの怖れも浮かべて。


「因果を断ち切る……」

「なにそれ、ヤマト」


 アスカは知らないのに、ヤマトは何か知っている様子だ。


「知っているのか?」

「牙城で……ノエチェゼで聞いたんだ、けど」


 申し訳なさそうな視線はフィフジャに向けられていた。フィフジャはあまり知られたくなかったかもしれない。



「呪い子とも言われますよね。世界を滅ぼすみたいな」

「はあ? このフィフが世界を?」


 なんだかとてつもなく胡散臭い話だった。


「どうやって?」

「僕に言われても……ラボッタさん、どうやるんです?」

「知るかよ。ってか、それを知りたかったから引き取ったわけなんだが」


 知識欲や好奇心で世界を滅ぼすような子供を引き取ったとか。本当に変人だ。

 それにしてもまだ話がよくわからない。


「フィフがその、予言の子? っていうのは何で?」

「予言のあった日に産まれたからだ。今産まれたものがそうだって予言だったんでな」

「フィフだけ?」

「いんや、違うぜ。生き残ったのがフィフジャだけってことさ」


 生き残った、ただ一人。

 だから予言の子だと。


「……世界で、フィフだけが」

「あーそれは違う。予言を聞いて恐慌を起こしたサナヘレムスで、だ」

「狂い秋月って呼び方はサナヘレムスじゃ禁句ですからね」

「順序良く話してほしいんだけど」


 アスカには予備知識がない話で理解が出来なかった。




 二十二年前の秋の日に、エメレメッサという精霊――光の精霊と呼ばれるそれが予言を残した。


『円環因果断つもの、今生まれしもの。其れ母なくば龍を沈む。其れ母あらば世を枯らす』


 後にわかったことだが、それは世界中に同時に伝えられた予言。

 だがその日のサナヘレムスの住民は、その予言がサナヘレムスだけに聞かされたと思い込んだ。恐ろしい厄災がこの町に生まれたと。


 ゼ・ヘレムの厚い信徒が多かったことが恐慌を引き起こし、凶行へと走らせた。

 赤子を殺す。

 それを守ろうとする親も共に、あちこちで。母があれば世を滅ぼすような内容の予言だったから

 多くの人々が死んだのだという。


 ゼ・ヘレム教会の衛士、巡教司。教会最高戦力と言われる3人の仕使司つかえつかうつかさまでが出て事態を鎮静化した際には、予言の日の前後に生まれた子は皆殺しにされていたという。

 狂い秋月の日。中には親の手で殺された者さえ。


 密かに生き延びた子供が一人いた。

 教会に保護され、黄の樹園に。



「フィフが、その……」

「死なぬフィフジャ・テイトーってな。誰が言い出したんだか知らねえが」


 フィフジャは何も言わずにラボッタが話すのを聞いている。

 興味がなかったというも本音かもしれないが、わかっていたから聞いたことがなかっただけなのか。


「だもんだから、どんな秘密があるのかと思ってみたんだが。こいつ魔術の才能も本当にからっきしでな」


 やれやれ、と大仰に首を振って息を吐く。


「よく考えてみりゃ世界中で同じ予言が聞こえてんだから、サナヘレムスの騒ぎをたまたま生き残ったこれが予言の子だって限るわけでもねえし」

「俺がその予言の子だと言ったことはない」

「だけどまあ実際死なねえんだ。死ぬかと思うようなこともやらせても死なねえ。しぶとさだけは本当に人間とは思えねえくらいだぜ」



 嘆息するラボッタと、別に気にする様子でもないフィフジャだが、聞いている方は何とも言えない。


「これ、私たち聞いてもよかった話なのかしら」

「狂い秋月とか、本当にあった話なのかよ。俺は聞かなかったことにしとく」


 ネフィサとズィムは知らない振りをすることに決めたらしい。

 予言の子だとか呪い子だとか、そんなものの候補と知り合ってしまったことを忘れようと。

 エンニィは最初から事情を知っていたのか、相変わらずにこにこと笑っていた。


「ま、ただの人違いだとしたら、フィフジャさんの人生って散々ですねぇ。同情しますよ」

「面白がっているくせに白々しい」


 本当に白々しいが、どういう事情でもエンニィの態度は変わらない。揺るがない友情なのか、他人事はどうでもいいだけなのか。

 神とか信仰とかにさほど傾倒していないようでもあるので、予言そのものを信じていないのかもしれない。

 今が楽しければ、という刹那的な生き方を望んでいるようだから不思議もない。


 それにしてもエメレメッサとやら、何を思ってそんな予言をしたのか。

 混乱があったのはサナヘレムスだけではない。世界中で多かれ少なかれ似たような混乱があったらしい。

 世界中を混乱に陥れてその様子を愉しんだのか。

 精霊というものの精神構造は人間には理解できないと言われる。何も意味などなかった可能性もある。



「フィフって、すごく珍しい人なんだね」


 間の抜けたヤマトの発言は、気遣いのつもりなのだろう。ズレているけれど。

 重い宿業を背負ったかもしれないフィフジャに、少しでも気を軽くしようかと。

 微妙な感想を聞かされて、フィフジャもアスカも何と答えていいのか返答に困らされる。


「ん、すごい」

「クックラまで……いや、別に俺がその予言の子だってわけじゃないんだが」

「人違いか、予言の間違いなんじゃない?」


 アスカとてフィフジャのことを全て知っているわけではないが、いくら何でも信じられなかった。一緒にいる仲間が、まさか伝説の何某かだなんて。

 たとえばもし身近な友人が、ある日突然それが世界を救う使命を帯びた人間だ、などと聞かされたらどう思うだろうか。素直にそうなのだとは思わないだろう。


「……龍も殺すの? 母親がいないから?」

「勘弁してくれ、アスカ。命がいくつあっても足りない」


 情けない顔をするフィフジャにそんな力があるとは。断言してもいいが、ない。


「あるはずがないよね、フィフに」

「ま、こいつが龍を沈めるなんて話は俺も信じちゃいないんだが。予言自体が間違いだったとは思わねえ」


 ラボッタはアスカに同意しつつ、しかし予言の話は否定をしない。


「エメレメッサの予言が外れたって話は聞かねえからな」


 別の実例があって予言の信憑性は高いという。不可思議な力を持つ精霊なら未来を予知することも可能なのか。



「こいつはハズレだが、どっかに産まれていたんだろうよ。死んだのかもしれねえし、生きてんなら同じくらいの年齢ってことだ」


 フィフジャと同じ年頃の何者かが、その予言の子として生きているのか。


「どこかで生きているなら、きっと世の中を騒がせているんでしょうねぇ」

「予言の子だから引き取ったって言っておいて、違うんじゃない」

「しょうがねえだろ。意味ありげに教会が匿っているってもんだから、そうだと思ったんだよ」


 曰く付きの子供だと思って引き取ったが、それは魔術の才能のかけらもない普通の少年だった。

 大した才能は見せないが、妙なところで悪運が強く面白い。

 ハズレを引いて、死んでもいいとか思っていた――この辺りがラボッタらしい――のだが、結局気が付けば不思議と生き抜いて、ラボッタの弟子として長く付き合うことになる。

 根が意地の悪いラボッタは、フィフジャが嫌がることを押し付けることが多かった。そんな関係の果てにフィフジャはズァムナ大森林に向かったという。




「あらためて聞くと、フィフジャさんって本当に可哀そうですよねぇ」


 しみじみと呟くエンニィだが、やはり本気で同情しているわけではなさそうだ。感心してはいるようだけれど。


「僕がいなければ、たぶんもっと性格が歪んでいたんでしょう」

「お前のせいで苦労させられたことも少なくないんだが」

「善意のはずがおかしなことになったのは僕のせいじゃないですよ」


 アスカたちがフィフジャと過ごした時間は半年ほど。エンニィは十年以上前からフィフジャを知っている。

 フィフジャの事情も知っていて、その上で友人として過ごしてきた。

 ラボッタとは違った風に他人への配慮を欠くエンニィだけれど、それもあって遠慮のない関係を築いているのだろう。



「昔のフィフのこと話してよ」

「いいですよ。そりゃあもう頼まれなくっても」

「待てアスカ。こいつは師匠の次くらいに関わらない方が……」

「待って!」


 ヤマトが声を上げた。

 警戒の声音に、即座に切り替える。頭と体を危険対処に。


 長く話し込んでしまった。また魔獣が近づいてきたのか、グレイが街道の横に広がる林に向かって低く構えている。

 クックラを後ろに、ネフィサとズィムが彼女を挟む。一番幼いクックラを庇うように。

 エンニィも慌ててその一番後ろへと引っ込んだ。


「何が……」


 声もなく構えるグレイが、その構えをやや高くした。

 そして、判断を仰ぐようにヤマトの顔を見上げる。


「……たす、けて」


 声が聞こえた。

 小さく、掠れた声が。


「人?」


 覚束ない足取りで茂みから出て来たのは、数名の男女。一人は幼子を抱えている。

 転んだのか泥だらけだったり、枝や葉であちこちに掠り傷を作った人々が。


「村が……魔獣に襲われて……」

「丸一日逃げて、もう……」


 街道まで辿り着き、そこで崩れ落ちる。

 怪我ではなく疲労の限界で。あるいは安堵から。



「また……」


 ぎり、と。ヤマトが噛み締める音が聞こえた気がした。

 先日のことを思い出したのだろう。苦い味と共に。


「また魔獣だって」

「本当に多いな」


 フィフジャと共に呻く。

 集団生活をしている人間の村を襲う魔獣など、それほど多いものではないという話だった。

 たまに現れても、村から逃げ出さなければならないほどの被害などそうそうない。はずだと。この旅の中では、とてもそうは思えないが。


「……」


 エンニィがふざけて言っていたことを思い出す。

 ヤマトがそういうのを引き付ける体質なんじゃないか、とか。

 冗談のはずだが、本当に厄介事が事欠かない。次から次へと。


「村はどっちに?」


 へたり込んだ人々に訊ねるヤマト。


「行くつもりなの?」


 ネフィサの質問はわかるが、ヤマトの気持ちはアスカにもわかっている。

 最近になって気が付いた。祖母が言っていたことが身に沁みついてしまっているからだ。

 何度も繰り返して見た日めくりカレンダーの言葉の一つ。


 ――正しくしようと決意するのではない。正しくある習慣でありなさい。


 瞬間ではなく常に習慣として、正しいと思ったことをするように。それが厄介事を引き寄せる体質ということになるのかもしれないが。

 損得よりも先に困った人を助けるべきだと考えてしまう兄の姿は、困った性分ではあるけれど嫌いではなかった。

 アスカとて同じ名言を聞かされて育ったのだから。



  ◆   ◇   ◆

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