四_025 無知の知



 開拓村を出てからの道中、ラボッタもサナヘレムスに向かうということで同行していた。


 師匠には関わらせたくない。そう言っていたフィフジャの気持ちは理解できた。

 他人への配慮が希薄なこの世界にあっても、ラボッタはやはり異常性が強い。

 だけど。


「私には光弾の魔術使えない?」

「ああ、火種の魔術も出来ねえならそうだな」


 だけど、関わってしまった。

 だから、利用する。活用する。


 妹は本当に色々と成長したものだ。

 理解しがたい相手でも、自分のさらなる成長の為に利用しようと一晩で切り替えられるのだから。



 大魔導師ラボッタ・ハジロ。

 数少ない魔術の研究者で、教会と正面から敵対して生き延びた男。

 生き延びたというのとも違う気がする。聞いた話からの想像だが、教会側が折れたのではないかと思える。

 勝ち抜いた、のだ。


 それだけの男がこちらに関心を抱いたというのなら、その知識を得ようと。

 得難い教材だ。人格はともかく彼の力と知恵を糧と出来るのなら、妹の判断は正しい。


 ヤマトとアスカには、一つの目的がある。

 地球、日本とのつながりを見つけたい。

 異界の龍という存在があったというのだから、異なる別の世界が存在するという認識があるはず。

 魔術などを研究するラボッタなら、何かしら手がかりになるものを知っている可能性もあった。


 必ず果たせる目的だとは思っていないが、可能性があるのなら聞いてみたい。

 直接聞いても教えてくれるとは限らないので、まずはコミュニケーションから。




「でもさ、ほとんどの人は身体強化のことを魔術だってわかってないじゃない」

「目に見えねえからな。光弾はわかりやすいだろ」

「だから教えやすい?」

「そうだ。見えねえもんを教えるってのはセンスがいる」


 代償術が流行らない理由の一つはそれか。

 教える側にも、教わる側にもセンスが必要。

 アスカのように電気エネルギーの置き換えと理解する人間が少ない。だから。


「珍しいですねぇ」

「ああ」


 エンニィとフィフジャに顔を向けると、二人は苦笑しながら頷いた。


「機嫌が良さそうなんで。子供好きってわけでもないはずなんですけど」


 アスカの質問に応じているラボッタの様子が意外だったと言う。

 人柄からすればそうかもしれないが、何となく理由はわかる。

 アスカは利発だ。ラボッタの人格は異常だとしても人間の研究者。自分の得意分野について話をすることは嫌いではなくて、それを理解するアスカの姿に気をよくしているのだろう。


 時折、アスカが独自の考察を述べることも面白がっているように見える。

 似た部分もあるということだ。一般的な感性から外れたところで。


「俺には……」


 ぼそりと口にしてから、フィフジャは一旦口を噤んだ。

 言葉にするつもりはなかったのかもしれないが、そこで黙られてはヤマトもエンニィも気になる。


「……俺には、ほとんど言葉では教えなかった。やって見せて、やってみろと」

「フィフジャさんは可愛げがないからじゃないですかね」


 仏頂面になるフィフジャだが、反論はしなかった。そういう自覚はあるらしい。

 ラボッタも中年男性なのだから、無愛想な男の子よりもアスカに対しての方が饒舌になるところもあっても不思議はない。むしろ当然か。



「そういえばネフィサってやっぱり物知りだね」

「なんのこと?」

「村でも言ってたでしょ、黒匏くろひさごってあれ?」


 そこらの木々にぶらりと垂れ下がった暗緑色の大きなヘチマを指して尋ねると、そうねと頷いた。

 あれの汁が獣避けになるとは知らなかった。


「あれくらい大きくなると苦みがすごくて。ほとんどの動物がお腹壊すのよ」

「へえ」

「鳥は食べるみたいだけど獣は嫌う臭いなの」


 食べると嘔吐や腹痛、頭痛などを引き起こす。

 嫌がって当然だ。


「季節にもよるけど夏前なら黒匏が一番簡単な獣避けだと思うから」


 知らなかったなぁと感心するヤマトに少し照れたように、ネフィサは獣道沿いに茂っている葉っぱを数枚ちぎって口にした。

 その葉っぱのことは知っている。歯磨きの用途に使われる葉っぱだ。

 父母たちは石猿がそうしているのを見て知ったのだと。他にも痛み止めになる樹木なども。


「こっちにもあるんだね、この葉っぱ」

「あったり前じゃんか」


 ヤマトも真似して葉っぱを噛むと、ズィムが少し強い語調で応じた。

 やや強い清涼感の味が口に広がり、繊維質な部分が歯の隙間から汚れを掻き出す。


「この葉っぱって、オドドータブだろ」

「おどん……どーぷ?」

「はあ?」


 名前など気にしたことがないけれど、ズィムの様子からは常識的な知識だったらしい。ネフィサもまた意外そうな顔でヤマトを見ている。

 町ではこの葉っぱを煎じて歯磨き粉にしていたから、やはり便利な植物だとは知っていた。


「ズァムーノって教会がないんだったっけか?」

「小さいのはあるわよ。そういう問題じゃなくて……ヤマト、普通はだいたい知ってると思うんだけど」

「……ごめん」


 知らないことは知らない。

 後ろでフィフジャが少し間の悪そうな顔をしているのが見えたが、余計な言い訳にならないよう口は開かなかった。


「しょうがねえな……ヘレム様が最初に授けてくれたもんなんだぞ」

「そうなの?」

「そうなの」


 ズィムは大きく頷いて、オドドータブと呼んだ歯磨きの葉っぱと、よくティッシュ代わりに使われる広葉樹の葉を左右の手に取った。

 そういえばこの葉っぱも全世界に分布しているようだ。冬でも葉を茂らせて。



「まだ人間が文字も使わずに洞窟で隠れ暮らしていた頃の話さ」

「……」

「空から降臨した偉大なヘレムを中心とした十人の神様は、哀れな人間に知恵を下さったんだ。農業や建築、魔術だとか色んなことを教えてくれたんだって」


 創世神話というやつだろうか。

 フィフジャからはあまり聞いたことがない。フィフジャ自身があまり教会に良い印象がなさそうだから仕方がない。


「病に苦しむ人間にヘレムがおっしゃったんだ。多くの病気は身辺を綺麗にしていれば防ぐことができるって」

「ああ、そうか」


 衛生管理。

 集団生活をする上で防疫の考え方は大事なものになる。ノエチェゼに下水らしい排水設備があったことも少し不思議に思っていたのだ。


「ヘレムが右手で雫を撒いたら世界中にスダリウムの樹が産まれた。左手からはオドドータブが産まれた」

「へえ……」


 トイレットペーパーの葉っぱはスダリウムと呼ぶらしい。

 神様が一振りすればというのは大げさだとしても、品種改良をして世界中に植樹したことを言っているのかもしれない。


「他にも薬の神様が下さった枝から薬ができたり、建築の神様ノウスドムスが大浴場を作ってくれたんだ。サナヘレムスにあるんだって」

「神様が作ったお風呂?」

「ああ、金を払えば誰でも入れるんだぜ」


 入浴の習慣についてはヘレムが好んだから世界中に広まったと聞いた覚えがある。

 その神様たちが作った大浴場。立派なものなのだろう。


「大聖堂を拝んでから大浴場に入って帰るっていうのが参拝客の定番なんだ」

「楽しそうだね」


 参拝と言うから宗教的な儀式かと思っていたがどうやら温泉旅行だ。

 ズィムの得意げな説明を聞きながら、ふと目に留まった枝に手を伸ばす。

 柳のような枝の木。痛み止めの薬効がある。


「医薬神クラワーレトが伝えたアニスティツァですね」

「……うん」

「十柱の神々はそれぞれが大事な役割を負って人間を導いて世界を創って下さったんですよ」


 ズィムの説明を補足するように説明してくれるエンニィ。

 リゴベッテ大陸の住民の多くは敬虔なゼ・ヘレム信者だと聞いていた。神話などは誰もが知っていて当たり前のこと。

 田舎者のヤマトにそれらを教えるのにやや誇らしげな様子になるのも自然だ。


「僕は……知らないことが多くって」

「そうみたいですねぇ」

「もっと教えてもらってもいい?」

「ああ、いいぜ」


 世間の常識がないのは本当だ。道すがら教えてもらえれば助かる。

 フィフジャもそれでいいという様子で頷いた。



 アスカはアスカで、相変わらず前の方でラボッタにあれこれ質問をしていた。

 適当にあしらっているようでいながら、アスカが少し踏み込んだ考えを返すと口数が多くなるラボッタ。

 研究者気質というのもあるのだろう。探求者と言ったほうがいいのか。


「五十、過ぎてるんだっけ?」


 アスカとの会話に興じているラボッタを改めてみるが、とてもそんな年齢には見えない。三十代という感じ。


「うそぉ?」

「まじかよ」


 ネフィサとズィムも驚きの声を上げた。


「ん」


 クックラが声を発したのはグレイに向けて。

 林の中から何やら小さな獲物を取ってきたグレイに、食べてもいいよと。

 小さな鳥、ベジェモだっただろうか。クックラの許可を受けて咀嚼するグレイ。

 最近のグレイはクックラの護衛のように振舞う。家族の一員と認めたのだと思う。



「あれで五十過ぎなんて……」

「若さの秘密とかあるんですかねぇ」


 羨むようなネフィサ。まだ気にするような年齢とは思えないが、それはヤマトの主観だ。


 若さを望む女性。

 時と共に年齢を重ねるのが自然だとはいえ、ずっと若くありたいと思うのもまた自然なこと。

 そんな秘密があるのなら知りたい、という気持ちもわからないでもない。


(あれも身体強化、なのかな)


 魔術の研究者で、一般的な魔術、代償術、身体強化。他にも色々な知識があるだろう。

 身体強化の系統で、もしかしたら細胞の老化進行を留めるような技術があるのかもしれない。



「代償術はそれだけってわけでもねえな」


 不意に、ラボッタが振り向いてフィフジャの顔を見ながら言う。


「あいつはセンスがねえから使えねえけど」

「だろうよ」


 魔術に関わる技術全般についてフィフジャにはセンスがない。

 あえて言われるまでもないと、応じる態度は素っ気ない。


 立ち止ったラボッタに、皆の足も止まる。


「熱の入れ替えな、それもそうなんだが。突き詰めれば……」


 言いながら、ほい、とアスカに手を出した。

 悪戯を思いついたような顔だが。


 いぶかし気に、けれどその手にアスカが腕を伸ばすと、アスカの手首辺りを掴んだ。


「とぉ……姉ちゃん、ちょいと」

「私?」


 ネフィサを手招きした。何が始まるのか。


「こいつぁ俺も結構集中しねえと出来ねえんだが」


 言いながら、歩み寄ってきたネフィサを見てから、唐突に空に視線を向けた。


「?」


 ラボッタに釣られて思わず空を見上げるネフィサ。

 アスカの手を掴んでいない方のラボッタの手が、隙だらけの彼女の胸に無造作に伸ばされる。

 何が、集中しないと出来ないんだか。


「っ! 何すんのよ!」


 胸に触れた手を咄嗟に叩くネフィサ。当たり前の反応だ。


「たっ!?」


 声を上げたのはアスカだった。

 声を上げて、自分の声に驚いている。目を丸くして。


「え、アスカ?」

「なん……なに、今の?」


 信じられない、というように。

 痛かったわけではないらしい。驚いただけだ。

 ラボッタの手が叩かれたと同時に声が上がったということは、おそらく。



「……なんで、私の手が?」

「まあ、こんな具合だ」


 ラボッタが叩かれた衝撃が、そのままアスカの腕に伝わったのだろう。

 代償術を突き詰めれば、と言っていたが。


 自分が受けた衝撃を、別の誰かに付け替えるような。そんなことが出来るらしい。

 実験に使われたネフィサには気の毒だが、フィフジャとエンニィは肩を竦めるだけ。

 ズィムは面白くなさそうにむすっとした顔で、でもラボッタは怖いのか口には出さない。



「起きた現象を、他に移し替えられる?」

「人間相手じゃねえと出来ねえし、結構集中するから他のことも出来ねえ。間違っても剣で刺されたりを移し替えるのは無理だ」

「なんの役に立つの?」

「まあ、悪ふざけ程度だな」


 本当にふざけた話だが。

 ラボッタにしたら、つい思いついたから実践してみせただけの小技。悪戯。

 誰かに教えても役に立つわけでもないことだろう。あれやこれやと質問するアスカに、こんなことも出来ると見せてくれただけ。


「私の胸」

「ごめん、ネフィサ」


 なぜヤマトが謝るのだろう。

 なぜかヤマトが謝って、謝る必要があるような気がして、後ろでズィムがふんと鼻を鳴らした。




 この世界の魔術というのは、代償術もそうだが、とても便利に使えるわけではない。

 光弾の魔術も使いすぎれば頭が痛くなるというし。

 火種の魔術も、一瞬だけであればいいのだが、それを炎の塊にするようなことは非常に難しいらしい。電気エネルギーより効率が悪いのだと考えられる。

 出来ないわけではなく、炎の矢のようなものを作り出して打ち出すことも可能だとラボッタは言う。


 ラボッタでも、そんなことを続けて何度もやればぶっ倒れるとか。

 それなら油を染み込ませた枝にでも火を着けて投げればいいのだから、魔術だけで火矢を作るようなバカはいない。



 面白そうだったのは、物体を浮かせる魔術もあるという話だ。

 手を触れずに物を浮かせる。地球で言うサイコキネシスのような魔術。重力や引力に作用するものだろうと後でアスカと話した。

 治癒術が時間に作用する力だとすれば、そういう魔術があることも不思議はない。


 だがこの魔術もまた、重い物体を浮かせるには相当な労力が必要だということで。

 岩塊を浮かせた魔術士がいたそうだが、目、耳、鼻から血を流して倒れたとか。

 それなら数人掛かりで岩を持ち上げた方が現実的だ。


 治癒術以外のことなら、ほとんど別の手段で代用出来てしまう気がする。

 その治癒術とて、時間をかけて治すのか、痛みを堪えて時短で治すかの違い。やはり魔術なしではどうにもならないことではない。



 今日見た、叩かれた衝撃を別の人間に移し替えること。

 これは不思議な感じだ。役には立たないけれど。

 夜、アスカが面白がって実験した。

 ヤマトの手を握り、自分の額に向けてクックラに指を弾かせて。


 何度かやっているうちに、アスカの額へのデコピンがヤマトの頭に伝わってきた。

 ラボッタの言っていた通り代償術の応用らしく、火種の魔術などとは違ってアスカにも使える種類の魔術のようだ。


「これ、何も役に立たないね」

「あのな」


 コツを掴むまで何度も叩かれたアスカの額は赤くなっていて、くだらないことに一所懸命になっていたアスカたちに、他の面々が笑うのだった。



  ◆   ◇   ◆

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