三_23 呪い子と良い子



「しまったのぅ」


 不意にそう漏らして、頭を掻いている父。

 何か問題だろうか。

 問題と言うのであれば、町の混乱がいまだ治まりきらず港湾設備の復旧も遅々として進まない現状は色々と問題なのだけれど。

 なんだかそういう雰囲気でもなかった。


「どうかした?」


 聞こえてしまった以上は気になる。話せない内容であれば言わないだろうし、そうでなければ話してくれるだろう。

 そう思って聞いたラッサに、父アウェフフはミスを見咎められた子供のような表情を浮かべた。

 やべ、というように。


「?」

「いや、大した話ではないが」


 そんな前置きをしてから。


「忘れとったわ。あの坊主にエメレメッサの予言のことを教えてくれと言われたのを」

「エメレメッサって、精霊の?」


 有名な精霊種の名前だ。おそらく世界で一番に有名な。

 何が有名なのかと言えば、それの声を多くの人間が耳にしているから。



「予言って、私が生まれる前のことよね?」


 その日、世界中の者が耳にしたというその予言。

 生まれていなかったラッサは、もちろん聞いていないのだけど。

 父、ロファメト・アウェフフがあの坊主と呼ぶのは、ヤマトのことで間違いないだろう。


「ああ、そうじゃ。あれ以降、どこかで予言を残したとは聞いておらんが」



 エメレメッサ。光の精霊とも呼ばれ、過去にも色々な予言を残したという伝承が残っている。

 山が火を噴くだとか、妖獣に率いられた魔獣の大群が町を襲うだとか、空から火の玉が降ってくるとか。

 未曽有の事態が近づくと、その影響のある地域に声が響くのだとか。

 二十年以上前の春の日に、その声が全世界に響いたという話。


 ――円環因果断つもの、今生まれしもの。

 ――其れ母なくば龍を沈む。

 ――其れ母あらば世を枯らす。



 物騒な予言だ。

 それ以前の予言と言われるものが地域限定で伝えられたのに対して、これは全世界に同時――当時の証言からすれば――に響いたというのも、世界全てに影響があるからだと。

 どうやって世界中に同時に声を届けたのかはわからない。精霊種なのだから人知が及ばぬこともある。



「その予言のことも何も知らなかったの?」

「そのようじゃな」


 世界中の人が聞いたと言うのだから、本人は知らなくても親などから聞いていそうなものなのに。

 改めて、世間知らずという言葉だけでは説明がつかない不自然さを感じるが。


(……でも、好きなのよね)


 ふっと顔が緩んだのを父に見られてしまった。



「……ん。でも、その予言のことなら、だいたい誰でも知ってるんでしょう?」


 別にあえて父が教えなくても、知りたいのなら他の誰かに聞くなりするだろう。

 とりあえずその予言は成就した様子はないから、間違いだったのか、回避できたのか知らないけれど。


「それはそうなんじゃがな。お前も知らなんだか」

「?」


 父が言いたかったのはその予言の中身ではないらしい。


「その予言の日に産まれた子は、呪い子と呼ばれとる」

「それは……まあ、仕方ないかしら」


 物騒な予言の日に産まれてしまった巡り合わせで、無関係な赤子がそんな扱いを受けたとしても無理はない。


「多くの命が失われた。自ら赤子を殺した者も少なくない」

「……」


 仕方がないとは言えない。

 嘘か本当かもわからない予言の為に、罪のない命が失われたのだとすれば。



(エメレメッサはなんで……)


 何を思ってそんな予言を世界中に伝えたのだろうか。

 精霊種は人間とは大きく異なると言う。だがもしそれに人格のようなものがあったとしたら。罪の意識などがあったとしたのなら。


(……二度と、予言なんかしないんじゃないかしら)


 それ以降、予言を聞いたものがいないということを思えば、本当にそうなのかもしれない。

 ただ単に予言する必要な事柄がないだけなのかもしれないが。



「いるんじゃよ」

「何が?」

「呪い子じゃ。ギハァトにな」


 それをヤマトに伝えるつもりがあったのに、忘れていたと。

 用心するように言いたかったのか。やはり父はかなり彼を気に入っている。


「長女と次男が呪い子でな」


 父は、窓を開けて外を見上げた。


「今頃はどこにおるのやら。分別なく刃傷沙汰を繰り返し、父ゼフス・ギハァトも長男のデイガルも持て余して放逐されたんじゃが」

「危ない人たちなのね」

「十年くらいになるかの。今のお前よりまだ小さかったが、手の付けられない双子じゃったわ」


 ラッサが五歳くらいのことなので、記憶にないのは仕方がない。

 父は深い溜息を吐いた。



「ゼフスは複数の女に子を産ませておったが、あの双子はまさに呪い子と呼ばれるのに値した。むしろあれらが予言の子なのかもしれんと思ったわ」

「そんなに強かったの?」

「まだ成人前じゃったから、さすがにゼフスやデイガルに及ぶわけではなかったらしいがの」


 そんな双子が野放しになっている。

 予言の話のついでにそれを伝えるつもりで忘れていたと。


「どうしてゼフスは、その……」


 聞こうとして、言葉をつぐんだ。

 何を聞こうとしたのか。聞くまでもなく親子であれば当然のことながら、


「始末しなかったのか、とな」


 ラッサの質問の続きを紡いで、父は皮肉気に笑った。

 よしよしと頭を撫でられてしまう。子ども扱いだが受け入れる。



「別に親子の情などではないだろうて」


 ラッサの頭に浮かんだ理由を否定した。だから皮肉っぽい表情なのか。


「惜しかったのじゃろうよ」


 兇刃狂と呼ばれるゼフスに親の情などない。

 惜しかったのは子の命ではなく、己の血筋に連なる者の力。

 ゼフスを超えて、長男のデイガルも超えて、世界で最も強いという頂きに届くかもしれないその才能を惜しんだ。


 複数の女に子を産ませたというのも、その一環だったのだろう。

 ただの性欲だったのかもしれないけれど。


(ヤマトは……違う、よね?)


 ふと不安になる。

 ラッサがヤマトと過ごした時間は短かったけれど、何か通じ合ったような気持ちはある。

 あるけれど、それは別に確かなものではない。

 可愛いとは言われたけれど、もしかしたら誰にでも言ってしまうのかも。


(他に女とか、出来ちゃうかも)


「……」


 一緒の船に乗っているはずのサトナは結構可愛いし、彼女は行動力もある。


(うう……誓いのキスくらいしておけば良かったかな)


 しまった、しまった。

 可愛い妹がいたにしても、それはただの妹だ。妹のはず……?

 とにかく、ヤマトの様子からしたら現時点で親密な関係の女性などなさそうだった。


(ヤマトなら、いつでも恋人とか出来ちゃいそうだし……)


「……?」


 悶々としているラッサの前で、父が不審そうな顔をしていることに気付かない。

 焦燥感から、部屋の中を歩き回る。

 あっちへ、こっちへ。


「……それほど心配せずとも、世界は広い」

「だから心配なの!」

「そ、そうか……そう、じゃの」


 失敗だった。あんなに素敵な少年を手放すのではなかった。

 縋りついてでもお願いをしたら残ってくれたかもしれなかったのに。

 一緒に、ついていくことも出来たかもしれない。


(……)


 二人で世界を旅する。

 好きな人と二人で……


(悪く、ないかな)


 そんな想像を膨らませて、なんだか顔が熱くなってきた。


「……」


 いけないいけない、と頬をはたく。

 そんな妄想に酔っていても現実は変わらない。

 今まさに、ヤマトに近付こうとする女がいるかもしれないのだ。



「……仕方ない、か」


 ふう、と息を吐いた。

 お互い、子供から大人になりかけの時期を、ほんの少し共有しただけ。

 好いた惚れたと言っても、海の向こうの相手をいつまでも想っていても現実的ではない。

 初恋だった。たぶんそういうこと。

 母なら、欲しければ海を越えて無理やりにでも奪い去ってくるだろうけれど。


(だけど)


 きつく唇を結び、先ほど父が開けた窓から外を睨む。


「……」


 北の方角。その方角に向かったはずだ。

 初恋の彼のいると思われる方位の空に、強い視線を送る。


(……恋人が出来ても、結婚していてもいい。元気で――)


「また、会えたら」


 その時は、初恋の思い出話などをしよう。

 ラッサにだって恋人が出来ていて、子供だっているかもしれない。

 ヤマトがどうしていようが責めることはないし、ラッサの方も負い目に感じることなどないのだ。


「また、会いたいな」


 父は何も言わず部屋を出て行った。



  ◆   ◇   ◆

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