三_19 船乗りたちの唄_1



「はあ……」


 わざとらしい溜息を、船縁に顎を乗せた姿勢で聞かせる妹。

 尋ねてくれということなのだろう。

 兄として付き合ってやってもいい。船の上ではあまりすることもない。素直に話を聞いてと言えないのは、やはり十代前半の子供だからだと思って。


「どうしたんだよ」


 年長者として、そうした思春期の妹の態度に配慮してあげるくらいはいいか。

 アスカが落ち込むことなど珍しいのだから。


「私さぁ」


 海の向こうに見える雲を見ながら呟く。


「間違ってた」


 それは知っている。人としてだろう。



「何を?」


 およそ男女の会話で、男が結論を急ぐと女の機嫌は悪くなるものだ。と、父から教わった。

 それが家族であっても、時間が許すのであれば女のペースで話を聞いてあげた方が自分の為になると。


(為になるなぁ、父さんの教えは)


 こちらが話す時には結論を早く言えと言われるし、反対をされてから事情を説明するとそれを先に言えとも怒られるのだが。

 なんだろう、この不利な戦い。妖魔か。女は妖魔なのだろうか。勝ち目がない気がする。

 とにかく敵の出方……ではなかった、妹の話を聞くとしよう。



岩千肢いわちし、食べたじゃん」


 また随分と遠くに飛んだ。

 フィフジャが近くにいなくてよかったとも思うが、アスカが何を言いたいのか見当がつかない。

 クックラはグレイと共にケルハリと一緒だ。


「食べたな」

「あの時は私、亡くなった人のことちゃんと考えてなかったと思う」


 確かに、クックラの心情を思いやることよりも、嫌がるフィフジャたちに岩千肢を食べさせることを優先していた。


(明らかに人として間違っていたな)


「別に知らない人だし、そんなに同情とか考えなくてもいいじゃない」

「いや、良くないだろ」


 現在進行形で人として間違っている。


「んーそうだけど、ほら。上辺だけ同情の言葉でも飾っとけばいいかなとか」


 何かもっと根っこの方が間違っている気がする。これは根治が難しい。

 ヤマトは諦めた。


(……知らない人のことまで心から同情は出来ないか)


 アスカの言い分は、口に出すのは間違っているが、本質的には人間らしいかもしれないと考え直す。


 ヤマトにしても、ノエチェゼで死ぬ人を見てきた。太浮顎の襲撃で死んだ人も見た。それを嘆く人の姿も。

 その姿に悲哀を感じないわけでもないが、よく知らない人のことまで心の底から悼む気持ちがあるかと言われたら。

 同情の気持ちはあっても、感情を強く揺らすほどではない。こういうのを他人事だというのだろう。


(他人……少し前までいなかったからな)


 自分がひどく薄情な人間なのかと言われたら、誰でもそういうものだと言い返したい。

 そういえばウォロは、ヤマトやクックラの親が死んだと聞いて大泣きしていた。あそこまでの感性はヤマトにもないし、あったら精神的に参ってしまいそうだ。



「最初は、全然知らない子だったから仕方ないかなって思ってたんだよ」

「……クックラの話か」

「なんだと思ってたの?」


 きちんと話を聞いていなかったのかとアスカが低く唸った。


「いや、わかりにくいんだよ。お前の話は」

「ちゃんと聞きなさいよ。お兄ちゃんでしょ」

「都合のいい時は……ああ、はいはい。続けろって」


 怒らせて良いことなどないので続きを促す。

 もう、と頬を膨らませながら再び海の遠くを見やった。


「でもさ、一緒に行動して、一緒にご飯食べて。雨の中を一緒に逃げたりして……私のこと助けてくれたんだよ」

「ああ」

「変わったと思ってたの」


 再び、深い溜息を吐いた。

 今度はヤマトに聞かせるためではなく、本当に何か自分の心情に思う所があったらしい。

 余計な口を挟まずに、アスカの言葉を待つ。


「……仲間っていうか、妹みたいだって。時間は短かったけど私の妹みたいだって」


 認識が変わったと、そう思っていたのだと。


「そうだな」


 違ったのだろう。


「でも違った」


 ヤマトの相槌に、予想通りの言葉が返ってくる。

 そこが落ち込む原因なのか。


「私はまだ、クックラのことちゃんと見てなかった」

「……」

「妹とかじゃなくて、ペットみたいに……私のお人形みたいに思っていたんだって」


 それを自覚して落ち込んでいる。もう何日も。



 クックラがケルハリから指導を受けるようになって、船長の部屋で秘密の特訓を受けている。

 付き合うこともあるし、こうして別行動していることもあった。

 その間もアスカは、自分の認識が一人の人間としてクックラを見做していなかったことを感じさせられていたのだと思う。


「何で私の言うことを聞かないのかって、そう思っちゃった」

「それは……心配だってこともあるだろ」

「私の思う通りにならないって気持ちもあったよ」


 その辺りがペット扱いの意識だったと。アスカの言いたいことはそういうことだった。

 表沙汰に出来ない技術を得ることで厄介事に巻き込まれる心配をした部分もある。

 だがそれとは別に、クックラの意志ではなくアスカの感情で、クックラの気持ちを無理に変えさせようとしてしまったこと。



「父さんがさ」

「?」

「母さんに言ったことがあるんだって。危ないことは自分がするから家にいてくれって」

「怒られたでしょ」


 もちろん、と頷いて笑う。

 母は、誰かに危険を負わせて自分だけ安全な場所にいることをよしとするような性格ではなかった。

 どちらかと言えば先頭に立って切り込むような気質。病気で体が不自由になってからは大人しかったが、元気な時は父より怖かったくらい。


「誰だって、自分の気持ちが先に立って相手に押し付けようとすることがあるって話」

「……そうだね」

「間違っていたっていいんじゃないか。人間なんだし」


 クックラを思う気持ちがまるでなかったわけではない。アスカの意志を押し付けようとしたかもしれないが、半分くらいはクックラの身を案じた優しさだと。

 ヤマトだって反対したのだ。


 学びたいというクックラの視線は、ヤマトの手にも向いていた。

 指を切り落とされ、治癒術で繋がったという話はケルハリから聞いたのだそうだ。

 怪我での消耗と船酔いで寝込んでいたヤマトを、小さい体で献身的に見てくれたクックラには感謝している。

 治癒術のことを知って、自分が治癒術を使えたらヤマトたちの役に立てると考える気持ちは自然なことかもしれない。



「ケルハリ、性格悪いよね」

「まあそうかな」


 恩人の性格を悪く言われたが、否定できない。

 計画的だったのだ。この展開は。

 というか、最初にクックラが治癒術に触れてしまった段階で教えざるを得なかったのだと。


「あの光を体が覚えちゃうと、どこでどう発現するかわからないって言うんだから仕方なかったんじゃないか」

「それを自分が責められないように、クックラからやりたいって言うように仕向けたんでしょ。性格悪いよ」


 苦笑する。

 治癒術に関わることならフィフジャの気分は絶対に良くないだろうことを知っていて、しかしこうなってしまったら習得させるしかないとクックラを丸め込んだ。


 放っておいても何もないかもしれなかったが、何かのはずみで予期せず治癒術の光を発してしまったらどうするか。

 そうならない為に、きちんと理解させる。体得させる。

 使わないように、使い方を覚えさせる。


「……使わせないからさ」

「うん」


 クックラと約束したのだ。覚えてもいいけれど使うなと。

 ケルハリもそれでいいと言ったし、フィフジャも黙って反対はしなかった。

 それでもきっと、ヤマトやアスカが怪我を負ったら、クックラは使ってしまうだろう。

 だから、使わせない。


「危ないことはしない」

「そうだね」


 幸いリゴベッテは比較的平和だというのだから、そうそう大怪我をするようなこともないはず。

 治癒術を覚えたクックラの為に怪我をしないように生きていこうと。

 なんだかちぐはぐなようだが、兄妹の気持ちはぴったりと重なるのだった。珍しく。



  ◆   ◇   ◆



「よう、何怖い顔してんだ。ぴょんぴょん勇者」

「コデーノさん……それやめてよ」

「照れるこたぁねえよ。なあ」


 アスカとの会話に区切りがついたことを察したのか、少し離れた場所にいた船員たちがヤマトたちに寄ってきた。

 ヤマトの肩に手を回して激励するように叩く。


「立派な働きだった。ぴょんぴょん勇者って呼ばれて恥ずかしくねえさ」


(いやその、ぴょんぴょんって言うのが恥ずかしいんだけど)


 何度も言っているのだが、彼らはそれをヤマトが謙遜しているのだと思い込んでいる。



「ギュンギュン号のぴょんぴょん勇者っ」

「海の小さなぴょんぴょん勇者っ」

「魔獣の海も飛び越えろっ」

「「その名も轟くイダ・ヤマト」」


 なんかいい調子で謳われてしまっていた。この歌はもしかしてノエチェゼで広まったりするのだろうか。

 太浮顎のこと以来、非常に褒め称えられるのは嬉しいのだけれど、納得いかないこともある。


「なんでアスカが水乙女で、僕はぴょんぴょん勇者なんだ……」


 彼らに悪気がないのはわかる。感性の違いなのだろうが、ギュンギュン号がかっこいいと思う彼らには、ぴょんぴょん勇者は最高レベルの称号らしいので。


 しかし、納得いかない。

 もっと格好のいい呼び名がないものだろうか。せめてぴょんぴょんを外してほしい。

 そう訴えたら、別の候補が絶望的なセンスだったのでそちらを却下した。

 素の勇者だとどういう勇者なのかわからないので、何か特徴をつけなければいけないというのが通説なのだと。



「いいじゃん、ぴょんぴょん勇者」


 にやにやしているアスカは、とりあえずクックラの件の自己嫌悪を吐き出したことですっきりしたようだ。

 それはいいのだが、明らかにこの顔は楽しんでいる。

 やはり妹は人として色々と間違っていると思うのだが、もうその辺の矯正は諦めた。


「はあ……」


 今度はヤマトが溜息を吐く番だ。まあ一時のことだとして受け入れるしかあるまい。

 船乗りたちはひとしきりヤマトを称えてから、軽く肩を叩いて船室へ促す。


「魔獣よりおっかねえのが来るぜ」

「?」

「こっから先は船乗りの領分だ」


 くいっと、西の空を顎で示した。

 ダナツも出てきているし、檣楼にいる見張りが命綱で体を固定していた。

 雲が迫っている。

 濃い色の雲が。


「嵐が来る。中でしっかり掴まってるんだな」


 稲光が、雲から海に突き刺さるのが見えた。



  ◆   ◇   ◆

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