三_20 船乗りたちの唄_2



 何か手伝えることがないか、と。

 それに対するダナツの返答は一言だった。


 ――邪魔をするな。


 突き放すような言い方だが、それが事実だろう。

 サトナがフォローするように続けた。


 ――私らを信じて、中で待っていて。


 船乗りには船乗りの役割がある。素人の乗客に過ぎないヤマトたちに出来ることはない。信じて待つ以外には。


 船が大きく揺れる。

 ヤマトたちとケルハリが船室にいるだけだ。

 彼は操船にはまるで関わらないらしい。料理長も調理場で食材などを固定しながら待機しているとのことだ。


「……だいじょうぶ?」


 クックラが心配しているのは、船のことではなくヤマトのことだ。

 船にも慣れたヤマトだったが、あまりに大きく揺れるとさすがに気分が悪くなってくる。

 吐くほどではないが。


「ああ、平気だよ」


 強がってみせるほかない。

 船室の固定されたベッドに掴まりながら、嵐の大きさを実感する。


 ノエチェゼを出る直前、嵐をやり過ごしてから出航するのだと聞いた。それが正しいことを身をもって思い知る。

 本当に横倒しになるのではないかと、実際にはそこまでではないが、相当な傾きに転びそうになる体を何とか支持しながら気持ちも不安に揺さぶられる。


 サトナの言葉を思い出す。信じて待っていてくれと。

 なるほど、と。


(腕のいい船乗りだって信じるしかない)


 荒海の中で船を安全に保つような不思議な力はヤマトは持っていない。誰もがそうだ。

 経験と知識と、それらと共に嵐を乗り越える勇気を持った船乗りたちに任せる。


「大丈夫だよ」


 ヤマトの言葉はクックラに掛けたつもりだったが、自分に言い聞かせているようだとも思うのだった。



  ◆   ◇   ◆



「ちい、この辺の波はわかりづれえな!」


 愚痴も出る。

 海というのは場所によって特徴が異なる。地形や海流が違うからだ。

 航路が通常と違うせいで、嵐がより厄介に感じられる。


 船首で娘が、フォアマストに体を固定しながら右へ左へと大きく手旗を振っていた。

 目まぐるしく変わる風向きを、そうやって後ろにいるダナツや船員たちに伝えているのだ。

 娘の姿を見ていれば、泣き言など言っていられるか。


「ってもな、俺の人生は海にいる方が長げえんだこんにゃろうが!」


 舵を切りながら怒鳴る。暴風に向かって吠える。


「知らねえ海だからってごめんなさいなんざ言わねえんだよ!」

「船長! イオックの船が!」


 見張りからの声が風の中に聞こえた。



「火矢だ! 剣の方角!」

「あァ!?」


 見れば、右手の方向にあるイオックの船から、さらに右手に火矢が放たれていた。


 敵襲――ではない。

 こんな嵐の中で火矢を使っても意味がない。そもそも火矢というのはこの辺りの帆船では滅多に使われない。

 間違えれば自分の船の帆を焼くのだから。

 油を染み込ませた火矢を放つのは、他の船にそちらへの注意を知らせる為。



「横波だ!」

「全、けぇん‼」


 右から来る大波。

 これをまともに横に受けたら転覆する。

 全力で右へ回頭。フォアの縦帆を左に張って後ろから吹き付ける風を受け止めさせる。

 バックの縦帆は真後ろに、回頭しかけた船体をさらに右へ。


「戻せ!」


 完全に右を向く前にそれを閉ざす。

 廻し過ぎたら回転して最悪舵が利かなくなる。そうしたらやはり転覆だ。

 まるで山でも登るかのように、大きな横波――回頭したので正面からの波を、ギュンギュン号が乗り越えた。


(イオックの野郎が)


 海では助け合うのが掟だが、あまり好きではない男からの助力に心中で毒づいてしまう。


 同期だ。

 アウェフフとダナツと、あのイオックとは。見習い新米の頃に同じ船に乗っていた。

 肉弾派の前者と違いイオックは理屈屋だった。あまり反りが合わない。

 だがそんな彼が最初に自分の船を持ち、それを大きくしていった。嫉妬もあるのだと自覚している。


(だが、まあ感謝はするぜ)



「野郎ども! もうひと踏ん張りだ!」

「ヤー!」


 終わらない嵐はないのだ。

 今まで、ダナツとギュンギュン号が乗り越えられなかった嵐もない。


「客人に船乗りの意地を見せてやれ!」

「ヤぁーッ‼」


 先ほどよりも明るい返事に、ついダナツの口元も緩んでしまったのは仕方がないだろう。


 皆が、これほど乗客に好印象を抱いたことはかつてない。

 奴らは人たらしだ。

 危険だと思えるほどに善い連中で、頼もしい。


(アウェフフの野郎、見る目あるじゃねぇか)


 旧友の厳めしい顔を思い浮かべて、笑みが深くなるのだった。



  ◆   ◇   ◆



 三十四日間だった。

 短くはないが、長くもない。

 そういう船旅だと皆が言っていた。


 陸地が見える。まだ上陸する地点ではないけれど。

 ノエチェゼを出る時に見たズァムーノ大陸は、山脈の岩肌で灰色の印象が強かった。

 初めてみるリゴベッテ大陸の大地は、少し赤茶色が多いように思う。


「目的の港町まではまだ二日くらいかかる」


 そういう話だったが、やはり気持ちは既に新しい大地に高鳴っていた。

 隣のフィフジャはあまり元気がない。何かまだ思い悩んでいるようだが。




「嬉しくないの?」


 ヤマトが気にしていると、アスカが聞いてしまった。


「……いや、そんなことはない。そう見えたか?」

「かなり、ね」


 アスカの目配せにヤマトも頷く。

 念願の故郷だったのではないかと。


「あーいや、悪い。そうか。面倒なことも思い出して、ちょっとな」

「あのさあフィフ」


 アスカが腰に手を当てて口を膨らませた。

 しまったという顔でヤマトを見てくるフィフジャだったが、怒らせた責任は自分で取ってほしい。

 ヤマトは顔を逸らして、黄色いヘルメットを被るクックラと共に無関心を決め込んだ。


「隠し事、もうやめてよ」

「いや、その……な」

「なぁに、私が信用できないっていうの?」


 曖昧に誤魔化そうとしたフィフジャにアスカが噛みつく。

 ヤマトにも思う所がある。フィフジャはおそらく面倒なことにヤマトたちを関わらせたくないので黙っていることがあるのだろう。

 それは彼の気遣いなのだろうが、はっきりと言ってもらった方がいい。治癒術士のこともそうだ。



「教会だとか、治癒術士だとか、師匠だとか。どうしてほしいか先に教えてくれたらフィフの言う通りにする」

「……そうか?」


 フィフジャの疑念にはヤマトも共感するしかない。

 アスカお前、どの口でそんな宣言するのかと。


「うーん、まあ……そうする努力はする」


 努力目標に下がったが、まあそれが実際だろう。

 聞いていたヤマトが噴き出し、フィフジャも苦笑しながら頷いた。


「そうしてもらえると助かる」

「信用してないでしょ」


 日頃の行いのせいだと自覚はあるのか、上目遣いで睨んでくるものの怒りはしなかった。

 フィフジャは、そんなことはないと否定してから、今度は少しすっきりした表情でリゴベッテの大地に目を向ける。



「そんなに難しいことはない。リゴベッテはゼ・ヘレムの信者が多いから、それに合わせてほしい。ズァムーノから移住してきた田舎者ってことにしておけばそんなに波風が立つようなこともないだろう」

「厳しい決まり事とかないの?」

「ないから多くの人が信仰している。地域によっても色々違ったりするし」


 フィフジャがケルハリを教会の誰かの手先だと思い込んで敵意を向けていたので、てっきり悪い組織なのかと思っていた。

 大きな組織で、腐敗や悪事もないわけではないが、基本的には世界を創った神様の意志に従って正しく生きましょうという方向の教義なだけ。異種族を殺せだとか教会幹部は神に次ぐ高貴な人間だとか、そういう感じではないらしい。

 もちろん、教会の上層部となれば相応に格式はあるし権力もあるということなのだが、普通の人間が会うようなことはそうそうないのだと。


(そう言って、ノエチェゼでもフラグ……)


 いや、考えるのはやめておこう。

 教会信者や幹部などの一部には過激な人はいるそうだが、それは教会に限った話でもない。



「フィフのお師匠様は?」

「あれは頭のおかしい危険人物だから、それこそ関わってほしくないな」

「どんな境遇で育ったのよ」


 孤児で、人体実験の施設で育って、その後は危険人物に師事するとか。

 想像していたより過酷な人生を歩んできている。だからこそ大森林の探索なんてメンバーに選ばれたわけなのか。


 出会ってからしばらくは会話が通じなかった。

 そういう時間を長く過ごしてしまったため、フィフジャの個人的なことを聞く機会を逃してしまっていた。

 今こうして少しずつでも聞くことが出来て幸いだ。



「それで、なんで憂鬱そうだったの?」


 リゴベッテ大陸の事情はともかく、フィフジャが憂いを含む表情で故郷を見ていたのかが気になっている。

 ヤマトが聞くと、フィフジャはバツが悪そうな顔をした。


「あーええと……君らからもらった本なんだが」

「ZUKAN?」

「そう、それだが」


 フィフジャが興味津々だった動物図鑑だ。彼の荷物にあるはず。


「あれを、譲らないとならないかもしれない」

「別にいいよ」


 気まずそうに話すフィフジャに、あっさりとヤマトが答える。

 彼にあげた物だし、ヤマトたちは暗記するほど見た本だ。今更どうしようが彼のいいようにすればいい。


(あ、生活資金の為ってことかな?)


 本は貴重だと言っていた。そういう物が好きなお金持ちに売ればいい金額になるのかもしれない。


「そんなこと悩んでいたの?」

「あ、ああ……それもなんだが、相手がな」

「?」


 あっさりと許可を得てしまって戸惑うフィフジャが、続けて口籠る。

 眉を寄せて、少し幼く見える苦笑いを浮かべた。


「嫌いな……というか、苦手な相手なんだ。大森林探索の依頼主だから仕方ないんだが」


 苦手というよりは、嫌いなのだろう。本音が先だった。


「仕事なら、会わなきゃダメなんじゃない?」

「……苦手なんだ」


 フィフジャが苦い表情で言うのを聞きながら、ヤマトもアスカも笑ってしまった。クックラもくすくす笑っている。

 仕事の上役で、苦手な相手。そんな人に探索の結果を報告するのが嫌で憂鬱だったのだと。

 悪戯がバレて親に叱られるのを恐れる子供のようで、おかしかった。



 ようやく故郷に帰って来たというのに、面倒なことを思い出して憂鬱な顔をしていたフィフジャ。

 何かもっと大変なことがあるのかと勘繰ってしまったヤマトたち。

 お互いに、もっと言葉を交わさないといけなかった。

 色々ないざこざがあって、聞きにくかったり話しにくかったりしていたけれど。


「もっとフィフのこと話してよ」


 アスカがせがむ。


「いや、そんなに面白い話はないぞ」


 そんな前置きをしてから、フィフジャは話してくれた。

 彼と、師匠の修行の日々を。

 確かにあまり楽しい話とは言えなかったけれど、それはヤマトたちが知らない彼の人となりを教えてくれる話だった。



  ◆   ◇   ◆



 空から落ちてくる滝が見えると聞いて左舷側に向かったヤマトたちの背中に、フィフジャは自嘲気味な苦笑いを浮かべた。

 隠すことなどない。それほどの秘密を抱えているわけでもない。

 それでも話せないこともある。

 どう言えばいいのか、フィフジャにもわからないことが。


「自分を育てた相手を殺したいなんて言ったら、きっと怒るだろ……」


 逞しく優しい兄妹に怒られたくないなんて気持ちがあるのだなと、もう一度苦笑を浮かべた。



  ◆   ◇   ◆

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