二_060 嵐の終わりに



 町を襲う嵐が強い間に戻れてよかった。

 ヤマトがロファメト邸に戻った頃から少しずつ風が弱まり、雨の量も目に見えて少なく移り変わっていく。


 追手と追いかけっこをしていたのは夜明け前のことだったが、それから半日が過ぎて既に夜になりつつある。

 夜が近づいてきたとわかる程度に天候が回復してきている。このまま夜半にはほぼ嵐は収まってしまうのではないだろうか。


 止まない雨はない。天候の回復は時間の問題だが困ったこともある。

 町に出歩く人が増えていく。

 この辺りにスカーレット・レディが現れたという情報のせいか、ロファメト邸の周辺には特に賞金目当ての人間が。そうでない場所でも嵐が治まればもっと多く人が通りに出てくるだろう。



 アスカたちは来ない。

 スカーレット・レディの姿をしていないだろうに、どうしてかロファメト邸に姿を現さない。

 何かあったのかと心配にもなるが、グレイも一緒なのだからよほどのことがない限り平気だと思っている。仮に想定を超える事態が起きていたら、もっと町が騒がしくなっていてもおかしくない。そうした喧騒は感じられなかった。

 町をうろつく賞金狙いの人間を用心しているのか、何か別の理由があるのか。


「心配なのはわかるけど、少し休んだ方がいいわよ」


 玄関から近い応接室でいつアスカたちが来てもいいように待機している。

 追手の目を別方向に引っ張ってから帰ってきたものの落ち着きのない様子のヤマト。ラッサが見かねて声を掛けた。

 先ほどまではアウェフフもいたが、少し眠ると言って部屋に戻っていった。


「今夜には嵐も過ぎると思うわ。明日、船の点検と最終の荷物の運び込み。明後日出航ってところね」

「うん」


 ヤマトにも状況を把握させておこうとラッサが説明してくれる。


 出航。

 本来ならその船に乗りたかった。けれど算段がつかなかったのだから仕方がない。

 今更、急に船に乗せてくれという話を受けてくれる船主もいないだろう。明日からはそれこそ修羅場のような忙しさになるのだろうし。


 出航が済んだら。

 今度は、修羅場ではなくて鉄火場だ。

 戦争とか兵士とか呼ばれてはいるが、どうやらノエチェゼの町の規模や成り立ちから言うと、マフィア同士の血で血を洗う抗争と言った方が正しい印象のようだった。


 もともと海賊のような集まりから成り立った町で、そこの親分同士が今までも喧嘩をしたり協定を結んだりでやってきた。

 数百年の間、強まったり弱まったり。協力して外敵と戦うこともあり、歴史を積み重ねてきた為に少し上品になった部分もあるとしても、根は荒くれものの集まり。

 力の均衡が大きく崩れたことで、その喧嘩がいよいよ完全決着をという節目を迎えている。


 ヤマトたちが来たからではない。たまたま来た時期がそれに当たっただけなのだが、居合わせたことには運命的なものを感じないでもない。

 この世界の中では無数にある町の一つの歴史の節目に過ぎないし、似たようなことは毎年あちこちであるのかもしれない。


(ここで何かを為せっていうことなのかも)


 十代中頃の少年少女というのは、とかく使命とか宿命的なものを望む傾向がある。ヤマトもそうだった。

 そうした意図が世界にあるにしろないにしろ、自分の手の届く範囲で出来ることはやるわけだが。


「船、乗りたかったんでしょ」

「まあね、次の出航でも大丈夫だよ」


 冬を過ぎて春が来れば、また次の船も出るはず。

 焦ることはないのだ。今は今すべきことに集中する。


「……そうだね、少し休むよ」

「それがいいと思う」


 肝心な時に疲労で満足に動けないのでは意味がない。

 苛立っても状況が良くなるわけでもないし、向こうにはフィフジャもグレイもいる。町の外に逃げてくれていたっていい。

 アスカがヤマトの無事を確認できたのだから、自分たちの安全を優先することも一つの選択肢のはず。

 危険を感じたらそうするように言っておけばよかったと思うが、何しろ時間がなかった。


「妹さんのこと、そんなに心配?」


 ラッサに聞かれてみて、自問する。

 自分はアスカのことを心配しているのだろうか、と。


「……」


 落ち着かない気持ちはある。アスカが生まれてから今までに、こんなに離れて過ごしたのは初めてだ。

 近くにいて当たり前。

 手の届くところにいるのが普通だったので、それが違うのが落ち着かない。


 身の危険というのなら、アスカは決してか弱い女の子というわけでもないし、いざとなればグレイもいる。妖魔のような相手でもなければ遅れをとることはなさそうだ。


 むしろ――


(あいつのせいで、フィフが困ってたら悪いなぁ)


 心配だというのならそっちの方が心配だった。

 聞き分けの良い子ではない。そんなんだから怪盗ごっこなど勝手に……まあ間違いなく勝手にやっていたのだろうし。



「それなりに、ね」

「ヤマトの妹らしい子だったわね」

「それはちょっと。僕はあんなにがさつじゃない……と思う」


 否定するヤマトにラッサはくすくす笑う。そういえばラッサも兄がいるのだった。彼女も妹側の人間なのか。

 兄としては不本意だが、他人からみたら兄妹なんて似たようなものかもしれない。


「まあ、あれはちょっと僕でも手が付けられないことがあるくらい凶暴なやつだから、心配するなら襲う人の方だね」

「頼もしいわね」

「そうなのかな?」


 似た部分がある二人なので気が合うのだろうか。その共通部分はヤマトが苦手なところになるけれど。


 嘆息する。

 ラッサなら、アスカの良い友人になれるだろう。その場合にはヤマトの苦労が倍になるような気がする。

 それはそれで悪くないようにも思うのがおかしい。


「ヤマト……」

「?」


 おやすみと告げて去ろうとするヤマトの雰囲気を察したのか、ラッサが声を掛けた。

 真っ直ぐに見つめる瞳に、今は憂いはない。不安がないこともないだろうが、腹を括ったような表情に見える。


「ありがとう、ヤマト」

「お礼を言うのはこっちだよ。色々と助かってる」

「そうかもしれないけど、だけどね。やっぱりありがとうなのよ」


 説明になっていないが、本当の気持ちなんてそんなものか。

 言葉にしにくいし、自分でも自分の心なんて把握しきれない。


 ヤマトも、何か言葉を返そうとして、考えて、やはりうまく言葉が出てこなかった。


「うん、ありがとう。ラッサ」


 うまく言えないから伝わる気持ちもある。そう思うのだった。



  ◆   ◇   ◆



 人が多い。

 まだ雨は降っているというのに通りに人が増えていた。

 それがスカーレット・レディを探しているのか、ヤルルー・プエムの命令でアスカを探しているのか。

 あるいはまるで関係なく、嵐が過ぎるのを察知して自らの仕事を始めているのか。判別がつかない。


 あからさまに何かを探していたり言葉にしてくれていればわかるが、そうばかりではない。

 敵味方のレーダー識別が出来ればいいのに、そんな便利なものはなかった。



「水の確保はともかく、勝手に出歩くのはやめてくれ」


 戻ったアスカをフィフジャは叱った。静かに、でも本当に心配していたというように。

 水の調達というのはクックラの言い訳だろう。とりあえずアスカの外出に理由付けしてくれていたのだ。

 クックラに嘘を言わせてしまったことを反省しつつ謝った。


「でも、それでヤマトの居場所わかったし、グレイも見つかったから」

「それでもアスカに何かあったら意味がない。自分が追われていることをわかっているのか」


 たとえルールを破っても功績を上げればいい、という風には思ってもらえなかった。

 むす、と黙り込んだアスカに、フィフジャはやれやれと首を振って、


「心配していたんだ、わかってくれ。君になにかあったらヤマトになんていえばいいか……でも、よく見つけてくれたな」

「……うん、ごめんなさい」


 褒められたので、今度は素直に謝った。

 アスカとフィフジャが話している間、グレイはクックラに撫でられて気持ちよさそうにしていた。

 濡れた体をぶるぶるやって怒られるという、いつものことは既に終わらせて。



 隠れ家に戻ったアスカは、ヤマトの居場所やチザサの家で黒鬼虎の毛皮を買ってもらえるという話をフィフジャにした。

 この町が戦場になるという話も、内容まで聞けたわけではないが、そう言っていたと。

 事情を理解したフィフジャたちと共に、嵐が過ぎないうちにヤマトと合流しようと出てきたのだが。


「……」


 ロファメト邸の近くをうろつく人々は、明らかにスカーレット・レディを探していた。

 この辺りに出没した、というわけで。


 その中にはアスカを追っている人間もいるかもしれない。なるべく人目に付きたくなかったので、身を潜めた。

 何かのはずみでまた乱闘騒ぎになってしまったら、いよいよロファメト邸に近付けなくなってしまう。合流したけど暴徒も一緒に連れてきました、とはいかない。


 身を潜めている間にも明らかに雨足が弱まっていく。雨が止むのに不安を覚えるのは初めての経験。

 日はかなり傾いていた。もう夜になる。


「……少し、目先を変えるか」


 フィフジャの判断に従うしかなさそうだった。



  ◆   ◇   ◆ 



 雨が小降りになり、風は鳴りを潜めた。

 夜半の静けさの中で目が覚めたのは、やはり感情が抑えきれないからなのだろう。


 初めて船に乗って遠くの町に行く前の夜も、こんな風に目が覚めたものだ。

 常に冷静な姿を保つジョラージュ・ヘロでも感情がないわけではない。むしろ内に秘めている分だけ、余計に自分の感情というものは強く感じる。


 今自分が怒りを感じている、失望を感じている、喜びを感じている、と。

 自覚をして、制御するのだ。

 ただが睡眠時までは制御できないらしい。感情が高まり目を覚ましてしまう。起き上がり、ベッドの近くの水差しから水を注いで少し喉を潤した。



 静かな夜だ。

 夜が明けたら、町はお祭りのような騒ぎになる。

 嵐で船が傷んでいないか、帆が破れていないか、補修が必要なら今すぐにやれ、と。

 保存がきく荷物は既にあらかた積み込んであるが、そうではない食品などの積み込みも残っている。


 嵐の後すぐに船出というのは理由もある。しばらくは好天が続くからだ。

 風が強いと港から船を出しにくい。他の船とぶつかったり岸や桟橋に引っかかったりすることもある。

 穏やかな天候のうちに出発をして、天候が荒れない期間になるべく進む。海が荒れれば命に関わるのだから、少しでも安全性を増すための手順だった。



 ヘロの屋敷は、チザサの屋敷から少し離れている。

 牙城に近いのがチザサ。西門に近いのがヘロ。プエムは中央港に近い場所に本宅がある。

 町の象徴的な牙城の近くにチザサが屋敷を構えているのは、町の創始者としての立場からだ。

 逆に商売が主だったヘロは、特産品の搬入搬出が主だった西門近くを本拠とした。自然なことでもある。


 今ジョラージュがいるのは本宅ではない。

 様々な段取りがある。戦いだけをやっていればいいというわけではない。荒々しい指示ばかりのプエムとは違うのだ。


 船出する者たちへの挨拶などつなぎもしておくべきだし、チザサが片付けば次はプエムが邪魔になる。

 兵士の数では勝っているもののプエムの兵士は侮れない。ギハァト一家もいる。

 だが、正規の構成員だけの話ではなく、町全体と見ればヘロの支持の方が圧倒的だった。そうなるよう準備をしてきたのだから当然として。


 町の者も動員して、扇動して、プエムを追い詰めることはたやすい。

 そういう意味ではチザサに対しての方が難しい。やはり町の創始者一族ということで、実利などではなく心情的に支持を集めている部分もある。

 扇動したはずの民衆が逆にこちらに牙を剥くということになりかねない。だから先にチザサの息の根を止めてしまいたい。


(……いや、止める。でしたね)


 明日は港がかなり賑わうし、まともに集団での人間を運用することは出来ない。

 プエムは、西港ほどの規模ではないにしろ自分たちが主に管理している中央港の出航準備に手間取るはず。戦いだけと言ったが、さすがにプエムもそればかりではない。

 明日は朝から船出の支度にかかって、結局夜通し作業やら船出前の宴会やらで騒ぎ通して、朝には出航。

 その次に待っているのは、歴史的な一日になる。



 静かな夜だ。

 だが空は白み始めている。もうすぐ夜明けだろうか。

 ジョラージュは、西港の近くで寝泊まりしている邸宅の窓から外を眺めた。


 雲の切れ間から月が顔を出していた。雨はまだ降っているが、ところどころ雲が切れている。

 銀月と黄月。

 銀月はいつも丸い。黄月は今日は半分ほどだった。これからその丸みを増していくことになる。

 ジョラージュの成功への道筋と共に。


 静かな夜明け前だ。


「……」


 静かすぎる。

 嵐が治まってくれば、夜中のうちからでも仕事を始めようとする者が港にくるはず。

 大騒ぎをするわけでもないが、それでも物音の一つも立てないということはない。


「なん……だ……?」


 雨が、止む。

 ジョラージュの思考が停止するのと合わせるかのように、ぴたりと雨が止んだ。

 雨の代わりに、夏の終わりだというのに冷たい汗がジョラージュの肌にぞわりと浮かびあがった。



  ◆   ◇   ◆

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