二_059 ノエチェゼの真紅_2
ある程度は引き付けたと思う。だが今度は自分が帰りにくい状況だ。
ロファメト邸に戻っても、追手も一緒に連れてでは意味がない。
自分が息を潜める路地の周辺に多数の人の気配が散っている。
どちらに行っても見つかってしまいそうだ。まさか皆殺しにしていくわけにもいかない。
金に目が眩んでいるとはいえ普通の町民だ。殺し屋だとかそういう類の人間ではなくて、普段ならただ真っ当に生きているだけの人々。
町を騒がせた賞金首を追っているのも、別に悪事というわけではない。
(……仕方ない)
散っているのが困るのだ。
集めてしまえばいい。
ヤマトは少し気合を入れ直すと、周囲の中で一番目立ちそうな場所を探してみた。
「ふぅはははははぁ!」
「いたぞ、あそこだ!」
目立つ場所というのはやはり高い場所だろう。
雑然とした街並みの中、ひょこりと高い屋根。ノエチェゼの建物のほとんどは平らな屋根だから足を滑らせる心配はない。
高みに上ってみて高く笑う。いや、低く笑うというのか。出来るだけ遠くまでよく響くように。
見つけたぞという声と共に、何か小さなものが飛んできた。
左手の籠手で払いのける。
――カッ!
空も歓迎しているかのようだ。
稲光が瞬き、紅い甲冑を輝かせた。
嵐の中、一際高い場所で稲妻を背景に笑う赤い影。
「スカーレット・レディだ!」
「捕まえれば十万クルトだぞ!」
指を差して集まってくる有象無象。
高い場所から見下ろすとそういう風に見えてしまうのはなぜなのだろうか。
支配者というのは普段、こういう場所から人を見ているから人の気持ちがわからないのかもしれない。
そうならないように気を付けなければ。人々と同じ目線で気持ちを共感することで見えることもあるはず。
別にヤマトは支配者ではないが。
ただ今は、町を騒がす怪盗として人々の注目を一身に集めている。
これはこれで悪くない気分だった。アスカが悪ノリした気持ちもわかる。
アスカが悪ノリしたように、ヤマトもまた一人の年若い少年。十四歳。
こういう状況になって、ついでに自分の素顔を隠していることも背中を押して変なテンションになってしまう。
スカーレット・レディと名乗ったのは妹の方だ。自分はレディではない。
せっかくなのだから――何がせっかくなのかは置いておいて、とりあえずこのバカ騒ぎをもうひとつ盛り上げてみようか。
「違うな、間違っているぞ!」
彼らの呼びかけに否定を。
ここにいるのはスカーレット・レディではない。勘違い、間違いを訂正した。
「私の名は、ノエチェゼの真なる紅。この町の悪しき者を裁く正義の使徒」
「何言ってんだぁ?」
「女じゃなかったのか?」
どよめきと共に視線が集まる。
散らばっていた人々も次々に集まってきた。
頃合いだろう。ちょうど練習していた
こんな時の為に、こんなこともあろうかと――というのはさすがに嘘だが。
まさにこの瞬間の為に自分の努力があったのだとヤマトは確信した。朱紋がやっていたように周辺を震わす力を込めて。
「真紅の戦士、クリムゾン・ボゥイだ!」
――クリムゾン・ボゥイ……ボウイ……ボゥィ……
周囲一帯に奇妙なほど強く響き渡るその名乗りと共に。
――カッ!!
稲光が、紅い雄姿を再び輝かせた
◆ ◇ ◆
その雷光のお陰で助かった。
ヤマトの名乗りを聞いている人々の中に、ぎらりと金属の反射を見つけられたから。だから反応できた。
カァン! と。
猛烈な勢いで投げつけられた刃を赤い腕当てで弾き飛ばす。くるくると回りながら嵐の中に消えていく短剣。
思いのほか強く鋭い投擲だったことにも驚いたが、武器を投げたことにも意表を突かれた。距離があったから防げたけれど近場だったら危なかった。
金属製の武器となれば安くはない。賞金首を捕まえようとする人々の中に、迷わず武器を投げる判断を下せる人間がいるなんて。
驚きと共に登っていた屋根から飛び降りつつ、片手で屋根の縁を掴んで勢いをつけて遠くに跳んだ。
濡れた石畳に着地して、そのまま走り出す。上から見ていたから手薄な方向はわかっている。
以前、闇雲に走った時とは違う。ある程度、ノエチェゼの特徴的な建物は覚えた。牙城に連れていってくれたアウェフフにも感謝しなければ。
賞金首を見つけたと集まっていた人々の群れ。混雑したせいで身動きが取りにくくなっている彼らだが、まだヤマトを追う意思は消えていない。
このままロファメト邸とは逆に引き付けて、引き離してから戻ろうと。
狭い路地で押し合いながらの追っ手は、ヤマトの背中からどんどん遠ざかっていく。
先ほどの武器を投擲した敵も、あの人混みの中ではどうにもならないだろう。かなりの使い手だろうと思うが、実際に障害物だらけの道をヤマトより早く駆け抜けてくることはあり得ない。
まさか居並ぶ人間を全て粉砕して走ってくるわけもないだろうし。
追っ手の気配が薄れていくのを感じながら、どこかで迂回してロファメト邸に戻ろうと考えていたのだけれど。
「っ!」
「おっしいなぁ!」
嵐の中、路地の中に吹き付けてくる風がぬるっと変わったのを感じて咄嗟に躱した。先ほどの投擲で神経が張りつめていたのもよかった。
油断できない達人がいる。
その感覚が、屋根の上から襲い掛かってきた敵をヤマトの肌に伝えてくれた。
「今のタイミングはやったと思ったんだけどよぉ」
「……」
「ヤルルーの旦那に怪我させやがった小娘ってのを探してただけだってのに」
見事な造りの曲刀を手にするゴロツキ。
ゾマーク・ギハァト。ラッサに絡んでいたヤルルー・プエムと一緒にいた男だ。
「……」
「兄貴の命令っても雨ン中を出歩くのは好きじゃねぇんだが……こういうお祭り騒ぎは悪かねえな」
ゾマークの兄……ギハァトの長男。
牙城での会議で見かけた。かなりの長身で、立ち居振る舞いに隙のない戦士だった。
ああ、さっきヤマトに向けて短剣を投擲した男はそれだ。他の人間より頭ひとつ大きかったことも目に付いた一因だ。
どういう理由かともかくヤルルーが怪我をして、その下手人を捕まえるか殺す為にギハァト一家とか呼ばれる子飼いの戦士も町を探索していたらしい。
スカーレット・レディの騒ぎとは無関係に――
(……なんだか無関係じゃない気がするな。後でアスカに確認しとこう)
ただの直感なのだけれど、ゾマークが探しているのもアスカのような気がする。
色々大変だったのだと訴えていた。その因果関係というかシワ寄せと言うか。まあ妹のツケが兄に回ってくる分には仕方あるまい。
とはいえゆっくりしている時間などない。どうしたものか。
「お前が噂の賞金首ってことなら遠慮はいらねえよな」
暗がりのせいでヤマトの顔までは視認できていないらしい。ラッサと揉めていた時に割り込んだことを忘れてしまっているのかもしれない。
「……」
御三家たちの会議ではスカーレット・レディを生け捕りにするという方針だったような気がするのだが、ゾマークには関係ないか。
強そうな相手を見つけて斬るのが趣味みたいなことを聞いた。町で追われている犯罪者となれば斬ってもさほど問題もないだろうし。
「うるせえのが来る前に叩き切ってやるぜ!」
「っ!」
願ってもない。ヤマトの方も手短に済ませたいところだ。
とはいえ今は無手。いつもの槍は目立ちすぎると思って置いてきてしまった。
赤い手甲などの防具と、後は己の身だけ。
それがよかったのだろう。武器を手にしていないヤマトに対して、ゾマーク右上段の構えから無造作に踏み込むと同時に振り下ろす。
フェイントも何もない大振り。
常人を超える速さと力強さだけれど、正面から警戒していればどうにでもなる。
「――っ?」
躱した。距離を取った。
敵の刃は届かないと思ったのに、夜の闇の中から斬撃が伸びるような感覚。
吹き付ける風と雨が切り裂かれるのを感じて咄嗟に手甲で受け止めた。
「くっ!?」
「やるじゃねえか!」
さらに踏み込んできたゾマーク。夜の嵐のせいもあって相手の攻撃の間合いが掴めない。
近づくのを嫌ってヤマトは後ろに下がるが、決して広くはない路地の中。肘が壁にぶつかり、ゾマークの振り下ろす曲刀を咄嗟に壁を蹴って横に逃げた。
「勘のいいやつだぜっ!」
石壁を斬りつけてさすがに止まった剣を、引っこ抜きながらも逃げたヤマトを目で追う。
折れたり曲がったりした様子がない。見かけ以上の名刀なのだと思う。
いつもの槍があれば反撃もできるだろうが、強靭な体躯とよくわからない間合いの武器を相手に無手で踏み込むのは無謀に思えた。
こんなことをしている場合ではないのに。
一度は引き離した群衆の気配がどんどん近づいてくる。
その中にはゾマークの兄という人間もいるはず。追いつかれたら不利どころではない。
「よそ見してっと」
「してない!」
斬りかかってきたゾマークから飛び退き、だけどその路地に転がっていた何かの荷物に引っかかって。
「あ」
足場が悪いというだけなら森でいくらでも経験してきた。
だけど、嵐の中でどこからか飛んできた布を踏んで、石畳の表面に溢れる水でずるりと滑るなんてことは経験したことがない。
咄嗟に手を着いて転ぶことは避けるけれど、この状況では致命的だった。見上げたヤマトの頭上には既に曲刀を振りかぶったゾマークの姿が。
「し」
「まだぁ!」
振り下ろされるより先に突進した。
手を着いた姿勢から、ゾマークの胸にむかってぶちかまし。
「おわっ!?」
もう終わりだと思うよりも先に体が反応した。
懐に飛び込んでしまえば武器は振り下ろせない。
ヤマトの態勢も不十分で破れかぶれの突進だったので、ゾマークを吹き飛ばすまでには至らなかったけれど。
やや後ろにふらついたゾマークが曲刀を振り直すのを、今度は大きく後ろに飛びずさって避けた。
「くそ、この――」
「……」
ゾマークが仕切り直そうとした時。
不意に横から現れた刃が、ゾマークの喉元に突き付けられた。
「な……」
「マ、ズローワボロ」
背は高い。だけどゾマークの兄ではない。
『マ』はお前とかあなた。『マア』と伸ばす場合はお前たちとかそういう意味らしい。他の言葉は覚えていない。
三日月のような切っ先の戟槍を手にした竜人が、ヤマトを斬ろうとしていたゾマークにその刃を向けている。
言葉はわからないけれど、なんとなく雰囲気で伝わるところもある。
武器を持たない相手を追い回すなど卑怯だとか、そういうこと……なのではないか。竜人は種族的に脳筋な気質のようだから。
「てめえ……どこのどいつ――」
「ありがと、じゃあね!」
「あっこらてめぇっ!」
他の群衆も迫ってきている。この場に留まることは出来ない。
助けてくれた竜人を置き去りにするのはどうかと思い、ゾマークに向けて水を吸った布を投げつけた。先ほどヤマトの足を滑らせた布だ。
重みがあったおかげで見事にゾマークの顔にかぶってくれた。それを尻目にさっさと逃げ出す。
竜人の方も察したのか、ヤマトとは別方向に駆け出すのが見えた。
彼も別にゾマークを殺す理由があったわけではないらしい。迫ってくる群衆の気配もあり、このまま騒動に巻き込まれるのを避けたのだと思う。
ヤマトを助けてくれたのは何かの気まぐれか。
(知らない人なのに……あれ? 知らない、よな)
ゼヤンの村やその先の大樹の村で会った誰かではない。
この町でいくらか竜人を見かけたけれど、それらとも違う。記憶にないと思うのだが何か覚えがあるような気もする。気のせいかもしれない。
結局かなり大回りをしてロファメト邸に戻った頃には、ただの親切な竜人だったのだろうと結論付けた。また会えたら礼を言えばいいかと。
再開したら思い出したのかもしれない。
大森林を出てすぐの頃、最初に出会った竜人のことを。
自分の妹が、男にとって身もだえを禁じ得ないような攻撃を容赦なくやった相手だったと知れば、礼より先に謝罪の言葉が出たことだろう。
◆ ◇ ◆
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます