二_055 不安に揺れて_1
「あのヤルルーが負傷とは、ね。この時期にあれが大人しくしてくれるならこっちは有難いですが」
報告を聞いたジョラージュは驚いた後に、自分の計画に対する不安材料が減ったことを喜ぶ。
ヤルルー・プエムは理屈では動かない。本当に気分屋で我侭で勝手な人間だ。明らかに損だとしても、面白いと思えばそちらに全力で走っていくような男。
それでいてかなりの暴力的武力を備え持つという、計画的に物事を進めたい人間にとっては歓迎しない存在ということになる。
なんでも今日下町で喧嘩騒ぎに首を突っ込み、石壁に思い切り激突して肩周りの骨を折ったのだとか。
当分は動けまい。
さすがに石材の壁に激突すればケガをするらしい。あれも人間ということだ。
以前にひどい乱闘の中で暴れている姿を見た時には、人間ではなさそうだと思ったものだが。
ああいう男が何かのはずみでジョラージュの手の者とぶつからないとも限らなかったので、大怪我をしたというのは朗報に違いない。
プエムの兵士も荒っぽい人間が多いとはいえ、トップからの指示がなければ組織だった行動はしない。
不確定要素の心配事の一つが片付いた。
当初からの敵対勢力であるチザサとそれに近しいロファメトだけに集中できる。
「客に招いた竜人の戦士もかなり使えるようだからな。風は僕にある」
追い風に乗っている。
町の人々からの人気も高く、予定外の戦力も転がり込んでくれる。邪魔者も勝手に消えてくれた。
ジョラージュの行く手を掃き清めるように道が開かれていく。
何かの導きなのではないかと思ってしまう気持ちが湧き上がるのも仕方ないだろう。
「雨に紛れて人手も集められている。貧民連中は食い物さえ用意してあげれば相応に働くでしょうし」
食うのに困っている輩というのは単純で扱いやすい。
そうなるように仕向けてきた部分もあるし、それらがノエチェゼに集まりやすいようにも誘導してきた。
常時養わなければならない兵士というのは、とても金がかかる。
ヘロでさえ三百人というところ。無理をして増やしたら今度は財政に負担が大きい。
チザサの兵士は百人というところ。三倍の戦力差になる。不確定要素のロファメトの奴隷どもも百人を超えるかもしれないが、それはキキーエの方でどうとでもできるだろう。
常駐の戦力の他にも、町にいる雇われの労働者も集めてきた。
スカーレット・レディの事件が起こる前から、既に計画を進めてきた。
決行するかどうかは別として人手を集める準備をしていたし、どのようなルートでチザサの主要な拠点を制圧するかも考えてある。
今回の船出は、ジョラージュ・ヘロの歴史への船出に等しい。
こちらからの出向とは逆に、嵐が治まれば海の向こうから戻ってくる船団もある。その中には当然だがチザサやロファメトの傘下のものもあるけれど、ノエチェゼでの趨勢が決まればそれを逆転するほどの力があるわけではない。
町を支配するヘロの命令に素直に従うか、従わされるか。
いくらかはバカな連中もいるだろうが、そう多くはないだろう。
いざ戦うとなれば、いかに素早く相手の急所を押さえるか。その為には人数が必要なことも多い。
圧倒的に有利。
いけ好かないヒュテの奴がロファメト邸に向かったのは知っている。今になって少し慌てているようだが、もう手遅れだ。
一人で大人数を相手にするのが得意なヤルルーでさえ、十人を超える兵士を一度に相手にしたら不利になる。
ギハァト家の長男、デイガル・ギハァトならそれを超える働きをするかもしれないが、あれは特殊な部類だ。世界最強を目指すような。
人間は激しく動けば疲弊するのだし、疲弊すれば動きは鈍く注意は散漫になる。
延々と戦い続けられるようなものは、伝説に謡われる最強の竜人やらの物語の中だけの話。
他に名をあげるとすればリゴベッテの魔導師ラボッタ・ハジロという男。嘘か誠か百人以上の兵を一人で倒したとかいう噂を聞いたことがある。
そんな人間はこのノエチェゼにはいない。
リゴベッテやユエフェンから渡ってくる人間の素性もここ数年は注意して調べていた。
半年ほど前に隣町エズモズに渡ってきた探検家の集団は、大森林で壊滅したとも聞いている。生き残りが一人この町にいるとか。
それも問題ではない。
「何も問題はない」
計画通りだ。
嵐が過ぎ去り、船出を待つ。
チザサの背後を急襲する。
「……と、僕が油断していると思っているでしょうね。ジョラージュ」
にやり、と。
生意気な少年の顔を思い浮かべて、いつもは不愉快な感情ばかりなのだが、今日は別の感情が湧き上がる。
「わかっているんですよ。この状況をひっくり返そうというお前の考えは」
いつもそうだった。
ジョラージュが会心の首尾だと思ったことを、あっさりと何食わぬ顔で超えていく少年の姿を覚えている。刻み込んでいる。屈辱と共に。
今回だって奴はそう目論んでいるに違いないと思っていた。ある意味、大嫌いなヒュテのことを高く評価していたとも言える。
だから、入念に調べていたのだ。
チザサの本宅はもぬけの空。重要なものは全て町の別の場所に移し終えて、そちらを要塞のように固めている。
町に諜報員を放ち、ヘロが欲望のままノエチェゼを牛耳ろうと争いを起こしたと宣伝する工作も準備しているようだ。
それとは別に、ヘロの金を管理している建物への襲撃も別動隊が備えている。
チザサに襲撃を仕掛け、肩透かしの形になったこちらを反撃で葬ろうと。知らなければ窮地に陥っていたのはこちらかもしれない。
ジュテ・チザサの奴は何も知らない素振りで、裏で反撃の準備をしていた。
勝利をするりと掠め取り、まるでさも当然のような澄ました顔でこちらを馬鹿にしようとしていたのだろう。
だが把握している。それをジョラージュは知っている。
今回ばかりは負けることは許されない。今までの敗北は全てこの戦いに勝つための布石。
今回は負けない。今までとは違う。
「何度敗れても、最後に勝てばいい。ヘロの家訓です」
違うけれど。
そうではないが、この戦いが終わったらそうしようとジョラージュは思うのだった。
◆ ◇ ◆
嵐は既に丸一日以上続いている。
外は暗く、今が昼なのか夜なのかよくわからない。少なくとも夜ということはないはずだが、昼間だと確信できない程度には暗い。
時計というものがない以上は感覚で判断するしかないが。
「……」
丸一日待ってもアスカたちが来ないのは、嵐だからだろうか。
そうではない。いくら嵐が酷かろうと、離れ離れになったままで平気なはずがない。
平気なはずが。
(……平気なのかも)
そうかもしれない。
発端はヤマトの失敗だし、捨て台詞と残して飛び出してきてしまったのもヤマトの身勝手な行動だ。
無条件に向こうも心配しているに違いないと思っていたが、そうではない可能性もある。
『クウ』
不安にかられたヤマトに気付いたのか、グレイが喉を鳴らして顔を擦り付けてきた
動物というのは親しいものの感情の機微に敏感だという。感情によってフェロモンなどの物質が分泌されるからだとかいう話もあるが、そうでもないと思う。
家族に対する優しさなのではないかと。
「ああ、大丈夫」
屋外からは吹き付ける風と雨の音ばかりが聞こえる。
他には、何も。
「……」
自分の指先をじっと見つめ、意識を研ぎ澄ませる。
エネルギーを、電気っぽい感じのエネルギーを、指先に集中。
小さな火花から、それを大きく強く。
そういうイメージで力を籠める。
「……」
数分間。
目が痛くなってきた。
瞬きすら極力我慢して見つめる指先には、何も変化がない。
力を籠めすぎてプルプルと震えている程度で、静電気すら帯びていないのではないかという静かな様子。
――ゴ、ゴオオオオォォォォ!
地鳴りのような振動が建物を揺らした。
「!」
もしかしたら自分の魔術の成果か、と思って窓の外を見て、落胆する。
落雷。
ただの自然現象だ。
魔術の練習をしていたからと言っても、今の雷をヤマトの不思議パワーが招来したなどと言うつもりはない。
再度、自分の指先を見つめてみて、その手を下ろした。
(才能ないのかな)
全くやり方の理屈がわからないので、この努力は何か間違っているような気がした。
フィフジャも才能がないということだったし、それでも代償術は使えている。
竜人はこの手の魔術を使える人が普人族より少ないらしい。だが肉体は強靭だとか。
(身体強化の魔術っていうのはあんまり認知されていないみたいだ)
フィフジャの説明を聞いていたヤマトにとってはそれも魔術なのだが、少なくともロファメトの人たちは身体強化を魔術として認識していない。
学問として研究する人がいないというので、こうしたものの分類が認識されていないのか。
「理屈がわからないんだよね」
師がいない。
フィフジャもこの魔術についてはあまり期待できないだろう。
仮に教えてもらっても、最初から才能がなければ無駄になってしまう。
「そういえば……」
ふと、ヤマトの脳裏をかすめる。
自分は魔術を使えないんじゃないかと思ったのだが、先日それらしいものを使ったではないかと。
いや、使ったというと言いすぎだが。
「あの、声のやつ」
牙城で、ヤマトは建物が発していた振動をより明確にしようとイメージした。
それは意図せずうまく噛み合って、室内に牙の声という不思議な声を響かせたのだが。
「まあそれも朱紋の声とか聞いたのを思い出しながらだったけど」
皮穿血であったり、風船であったり、母の子守歌の微かな記憶であったり。
そういったことをイメージと重ねてみたら、思わぬ結果になっただけだ。
「……」
普段、自分はどのように声を出しているのだろうか。
喉に手を当ててみる。
「あー、あ゛あ゛あ゛-」
喉が震える。
声を出すと、喉が震える。当たり前のことのようだが、確認したのは初めてだ。
――グロッゴオォッォオッォ
再び雷鳴。
部屋の壁を響かせ、ロファメト邸の窓を振動させる。それはヤマトの耳の奥も振動させていた。
「……振動」
朱紋も、周囲の物を響かせて自分の声を遠くに届けていた。
だからあまり大声でなくてもよく聞こえたのだ。低音が遠くに響くということとは別に、他の物体を振動させてスピーカーのようにしていた。
「んっ、ンォォ」
出来るだけ低い声を出してみる。
低い音の方が響かせやすいかと思って。
「……」
集中する。
先ほど指先に集中したのとは違い、今度は窓に向かって発声と共に集中する。
技術的に製造が難しいのか、小さなガラスがはめ込まれた木製の窓に。
「ォォオ、オォォ」
――オォォ
響いた、ような気がする。
気のせいかもしれないし、雨や雷の音なのかもしれないが。
『ウゥ?』
グレイの耳がぴんと立って、窓の方を向いていた。
「聞こえた?」
『ワン』
肯定する。たぶん肯定の返事だと。
ヤマトの気のせいではなくグレイの耳で捉えられている。だとすればうまくいっているのではないか。
「ロォォ、ボオォ」
――ォォ、ボオォ
重なるように、少しだけズレた風に立体的に聞こえる気がした。
グレイはヤマトと窓とを見比べて不思議そうにしていた。ヤマトの声なのに、ヤマトと違う方から聞こえると。
「できてる……の、かな?」
これも魔術なのだろうか。分類はわからないが魔術の応用なのではないだろうか。
アスカに先んじられ、ヒュテに見せつけられたものとはどちらとも違うけれど。
何も出来ないわけではない。かもしれない。
朱紋のような妖魔が使っていた技術をヤマトも模倣できるのか。
(……でも)
ふと思う。
喜びかけた心の火をかき消すように。吹き消すように。
「これ、何かの役に立つかな?」
やはりこの世界の魔術は、何でも無条件に役立つようなものではないのかもしれなかった。
◆ ◇ ◆
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます