二_043 暗がりの陽だまり



 朝というのは静かな方がいいものだとヤマトは思う。

 けたたましい何かで目を覚まされるというのは、脳や心臓にぐわっとした負担をかけているような気がする。


 熟睡していたとしても、近くで何かの気配があればうっすらと覚醒する程度の感覚はあるのだが。

 普段からそういう眠りに慣れていたからこそ、近すぎず遠すぎずの場所で急に響いた大きな音にびっくりすることになった。


 ──銃声?


 ヤマトが幼い頃に、まだかろうじて残っていた銃弾を祖父が使っていたのを思い出す。

 そう錯覚するような轟音だ。砲撃かもしれない。

 ロファメトの屋敷を砲撃するような相手がいるのかどうかわからないが。


 グレイは既に警戒態勢だった。ヤマトも飛び起きて槍を手に表に出る。

 太陽はまだ顔を出していないが、空は白み始めている。

 いや、全体的に薄曇りの空なので、もしかしたらもう日の出は過ぎているのかもしれなかった。



 庭には轟音を聞いた奴隷やらが出てきているが、音の原因は見当たらない。

 いや、見当たった。


「煙……火事か?」


 ここの敷地ではない。少し離れたところで灰色の煙が立ち上っているのが見える。

 曇り空と相まって少し見えにくかったが、間違いなく煙が立ち上っている。


 響き渡った音と火事に直接関係があるのかわからないが、聞こえてきた方角は同じように思えた。


「あっちには何がある?」


 とりあえず近くにいた奴隷に聞いてみる。


「何も……家とか、あまり使われない古い倉庫くらいだ」


 ロファメト邸の外も騒がしい。先ほどの轟音と火事とで騒ぎが起きているのだろう。

 早朝から迷惑な話だが、火事を放っておくこともできないだろう。



「火事か」


 騒ぎの中、家主のアウェフフも起きてきた。

 塀の向こう側に立ち上る煙を見て、面白くもなさそうに呟く。


「あの場所なら、ここまで火の手が回ることもない。念の為、何人か外を見回っておけ」

「うす」


 それだけ奴隷に指示を出すと、どうしたものかと迷っているヤマトに屋敷に戻るように顎で促した。


「余所者が行っても大した役には立たん。兵士どもの邪魔になるだけだ。物珍しいというなら構わんが」

「そう……ですね。やめておきます」


 何かの役に立てるかもと思っても、何をどうするべきかもわからない。

 この町にはここの兵士がいて、こうした事態に対しても一定のルールで対処方法があるのだろう。

 ただの野次馬なら邪魔なだけ。

 畑違いのことに手出しや口出しをするのは身の程知らずになってしまう。世間知らずなだけで十分だ。


「自分の領分を超えることは手出ししないことにしているんで」

「そうがいい。この様子なら多少雨も降りそうだからな」


 アウェフフは頷いて、大きく伸びをしながら屋敷に戻っていった。




 どうしたものかな、と庭にいると、外からわらわらと人が入ってきた。

 火事の関係だろうか、と思って見ているとどうやら違う。

 皆、手の甲に入れ墨が――奴隷の人たちだ。


「お疲れ」

「おお、戻ったぜ。姫さんは?」

「何時だと思ってんだよ。まだお休みに決まってんだろ」


 見ていると、庭にいた奴隷の人たちと歓談している。

 先日も思ったが、奴隷という割には表情に陰りが見えずあまり遠慮がない。

 アウェフフやラッサがいればそれなりの態度で黙っているが、奴隷同士の時はかなり和やかな雰囲気だった。


「不思議か?」


 その様子を眺めていたヤマトに、後ろから声を掛けたのはギャーテだ。


「えっと……」

「奴隷らしくない、だろう」


 他の奴隷を知らないヤマトが言うのもなんだが、ギャーテの口からもそう言われるのであれば、やはりそうだろう。

 奴隷という言葉の印象と違う。

 ヤマトが答えに困っているのを見て、ギャーテは皮肉っぽい笑みを浮かべた。


「ロファメトの奴隷だからだ」

「そういう、ものなの?」

「ああ、他でこんな風に笑う奴隷は知らない。奴隷の顔ってのはひでぇぞ」


 ギャーテは何かを思い出したのか喉を鳴らす。

 その様子も、面白いという意味ではなさそうだ。自虐的な。



「どうしてここの奴隷の人たちは元気なの?」

「うん? どうしてかって言われると……」

「ラッサが可愛いから?」

「……まあ、そうだな」


 言ってから、ちょっと照れ臭そうに咳払いする。

 本当にそうだったとは。

 案外と単純な、と思うが、人間なんて結局は単純なものかもしれない。


「いや、そういうんじゃないぞ。ロファメトの奴隷は仕事を選べるし、無体な扱いも受けない」

「奴隷なのに?」


 それは意外な話だ。

 奴隷というのは、主人の命令には絶対服従。死ねと言われれば死ぬような扱いなのではないかと。


「ああ、知らないんだったな。ロファメトの奴隷は売られない。原則としてだが」

「奴隷商なのに?」

「いわゆる奴隷商とは違う。ここの奴隷は、ロファメトが依頼を受けて貸し出される人夫ってわけさ」


 依頼を受けて貸し出される、と。

 言われた言葉を頭の中で反芻して、整理する。

 整理しようとするが、そもそも社会生活を送ってきていないヤマトにはすぐに理解できなかった。


「普通の奴隷は、主人の命令でいろんなことをやらされるだろう」

「そう、だよね」

「ここの奴隷は違う。他に働きに出るんだ。必要とされるところに、必要とされる時に。必要な人数だけ」


 人手のレンタル業。

 少しだけヤマトにも理解ができてきた。


「奴隷の中にだって、手先が器用なもの、体力に自信があるもの、読み書き計算ができるもの。色々なやつがいる。逆に大きな仕事をしている所だって、季節によっては人手が必要だったりするし、人手が余る時期もある。いつも同じだけの人間を養うのは無駄になる」

「ああ、そうかも」

「そこでロファメトの奴隷を使うのさ。夏場の終盤なら船出の準備で人手が必要になる。秋になれば農園にはいくらでも仕事がある。必要な時に、必要な場所へ、だ」


 ギャーテの説明に、ようやくヤマトも全体像が見えてきた。

 多くの人員が必要な時期があるからと言って、いつでも多くの人員を養えるわけではない。

 奴隷を購入しても、その奴隷が必ずしも職務に適性が高いとも限らない。

 だから、必要な時にだけ適応した人員をロファメトに借りて労務させると。


「それにな、ロファメトの奴隷ということで相手側から無茶苦茶な扱いはされない。ロファメトの資産を傷つけることになるからな」

「なるほど」

「旦那も姫さんも、若旦那さんたちもそうやって俺らをうまく扱ってくれる。どういう事情であれ奴隷の身分に落ちた俺らみたいなのでも、ゴミ屑みたいな扱いをしない」


 呟くギャーテの表情は穏やかだ。

 きっと色々なことがあったのだろう。彼の人生にも。


 酷い扱いをされる奴隷の姿も見てきたのだと思う。彼自身がそういう扱いをされてきたのかもしれない。

 だが今は、穏やかな気持ちでこうして話が出来る。

 それが幸せなことかどうかヤマトが判断できることではないが、決して最底辺の生き様ではないのではないかと。



「ってギャーテよぉ。違うだろぉ」


 と、他の奴隷たちがにやにやと笑いながら集まってきていた。


「こいつはほんと、カッコつけなんだぜ」

「まったくだ。今更俺らがカッコつけても意味ねえってのに」

「る、るっせぇぞお前ら」


 肩を組んで囃し立てられるギャーテが怒鳴るが、他の者は気にしない。

 それどころかやいやいと余計に騒ぐだけ。


「姫さんだろ、やっぱ姫さんだよなぁ」

「姫さんを悲しませるようなことはするな、ってよ。新入りに言って回んのがこいつの役目よ」

「ば、ばかやろう。旦那さんや姫さんをって言ってんだろ。恩義があんだろうが」

「そりゃまあそうなんだけど、やっぱ姫さんだよなぁ」


 うんうん、と周囲にいる奴隷が揃って頷く。

 そこにギスギスした空気はなく、本当に仲の良い仕事仲間という雰囲気。

 同じものを愛する同好の士とでもいうのだろうか。


「ちょっと姫さんは優しすぎんだよなぁ」

「ああ、俺としちゃあもっと鞭でも持ってびしっとやってもらってもいいんだが」

「俺、こないだ姫さんの稽古相手になって叩きのめされたんだ」

「ずっりぃぞてめえ」


 いや、少しギスギスしたところもあるかもしれないが。

 というか別の問題もあるような気がするが、そこはヤマトが気にすべきではないか。


 ラッサのことを本当に好いているのだと思う。少し歪んだところがあるようでもあるけれど、暗い感情で見ているわけではなさそうだ。

 やれやれと他の奴隷を振り払ったギャーテが、バツが悪そうにヤマトに頷く。


「こんな調子でな。こいつらの中にも他の奴隷だった奴もいるんだが、ここでの扱いは奴隷とは思えないような待遇だ」

「よかったね」

「そうとばかりは言えない」


 ふと、ギャーテが暗い顔をした。

 少しだけ、寂しそうな。



「そうは言っても俺らは奴隷だ。生まれながらって奴もいるにはいるが、ほとんどの連中は自分のバカのツケで奴隷になったような奴ばかりだ」

「……」

「ふと、な。人間らしい扱いをされてると思うことがあるんだ。ああ、真っ当に生きていたらよかったなって」


 ギャーテの独白に、先ほどまで囃し立てていた他の奴隷も口を噤む。

 それぞれがやや斜め下に視線を向けて、短く息を吐いていた。


「何でもないことなんだ。ただ帰ってきた時にお疲れ様って声かけてもらったり。仕事の様子はどうだったかって聞かれたり。普通に生きていたら何でもないことなんだが、奴隷ってやつにそんな話をする人間はいない。もっと昔に、そういう普通のことを大事にしていたら、こんな奴隷になってたりはしなかったんじゃないかって」


 考えてしまうのだと。

 奴隷にならなかった時の自分の人生を。


 他での奴隷のように精魂尽きるまで働かされているだけだったら、そんなことを考える余裕すらなかっただろうに。

 なまじ扱いが良くて、まるで人間らしく扱ってもらえてしまうから考えてしまう。

 そんな『もしかして』を。


「……姫さんはな、俺らにとっちゃ娘みたいなもんだ。幸せになってもらいたい」

「ったりめぇだぞクソ」

「ワシからみたら孫娘だけどなぁ」

「あんたの孫があんなに可愛いわけねえだろ」


 やいのやいの、と。

 奴隷という階級に落ちた彼らにとっての暖かな場所。そういう位置づけになっているらしい。

 ヤマトは、他人事ながらに少し嬉しくなった。


(ラッサの優しさがこの人たちに伝わっているってことだよね)


 フィフジャは人間の暗い面に気を付けるように言っていた。それが間違いだとは思わない。

 でも、そればかりじゃない。

 奴隷商の家でそれを目の当たりにするなんて皮肉な感じがするけれど。


「俺らが何か役に立てりゃいいんだが」

「ってもギャーテよう。姫さんは俺らなんかよりよっぽど強いってんだから」

「せいぜい盾になるくらいしかできんからのぉ」

「あんのヤルルーの変態野郎をぶちのめしてやりてぇけどな」


 ぽん、とヤマトの肩を叩くギャーテ。

 何かを願うように。


「お前さんには何の義理もない話だけどな。それでももし姫さんが困っていて、お前さんが何かしてやれることがあったら。そん時は頼む」


 代わりに俺の命くらいならやるから、と。

 ギャーテの言葉に、他の面々も頷く。

 そこまで言わせてしまっても、ヤマトに何か約束ができるわけではないのだが。


「……」

「難しく考えんな。出来ることがあったら、だ」


 ギャーテの言葉に、ヤマトは小さく頷いてから苦笑を浮かべる。


「うん、わかった。だけど皆の命はいらないよ」

「そいつは安心した」


 軽く肩を竦めて、みんなで大笑いするのだった。



  ◆   ◇   ◆

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