伊田家 第四十二話 幸せな日々_2
ヤマトが生まれてから、日呼壱は探索範囲を広げるようになった。
健一と美登里は家のことを。
芽衣子もそれを手伝いながら、一緒にヤマトの世話を。
日呼壱はさくらとウォルフを連れて、なぜか一緒についてくるようになった銀猫の二代目シャルル・ドゥゼムと共に探索に出ることが多くなった。
猫車に荷物を載せて、帰りには採った果物や狩った獲物を持って森を歩き回りながら、家から離れた場所の地図を作っていく。
なぜそんなことをするのか。
ヤマトに外の世界を見せてやりたいと思うからだ。ここで生まれた子供にとって世界はあまりに狭すぎる。
だが最長で二週間の遠征をしてみても、森から出ることは出来なかった。この森はあまりに広すぎた。
シャルル・ドゥゼムは非常に直感が鋭いらしく、危険な気配がある方向に行こうとする一行を引き止めることがある。
一度それを無視して進んで、でかいダチョウの繁殖地に出くわしたことがあり、命からがら逃げ延びたものだった。
黒い虎――黒鬼虎と名付けたあれには、一度も出くわしていない。
日呼壱の装備も、色々と工夫をして作成してみた。
使い道のない車のボンネットを切り取って、胴体を守る前掛けにしてみたり。
――日呼壱たちの技術ではカッコいいプレートアーマーなど作れず、鉄の前掛けという程度だ。
ヘルメットは必ず着用。LED懐中電灯をそれに固定して、両手を自由にしたまま照らせるようにもした。
両手、両足には獣の皮で作った厚手の小手やすね当てを巻いて、作業用手袋は必ず着用するようにしている。
白い石槍と、鉈を主装備に。石で作った手斧はいくらか投げつけられるように、様々な状況に対応できる準備をぬかりなく。
体力がだいぶついたことと森での探索に慣れたことで、今の日呼壱は石猿の群れ程度なら一人でも蹴散らせる程度の戦闘力を身に付けていた。
さくらたちの助力があれば、ほぼ危険がないレベルだ。
吸血ムササビは飛び立つ際に特徴的な音を出すことがわかったのと、内側からの刺突にひどく弱いこともわかった。
顔に巻きつかれる際に、内側にナイフや鋭い爪などを挟んでしまうと割とあっさりと切り裂いて抜け出すことが出来る。
牙で噛み付かれる前にその体を裂いてしまえばいいのだ。
巻きついてから噛み付くまでに、およそ三秒ほどのタイムラグがある。というか、即座に噛み付くと誤って自分の皮膜を貫いてしまうようだ。
どうしてこんな構造の生き物になったのか疑問もあるが、そういえば地球にもどうしてこうなったのか意味不明な生き物もいた。
生き物というのは兎角そういう合理性と非合理性があったりなかったりするものなのだと納得することにする。
森の狼たちは、やはり日呼壱たちに敵対的な姿勢ではなかった。
川に沿って北に進み続けた時に、日呼壱は遠くの山に鮮やかな鳥の姿を見つけた。
白い頭に黄色の嘴と尾羽。胴体は赤というか朱色の、遠めにも大きな猛禽だった。鷹のような鳥に見えたが、遠すぎてはっきりと確認できない。
三色鷹、と勝手に命名してみたりしたが、それ以上の接触はなかった。
以前、夜中に突風を巻き起こしたのはこの鷹なのではないだろうか。
そんなことも考えたが答えが出るものでもない。
鷹のほうは日呼壱たちを見ていたが、近づいてくるわけでもなく、しばらくすると飛び去った。
大きさはデビルコンドルの倍ほどもあるようだったので、羽を広げたら八メートルということになる。巨大すぎる猛禽だ。
黒鬼虎が地上の王者なのであれば、空の王者が三色鷹なのだろう。
日呼壱はそんな風に、見てきたことを家族に伝えた。
みんなで地球の歌を歌う。
CDラジカセを動かして子供に聞かせた歌。
小中学校の卒業記念に贈呈された、音楽会の時の合唱曲。
学校で練習していた頃は特に感慨は覚えなかったが、みんなで歌うのに向いている曲で、何かを卒業したような気分は存外悪くなかった。
◆ ◇ ◆
――俺はこの世界で一番の幸せものだよ。
――それは私だから、日呼ちゃんは二番目でした。
――日呼壱、見てろ。ほら。
――おおっ! 何今の? 一瞬で体がブレたみたい。
――足の指で田んぼの泥の中動くだろう。あれの応用で、足の指を弾いて瞬間移動だ。
――でも三十センチくらいしか動いてないから、役には立ちそうにないけど。
――もっと鍛えよう。
――冷蔵庫が壊れそうだ。納屋に使っていない冷凍庫あったよな。使えるだろう。
――譲ってもらっておいて何だけど、お義母さんの指輪にMIDORIって、おかしくない?
――あの人、自分の持ち物に自分の名前を書くもんだと思っていたらしくてね。おかしいでしょう。
――このゴムっぽい樹脂を使えば。
――日呼ちゃんがそうしたいって言うなら、いいけど……もう、変態。ばか、
――南側は予測がつかないことが多い。生態系の分布が違うみたいに思う。
――日呼壱、無理をしなくていい。お前に何かあったら芽衣子ちゃんもヤマトも……
――また芽衣子があんなに苦しそうにするのを見るのは怖いんだ。
――だけど、すごく嬉しかったじゃない。
――中指の爪が、灰色に変色してきている。お前もそうか?
――芽衣子が俺を好いてくれるのが、本当に嬉しいんだ。夢じゃないかって思う。
――日呼ちゃんに悪い虫とかついてたかもしれないじゃん。私が大人になる前に。そう思えばラッキーだったのかもって。
――私としては、芽衣子ちゃんに悪い虫がつかなくてラッキーだったと思うのよね。
――ヨーグルト作ってみたけど、味がしないね。固まりすぎる感じだし。
――そうねぇ。ジャムとかシロップを入れたら美味しいかしら。
――固める前のミルクの段階で混ぜておいたら、牛乳を混ぜるだけのあの究極のデザートみたいなのができるかも。
――弾がないから、これももう使えないな。
――床の間に飾っておこうよ。爺ちゃんの形見だし。
――冷蔵庫は詰まってたほこりでショートしていたようだ。これなら俺でも直せるかもしれん。
――マジで? 父さんすげぇや。
――もしも、このままだったら、ヤマトが独りでこの森に残されちゃうかもしれないって……
――光るふわふわ追いかけてたらびゅーって風が吹いて道がわかんなくなっちゃったんだけど、シロがにゃあって鳴いて教えてくれたの。
――もう勝手にどこかに行ったらダメよ。お婆ちゃんすごく心配したんだから。
――この子の名前は、アスカでどうかな? 明日香って書いて、芽衣子のお母さんの由香利さんから一文字もらったら……
――ヤマト、桃が三個入った袋が三つあったら。全部でいくつ?
――ええっと、
――指を使うのは禁止。
――さくら。今まで本当にありがとう。マクラの隣で、ゆっくりと眠ってくれ。
――俺の髭剃り、もう直接コンセント繋いでも動かないか。
――こっちを使え。父さんはこれから髭はハサミで切るようにする。芽衣子ちゃんはお前の髭面は好かないだろうからな。
――どんなになっても芽衣子は俺のこと好き好きだよ、たぶん。でもまあありがとう。
――シャルル、帰ってこないね。
――あいつはカッコつけるから、死に様も見せたくなかったんだろう。
――カメラ、まだ動いてよかった。プリンターはこれでインクなくなっちゃったね。
――部長、明日も仕事は休みます。家族と過ごすので。
――大丈夫、ゆっくり休んでいいの。ありがとう、健一さん。
――わたの服だとね、いつもよりびりびりーってするの。見えるよ。
――アスカったら、四歳なのにもう九九を覚えちゃったのよ。誰に似たのかしら。
――北の川のずっと先にさ、トマトが群生してたんだよ。昔植えたのが川に流れたのか、勝手に繁殖してるみたいだ。小さな桜の木もあったよ。
――ヤマトが石猿をやっつけたって? まだ七歳なのに、すごいな。
――調子に乗らないように日呼ちゃんもちゃんと言ってよ。
――ハーモニカの吹き方なんて俺も知らないのに。
――他に遊びがないから、勝手に覚えたみたいね。結構上手よ。曲は適当みたいだけど。
――ああやって私も葡萄酒踏んで作ってたっけ。
――あれは父さんが喜んでたな。
――自分は喜んでなかったみたいな言い方じゃない。ちゃんと知ってるんだから。
――お父さん、怖いよ……
――ヤマト、アスカを頼む。もう二度と、この化け物に俺の家族を傷つけさせない。こいっ!
――お母さん、お婆ちゃん! お父さんが……
――無茶、しないでよ。馬鹿。
――俺だって怖かったよ。いたた、そっち折れてるから。
――無いものを願うより、あるものを喜びなさいって。ここでの暮らしは、本当に贅沢すぎるくらい幸せだったのよ。毎日、孫と一緒に遊びながら暮らせるんだから。
――お父さん、地面が丸くて、ものすごぉく早く回っていたら、アスカ目が回っちゃうと思うの。
――それは慣性っていって、ね。アスカにはまだ難しいかもしれないけど……
――もしお前たちが日本に帰れたら、ちゃんと言うんだよ。覚えているか?
――毎日言ってたから覚えてるよ。わかってるって。
――アスカがね、ヤマトのベッドの下からこんな本を持ってきたんだけど、日呼ちゃん何か知ってるかな?
――記憶にアリマセン。
――今素直に話すなら怒らないであげるけど。本当に知らない?
――ヤマトは、もう一人でも狩りが出来るくらいだ。安心した。俺がここに来た頃に比べたら、とんでもなく凄い強さだ。
――私は、無理だよ……日呼ちゃん。私は無理だよ。
――母さんと、アスカのこと。頼んだぞ。
――うん。でも、もっと教わりたいことがいっぱい……あの黒いのが、また出たら……
――もしやり直しが出来るとしても、また芽衣子と結婚したい。何度でも、何万回でも。
――うん……うん、私もだよ。日呼ちゃん、私も日呼ちゃんのお嫁さんがいい。
――日本ではもう、ひとつなぎの財宝は見つかったのかな。
――どうかな? まだ探しているのかもね。
――ああ……俺のは、ここにあったよ。
◆ ◇ ◆
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