伊田家 第二十五話 行ってきます。_1



「北の森の先を探索する」


 寛太はそう言った。

 その顔は真剣そのもの。健一も否定しづらい雰囲気だ。


 昼を過ぎて、食料の確保の為に湖に釣りに来ていた。

 もう少ししたら帰ろうかという時に、寛太はそれまで見ていた湖の対岸を指して言う。


「何かその、根拠はあるのか?」

「この湖から伸びて川と山脈を目印に出来るから、探索するならそっちがいいと思ったんだ」


 湖から流れる川も、山脈に沿って北方面に流れている。

 湖周辺は、初めてウシシカを狩ってからこの十五日間で探索してみた。

 地球と同じ暦だとすれば既に五月下旬。庭の梅の木に成っている実も大きくなってきている。これから熟し始める時期になる。



「焦る気持ちはわかるが」

「わかるって……いや、自分でも、焦っているとは思う」


 やや感情的になりかけて、気を静めて自分を省みて判断し直した。一度は不安に押しつぶされそうになったが今は落ち着いている。


 芽衣子が寝込んでから一週間。

 明確な根拠もなく森を探索するなどということが、自分の焦りからではないなどと言えない。



「パパ、芽衣子もう大丈夫だから……」


 心配そうな芽衣子の声に、寛太は申し訳ない気持ちになる。

 今のは、健一と喧嘩でもしそうになった父親を心配した声だ。目の前で大人が喧嘩をしたら不安になるだろう。


「そうだな、本当に運が良かった……いや、さくらたちのお陰か」


 芽衣子は、既に体調を回復している。だから同行しているのだが。




 七日ほど前に寝込んだ芽衣子は、二日もの間、熱が下がらず、風邪薬や解熱剤も効かなかった。


 その数日前に、狩りの際に怪我をしたマクラに、さくらが森の中から一塊の草――多肉植物の葉をいできて、それを傷口に擦り付けていた。

 マクラは傷口から発熱して気怠い様子だったが、アロエに似たその草を擦り付けた翌日には明らかに元気になったのだ。

 草が残っていなかった為、擦り付けた後は食べたのだろうと思われた。


 薬効のある草。日本で一般的なアロエなら消炎、殺菌、整腸などの効能があると言われる。

 そういった何かがあるかもしれないと、日呼壱は芽衣子が寝込んだ翌日に同じ草を取ってきて、自分が見ていたマクラたちの行動について説明した。


 体調が良くならない芽衣子を心配する美登里が、その果肉部分を口にした。有害な毒性がないか美登里は自分の身でそれを確認してくれた。

 一人じゃ実験にならないと、源次郎もそれを飲み被験者となった。


 美登里に体調の悪化などもなく一日が過ぎて、他の薬も効かなかった為、その果肉をすりつぶして芽衣子に飲ませてみたところ、翌朝には嘘のように健康になっていた。


 起きて第一声、


 ――ソフトクリ-ムが食べたい。


 と言った芽衣子に、美登里は伊田家の冷凍庫に残っていたアイスを嬉しそうに与えていた。ソフトクリームじゃなくてごめんね、と。




「あの草の効能かははっきりとはわからないけどさ。多分、効果があったんだと思う」

「あれ、苦かったよ」


 思い出して苦い顔をする芽衣子。苦かった程度で健康になってくれるのなら御の字だ。

 野生動物は本能で薬になる草花を見分けるという。嗅ぎ付けるのかもしれない。

 さくらの行動を見ていた日呼壱の機転と、美登里たちの献身があったことについて寛太は感謝している。


 寛太自身は心配して右往左往するだけだった。

 そのことに対する負い目も、焦りに繋がっているのかもしれない。

 娘の為に、何も出来ない父親。そうなりたくない、と。



「また何かあった時に、このままじゃ対応できないこともあるだろう。どうにか人里を見つけて、病院とか……医者とか、見つけておきたいんだ」

「今でなくてもいいんじゃないのか?」

「真夏になったら、いくら森の中でも暑い。冬になったらそれこそ無理だ。日本と同じ四季なのかわからないけど」


 五月、過ごしやすい時期だから探索には向いている。体力の消耗が激しくなる真夏は避けたいという理屈もわかる。

 家の周辺も、田植えも終えて水路の整備もある程度出来た。タイミングとしては今がちょうどいいのかもしれない。


 だが、ちょうどいいからこそ、何か漠然とした不安が健一にはあった。

 状況がうまくいくと、どこかに落とし穴があるのではないかと。



「……皆にも相談してみよう」


 健一は、寛太を翻意ほんいさせることは難しいと考える。

 寛太の言っていることの必要性はわかる。人里を探すことには健一も賛成だ。時期も悪くない。

 ただ健一はそんなことよりも、心中にある絶対に表には出せない黒く澱んだ打算を自覚していた。


(安全が確認できないこの状況で、もし誰かが犠牲になるのなら、俺は……)


 自分を兄のように慕ってきた従兄弟に対してそんな考えをめぐらせてしまう自分を、健一はひどく恥ずかしく思うのだった。

 だから、寛太の提案は健一にとって都合が良すぎて、健一には素直に賛成が出来ないのだ。



  ◆   ◇   ◆



 日呼壱は納屋の軒先に置いてあるホーロー製の流し台の前にいた。農家で言うところの下流しだ。畑で取った野菜の泥を洗ったりする。

 庭先で乾かしたトマトから種を取っている。畑で成っていたが食べ切れなかった分のトマトを完熟させて、洗って種だけを取り出しているところだった。


 さらに実験的に、自生するかどうか完熟したトマトなどを日当たりの良さそうな場所を軽く耕して放置してきたりもした。

 うまく自生して世話をしなくても野菜が取れたらいいなぁという日呼壱の提案で、食べきれずにただ腐らせるよりはいいだろうと捨てるついでの実験だ。



 日呼壱は、健一と寛太、芽衣子から話を聞くとあっさりと、


「叔父さんは行くって決めてるんだろう? 俺も一緒に行くよ」


 日呼壱の言葉には、何も迷いがなかった。



「あ、いや、それは……ダメだろう、日呼ちゃん」


 まさかそう言われるとは思わなかった寛太が慌てる。

 隣の健一は、日呼壱の答えの明確さにハートを射抜かれた気分だった。


「一人で行くことないんじゃないの?」


 打算も躊躇いもない、自然な流れでそうするべきだと言う。

 当たり前のこと過ぎて思い当たらなかったが。いや、敢えて考えなかったのか。


(日呼壱、かっこいいじゃないか)



「だめよ、日呼壱」


 横から美登里の反対があった。車庫の方で夕飯の仕込みをしていたらしい。


「お母さんが許しません。寛太君も、今すぐでなくてもいいでしょう」

「美登里さん……」


 面倒くさくなった、という視線を健一に送る日呼壱と寛太。


(こっちを見るな。俺に決定権がないのは知ってるだろう)


 源次郎はいない。伊田新田と名付けた田んぼの雑草を刈っている。害虫もいれば取り除くだろうが、この森に稲作に対する害虫がいるかは不明だ。

 伊田家正門の本日の見張りはマクラ。こちらも発言権はない。



「いや、美登里さん。こないだみたいなこともあるし、やっぱり人里とか医者とか探しておかないと不安じゃないかな」

「それはまあ、そうだけど」


 熱に苦しむ芽衣子を見ていてつらかったのは美登里も同じだ。

 あまりに心配で、薬になるかもと言われた正体不明の草を考えもせずに飲み込んでしまうくらいに、美登里は芽衣子を心配していた。

 そんな献身を実の母親でもするだろうか、と寛太が思ったくらいに、美登里は芽衣子を大事にしてくれる。



「でも、またあの猿みたいなのとか、危ない生き物がいるかもしれないでしょう」

「もちろん警戒はする。何にしてもこのままじゃいられないし、危険を感じたら逃げてくる。スズメ避けの爆竹も持っていきたい」


 それに、と寛太は続ける。


「出来れば、日本に帰る手段を探したい」

「パパ……」


 美登里の表情に影が差す。


 日本に残された寛太の妻子のことを思えば、彼の希望は真っ当だ。

 ある程度状況が落ち着くまでは自分の希望を優先しようとしなかっただけ理性があるとも言える。



「でも、ダメよ。寛太君。芽衣子ちゃんはどうするの」

「だから芽衣子の為に……」


 言いかけて、それを言ったらいけないと思ったのか口をつぐむ寛太。


「芽衣子のことは、美登里さんたちに任せたいと思うんだ。この前のこともある」


 言い直す。



「冷静じゃないわよ、寛太君」

「そう、かな」

「何かをするって言うなら、いつまでにって期日を設けて計画を立てなさい」


 ああ、と日呼壱は肩を竦めた。

 息子としてよく叱られた覚えがあるのだ。片づけをするならいつまでにと決めてやりなさい、とか。


「無計画に、ただ北を目指すって言うんじゃ芽衣子ちゃんも心配でしょう。その人里だか集落だって本当に北にあるのかもわからないのに」

「ああ……うん、そうですね」


 叱られてしゅんとなる寛太を、少し面白そうに芽衣子が見ていた。



  ◆   ◇   ◆

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