伊田家 第十話 解体工程



 甘くない事態はまだ続いた。


 狼は捕らえた獲物を、群れ――伊田家に入れてもらう手土産として譲りたかったようだ。

 ボスに獲物を献上するという意識だろうか。


 その死に掛けたキジのような鳥を、家の斜面下の東側に持っていった。

 先ほど簡易に整備して雨水排水用の側溝に誘導した湧き水が、上の方から流れ落ちてきている。


 汚水になる生活排水は西側に流れ、湧き水や雨水は東側に流れ落ちるように。こちらは綺麗な生水? ということになる。




「日呼壱、ちゃんと抑えといてな」


 源次郎から声を掛けられて、その鳥の体をぎゅうっと抑える。

 軍手の布越しに生き物の感触が伝わってきた。野生生物を触るのは、中学生の途中頃以来なかったことだ。


「っ!」


 短い息と共に、鉈が振り下ろされた。



「うあぁぁぁっごめんなぁごめんっ!」


 首が飛び、痙攣するようにその体が暴れる。それを抑え付ける日呼壱は思わず謝罪の言葉を口にしていた。

 頭を失ったというのに、その体は波打つように震えが続く。

 まるで恨みを忘れないというかのように。


「――っ!」


 間違いなく死んでいるのに、日呼壱の手の中でそれは暴れる。

 奥歯を噛み締めて押さえる自分の手も、びくびくと痙攣していた。


「……」


 気がつくと、動かなくなっていた。



「大丈夫かの、日呼壱?」


 源次郎は上から降ってくる湧き水で鉈を洗いながら孫を横目で見た。


「だ、大丈夫……」

「そぎゃん風には見えらんが」

「じゃない、かもしれない。けど、俺が手伝うって言った、から……」


 途切れ途切れに言葉にする。

 抑えているのに体力はそれほど使ったはずではないが、汗でびっしょりだった。

 うっすらと涙も浮いていることに気が付いて、袖で拭う。



 必死だった。

 マクラたちを連れ帰り、この鳥を捌くと言った時に手伝いを申し出たのは日呼壱だ。

 異世界で生きていくときに、獣の肉を処理するというのはよく聞く話だった。


「……」


 吐き気はなかった。

 聞き知っていたことと、体感したこととのギャップは大きかったが。



「ほれ、しゃんとせい」


 源次郎が日呼壱の手の甲を叩く。

 鳥を抑えたときのままそこで硬直していた。命が消えていく鳥の感触が日呼壱の手に残っていた。


 まだ硬直している日呼壱の手から源次郎は獲物を抜き取って、血を流し出すように逆さにして落ちてくる水で洗う。

 血抜きせんと肉が臭くなる、と言いながらその羽を毟っていく。



「爺ちゃん、すげぇ」

「昔は鶏を絞めたりとかしとったが、最近の子はせんのかのぉ」


 手際よく、ためらいなく進めていく祖父に、改めて感じる心からの尊敬。

 動物の解体。本来なら目を背けたくなる光景だが、その手順を覚えようと祖父の動作に目を皿にする。


 怖いとか汚いとか言っていられないこういう状況に置かれたからなのだろうか。意外と動揺していない自分を少し不思議に思いながら。

 


「……」


 十数分もすると、血がほとんど出なくなり、その羽もほとんどがなくなると、見知った鶏肉のような姿になっていった。

 一匹丸ごとというのはクリスマスの頃でもそうそう見ることもないが、とりあえず鶏肉らしくなった。



「普段食べてた肉とかも、こうやって誰かがこうして捌いていたんだよな」

「最近は機械かもしれんがの」


 先ほどまで生きていた鳥が、その命を奪われて食べ物になる。

 そういう工程を目の当たりにして、普段何も考えずに食べていたことを重く感じた。


「どこかの学校では食育とかって言って豚を育てて食べるとか言う話だったけど、結構重いなぁ」

「しゃんこともわからず飯を食っとるんはじゃ」


 だらず――考えが足りない、と言われて返す言葉もない。



「なんも難しいことはねえ。米も野菜も肉も、命をいただいとるってそんだけだ」


 単純な真理。源次郎は何でもないように言いながら、鳥の腹を割いて中の内臓を出していた。


 内臓を破らないように注意しながら、下腹に薄くナイフを入れる。そこから腹を割いていくと、途中でぷるんっと内臓が飛び出してきた。

 腹圧というらしい。うっかり内臓を破ってしまうと、中に詰まった排泄物で肉がダメになってしまうので注意するのだと源次郎が説明する。


 出した内臓は赤黒く、用意してきた金属のバケツに入れられた。



「あとで焼いとかんと、血の臭いでもっと悪いのが寄ってきよるがの」


 家の裏あたりで焼くつもりなのだろう。

 この辺に放置して、死肉をあさるような獣が集まってきたら困る。

 源次郎は、やることの理由を日呼壱に示しながら作業をした。



(そういえば畑仕事を手伝う時も、何でこうするのかって話しながらやってたっけ)


 作業の根拠を知っている場合と、知らずにただ労働するだけの場合では、その精度は違う。

 何度も同じような話を聞かされて嫌気が差すこともあったが、それだけ繰り返し学習してきたということだ。


「次も、手伝うよ」

「そげだの」


 バケツと解体用の道具を手に、祖父と二人家路につくのだった。



  ◆   ◇   ◆

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