第三話 森の長の家_1
目を覚ます。
夢を見ていたような気がした。あまりに長い幾夜もの時が一瞬で過ぎたような感覚にとらわれ、覚めたはずの目がまわる。
「う、ん……と……ここ、は?」
自分の居場所がわからない。
彼の記憶にはない建物。粗末ではないが華美というわけない。ちゃんとした屋根の下だ。
白い壁と、獣の臭い。
獣――
「うわぁぁぁぁぁぁっ!」
見回したフィフジャの頭のすぐ上に黒鬼虎が迫っていて、慌てて転がってその襲撃を避ける。
『クゥンンッ』
何かにぶつかり、それが迷惑そうな鳴き声を上げた。
黒鬼虎のものにしては細い声。
「……?」
今まで自分が寝ていた場所に、猛獣の豪腕から繰り出される一撃が――襲ってこない。
改めてその姿を見る。
壁に立ちふさがるような巨体。間違いなく黒鬼虎の成体だ。
「……皮、だけ?」
毛皮を剥いで、壁に飾ってあるだけだった。
なんて人騒がせな、と一人で騒いでおいて勝手なことを思う。
「って、これを狩ったのか? ええと、あの子供……か」
混乱していた記憶が戻ってくる。
フィフジャ・テイトー。年齢は二十を過ぎた。
仕事でズァムナ大森林に探索に入り、不測の事態により隊が壊滅。遭難して数十日間森をさまよっていたはずだった。
逃げ回り、眠り、また彷徨う。
森で見つけた食べられるかどうかもわからない物を口にして、腹を下したりしていたが、何とかここまで生きている。
そして、最後の記憶は――
「黒鬼虎に襲われて、女の子と、狼……ってあれ幻じゃなく銀狼だったのか? 人間と一緒に?」
フィフジャの知っている常識では考えられないことだった。
銀狼は、人間になつくことのない魔獣と聞く。主にこのズァムナ大森林と、北西のユエフェン大陸の北方テムの深い森と呼ばれる森林地帯に生息しているとか。
森深くに住むので進んで人間や家畜を襲うわけではないが、縄張りに侵入したものには容赦はしない。
過去にその子供をさらって飼いならそうとした者もいたそうだが、結局慣れることはなく失敗に終わったと聞く。
それが、子供と一緒に黒鬼虎と戦っていたというのは、簡単に信じられることではない。
『ウォンッ』
「っどわぁぁっ!?」
不意打ち気味に声を掛けられ、腰砕けに転んで後ずさった。無様な姿。
長く眠っていたせいなのか、バランス感覚がおかしくなっていたこともある。
人間になつかないと言われる銀狼にすぐ後ろから吠えられたのだから、フィフジャでなくても恐怖も感じるだろう。
尻餅をついて、手足をばたばたしながら後ろに下がると、黒鬼虎の皮が吊るされた壁にぶつかった。
「う、おぁ……」
『クウ?』
怯えるフィフジャを、不思議そうに首をかしげて見守る銀狼。
その茶色の瞳に敵意は感じられない。大丈夫? と心配しているようだ。
起き掛けに転がった際にぶつかったのもこの銀狼だ。怒っていないのだろうか。
「
「わっ!」
がらっと扉が……ガラスがはまった金属の扉が開けられて、声を掛けられた。
(って、
改めてその場所の特異性に気がつかされて、声を掛けてきた存在のことを一瞬忘れてしまう。
「……
目の前でぱたぱたと手を振られ、はっと気がつく。
「あ、あっ、あのときの、女の子……」
「……」
困ったような顔をする少女。年の頃は十歳は過ぎているだろう。
フィフジャの胸くらいの背丈で、黒髪を後ろで束ねた深いブラウンの瞳の少女。
非常に整った顔立ちで、気品があるとは言わないが、どこか大人びた知的な印象を受ける。
そこらの学のない村娘という雰囲気ではない。衣服も、かなり変わっているが、ぼろきれなどではなくきちんと縫製されたものだった。
服の色も赤く染められていて、不思議な記号が編みこまれている。貧乏人に購入できるような服ではない。
一般庶民が着るような服は、縫製が荒く、染色などされていない白から茶色のくすんだ色の布地のものだ。柄入りなど有り得ない。
「
少女の言葉が、フィフジャには理解できない。全く知らない言語だ。
おそらく少女にとってもそうなのだろう。意思疎通が困難で困惑する。
(大森林の奥地で、こんな高い技術で作られた家に住んでる人たちがいるなんて……)
人類未踏の地のはずだったのに、どういうことなのだろう。
遥か神話の、超魔導文明の生き残りの集落だったりするのだろうか。そんな夢物語が実在するのか。
「ええっと、あの……助けられたんだよな、多分。これは、君たちが?」
とりあえず身振りで黒鬼虎の毛皮を指差してから、その女の子を指し示して、首を横に傾ける。
「
身振り手振りでわかったのか、首を横に振る。
どうやら肯定、否定の示し方は同じのようだったとフィフジャは安心する。
「ああ、そうだよね。いくらなんでも子供がこんなの仕留められるはずがないか」
フィフジャが気を失った後に、集落の戦士か誰かが来て仕留めてくれたのだろう。
だが命を助けられたことには変わらない。
「何にしても、ありがとう。本当にありがとう」
深く頭を下げる。
少女はにっこり笑って頷いた。
そして、先ほどフィフジャの様子を窺っていた銀狼を手招きして、ぽんぽんと頭を撫でる。
「ああ、そうか。お前が俺を見つけてくれて、助けてくれたんだな。ありがとう」
最初に救援に来てくれたのはこの銀狼だったのだ。
命の恩人――恩狼になる。
「GUREI」
「……グ、レイ?」
頷く少女は、銀狼を撫でてもう一度、同じ言葉を発する。
「そうか、グレイっていうのか。ありがとう、グレイ」
しゃがみこんで、銀狼に礼を言う。
言葉は通じないかもしれないが、気持ちは通じるだろう。
銀狼は軽く喉を鳴らしてフィフジャに応えた。
「
フィフジャには少女の言葉がわからない。
だが、指を指されてから、少女が鼻をつまんで手を顔の前で振れば、いくらなんでもわかる。
臭い。
それはそうだろう。何十日も森を彷徨っていたのだ。
途中、ちょっとお漏らしもしたままだったし。ちょっとだけだけれど。
「
開いた手の平を突き出される。そのまま静止。待て、というのか。
フィフジャは自分の足元を指差し、
「ここに、いればいいの?」
「SOU」
頷いて、少女はぱたぱたとどこかへ走り去る。
グレイがその後を追いかけようとして、何事か言われて戻ってくる。見張っていろ、とでも言われたのだろう。
しかし最後の言葉はだいたいわかった。
「たぶん、肯定って意味なんだよな。きっと」
◆ ◇ ◆
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