第7話 忍法逢引きの術
「さて。
手を引いて地上に出るなり、船守は咳ばらいをひとつ。話を切り出した。
「今回の目的は、K様に街の地形を覚えてもらうことです。逃げるにせよ追うにせよ構えるにせよ、地の利は生死と勝敗に直結しますからね」
道理である。
なるほどそれは、あれこれと口頭で説明されるより、こうして実際に歩き回って覚えるほうがいいだろう。
というか、口頭で理解できる気がしない。
足で歩いて目で見て聞いて、それでも覚えられるかというと怪しいレベルだ。
「もちろんすぐに全てを完璧に覚えていただくのは難しいかと思いますので……少しずつ、記憶の取っ掛かりにでもなれば幸いというところです」
「まぁ、そうだね。完全に初見で逃げ回るぐらいなら、一度ぐらいはあちこち見て回っておいた方がまだマシだろうし」
「ええ、はい。気を持たせるようなことを言ってしまったことは、お詫びいたしますね?」
「…………いや別に、気にしちゃいないけど」
謝罪の言葉こそ口にしているものの、船守の表情は明らかに草也をからかっていた。
以前にも言った気がするが、草也は彼女いない歴=年齢である。
二十年余りの人生を、特に恋人を作るでもなくのんびりと過ごしてきた。
である以上、同年代の女子と二人きりで街を歩くというのはほとんど初めてのことであり――――冗談とはいえ、“デート”などと言われてしまえば意識してしまうのは哀しい道理だった。
それを認めるのもなんだか悔しいような恥ずかしいような――まぁそれも全て手遅れなのは明白だったが――そんな気がして、強がりをする。
「青田買いではありませんが、私はK様を引き取り育てることで、効率的に利用しようとする立場ですから。あまり勘繰らなくても大丈夫ですよ」
「勘繰られるようなこと言うのはキミなんだけどね」
考えの読めない女であった。
思わせ振りな態度でからかい、いくらかの秘密を持ち、かと思えば、明け透けに企みを話す女。
どうにもとらえどころがなく、率直に言えば、草成はこの船守という人物についてよくわからないままでいる。
――――忍者ってぇのは“秘密”を扱う連中で、忍者同士の戦いってぇのはつまり“秘密の奪い合い”だ――――
先程の五右衛門の言葉が脳裏をよぎった。
彼女には秘密があり、彼女は秘密を扱うことに長けている。忍者であるが故に。
ならばそれを見極めることは、草也と船守の戦いなのだろう。
なんにせよ、浮わついた心が事務的な緊張感に塗りかわっていく。
デートではなく必要な訓練ということであれば、ドギマギすることもない。正直少しほっとした。
「それと、どこに敵の目があるかもわかりませんので、K様には一般人を装うことにも慣れていただきます」
「装うもなにも、僕は一般人だよ?」
「元、と頭につける必要がございますでしょう? 平たく言えば、演技力をつけていただくということです」
演技力。
……あまりピンとこない言葉ではあるが、要は“隠し事をする練習”とか“嘘をつく練習”とか、そういったニュアンスだろう。
「それはいいけど、慣れるってどうやって……」
「ふふ。こうして、です」
するり、滑り込むように。
船守の腕が草成の左腕に絡み付き、強く、しかし柔らかく身体を密着させる。
しなだれかかるように抱きつき、細くしなやかな指は指と指を組み合わせるように草成の手を遠慮がちに握りしめた。
「――――――――。」
思考が止まる。
否、渦を巻く。
柔らか――――ほそっ 軽――なんで 手ぇちっちゃ――ひんやりして いやあたたかいような――いいにおいする なんで 恋人繋ぎ――ほっそ――なに――――手袋手触りいい これもしかして胸押し付けられてる わかんねぇ なんで 甘い香り――――
「
設定こまかい。
思考能力が落ちている。
理解が追い付いていない。
爪先を立てて耳元まで唇を近付けた船守が、その息がかかるような距離でそっと囁く。
「よしなにお願いしますね――――お・ま・え・さ・ま♡」
「ごふっ」
草也は死んだ。
「おや。やり過ぎてしまいましたか」
「………………最近の女子大生は“おまえ様”って言わないと思います……………」
「ふふっ。勉強になりますわ、だぁりん?」
「ダーリンも言わないよハニー……!!」
心臓が破裂するかと思った。
というか、しそうであった。なんならしたんじゃないかと思う。
耳まで赤い自分のことは、できるだけ客観視しないようにした。
――――本当に、恐ろしい忍者である。
バクバクと激しく鳴らす心臓の警鐘が、この女は危険であると告げていた。
船守はくつくつと笑いながら、そっとを身体を離した。恋人繋ぎに絡めた手だけは密着させたままで。
「それでは参りましょう。女の色香、そろそろ慣れておかなくてはいけませんよ?」
「段階を踏んでくれると助かるよ……!!」
◆ ◆ ◆
わかり切っていたことを、あえて言おう。
――――――――それは、地獄のような天国だった。
「K様、あちらのビルは非常階段を利用することで容易に反対側に抜けられて……」
「うん。わかった。わかったんですがちょっと近くないですか船守さん?」
「恋人ですもの。それと呼び捨てで結構ですよ、K様。私は今、ふつつかながら貴方の女なのですから……ね?」
「船守さん。船守さん? 加減っていうかさ。わかる?」
「きゃあ冷たい風が」
「明らかに面白がりながら身体を密着させるのはやめませんか船守さん!?」
喉から心臓が飛び出てしまうそうなぐらいに、鼓動が高鳴っている――――そのことを、当然密着している船守は気付いているのだろう。地獄である。
悪魔は天使の顔をしてやってくるとは言うが、もはや悪魔どころか死神を相手にしているような気分だった。
「この通りはあそこのビルから丸見えですので、狙撃や監視に十分用心して……ああ、抜けたところでクレープのお店がありますので、買って行きましょうか。なにを召し上がられます?」
「財布を完全にそっちが握ってるのが彼氏役としては心苦しいところだな……じゃあカスタードクリーム」
「では私はあずきいちごクリームを。……あらK様、口元にクリームがついていますよ」
「顔が近い!! まさか舐めとろうとしてる!? 嘘だよね!?」
「ふふっ、冗談です。そうそう、せっかくですし、クレープをひと口ずつ交換しませんか?」
「ごふっ」
なんというかこの女、“押さえている”のだ。基本を。王道を!
女慣れしていない哀しい男どもがなんとなく憧れを抱く、漫画のようなシチュエーションへの理解があるのだ!
これがとにかく強い。絶対に強い。
恐るべきは忍者。
男を色香にて惑わす手練手管である。
「変装用に服を買いましょう」
「嫌な予感がすごくする」
「こちらなどどうでしょう?」
立ち寄った服屋。
更衣室のカーテンを開いた船守の姿は、大胆に肩をさらけ出したオフショルダーのセーターにデニムのスキニーパンツの組み合わせ。
深い緑のセーターと、白く透き通るような肩やうなじの対比に絶妙な色気があった。
元々船守はスレンダーかつ女性にしては背が高い方なこともあり、こういったファッションが良く似合う。
シンプルさ故に活動的な印象もあり、しなやかな猫のような美しさが――――という感想を、まさかそのまま告げられるはずもなく。
「………………ヨクオニアイデス」
「まぁぎこちない。あまり似合いませんでしたか?」
「……わかってて聞いてるだろキミさぁ。本当によく似合ってるよ……」
「ふふ、ありがとうございます。では次を」
「やっぱ次もあるんだ……」
カーテンが閉まる。
中から聞こえる衣擦れの音。
もどかしさと気恥ずかしさが同時に去来し、しかし逃げ出すわけにもいかないので心を無にする他はない。お経とか覚えた方がいいかもしれない。
しばらくそうしていると、カーテンが開く。
「ではこちらなどは」
出てきたのはいわゆるチャイナドレスを着た船守である。
大きく開いたスリットから、すらりと伸びるおみ足が眩しい――――
「いや普通服屋にそんなコテコテのチャイナドレス無くない!?」
「あったので仕方がないでしょう。で、感想をいただいても?」
「セクシーで素敵だと思いますぅ……」
もはやヤケクソである。
「こちらいかがでございましょう、旦那様?」
「だからメイド服はおかしいだろ! コスプレ屋かここは!! 清楚な印象でよくお似合いだと思います!!!」
ロングスカートを翻してカーテシーするメイドを乗り越え、
「それではひと勝負、いかがでしょう……なんて。ふふっ」
「バニーガール……!? それはもう純度100%コスプレだろ……!! あっちょっ待った待ったそれで前かがみになるのはマジでヤバいって!!!」
薄すぎる胸を覆うにはあまりに頼りないバニースーツと網タイツの魔力を退け、
「お抜きなさい。どちらが早いかの勝負という奴です」
「カウガール!!! キミ男装とかボーイッシュ系の服すごい似合うけどちょっとおなかと足が出過ぎだと思います!!!!」
荒野の流儀を感じさせる、アメリカンなカウガールを避け、
「こちら来年に向けての新作だそうで……」
「ビキニ水着……ッ!! なんかバニーとかの後だとこれは普通の服にカウントしていい気がしているけど絶対感覚の麻痺だな……とりあえず船守さんはもう少しシックな柄が似合うと思うよ……」
大胆に柔肌を晒す紅色のビキニを追い返し、
「バッター、代わりまして私です」
「ユニフォームはともかくさぁ!!!! バットとヘルメットがあるのは流石に服屋の次元超え過ぎじゃないかなぁ!!!!!」
妙に堂に入ったフォームでバットを構えるスポーティなユニフォーム姿を後にすれば、
「ふふ……申し訳ございません。K様が気持ちよく反応してくださるもので、つい」
「僕か? 僕の方に問題があるのか? そう言われるとそんな気もしてきたな……」
ようやく船守のファッションショーは終わり、いくつか見繕った服を買って店を出る運びとなった。
なんだったんだろうこの店は。
いくらなんでもコスプレが充実し過ぎである。謎は深い。
服の入った買い物袋がずり落ちないよう肩にかけ直しつつ、逆側の手をやはり恋人繋ぎにしている船守を見やる。
「…………ちなみになんだけど、まさかバニースーツとかカウガール衣装とか買ってないよね?」
「ふふ」
「いや“ふふ”じゃないんだよ。買ってないよね? ……………買ってないよね!?」
「ふふっ、冗談ですよ、冗談。変装用ですから。K様の分もいくらか買っておきましたので、帰ったら確認しておいてくださいましね」
……自由にできる金を持っていないので仕方ないのだが、衣食住の世話を完全に任せているのはいささか心苦しいものがあった。
「……えっ待って。僕の服のサイズいつ測ったの?」
「ふふ」
「“ふふ”じゃないんだよ。えっほんとにいつ!? ちょっと怖いんだけど!?」
「正直に白状すれば、最初にK様を押し倒した時におよその寸法は……糸使いとして得た副産物的な技能、というところでしょうか。目測も含みますけれど」
「忍者ってすげぇ」
そんな会話をしながら、最後にやって来たのは小高い丘の上の公園だった。
街を一望できる場所で、子供や休憩中の作業員などが思い思いにくつろいでいる。
憩いの場のひとつなのだろう。
きゃあきゃあと笑いながら駆けまわる子供たち。それを見守る母親。
犬の散歩をする老人がいて、ベンチで談笑する男たちがいる。
傾き始めた太陽が強い西日を投げ込んでいたけれど、それでも穏やかさを感じさせる、平和な光景だった。
草也たちもベンチのひとつに腰を掛け、ひと休み。
「さて、この後は帰るだけですが……いかがでしたか? 街を見て回った感想は?」
「正直疲れた。……主にキミのせいだぞ、これ」
「ふふふ、つい」
「勘弁してくれ……」
正直ものすごく疲れている。
ベンチに腰掛けた時、ドッと疲れが肩にのしかかったような感覚があったほどである。
「……面白かったのは、あれかな。結界の限界のとこ。いや、面白がっていいもんじゃないんだろうけど」
そんな草也が挙げたのは、途中立ち寄った“この街を包む結界の端”である。
以前説明があった通り、この奈落忍法道はニンジャイーターによって結界が張られている。
というより、ニンジャイーターが張った結界によって奈落忍法道が生成・成立していると言うべきか。
異界より忍者を呼び、この世界に閉じ込める結界。街ひとつが結界の中に収まっている、という話だった。
そして街を歩く中で、その“結界の果て”に実際に行ってみたのだ。
面白い仕組みだった。
なんの変哲もない橋の上を渡ろうとすると、見えない壁に阻まれて先に進めないのである。人目が無いことを確認してから軽く風弾を放ってみたが、これも見えない壁に阻まれて霧散した。
かと思えば、鳥や猫、道行く一般人は、問題なく橋の上を通っていくのである。
――――この結界は、忍者とそれに纏わるものだけを閉じ込めている――――
船守が説明することには、そういうことであるらしかった。
面白いのは、結界の外には忍者の出す音や姿そのものも届かないらしく(音や所作による催眠など、ほういった忍法もあるので当然ではある)、結界を越えていった一般人が、その瞬間草成たちの姿が消えたことに驚くのである。
驚くのだが――――不自然なほどすぐにその驚きを忘れ、そのまま去っていくのである。
これも結界の力なのだと、船守は言う。
街の人々から、そして街から外へと出ていく、“忍者に対する違和感や恐怖”を忘れさせる力。厳密に言えば、忍者の方から違和感を与える能力を剥奪しているらしいが。
噛み砕いて言えば、一般人は忍者のことを覚えていられないのだ。
だから、例えばカエルのレンブラントのような異形忍者がそのまま出歩いたとしても、その場では多少の騒ぎになるが……すぐに忘れる。“なにか恐ろしいことがあった”というぼんやりした記憶だけが残り、興味を失っていく。街の外に助けを求めても信じてもらえることはないし、写真を撮ってSNSに乗せても、それがおかしな画像であると思われることはなくネットの海に沈んでいく。
そういう、人の認識を歪める力がこの結界にはある。
無論、目立つ格好や行動で騒ぎを起こせば他の忍者――――主にニンジャイーターに見つかってしまうので、忍者たちも基本は隠れ潜んで生きているのだが。
「つくづくここが……なんていうのかな。不思議な世界なんだなって思ったよ」
「……そうですね」
船守は少し、遠い目をした。
「狂っているんです。この街は……なにもかも」
その視線と言い方が、なんだかとても――哀しそうに見えて。
咄嗟になにか声をかけようとして。
その瞬間には、するりと彼女は離れていく。
一歩、二歩、跳ねる兎のように歩いて、転落防止用の鉄柵に手を乗せながら、流し目に微笑んでこう言うのだ。
「――――――――と、このように
「…………だから、恋人をダーリンって呼ぶのはそんなに一般的じゃないよ。多分」
朱く染まり始めた夕日を背にして微笑む彼女の姿が眩しいのは、きっと西日が強いせい。
そう自分に言い聞かせながら、くつくつと笑う彼女を前に押し黙る。
…………正直に言えば。
気になることが、あった。
思うところがある。
思い当たることだってあるのだ。
けれど、それを口にするべきかどうか、少し迷う。
少し迷って――――彼女の
だから草也は、少しだけ遠慮がちに口を開いた。
「……なぁ、船守さん。今からちょっと、変なこと言うんだけどさ」
「はて。なんでしょうか?」
「君と会ってから、ずっと……って言うと流石に語弊があるか。まぁ、ちょこちょこと感じていたことなんだけど」
長い前置きは、逃げの姿勢のあらわれか。
覚悟を決めろ、風間草也。
ここまで言いかけてやっぱりやめた、は通らない。
それはあまりに、礼を失する行為に思えた。
意を決する。
この考えが、てんで見当違いのでたらめなものなのではないか――――そのくだらない思考を否定する。
意を決して、言うのだ。
「もしかしてなんだけど――――船守さん、僕に逃げて欲しがってる?」
問うてみれば、一瞬。
船守は僅かに驚愕の表情を見せ、けれどすぐに意味深な微笑みを取り戻す。
「……それは、どうしてそのようなことを?」
「いやこう、逃げて欲しがってるってのは、ちょっと違うかもなんだけどさ」
また、言い訳を探している。
意志の弱い自分が恥ずかしかった。
「……信用できない女、みたいなの。演出してるよね? なにかにつけてからかってくるのは、なにか裏がある危険な奴だと思わせるため? その癖僕のことを利用してるだけだって何度も明言してるのは、
船守は、少し困ったように眉根を寄せて笑っていた。
「……それこそ、私はK様を利用している立場です。逃げて欲しいなどと……それで私になんの利があるのでございましょう? 思い過ごしですよ」
「利は無いと思う。でも君は……誠実な人だ。少なくとも、僕はそう感じている」
「そう感じるように誘導されているとは思わないのですか?」
「君が本当に不実な人間なら、勘違いを正さずに誠実な人間だと思わせておくはずだ。……今ので確信できた。船守さん。君は、僕を巻き込みたくないんだな?」
「…………巻き込むもなにも。もう巻き込んだ後だということは、最初に言った通りでしょうに」
「だからこそ、だ。まだ取り返しがつくんじゃないかと、君は考えている。違うかい」
ここでようやく、草也は真っすぐに船守と視線を交わすことができた。
真っすぐに、彼女の瞳を見つめることができた。
……視線を逸らしたのは、船守の方だった。目を伏せる。
「――――――――半分正解、としておきましょう。女性の内心をあれこれと推測して決めつけるのは、野暮で済む話ではありませんよ」
「それは……悪いとは思ってるけども」
「利用しているのは本当です。ニンジャイーターとの戦いに向けて、少しでも戦力が欲しいという気持ちに嘘はありません。K様が協力してくださるなら、助かるとは思っています。けれど」
そこで一度言葉を切ってから、彼女は街並みへと視線を向けた。
どこにでもあるような街並み。
けれどこの平凡な街並みには、忍者が潜んでいる。
それを眺める船守は、ここで初めて、強い怒りの感情を滲ませた。
ぎり、と歯を食いしばる音。唇を噛む音。
「……ニンジャイーターは、本当に……恐ろしい敵であり、鬼畜外道の類であり。あんなもの、関わり合いにならない方がいいのです。本当は」
……それは多分、彼女の本心だった。
これまでの言葉が嘘だった、というわけではなく。
彼女の根っこ、最も芯に存在する感情の、発露。
悔いるような、憎悪するような、嘆き悲しむような、そんな表情で。
「ええ。……ええ。認めましょう。貴方様が逃げ出すならその方がいいと、私は思っています。K様には、選択の余地すらなかったのですもの。今からでも、選択の余地を見出せるのならその方がいいに決まっています」
「……やっぱり。優しいんだな、君は」
「自分勝手なだけですよ。私もまた、外道の末席なのですから」
船守は大きく嘆息すると、天を仰いだ。
同時に、夕方五時のチャイムが鳴り響く。
子供たちに帰宅を促す音楽。気付けば公園からは、徐々に人がいなくなり始めていた。
「はぁ……しくじりました。K様を侮っていた私の落ち度ですね、これは」
「いや、それは……」
「違うのです。……私はK様が思っているほど、誠実な女などではありませんよ」
がぁ、がぁ、カラスが鳴いている。
沈む夕日が世界を緋色に染め上げ、夜へと向かう一時の芸術を描き出す。
船守は鉄柵から離れると、草也とすれ違うように歩いて行った。
「――――狙われ、追われている立場だというのに、堂々と出歩きすぎだとは思いませんでしたか?」
振り返る。
何かがおかしい。
特有の緊張感。
「餌でした。今日の私も、K様も。
「…………………ということは、まさか」
「はい。ええ。お覚悟を。私が時を稼ぎますので――――K様は先にお逃げになってください。大丈夫ですよ。逃げるだけならどうとでもなりますから……できれば、服は持ち帰ってくださいましね?」
口紅を差した唇が、そっと微笑を描いた。
不敵で、けれどどこか儚げな微笑を。
ざわざわと、空気がざわめいている。
いつの間にか、公園から人はいなくなっていた。
違和感。
緊張感。
なにか――――なにかが、来る――――――――
「――――――――――――――――死の覚悟を決めるがいい、船守ッ!!!!」
轟音。
二人の前方になにかが着地――否、
上がる砂煙。
吹き荒れる風。
草也は反射的に構えた。
船守はじっと、砂煙の中心を睨んでいた。
「……ようやくの御登場ですか。女性を待たせる殿方は好かれませんよ?」
「フンッ! くだらん冗談はよせ……これより貴様はこの俺に倒され、ニンジャイーター様に献上される。それだけのことよ」
砂煙が晴れていく。
中心にいたのは――――外骨格に身を包んだ、異形の忍者。
草也は彼のことを知っている。
見たことはない。初見である。
けれど聞いたことはある。他ならぬ、船守の口から。
間違いはあるまい。
あの見た目は、そうでしかあるまい。
黒塗りの外骨格。
兜の前立てを思わせる立派な一本角。
鋭いカギ爪。
その手に握る大仰な大戦斧。
ギロリと見据える白い眼光。
食い縛るような乱杭歯。
胸の前で組んだ、もう一対の腕。
「……悪いけど、僕は逃げないよ」
「…………彼は並の敵ではありませんよ。意地を張っている場合では……」
「それでも。……君は前に、あいつに負けてるんだろ。少しは役に立てるはずだ」
草也も一歩、前に出る。
同時に、意識を切り替える――――鬼の仮面を、被るように。
忍者装束を生成し、仮面越しに正面を見据えた。
「……困ったお人」
呆れたように嘆息してから、船守もまた。
衣服を勢いよく脱ぎ捨てれば、下には既にいつもの忍者装束を着こんでいる。
その指に絡まっているのは、黒く細い糸。
ピンと張ったそれを、彼女は構えた。
「知っているぞ、小僧……船守に与する新手の忍者だな。愚か者め……ニンジャイーター様に歯向かうことの意味を、貴様は今からその身で知ることになる」
立ち向かうは昆虫――――否、
「覚悟するがいい。貴様らはこの俺――――アシュラ・リッキー様に倒される運命にあるのだ!!!」
――――処刑忍アシュラ・リッキー、参上――――――――!!
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