第6話 エンター・ザ・ダンジョン

「……K様、落ち着きましたか?」

「と、とりあえず……」


 草也が平静を取り戻すまで、いくらかの時間を要した。

 落ち着いて、もう一度店内を見渡す。

 どことなく寂れた雰囲気のバーだ。

 カウンター席とテーブル席とがあって、壁には様々な張り紙がところせましと並んでいる。

 そしてカウンター席には伊達男と人間大の二足歩行カエルが座っており、カウンターの向こうには屈強な全裸の男(黒頭巾のみ着用)が堂々と腕を組んで立っている。


「いやキツいな……」

「失礼な奴だな」

「店長、店長、世論はあっちの味方ッス」


 よかった。

 全裸で接客する屈強な忍者は忍者的な常識からしてもおかしいらしい。

 突然変異で忍者になった二足歩行のカエルは、まぁまだそういうものとして飲み込めるのだが、全裸の店長は視覚的な破壊力が高かった。なんで頭巾だけはちゃんとつけてるんだよ。

 裸の忍者――マーリンは、しかし流石に慣れっこなのだろう。言葉の割りにはさして気にした風でもなく、粛々と接客を行っている。無愛想な店主である。


「……なんで全裸なのか聞かせてもらっても……?」

「忍者に秘密を尋ねるのは愚行だぞ、小僧。……まぁいい、新規顧客には甘い顔をしておくものだからな」


 頼む理解できる理由であってくれ。

 草也は淡すぎる祈りを捧げた。


「服を着ていないほうが強いからだ。これ以上詳しく知りたければ金を払うがいい」

「金払って全裸の秘密聞くのメチャクチャ嫌だな」


 当然だが全然理解できなかった。

 せめて宗教的な理由とかであってほしかった。


「船守さん……これが“法則ルール”が違うってことなのか……!?」

「やや極まった例ではありますが、まぁ、概ね」

「ゲロッパ! あんま気にすんな! 考えすぎると脳が冬眠しちまうぜ!」

「僕は結構キミのことでも困惑してるんだけどね! レンブラントだっけ?」

「ア・イェー! おいら若き突然変異忍者カエルティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・フロッグのレンブラント様さ!」


 陽気だ。

 レンブラントはおどけたように笑って、チーズたっぷりのピザを頬張った。

 好物らしい。お供はコーラだ。ゴキゲンである。


「あ、ボクはシノ子ッス! 店長はこんなんッスけど、お店としてはちゃんとしてるので今後ともご贔屓にお願いするッス!」


 ぺこりと頭を下げたのは、おかっぱ頭に狐の面を乗せた中学生ぐらいの少女。

 どうもこの少女はこの店の従業員であるらしく、ぱたぱたと店内を駆けまわっている。

 ……客は草也と船守を足しても四人しかいないのだが、なにをそんなにせわしなくしているのかはよくわからない。

 というか従業員、中学生ぐらいのシノ子と小学生ぐらいのサルトビの二名なわけだが、大丈夫なのだろうかこの店は。仮にも酒類を提供するバーに見えるのだが。


「……というか、ここはそもそも何の店なんだい?」


 忍者が経営するバー。

 ……というだけの店では、まぁあるまい。

 なんとなくの予想はつくが、それでも一応、草也は尋ねてみた。

 直近で異常な体験をし過ぎて、なんとなくの予想を信じられなくなった憐れな生き物である。

 マーリンは腕を組み、静かに答えた。


「…………かつて、俺は冒険者だった」


 あっこれ長い奴だ。

 自分で振った手前、止めるわけにもいかない。草也は観念して聞きの姿勢に入る。

 屈強な全裸の男が腕組みをして自分語りを始めるのは凄まじい存在感があった。


「悪の魔法使いエクセルナが生み出した恐るべき迷宮の探索……数多の苦難を乗り越えた果て、俺は仲間と共にエクセルナを討ち倒し、奴が王より奪ったアミュレットを地上へと持ち帰り……俺は無限とも思える名声と財産を手にした」


 話を腰を折るのも悪いので、口をはさむことはしなかったが。

 この時点で、草也は相当な衝撃を受けていた。

 察するにマーリンは、ゲームのようなファンタジーの世界から来ているのだ!

 悪の魔法使いという言葉も、迷宮ダンジョンという言葉も、現代社会ではまず出てこない要素だ。

 特撮の怪人もいるのだから、ファンタジーの冒険者もいる……言われてみれば納得はできるが、中々に衝撃的な話である。

 そう考えれば、彼が全裸である理由も――――……………いや特に理解はできなかったが。この方が強いというのは、嘘ではないのだろう。多分。


「その後この世界に閉じ込められたわけだが……俺には夢があってな。心残り、というべきかもしれんが」

「心残り?」

「そうだ。俺が迷宮を潜っている時、法外な鑑定料で俺たちを苦しめてきた憎きフルダンク商店の横暴を俺は決して忘れなかった……鑑定料が売却額と同価格だと……!? どういう計算でそんな商売が成り立つのだ……!」


 マーリンはダンとカウンターを叩き拳を震わせた。

 どうも彼の世界では悪徳商人が幅を利かせていたらしい。

 いつものことなのか、常連や店員たちはマーリンの怒りを特に気にした様子もない。


「まぁ鑑定役の司教を酒場で待機させて鑑定させていたので奴の世話になることはほぼ無かったのだが……」

「じゃあいいじゃん」

「そのひと手間を億劫に感じる度、奴がそもそも格安で鑑定をしていれば済んだ話だと怒りが募るのだ!!!」

「ゴ、ゴメンナサイ」


 お怒りである。

 よほどフルダンク商店とやらの所業が腹に据えかねていたらしい。

 屈強な全裸の男が吠えると威圧感がすさまじかった。


「この世界にやって来た俺の手元には、元の世界で蓄えた莫大な財産があった……そこで俺は考えたのだ。今度は俺が店を開き、搾取する立場になってやろう、とな!」

「うわっ。性格が悪い人の発想……!」

「如何にも俺の性格アライメントは“悪”だ。そうして開いたのがこの『マーリン商店』。情報であれ物品であれ、なんであれ売り買いしてやろう。いささか割高だが命には代えられまい! ニンジャイーターに与する忍者を討伐すれば褒賞金も用意しているのでキリキリ命を懸けるがいい!」

「店長殿はこう言っているでござるが、そこまで法外に吹っ掛けたりはあまりしないので安心するでござるよ」

「足元は見まくるッスけどね」


 屈折した夢を叶えた男の姿であった。

 ともあれ理由については呆れる他ないが、ひとまずこの店についてはおよそ理解できた。

 RPGなどに出てくる、“冒険者の酒場”とか、そういう概念なわけだ。

 草也もその辺りは現代っ子、そう言われればストンと納得できた。

 が、納得できないこともひとつ。


「……いや待て。この世界の忍者は、ニンジャイーターに狙われてるんだよね?」

「そうだな」

「じゃあこんな露骨に拠点構えてたら襲われるんじゃないか……?」


 この世界はニンジャイーターの餌場であり、全ての忍者はニンジャイーターに命を狙われている。

 そういう話だったはずで、そうなると三人の忍者が働き、忍者を相手に商売をするこの店は、食べ放題のバイキングのようなもの。例えば今ここに襲撃があれば七人の忍者が同時に襲える計算になる。入れ食いだ。


「実際何度か襲撃を受けているな。その度に移転している。これは五店舗目だ」

「四回も襲撃受けてるの!? よく無事だな……」

「俺には魔法の心得があってな。逃げるだけならどうとでもなる」


 魔法!

 風を操る草也が言えたことでもないが、やはり魔法もあるのか。途方もない話である。


「ああじゃあ、むしろ逆に安全だったりするのかここ」

「いや? 俺は従業員パーティメンバー以外を助けるつもりはない。お前たちは自己責任でどうにかしろ。俺は知らん」

「……そりゃ助ける義理も無いか……」


 思わず、草也は常連らしい二人の客を見た。

 自己責任でどうにかしろ、と言われてしまえばそれ自体は仕方のないことではあるが……そのリスクを承知の上で、この二人は常連客・・・をやっているのか?

 視線に気付いたカエルと伊達男は、顔を見合わせて破顔した。


「まっ、おいらはこんなナリだから、他の店じゃピザもコーラも頼めないしな。逃げるだけなら案外どうにかなるもんさ!」

「どうにかならなかったら、そん時ァ辞世の句でも詠んで潔く死んでやらぁな。なぁにどうせいつかはくだばる徒花、人生ちょっと危ねぇぐらいが一番楽しいってなもんよ! なっはっは!」

「わ、割り切ってるなぁ」


 本人たちが納得しているのなら、草也側から特に言うことも無い。

 彼らは恐らく、草也とは比べるべくもない手練れの忍者なのだ。

 いちいち草也が指摘するまでもなく、そして指摘が馬鹿馬鹿しいほどに、覚悟も実力もあるのだろう。

 感心していいやら恥じるべきやら、妙な感覚を覚えていれば、トンとカウンターの上にグラスが置かれる。多分、お茶だ。ウーロン茶とかの。

 なんだろうと思い顔を上げれば、マーリンは顎をしゃくって他方を示す。

 示した方へと視線を動かせば、船守が悪戯げにウィンクひとつ。

 どきりとする間も無く、彼女は軽やかに踵を返した。遠ざかる背中越しに流し目を送ってくる。


「では、K様。私は奥でマーリン様と商いの話をして参りますので、少々お待ちいただければ」

「ああ……そのために来たんだもんね。わかった」

「……五右衛門様。K様はまだこちらに来たばかりなのですから、あまりからかわないようお願い申し上げますね?」

「へいへい、お嬢ちゃんに言われりゃあ仕方ねぇやな」

「任せておくッス! ちゃーんとボクらが目を光らせておくッスよ!」

「うむ。船守うじも、店長殿にいじめられぬようお気をつけてでござる」

「まぁ怖い。ふふっ」

「そこは俺の味方をしろ従業員ども」


 それを捨て台詞に、マーリンと船守は店の奥に消えていった。

 カウンターの裏に別室があり、商談などはそちらで行うらしい。

 ……可憐な美女と屈強な全裸の男が一目につかない空間に連れ立っていく光景に、いささか思うところがないでもなかったが、その辺りは大丈夫だろう。多分。

 そんな一抹の不安の隙間をつくように、伊達男がちょいちょいと指で相席を誘う。

 まぁ、せっかくウーロン茶も出してもらったわけで、断る理由もない。草成は伊達男の隣の席についた。そうするなり伊達男は身を寄せ、囁くような距離で意地の悪い笑み。


「――――お嬢ちゃんが手籠めにされねぇか心配かい?」

「……いやまぁ……」


 図星ではあるが。


「普通心配にならない? あれは……」

「なっはっは! ちげぇねぇや!」

「うちの店長が全裸なのが全部悪いッス。申し訳ないッス……」

「いや、シノ子ちゃんが謝ることじゃないよ……子供に謝らせるの普通に悪辣だなあの店長」

「なっはっはっはっは!!」


 全裸が悪いのである、全裸が。

 ちびちびとウーロン茶に口をつけながら、今度は草也の方から伊達男へと切り出した。気になったことがあるのだ。


「ところでさっき、“五右衛門”って呼ばれてたけど……もしかして」

「お、どこの世界から来たかは知らねェが、流石にご存じかい?」


 伊達男――――“五右衛門”はニィと口角を持ち上げ、サメのように笑った。

 五右衛門。

 その名を持つ忍者となれば、思い浮かぶ忍者はただひとりだ。


「つっても、俺っちぁ末裔であってご本人じゃあねぇけどな。浜の真砂は尽きるとも、ついぞ尽きまじ盗人の種! ひふみと数えて十八代目、当代石川五右衛門でござい!」


 時は安土桃山、関白秀吉の治世。

 伊賀の忍者に教えを乞い、抜け忍となって世を荒らし回った大泥棒。

 義賊とも大悪党とも、まことしやかに語られる天下御免。

 最後は秀吉に引っ捕らえられ、釜茹でになって死んだ伝説の千両役者。

 今も昔も遍く響くその名を問えば――――石川五右衛門!


「……すごいなぁ。本物?」

「よしんば偽物でも、はい偽物ですとは答えねぇやな。信じるも信じねぇもお前さん次第としとこうや」


 カラカラと笑い飛ばし、五右衛門は煙管を吹かす。

 ふぅと吐き出す紫煙が立ち昇り、天井の換気扇へと吸い込まれていくのが見えた。


 ……石川五右衛門は釜茹で刑に処される際、己の子と共に茹でられたと伝説には語られている。

 であれば、茹でられた子とは別に子供がいたのか、あるいはこの子だけはと幼子を持ち上げる大泥棒に情けをかけ、子供の命ばかりは助けられたのか。彼が真実石川五右衛門であるというのなら、そのような筋書きに則っているのだろう。

 そしてそれは、剣と魔法の世界で冒険する全裸の忍者だの、突然変異で忍者になった二足歩行になったカエルだのに比べれば、まったくもって信じやすいことに思えた。

 感覚が麻痺し始めているのかもしれない。

 だとすれば危険な兆候ではある。


「……なんかね。だんだん馴染めてきたと思ってたけど、やっぱまだ全然ビックリするよ。この世界」

「なっはっは! そりゃ修行が足りねぇな、兄ちゃん」

「ゲロッパ! それでも慣れとけよ! 戦いの中でいちいちビックリしてたら、命がいくつあっても足りないぜ!」

「そーそー。特にお前さん、あの船守のお嬢ちゃんと組んでるんだろ? 常在戦場、いつだって戦の心構えをしとかねぇと死んじまうぜェ?」

「やっぱり船守さんってこう、ヤバいの? 立場的に」

「「メチャクチャヤバい」」

「メチャクチャかぁ……」


 念のためちびっこ二人に視線を向けてみれば、シノ子もサルトビも真剣な顔で首を縦に振っている。

 満場一致というからには、残念ながら疑いようは無いのだろう。


「何が理由かは知らないけど、フナモリはニンジャイーターに狙われてるからなぁ」

「でも、ニンジャイーターに狙われてるのはこの世界の忍者なら誰でもそうなんだろ?」

「だからこそ、ってな。みんな狙われてるからこそ、奴らに特別狙われること・・・・・・・・の意味も重くなるもんだ。好きこのんであれに狙われたがる奴はそうそういねぇや」

「さっきは“人生ちょっと危ないぐらいが一番楽しい”って……」

「頭に“手前てめぇで選んだ人生なら”と注釈をつけといてくれ。よく知りもしねぇ他人の事情に首突っ込んでおっ死ぬのはゴメンだぜ、俺っちはよ」

「それは……まぁ、そうか……そうだよな」


 冷たい言いぐさだ。

 が、道理ではある。

 草成も、船守がニンジャイーターの重大な秘密を抱えている……という以上のことはなにも知らない。

 それが命を懸けてまで守るべき秘密かどうかなど、ニンジャイーターと船守にしかわからないのだ。

 五右衛門はぐいと身を乗りだし、神妙な顔つきで続けた。


「……お前さん、Kっつったか。どうも本当にまるっきり素人みたいだから、ひとつふたつ忠告しておいてやる」


 視線に鋭いものが混じる。

 自然、草也の背筋が僅かに伸びた。


「お前さんも、ここにいる以上は忍者なんだろ? ――――なら、他人を信じるな。忍者はそう簡単に他人を信じたりはしねぇ」

「…………それは」

「まぁ聞け。あれこれ不可思議な世界から忍者が集まって来ちゃいるが、忍者ってぇのは“秘密”を扱う連中で、忍者同士の戦いってぇのはつまり“秘密の奪い合い”だ。……例外もいるがね。このレンブラントですら、普段は人目につかないとこで隠れ潜んで生きてる。居場所と生活を“秘密”にして生きてるってこった」


 レンブラントが、ゴム状の皮膚に覆われた四本指の手をひらひらと振ってアピールする。

 陽気なカエルのミュータントだが、彼もまた忍者なのだ。

 都市の闇に隠れ潜み、人知れず生きている。影の生き物。


「忍者同士が関わる時は、お互いの“秘密”を探り合うのが常だ。相手が敵か味方か、敵ならどんな技を使うどんな奴なのか。ニコニコ笑う腹の内で、なに考えてるのかわかりゃしねぇからな。俺っちもそうだし、お前さんにしてもそう。俺っちもお前さんを疑ってるし、信用しちゃいねぇ。今話してんのは……ま、お節介と思ってくれても構わねぇし、なにか裏があると思ってくれても構わねぇ。その判断は手前てめぇでつけな」


 どこかぶっきらぼうにそう告げると、五右衛門は煙管に口を付けた。

 たっぷりと吸い込んだ紫煙を、長く、長く吐き出す。

 それは立ち込める霧のように周囲を白く染め、しかしすぐに薄く消えて行った。


「……俺っちはお前さんがどういう理由でお嬢ちゃんと一緒にいるのかは知らねぇし、今ここで聞くつもりもねぇ。だがもしも、俺っちが気さくな色男だからって、手を貸してくれるんじゃねぇかと期待するのはやめときな。俺っちも、馬鹿正直に徒党組んで下手こくのはもう御免なんだわ」

「…………前にもそういうことがあった、みたいに聞こえるけど」

「前になー。ここに呼ばれた忍者たちで協力して、ニンジャイーターを倒そう! って計画があったんだぜ。おいらも参加してた! ゴエモンも!」

「ボクたちも参加してたッス!」

「諸悪の根源がニンジャイーターである、というのは自明でござったからな。忍者大同盟の話が自然と持ち上がったのでござるよ」


 忍者大同盟。

 どこか懐かしむような彼らの語り口から想像される光景は、見た目も文化も異なる忍者たちが並び立つ異様な空間だ。

 なるほど帰還の方法はともかくとして、明確に敵であり脅威であるニンジャイーターを倒そうという話にはなってしかるべきだろう。

 事情を理解した忍者たちが大同盟を組もうとするのは、自然な流れに思えた。

 ……だが。


「……でも、瓦解しちゃったんだよね? ニンジャイーターは生きてるし、みんなバラバラに行動してるってことはさ」

「そーなんだよ。裏切り者が混ざってたんだ! ゲロッパ!」

「内通者の暗躍で大同盟は無事瓦解。ひとりふたりぐらいならともかく、頭数揃えてデカい徒党を組もうって話はあれ以来ご法度になったってぇわけよ」


 それがニンジャイーターの策であったのか、あるいは捕食者への恐怖が引き起こした自発的な裏切りであったのか。

 確かめる術はないし、確かめる意味も無いのだろう。

 裏切り者がいて、同盟は瓦解した。

 そして忍者たちは、安易な信用の代償・・を支払うことになった。それだけのことだ。つまりは。


「危ない橋を渡るのは構わねぇ。が、他人のかけた橋を渡るつもりはねぇのよ」

「おいらはそこまで考えてないけど……でも、おいら“他人に合わせる”みたいなの苦手でさぁ。誰かと組んでもすぐにコンビ解消されちゃうんだよな!」

「ハイドマンもそうだったけどよ。やっぱ元が人間じゃねぇ奴はどっかズレてんだよな……」

「なんだよ、ハイドマンはいいやつだったろ!」

「そのせいでお釈迦になってちゃ世話ねぇや……いや、悪ィな。ホトケになった奴を悪く言うつもりはねぇ」


 察するに、ハイドマンとやらは彼らの知り合いだろう。

 レンブラントと同じように人間ではない忍者で……そして、死んでしまった。

 世間話の延長で生死を語る二人の姿を前にすると、改めてここが危険な世界なのだということを実感する。

 明日は我が身かもしれないのだ。他人事ではない。


「…………うん、ありがとう二人とも。勉強になったよ」

「ユアウェルカム! 今度ピザ奢ってくれよな!」

「話してたのほとんど俺っちだったろうが。ま、お前さんも身の振り方は考えとけよ」


 実際、ためになる話だった。

 とはいえもちろんこれで五右衛門をまるっきり信用していい、というわけではないのだろう。

 恩は恩、好意は好意。

 それはそれとして、常に相手を疑い信用しすぎない。

 これぞ忍者の心意気、というわけだ。

 どこか寂しいような、あるいは冷たいような気もするが、理屈に納得はできた。

 胸に刻んでおくべきことだ。

 今更船守の庇護を離れるのも難しい気はするが……それでも。だからこそ。

 右も左もわからない草也は、そうであるからこそ、全てに疑念を抱いていく必要があるのだ。

 あの時、忍者のことを知りたい、と草也が言ったのは、そのことを無意識に理解していたからかもしれない。

 この短期間に二度も死ぬのは、できれば避けたいものだ。


 そんなことを考えながら、ぐいとウーロン茶をあおる。

 グラスの中身は、もう氷だけになっていた。

 同時にカウンター奥の扉が開く。

 中から静かに出てきたのは、涼しげな表情の船守。

 後ろから、やや渋い表情のマーリン。


「…………商談は、うまくまとまったっぽい?」

「ふふ、ご想像にお任せしますわ」

「ああ、そういえばKさんは知らないッスよね。店長、性格は悪いけど元が商売人じゃなくて冒険者なんで別に商売上手とかじゃないんスよ」

「シノ子。お前は減給だ」

「お、横暴ッス!?」


 口は災いの元であった。

 なにはともあれ、話はうまくまとまったらしい。

 当たり前だが草也が心配していたようなことは起こらなかったようだし、むしろそれ以上と言うべきか。

 船守はやはり油断のならない女で、交渉事にも強いようだ。


 それならそれで、吉報である。

 なんの話をしていたかは知らないが、いい買い物ができたのは間違いない――――と、勝手に納得してしまうのがよくないのか。

 常に相手を疑え、と言われたばかりだ。

 この程度のことでなにを、という感もあるにはあるが、意図ぐらいは考える意味もあるかもしれない。思考の渦に飲み込まれない程度には。


「…………K様、どうかされましたか?」

「ああいや、ちょっと考え事。買い物はこれで終わりなのかい?」

「そうですね。後は細々とした日用品や衣類等の買い込みになります。お荷物お願いしても?」

「男手か……OK、OK。構わないよ」


 荷物持ちぐらい、彼女から受けた世話に比べれば大して苦でもない。

 むしろ衣食住の世話を焼いて貰っている以上、これぐらいは……というところだ。

 立ち上がり、五右衛門たちに軽く別れを伝えれば、彼らも軽く手を振って応える。


「命があればまた会おうぜ!」

「縁起でもないなぁ……」


 こうも明るく言われてしまえば、呆れる他はなかった。


「おや船守うじ。お帰りでござるか」

「ええ、用は済みましたので。また来ますね」

「チッ……次はもっとむしってやる」

「商売人が客に言う台詞じゃねぇやな。なっはっは」

「またのお越しをお待ちしてるッス! いざゆけボウケンシャ!」

「……僕ら冒険者じゃないけど……」

「ボクの世界でお世話になってた女将さんの定型句ッス! お帰りお気をつけて!」


 別れの言葉を背に、重たい鉄の扉を閉める。

 ……やはり中々の重さだった。動かないというほどではないが。忍者になった草成の膂力だから、問題なく開けられるという程度の重さ。

 これを問題なく開けるサルトビの鍛練を思えば、気が遠くなるような思いだ。あんなに小さな子供だと言うのに。


 ともあれ、と。

 まとめた黒髪を軽やかに揺らし船守を見やる。

 見極めなければならない。

 彼女に対する不信――――ではなく。

 この世界に生きる以上の、礼儀と生存戦略として。

 彼女を見極め、己を見極め、身の振り方を見極める必要がある。

 悪意でも嫌悪でも不信でもなく、フラットな好感を保ったままに、彼女を疑おう。

 忍者を知りたいと言ったのは、他ならぬ草成自身なのだから。


 固めた決意に、気付いているのかいないのか。

 船守は黒髪を尾のように振り、くるりと振り向いた。

 切れ長の瞳が、すぅと細まる。

 にこり、どこか儚げな微笑。

 明らかに計算された……否、訓練された愛嬌に僅かばかり意識を奪われたその瞬間には、彼女はとん、とん、と距離を詰める。

 黒い手袋をはめた彼女の細い手が、草成の手を恭しく握った。心臓が跳ねる。


「では、参りましょう」

「……行くって、どこに?」

「あら、私にそれを言わせますか? ふふっ、意地の悪いお人……」


 悪戯な笑みを浮かべられると、なんというか、弱い。

 固めた決意を揺らがすつもりもないが、この辺りはなんというか、やはり彼女の方が上手である。

 船守は草成の手を引き、どこか楽しげに先導する。




「――――――――せっかくの逢引きでぇとなのですから、楽しみましょう?」




 ……忠告をくれた五右衛門に、胸中で詫びを入れる。

 草成はもう――――手遅れかもしれない……!

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