第5話 平静、平穏、日常、異常

 あくる日のことである。


「風間様。一緒にお買い物に行きましょう」


 あの後、手合わせをしてもらったり忍者のいろはについて教わったり手合わせしたりその流れで意識を失ったりという日々を過ごしていたのだが、ある時船守がそう切り出した。

 思えば食事や簡単な着替え、日用品などは問題なく揃えられていたが、当然それは外部から入手してきたもののはずだ。

 というか常に三人全員が草也に付きっきりで面倒を見てくれていたというわけでもなく、誰かが席を外しているということは多々あった。

 やはりあれは買い物などに出かけていたらしい。それだけでもないのだろうが。


「いいけど……なんで?」

「風間様もある程度忍者としての身構えができてきましたし……そろそろ、外のことや他の忍者のことも体験していただく必要があると思いまして。それに、いつまでもここにいては気が滅入ってしまうでしょう?」

「公園デビューってワケだ。ダハハ!」

「犬か僕は」


 とまぁそういう流れで、街へ繰り出すことになったわけである。




   ◆   ◆   ◆




「……そういえば確かに、外出るの久しぶりな気がするなぁ」


 思えば、あの廃ビルの中にずっといたわけで。

 日の光も外からの風も浴びていたが、ちゃんと外を出歩くのはこの世界に来た初日以来のこととなる。

 それもあの時は夜中だったわけで、ちゃんと太陽が空に昇っている時間帯に外に出るのは初めてのことだ。


「申し訳ありません。一応は我々も追われる立場ですので……」

「ああいや、別に文句言ってるわけじゃないよ。しみじみしてるだけ」


 そう言って、隣を歩く船守に視線をやる。

 彼女はゆったりとしたワンピースの上からケープカーディガンを羽織り、ちょこんと帽子を頭に乗せている。手袋だけは忍者装束の時と同じものをはめてはいるが。

 それは彼女の持つ妖艶さとはまた異なるガーリーなコーディネートであったが、不思議とよく似合っていた。

 流し目ひとつで男の視線を釘付けにする切れ長な瞳も、妖しくも魅力的な微笑みも、僅かに角度を変えるだけでどこにでもいるような可憐な少女のそれに変わるのだ。オシャレは魔法とは言うが、まさしく魔法の如き転身である。


 ……いや、どこにでも・・・・・はいないかもしれない。

 妖艶から可憐へと舵を切ってはいるものの、目を惹くような美女であることは疑いようがないためである。

 もしも大学にこんな美女がいたら、男子人気を全てかっさらっていったことだろう。

 …………というか船守の年齢はいくつなのだろうか。

 なんとなく草也は同年代ぐらいだと思っていたが、下と言えば下かもしれないし、上と言えば上かもしれない。謎である。

 謎であるが、女性に年齢を聞くのはご法度である。

 同年代ぐらいなんだろうな、と納得することにした。


 と、考えながらも船守を見ていたのがいけなかった。

 要はじっと船守を見つめていたわけで、ふとした瞬間に船守と目が合う。彼女は悪戯っぽく微笑んでいた。


「……ふふ。そんなにまじまじと見つめられると、照れてしまいますね。それともやはり、私のような女ではこのような召し物は似合わないでしょうか?」


 しまった。

 草也は内心で天を仰ぐ。

 彼女はこの手の話題で草也をからかうタイミングを決して逃さないのである。

 これについては草也が隙だらけなのが悪いという説も有力だし、嫌というわけでもないので文句をつけるわけにもいかない。ただ少し、気恥ずかしいばかりの話である。


「…………よくお似合いですよ、お嬢さん。あんまりにもお似合いだから落ち着かないぐらいだ」

「あらお上手。ますます照れてしまいますね」


 くつくつ、と船守は上品に笑っている。

 それがまた絵になるものだから、彼女に勝つのは無理だなとなんとなく理解してしまう。


 閑話休題。

 紅葉とヒールターンを留守番に残し、二人で街に繰り出したわけであるが。

 昼間に外に出て見ると、案外その風景は草也の世界と変わっている様子は見受けられなかった。

 忍者が実在する、などまるで思わせない――――否、草也の世界にも忍者はいたのだ。自分や、ヒールターンがそうである以上は。

 である以上、やはり見える風景は元の世界と変わらないように思えた。

 車が行き交い、子供たちは駆けまわり、老人が犬を散歩に連れ出している。

 そんなどこにでもあるような、ありふれた世界の風景だ。

 穏やか過ぎるぐらいだと言っていいかもしれない。少なくとも、草也の感覚で言えば。


「……結構、普通なんだね。街は」

「元々存在する普通の郊外都市に、結界をかけただけ……それも、忍者のみを閉じ込める結界をかけただけですから。市井の民にとっては、結界の外も内も大きくは変わらないでしょう」

「そんなもんか。……そうだよな。そりゃあ、大しては変わらないか」


 ……あるいは。

 こんなにも世界が変わらないのなら。

 草也の家族はごく当たり前に生きていて、ちょっと電話をかければ普通に家族の声が聞けるんじゃないか、なんて――――都合のいい妄想をする。


 もちろん、そんなわけはない。

 実を言えば一度試している。

 試して、そもそも電話会社との契約がされていなかったので、どこにもかけることはできないという形でオチた。

 考えてみれば、この世界には草也の通信料を払うための口座からして存在しないのである。契約の事実もなければ、支払う金もない。どこにもかかるはずがないのであった。

 それで、ここは本当に異世界なのだということもわかった。

 よく似ているが、やはり別の世界なのである。

 絶滅危惧種の公衆電話を探して電話をかけてみても、結果は同じだろう。この世界に風間草也の家族はいない。

 もちろん、元の世界にももういないのだが。

 死んでいるのだ。全員。

 もうどこにも、風間草也の家族はいない。これが正しい認識だ。


 ……考えても仕方のないことである。

 それでも時折考えてしまうのは、ただの感傷だろう。


「――――――――そういえば、そろそろ忍名しのびなはお決まりになられましたか?」


 ――――その感傷から、ふっと現実に引き戻される。

 ……どうにも。

 やはり一家惨殺と自らの死というものは、草也の精神に深い傷痕を残しているらしく。

 元々あれこれと考えすぎるきらいはあるが、このところは一段と思考の螺旋に囚われてしまうことが多くなったように思う。

 よくない傾向だ。

 そして、船守もそれを察して案じてくれているのだろう。


「……まだ決まってないなぁ。ずっと使うものなんだろ? そう考えると、なんともね」

「もう……名字とはいえ、本名を用いるのはあまりよくないのですよ?」

「ぐうの音も出ない」

「ではひとまずのところ、今は……そうですね。K様、とでも呼ばせていただきましょう。定着しない内にちゃんとした忍名しのびなを決めてくださいましね?」

「はい……がんばります……」


 K。

 いかにも偽名的な仮称である。

 これが定着してしまうのもなんとなく嫌なので、早急に忍名ニンジャネームを考える必要があるだろう。

 向上心の無い奴は馬鹿だ。早く決めろ。

 どこからか、そんな声が聞こえた気がした。間違いなく気のせいである。


「……ありがとね」

「ふふ。さて、なんのことでございましょう」


 船守は悪戯な微笑を浮かべながらひらりスカートの裾を翻し、ととと、と数歩先を往く。

 ……恐ろしい女だ。

 妖艶と貞淑と可憐を使い分ける、魔性の女である。

 下手に入れ込むと絶対に酷い目に遭う。そんな確信があった。

 気を付けよう……多分、その覚悟は何の役にも立たないのだろうけれど。




   ◆   ◆   ◆




「足元、気を付けてくださいましね」


 先行する船守に連れられてやってきたのは、うら寂れたビルの地下。

 上階には他の店舗も入っているが、なんというか、あまり治安のいい地区ではないように思う。

 具体的に言えば、呑み屋と風俗店が多い。

 まだ日が高い時間帯であるため、それらは主張することなく佇んでいるだけなのだが。

 時折行き交う人々も、どことなくガラの悪い人間や、遊び慣れていそうな人間が多いように見受けられた。


 まず最初に行きたい場所がある。

 船守にそう言われた以上、草也としてはついていく以外の選択肢はないのだが。

 いやに急な高さの階段を下っていき、地下へと潜っていく。

 こつ、こつ、こつ。

 靴がコンクリートを叩く音、二人分。

 下へ降りれば降りるほど灯りは弱く薄暗くなっていき、怪しさと不安感を煽ってくる。

 今日が船守との初対面であれば、美人局つつもたせを疑っていただろう。


 どれほどそうしていただろう。

 それなりに長い距離を下っていた。

 このまま永遠に下り続けるんじゃないか――草成がそんなことを考え始めた頃、ようやく階段が終わる。

 平面の廊下の先にあるのは、重苦しい鉄の扉だ。

 ほ、と草也は胸を撫で下ろした。

 幸いにして、永遠に下り続ける必要はなかったらしい。

 ……多分、それで油断した。



「――――ややっ、久方ぶりでござるな船守うじ



 その声は上から・・・聞こえてきた。


「うおっ!?」

「あら、ご無沙汰しております」


 草也は驚き、たたらを踏んで、後ろの階段にかかとをぶつけ、階段に座り込むように尻餅をついた。

 見上げれば、そこにいたのは逆さの少年。

 逆さの少年だ。

 天地逆転、足の裏が天井に張り付いているかのように、上から逆さに張り付いている。

 背丈からするに、年の頃は小学生程度だろうか。

 忍者装束に身を包み、刀を背負ったその姿は、さながら忍者村で忍者体験をしている子供のように見える。

 けれど天井に逆さに立つあの技術を思えば、やはり彼もまた真に忍者であるのだろう。この世界にいる以上は!

 少年は能面の如くのっぺりとした眼差しで、尻餅をついた草也を見やる。


「そちらの御仁は、見ない顔でござるな。船守うじのおともだちでござるかな?」

「ええ、そのようなところで。こちらK様です」

「あ、ああ、どうも……」

「うむ、拙者はサルトビでござる。よろしくでござるKうじ


 逆さのまま一礼されると、脳が混乱するということをこの日草也は知った。

 とはいえ幼い子供のように見える相手に対して礼を失するのもきまりが悪いので、どうにか立ち上がってこちらも一礼を返す。

 サルトビ少年は満足げに頷くと、くるり回って落下、猫のように危なげなく着地した。


「船守うじの方は色々と大変だったと聞いているでござる。御無事でなによりでござるよ。店長殿も心配していたでござる」

「まぁ、それはそれは……きっとからかわれていますよ、サルトビ様」

「なんと……」


 サルトビ少年はショックを受けている様子だったが、表情はピクリとも動かなかった。

 恐るべき無表情である。特殊な訓練でも積んでいるのだろう。


「ともあれ立ち話もなんでござるな。ご案内するでござる。ささ、中でごゆるりと……」


 少年が鉄の扉を押すと、それは軽々と開いていく。

 見た目より重くないのか――――いや、恐らくサルトビの膂力が並外れているのだろう。

 そう理解する方が安全・・だ。

 草也は少しずつ、この世界の非常識に順応してきた。

 目で見えるものが全てではないし、草也の常識ルールは全てが通用するわけではない。

 だからこの扉の先に何があっても、決して驚きはすまい。

 流石にここまで醜態を見せすぎたし、そろそろ隙を晒さないようにしたいものだ。

 草也は改めて覚悟を決めた。

 なにがあろうと、平静を保とう。

 扉の向こう、よく考えたらここがどんな場所なのかも聞いていないが、とにかく中へと一歩踏み込む。

 中はこじんまりとしたバーのようで、カウンター席の他はテーブル席がいくつか並び――――



「あっ! いらっしゃいませッス! うひゃーっ久しぶりッスね船守さん!」



 まず目に入ったのは、栗毛のおかっぱに、狐の面をちょこんと乗せた忍者の少女。

 中学生ぐらいに見えるが、まぁたった今小学生ぐらいの忍者を目の当たりにしたばかり。

 これは大丈夫。驚くに値しない。



「ほォ? まだ生きてたンだなァ。重畳、重畳」



 次に目に入ったのは、煙管キセルを吹かす着流しの伊達男。

 こちらはかなり忍者のイメージから近しい存在だ。

 これも大丈夫。驚くに値しない。



「リッキーの野郎と派手にやったって聞いたぜ! 案外元気そうでおいら安心したよ!! ゲロッパ!!」



 そして二足歩行のカエル。



「二足歩行のカエル!?!?!?!?」

「あれは突然変異で忍者になったカエルのレンブラント様です」

「突然変異で忍者になったカエル!!?!?!??!?」

「ゲロッパ! よろしくな!!」


 無理だった。

 流石に人間大で二足歩行するカエルはびっくりする。


「なんだ、騒がしいぞ」

「おお店長殿。船守うじが新しいお客様を連れて来たのでござるよ」


 そして店の奥から出て来た、黒頭巾の他には一切の衣服を身に着けていない全裸の男。


「変態だァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーッ!!!!!!」

「いえ、あれは店長のマーリン様です」

「新入りか。よく来たな」

「いやぁ、ビックリするッスよねぇ店長のこれは……ボクはもう慣れたッスけど……」

「なっはっは、新顔のこれが見たくて俺っちァこの店通ってんだよな!」

「なぁなぁ、やっぱおいらもなんか服着た方がいいかな?」

「カエルが服着てもしょうがねぇだろ」

「あ、やっぱり?」


 こうして風間草也の覚悟は恐るべき忍者の猛攻を前に完全敗北した。

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