第8話
切り裂くような痛い空気。
気付けば那内の後ろに、朝見たあの男が近づいていく。
朝に心臓を貫いて消えていった、金髪の眼鏡の男の姿。
雨狩に忘れていた記憶を呼び覚ます。
「どうしたの? 雨狩君。怖い顔して」
(危険だ。あの男は、この世のものではない。殺される。早く逃げなければ、殺される)
しかし、動けない。
気づけば、足は生まれたての小鹿のように震えている。
「雨狩君?」
気づけば叫んでいた。
「那内さん、逃げてください! 早く! その脇道に向かって、家まで走るんです!」
驚く那内に状況など分かるはずもない。
手を握ってでも走らせようとしたが、後ろの男の姿は既にいない。
数秒後に後ろから両肩をバンと叩かれる。
「ひっ!」
両肩にガシッと、触れている男性の手の生暖かい感触が肌で伝わる。
雨狩はその肩にかかる両手が、あの男の者とは思いたくない。
自分以外にこういうことをされるのは、きっとちょっかいを出す井田達だと思い込むようにしていた。
だが、そんなことはない。
雨狩の呼吸は肩が震えるたびに乱れていく。
「ここにいるということは、まだのようですね」
それは朝、聞いた時の男の声。
あの朝の続きと思うと、声すら出ない。
汗の量が尋常でない。
恐怖のあまり指一本すら動かせない。
これから自分は殺されるだろう。
むしろ苦しまずに、殺されるならまだ良い。
だが、あの痛みは味わいたくない。
無痛症であればどれほど楽か?
逃げたいと思った自分はもういない。
赤のイメージが脳裏にまとわりつく。
血の赤。
命を刈り取られる過程で、出される血の赤をイメージする。
これから起きる。
命を無慈悲に奪われる生物としての死への恐怖。
雨狩はもう言葉が出ない。
「あれ? 雨狩君のお兄さんですか? ん~、でも外人さんだよね~。日本語上手いですね。ユア ジャパニーズ イズ ベリー グッドォ?」
耳だけが辛うじて機能している中で、那内がのんびり話している。
雨狩は何も出来ない。
「那内さん、雨狩さん。これから能力者に関わることがあっても、最後の最後で私の言葉が聞こえることがをあるなら、迷わず従わなさい」
男にコミュニケーションを取る気は無いようで、自分の言いたいことだけ一方的に淡々と伝えていた。
「んん? 何で私たちの名前知っているんですか? というか能力者って何ですか~?」
「現世に居られるのはこれで限界ですか……天使長、申し訳ございません。口下手な私ではこれが限界です」
男は虚ろ気にそう言う。
そして雨狩の両肩から手を離す。
雨狩はそこで膝をつき、胸部に両手を当てて荒れた呼吸を整える。
「あれ? さっきの男の人がいない? もしかして幽霊? え、嘘……やだ怖い!」
那内はそう言った後にさっきまでの出来事を思い出して、尻もちを付いて震えていた。
雨狩が、白いコンクリートの地面に落ちていった液体を見る。
それは大量の汗の跡。
それがはっきり見えるようなると、後ろを振り向いて、男がいるかどうか確認した。
後ろにいたのは、自分と同じ学年のこちらに歩いてくるスマホばかり見ていた女性だった。
二人のこの異常な光景に気づくと、その女性はジッと見た後に駆け付けた。
「三加! 一体どうしたの? あなた、雨狩君だよね? 三加に何があったの?」
那内と同じクラスの女性のようだ。
スマートフォン片手に声をかける。
警察沙汰に思えたのか、今にも電話をしそうな仕草だった。
「ケ、ケイちゃん。さっき、幽霊が……へくちゅ!」
那内はくしゃみをして、鼻水がわずかに飛び散る。
「幽霊? ここちょっと離れたところに墓地があるから、幽霊くらいありそうだけど……こんな夕方の時間に? まず二人とも落ち着いて、ね? もう幽霊なんていないから、安心して」
「わたし、わだじっ! ……ううっ! 見ちゃったよ~」
「……はい、ハンカチ。鼻かみな」
那内が借りたハンカチで、鼻をチーンと言う音を立てて涙を拭く。
「……」
雨狩は立ち上がり、無言のまま先ほどまでの出来事を考える。
恐ろしいほどに冷静な自分に、何も感じなかった。
「雨狩君も見たの?」
「はい。感触もあったので、幽霊とは思えませんが、朝を含めて二回です」
「ただごとじゃなさそうね。嘘ではないでしょうし、三加はあたしが連れて帰るから、雨狩君は早くここから離れた方が良いよ。こんな話、警察も信じない。真っ直ぐ家に帰って忘れた方が良いわ」
「那内さんをお願いします。私の名前を知っている上で、大変失礼なのですが、あなたの名前を教えてもらえないでしょうか?」
「北井だよ、明日、三加の家に行って一緒に登校させるから、雨狩君もいつも通りに学校来なよ」
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