第57話   大切なモノは、この手で②

 さて、この大きな手です。


 私は手フェチじゃありませんから、他人の四肢の造形に、あんまり意識が向かないんですよね……本物のラズ君の手って、どんなのでしたっけ……。


 ラズ君は狩猟が身近な子でしたから、やはり手の形もごつかった気がします。生きるため食べるために、些細な捻挫や骨折も厭わず狩りを行ってきたんでしょう。純粋な森の狩人の手です。


 そんなあの子が、両手いっぱいに、いったいどんなことをしてくれたのか、何を作りだして、何に熱意を向けてきたのか、思い出せ私。あの子の手は、私たちにどんなことをしてくれましたか?


 ナイフで人の眼球を刺そうとした……のは置いといて、あ、そうです! ジュースを搾るのを担当してくれましたね。四人分の水分とビタミン補給を一手に引き受けるその握力、すさまじいです。ちなみに、リンゴを片手で割り砕くには、六十キロから七十キロの握力が要るそうですよ。ラズ君はおそらく、片手百キロはありますね。


 あれ? そんなラズ君と互角に戦ってた弟さんも、戦闘力ヤバイんじゃ……まあ一番ヤバイのは、となりにいるダンさんですけどね。要するに私以外、全員ヤバイやつです。


 そんな中で「普通」に生きようと挑み続ける私は、とっても健気だと思いませんか。もう、あざといだの同情引きだの言われたって構いません、私はよくがんばっていま……ん? 「普通」?


『聖女様、俺も料理するー!』


 出会って間もないラズ君は、髪の毛にクシは入れないし、歯は磨いたり磨かなかったりだし、服はぼろぼろのままずっと着てるしで、もうめちゃくちゃでした。


 さらに、爪が、伸びに伸びていました。いくら手を洗ったって、爪の中に泥が大量に入っていては不潔極まりないです。


 だから、私は――ラズ君と一緒に、爪を手入れする道具を探したんです。でも、爪切りが見つからなくて、代用品はないものかと倉庫を漁り、おそらくは植物用のハサミと、おそらくは木工作品の荒削りを整える鉄のやすりを発見し、それでラズ君の爪を、果物に触れるにふさわしい「普通」っぽい形に近づけてあげたんです。


 ラズ君はそれ以来、爪が割れたり伸びたりすることがなくなりました。この二週間以上、私は彼の爪にまったく注意が向きませんでした、それくらい、いつもキレイに整っていたんですね。


 彼はジュース担当を引き受けた責任感からか、私に言われなくても毎日やすりで整えていたようです。わんぱくな元野生児なんですから、そこまで徹底しなくても……とは思いますが、それだけラズ君は料理のお手伝いが楽しかったようですね。


 私が中学校の時の話になりますが、男子が「三角巾とエプロンが恥ずい」とか言い出して、家庭科の授業を集団サボりしやがりましてね。でも料理の完成間近に教室に戻ってこようとしたので、一軍女子が扉の内鍵を閉めて、ちょっとした抗争が起きました。シチュー美味しかったです。男子の分まで三杯もおかわりしました。


 手洗い爪切り、積極的なお手伝い、そんな「普通」を持つラズ君の手の、指先はーーヤスリで断面が不器用に削られ、一生懸命に丸みをつけようと、角が全て磨かれていました。


「はい! これはラズ君の手で、間違いありません!」


「断言できるか?」


「はい! この爪の独特な扱い方は、彼です」


「爪マニア」


 は?


「では掴まるぞ!」


「あ、待ってください! 私の握力は赤ちゃん並みなので、背負うかして運んでください! お願いします!」


「では箱に戻れ。ポケットに入れてやる」


 え……擬態ってどうやって解くんでしたっけ。いつも眠くなると勝手に解除されるんで、特に意識してませんでした。


「何をぐずぐずしている!」


 手首を引っ張られて、ウエスト辺りをダンさんに腕一本で抱えられました。この人なら丸太すらも片腕で楽勝ですね。


 しかも私を小脇にしたまま跳躍。ラズ君の中指の第一関節に爪先を引っ掛けて、片腕だけでしっかりと指にしがみつきました。


「うわ! なんかくっついた!」


 ラズ君の手が、ぶんぶん左右に。ミミックじゃなかったら内臓が口から出ていたかもしれません。こんな勢いでも、しがみついていられるダンさんの握力と、肩の強度がハンパないですね。


 ですが、さすがのミミックの私でも、これは気持ち悪っ!


 ラズ君に早く手を引き上げてほしくて、その一心で、心を鬼にして彼の指に噛みつきました。


「イタッ!」


 後で謝るつもりです。


 勢いよく手が引っ込められていき、中指に掴まっているダンさんと私も、高速で上昇していきました。すごい風圧を顔に感じます。地上に近づくにつれて、まぶしくて目が開けていられなくなりました。


 よくわからない状況下で、まぶたを閉じなければならないのは、とても怖いですが、生理現象ですので仕方ありません。顔に強風が当たるのを感じながら、ただこの手だけは離すまいと、しっかりとしがみついていました。


 光の中のトンネルを、目が開けられないまま、くぐっていきました。




 目を閉じて、そして次に開けるまでの時間は、一秒もありません。ですが、その時間を無制限に支配し、延長し、まぶたの裏でのみ交信ができる存在が、いたとしたら――それはあの生意気な顔の美少女聖女様に他ならないでしょう。


「久しぶりね」


 優しい日差しの注ぎ込むテラスを背景に、ロッキングチェアに座って退屈そうに半目をぱちぱちしながら、ゆっくりと体を揺らしているのは、あの絵画に描かれていた聖女様でした。


 私は広い一室を見回して、彼女の絵はこの部屋で描かれたのだと悟りました。


「あのー、ここは……?」


「わかってるくせに」


 いや、あの、正確にはわかりませんけど、絵画の、中でしょうか……?


「ハズレ。でも、アタシがここで描かれたのは正解よ」


 え? 私、声に出してなかったのに。彼女の苺のように赤い双眸が、何もかもを見通しているように感じました。


「勘づいてるだろうけど、アタシは人間じゃないの。歴代の聖女と違って、アタシは女神そのものよ」


「女神様と、同一人物……」


「そ。ただそれだけ」


 だから女神様の悪口だけじゃなく、ご自身の批判にも反応するんですね。でも、なんでまた神様が人間に化けてまで、地上に。


「あら、アタシけっこう頻繁に地上に降りてきてるわよ。だってアタシしか神様がいないんだもの、構ってくれなきゃ寂しいじゃない」


「この世界の唯一神なんですね」


 こんな気まぐれな女性が、神様だなんて、この世界は相当ヤバイですね。


 あ、女神様の目尻が吊り上がりました。


「大きな力を持った気まぐれな女に振り回されるのは、さぞかし気分が悪いでしょうね。それがあんたの、前世の死因なんだし」


 なんで、そんなことを知っているんですか。不愉快です。


 そう口にする前に全てを見通す彼女は、白いスカートなのにイスに片膝を立てて、行儀の悪いことです。


「神様だから、なんでもわかっちゃうの。外国の文化が大好きなあんたは、喉に詰めるほどドカ食いしたあのケーキの中に、異物が入っていることも知っていた……でも噛まずに丸呑みし続けたでしょ。家族に、心配してほしい、それだけのためにね」


 …………。


 死ぬつもりじゃ、ありませんでした。


 ただ、あいつらを困らせてやりたくて――


 いいえ、違います

 こっちを見てほしかった。

 私のこと構ってほしかったんです。


「ガレット・デ・ロワ。王様のお菓子、という意味ね」


 女神様が目を閉じ、何かを読み上げるような口調になりました。


「フランスの公現祭の日に食べられる、パイの中にアーモンドクリームが入ったお菓子なのね。ケーキの中に陶器のオモチャが入ってるわ。家族で切り分けて食べ、そのアタリを引き当てた人は、その年一年、幸せに過ごせる……って感じね」


 ネットに繋がってるんですか? ここ。


「あのケーキの箱の蓋部分を切り取って組み立てれば、金色の王冠が作れるはずよ。あんたさえ死ななければ、今頃あのバカップルはハワイで挙式。もちろん、あんたはお留守番。その後も、魔法使いの来ないシンデレラのような生活が続くわ」


 …………。やっぱり、と心のどこかで予想がついていた自分が、情けない。悔しい。


「あんたの母親は今、呆然としてるけど、悲しんでる様子はないわね。お金には困ってないし、新しくハウスキーパーを雇うみたいよ。面倒な家事を代わりにやってくれる人なら、誰でも良かったようね」


 そうですか。


「あら、あんたは祖父母とも仲が悪いのね。頭の固いご老人夫婦は、ちゃんと入籍してできた孫じゃないと、跡取りとして迎えたくないみたい。あんたのパパはいったい誰? それは遊び人の母親すら、わからないことよ」


 そうでしょうね。


「クラスメートは、あんたのにショックを受けてるわ。でも、誰一人泣いてない。そんなことより自分の受験勉強で忙しいからね」


「そうですか。誰のお邪魔にもなってないようで、よかったです」


 思いのほかキレイに旅立っている自分に、安堵しました。遺体にすがって泣きつく人を、作っていなくてよかったです。私なんかに後悔しながら生きていてほしくないですから。


「未練はまったくありません」


 私の言葉に、女神様がうっすらと目を開き、意地悪げな笑みを浮かべました。もともとこういう顔なのか、それとも私を心底バカにしているのか。もうどっちでもいいです。今更、腹を立ててもね。


「どうして私を、この世界に呼んだんですか? 普通じゃない私の生活が、おもしろかったからですか?」


 彼女の赤い目が見開かれて、可愛く小首を傾げてきました。


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