第58話 大切なモノは、この手で③
「たまたま異世界に遊びに来たときに、死にかけてるあんたを見つけたってだけ。あんたの世界の神様は、自害に厳しいみたいだし、なら異世界の神のアタシの奇跡で、助けてあげようって思ったの。でーも、あんたってば死にかけながら喜んでるんだもの。気持ち悪くて、けっきょく助けられなかったわ」
人の
「だから、こっちに持ってきてあげたの。このアタシが奇跡に失敗したなんて誰に知られなくても、アタシ自身が許せなかったから」
ご自分の矜持のためですか……。
「そうよ。今度は些細な攻撃にも耐えられるボディなんだから、大事に生きなさい」
「今度の私は、幸せになれますか」
「さあ? なんでもネタバレしちゃあ面白くないでしょ」
聖女様は呆れ顔でイスから立ち上がりました。そのまま、部屋をゆったり歩いていきます。特に意味のある足取りには、見えません。
「ラズ君は良い子に育つかしら? モンスターのあんたにも恋人はできるかしら? 誕生日のケーキは、毎年美味しいかしら? そんなの、アタシの知ったことじゃないし」
「ローゼンさんという、ドイツ人の男性もこっちに転生されたと聞いています。その人は、なぜここに呼ばれたのでしょうか」
聖女様が立ち止まって、流し目に私を眺めました。
「彼なら、あんたの後ろでずっと絵を描いてるけど」
「え?」
人の気配なんてしなかっt……うーわ、いた! ディーゼルとでかいキャンバスの後ろで、何やらもぞもぞと両腕と肩を動かしているおじいさんが。肝心のお顔が隠れてしまって、全く見えません。
「ロ、ローゼンさんですか?」
「厳密に言うと、彼はドイツ人どころか人間ですらないわ」
「あの人も、人外なんですか?」
「彼は魂そのものが不滅の
ローゼンさん本人がここで作業中なのに、よくもこんなにずばずばと言えますよね、この聖女。絶対に本人に聞こえてると思うんですが。芸術家の中には気難しい人もいますし、ローゼンさんがディーゼルを蹴倒してきたら、どうするんですか。絨毯が絵の具まみれになりますよ。
う、ひょこっと出てきたお顔は、朗らかなサンタさんみたいでした。とても呪いグッズの生産者には見えません。お日様のように、ニッと笑っています。
「きみが儂の絵画たちと鏡に、素敵な名前を付けてくれた女の子だね?」
「え? いえ、あの、私が名付けたわけでは……」
「ありがとう。儂の作品はどれも、愛があれば輝いていける可愛い子供たちばかりさ。可愛い名前も付いたことだし、これからもっともっと、輝いてくれることだろうね。
……なんでしょう、使う言葉一つ一つは明るいのに、ローゼンさんも笑顔で可愛いのに、背筋の寒気が止まりません。多くの犠牲者を出して尚、自分の行いと作品たちを「可愛い」と自負できる、その感性……ドン引きに値します。
ん? 絵画たちと、鏡……?
「ねえローゼン、もうそろそろ別の世界の神様が迎えにくるから、
「なんと。儂まだまだ描き足りないな。この部屋は時間の流れがゆったりだから、いくらでも作品が生み出せて素晴らしい!」
「はいはい、終了終了。片付けちゃって。あんたは気分が乗ってる時じゃないと、不機嫌になって動かなくなるもの。こっちはあんたの浮き沈みに迷惑してるのよ」
急かされて、しぶしぶ傍らの文机にパレットと絵筆を置く、ローゼンおじいさん。
私は、この人に聞きたいことが。
「あなたは、ロゼ君とピーコックさんの――」
尋ねきる前に、私の瞬き一回分の時間は、過ぎてゆきました。
目に入ったのは、刺すような痛みを伴った、まばゆい光だけ。びっくりしてすぐに目を閉じましたが、女神様たちには、会えませんでした。
―――――――
うへえ、聖女様が釣れるかと思ったのに、何かに手を刺された? それとも噛まれたのか? 絵の中に入れていた左手を慌てて引き抜くと、ダンと聖女様が、池から勢いよく顔を出してきた。いや、池じゃなかったわ、なんか絵の表面が波打ってて、水みたいな質感になってるんだよな。
でも聖女様たちの髪の毛、濡れてない。やっぱ普通の水じゃないんだな。
「聖女様〜!」
俺が手を振ると、聖女様が振り向いて、片手を上げた。
「ラズ君! ケガはないですか?」
「うん! 聖女様も無事か!?」
「はい!」
聖女様が元気に俺のほうへ歩いてきた。その下、足つくんだな。何に乗ってるのか知らねーけど。
ダンも額縁の飾りを掴んで、這い上がってきた。よし、あいつも大丈夫そうだな。
「ん? 聖女様、どした?」
「あ、いえ……少し、疲れてしまって」
「這い上がれるか? 引っ張り上げるから、手ぇ出して」
伸ばされた手をしっかり掴んで、一気に引き上げた。聖女様もダンも濡れてなかったけれど、絵画の表面は波打ってて、今さっき魚でも飛び跳ねた後みたいだった。
額縁はでこぼこしてて、ぜんぜん足場が安定してなくて、しかもどうやってピーコックの腹ん中から脱出するのか、俺ちっとも考えてなかったや。早く聖女様とダンを釣り上げなきゃなって、そればっかり考えてたや。
「ゲホッ! ゲホゲホッ!!」
んえ? なんだなんだ? 誰がセキしてるんだ? セキするたびに、足場にしてる絵画も、それどころか、この真っ黒トンネルまで大きく上下するんだけど、まさか、ピーコックがセキしてるのか?
「な、なんですか!? 何が起きてるんですか!?」
「俺たち、ピーコックに食べられてるんだよ。んで、ここは腹の中」
「食べられたぁ!? ど、どういうことですか」
「んーっと、だからぁ、食べられたんだって、俺たち」
うおっ! 足場の絵画がギューンッて急上昇して、俺たちは外にオエッて吐き出されていた。バラバラと散らかるように床に転がる俺たち。ハハハ! 石ころみたいだな!
「ハハハハ!」
「何を笑ってるんですか、ラズ君……。私、頭が混乱して、何が何だか……」
「だから〜、食べられてたんだって、俺たち」
あ、俺のすぐ横で弟も転がってら。髪の毛ぐっちゃぐちゃになってる。
「ロゼフィール、大丈夫か?」
「……よかった、みんな戻ってきたんだ」
「ん? お前も何かしたのか?」
「したって、言うか……僕もあの大きな犬の腕に捕まって、食べられそうになったから、とっさに、首の取れたあの男の手首を掴んで、それで、一緒に口の中に放り込まれた。でも二人分の体が喉に詰まって、犬が咳き込んで、いろいろ吐き出してくれたんだよ」
「首のない男って、お前がビンタで頭を取っちゃったピーコックの体か? アハハハハハ!! お前さいっこーだな!」
久々に腹を抱えて大笑いした。タダじゃ起きない、ロゼフィールらしいよ。
その頭の取れたっていうピーコックの胴体と頭部は、どこにも見当たらないけどな。まだ喉に詰まってるのか?
俺はでっかい絵画の黒い犬ピーコックを見上げた。まだセキを引きずってて、ゲホゴホやってる。
「大丈夫か? ピーコック。自分の分身を喉に詰めるとか、おもしろすぎだろ」
「馬鹿を言うな。自由に消せる分身を、喉に詰めるわけないだろう」
聖女様とダンが、でっかい犬ピーコックを見て絶句した後、大騒ぎした。俺に説明を求めてくるけど、俺もよくわかんないから、へらへらしてることにした。
「吾輩が己の意思で、お前たちを吐き出したのだ。あの鏡に、感謝するんだな」
「鏡って、ロゼのことか? ロゼが何かしたのか?」
ピーコックが地上を見上げた。その血管の浮いた野太い首の動きにつられて、俺も天を仰ぎ見た。
誰かが、俺たちを覗き込んでいた。分身ピーコックに見えるけど、なんだか、おろおろしていて仕草がロゼっぽい。
……ああ、そうなのか。ロゼは俺が遅いから、待ちくたびれて、それでピーコックの姿を借りて駆けつけてくれたんだな。
ロゼが立っているすぐ真下から、段差の緩やかな階段が、ここまで伸びていることに気がついた。手すりとスロープ付きだ。
「階段があるぜー。さっきまで壁の手が隠してたのかな?」
「そこの階段から、地上へ上がれ。吾輩の分身とロゼが、地上で待っているぞ」
「はーい」
俺が返事すると、犬ピーコックは絵画の中に戻って、動かなくなっちまった。
吠えもせず、瞬きもせず、腕の血管すらも見えない。
まるで初めから動くわけねーって感じの、ごく普通の絵画みたいだ。
「兄さん、早く行こうよ……その絵は、人が長く見つめてはいけない類のものだ」
「そうみたいだなー。人の心の黒い部分は、あんまり長く踏み込んでいい場所じゃないよな」
でもケンカって、こういう部分も相手に見せなくちゃいけないから、疲れるし、大変だ。俺の黒い部分、ピーコックはどう感じたんだろうな。
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