第55話   身代わり鏡③

 旅をしながらラズの脳裏で、地図が随時更新されていき、彼は迷うことなく、この屋敷に到着しマシタ。数多の道具たちを経過劣化から守るために、時間の流れをとてつもなく遅くした、この異空間に。


「ラズ、ここは……」


「お城の資料室に忍び込んだときに、ちょこっとだけ見た地図と、旦那様の部屋に侵入したときに古い手紙があってさ。俺、字ぃ読めないけど、絵なら覚えてるよ」


「絵だけで、この場所にたどり着いたのデスカ!?」


 僕もいよいよラズの特殊能力の多さに、目を見張りマシタ。奇妙な子供だな、と思う点は旅の途中で多々ありマシタガ、ついにはっきりと明白に、違和感が。


 これはますます彼を守らねばと思いマシタ。


 屋敷に到着したとき、絵画の中の彼に、事情を話して匿ってもらいマシタ。ラズがようやく休むことができて、眠れる場所ができて、僕も安心しマシタ。そしてラズが寝ている間に、僕は屋敷の書物を、こっそり読み漁りマシタ。何もわからないラズよりも先に、世間を知っておかねばと考えたのデス。


 デスガ、僕も世間知らずデスノデ、モンスター図鑑を五冊ほど読破しただけで、あとはほとんど内容が理解できていマセン。まず何から読むべきかの基準が、僕に出来ていなかったのデス。


 にこだわるミミックの聖女様が来てくれて、本当に助かりマシタ。僕一人では、ラズはあのまま人間もモンスターも襲って喰う子供だったデショウ。




 アノォ……本当になんの音も聞こえないのデスガ……皆さん、ご無事なのデショウカ。


 二階で会う約束をしたラズも、元気に階段を上がってくる気配がアリマセン。まだ侵入者のお二人ともめているのデショウカ。もめている声も聞こえマセンガ。


 侵入者お二人を、全員で外までお見送りしているという可能性もゼロではアリマセン、デスガ、それならば見送りの挨拶をする声が聞こえるはずデス。足音だって……大勢の分が、聞こえるはずデス。


 消えてしまったのデショウカ。ナゼ。どうして。突然全員が消えるなんてこと、あるんデショウカ。何も見えマセン。今朝がた聖女様が、この部屋を去るときに布を被せてくれたからデス。埃が鏡面に付かないようにと、丁寧に被せてくれマシタ。彼女は目に付いた家事を、全てこなそうとシマス。たまに布をかけ忘れることもアリマスガ、それはきっと、僕のような大きな鏡に馴染みがないせいなのだと思いマス。彼女は鏡の僕に、あまりご自分を映しませんから、鏡そのものに馴染みがないのかもしれマセン。


 布越しでは、何も見えマセン。この部屋に飾られたピーコックの絵画も、見えマセン。彼の視線が今、どっちを向いているのかもわかりマセン。


 もしかしたら、絵画の中には、誰の姿も無くなっているかもしれマセン。


 このまま、誰にも会えなかったら、僕はまた永い時間を、ここでじっと過ごすことになるんデスヨネ……。ラズと初めて外に出られて、高い山から果てのない空を見上げたときの感動を、知ってしまったこの身では、永い時間を室内で過ごすだなんて時間は、拷問にも等しいデス……。もっと本も読みたかったデス。もっといろんな場所を、歩いてみたかったデス……。


「ピーコック、そこにイマスカ?」


 声をかけてみマシタ。これで無言であったらば、今度こそ声を失うことなく何度だって呼びかけマス。彼は寝ていたり、無言になる日がありマスカラ。


「なんだ」


 あ。


 その声の距離の近さに、僕は驚きマシタ。彼は今、かなり至近距離にイマス。彼は誰もいなくとも、分身を作ることが可能デス、それは自分個人の「容姿」を持っているから。とても羨ましいデスネ……僕と違って、無人でもいつでも己を生み出して、自由に歩けるのデスカラ。


「ピーコック、皆さんの声がしないんデス。何かあったのデスカ?」


「あった」


「何があったのデスカ?」


「全員、吾輩の地下にいる」


「皆さんごと、地下に落としてしまったのデスネ」


「そうだ」


「地下に落下した侵入者が、肉塊にされる物音や悲鳴は、地上にいる僕には聞こえマセンデシタ」


「耳がいいな」


「ラズと聖女様は、ご無事デスカ?」


「今のところはな」


 ……今のところ? デハ、未来はどうなるか、わからないということデスカ……?


「ピーコック、彼らに何をしているのデスカ。ラズと揉めたことが、そんなに気に障ったのデスカ? あの子は芸術や道具にこだわりがないだけで、悪い人間ではアリマセン。ピーコックとも、仲良くなりたかったんだと思いマス」


「……知っている」


 布越しに、ピーコックが鏡面に触れマシタ。体温が異様に低く、指の腹は固めデス。ラズと比較しただけデスガ、やはりピーコックも完全に人間っぽく分身を作ることは不可能なのデスネ。僕と同じで、少し安心シマシタ。相手も僕と同じ問題を抱えていることに安堵するなんて、なんだか奇妙デスネ。ピーコック相手だと、よくそんな感情を抱くことがアリマス。安堵している暇があるならば、問題の解決に少しでも時間を使ったほうが効率的なのは理解しているのデスガ、それでも僕一人で悩んでいるより、相談したり共感してくれそうな相手がいるというのは違いマス。


「お前は持ち運びに不便な、大型の家具だ。なのに、どうやって遠方はるばる、この屋敷へ運び出された? ラズは魔法が使えないようだし、聖女は最近生まれたミミックだ。どうやって、誰に手引きをされてここまで来た」


「ピーコック?」


「吾輩の質問に答え、そして納得させることができたら、ラズと聖女を返してやっても良い」


「エエ? そんなことをしなくても、答えマスヨ。まさか、僕に質問するためだけに、ラズたちを罠に?」


「それだけが理由ではないのだが。しかし、お前の返答が、奴らの自由に繋がるかもしれんぞ」


 これは……。旦那様と旧知の仲であるピーコックが、疑問に思うのも、理解デキマス。ピーコックは、いつから僕とラズを怪しんでいたのでしょう。すぐに尋ねてこなかったあたり、記憶が戻ってからデショウカ。ここに幼少期の旦那様そっくりのラズが、僕と一緒に大きな鏡を運び入れたのデスカラ、その怪しさは爆発的デショウ、それでも……友人だと思われていなかったことが、悲しいデス。


 ここに来てから、僕はいろんな感情を生み出してイマス。楽しいことや、驚き、感動そして、もっともっと求めてしまう好奇心……。デスガ今は、あまり良い感情を生み出せマセン。


「答えろ、ロゼ」


「ハイ、お答えシマス。僕たちをこのお屋敷へ導いてくださったのは、赤い目をした聖女様デス」


「聖女? 今、地下にいるミミックか」


「イイエ、彼女とは別人であるかと思われマス。もしも彼女ならば、僕たちに初対面のような反応は取らないはずデス」


 屋敷内で調べた地図によると、旦那様とこのお屋敷は、子供の足ではとてもたどり着ける距離ではありませんデシタ。ましてや、重たい鏡を持ってなんて。人里からも離れていマスカラ、かなり準備に気合いを込めなければ、途中で飢え死にしてしまいマス。


「僕たちはお城を脱出した後、旦那様の管理する森を抜ける道中で、聖女様に会いマシタ。ものすごく霧がかっていて、視界はとても悪かったデスガ、あの赤い目を見たとき、彼女が旦那様の言っていた女性なのだと、思いました」


「……」


「聖女様が、森の中から手招きしていマシタ。ラズが、あれは誰だと聞きましたから、聖女様の姿を借りた女神様だと、答えマシタ。僕も、女神様のお導きだと思いマシタ。神々しい後光が差していて、その輝きで霧がみるみる晴れていき、親切な人々に出会い、そして最後に、花畑に囲まれたこのお屋敷が見えたのデス。僕たちは、そんなに長く旅していたわけではなかったのデスヨ」


「あの森と我が森を、聖女が最短で繋げたのか。ラズが聖女を盲目的に信じるわけだな」


「ハイ。ラズは今も、女神様から聖女様が送られてくるものだと、信じているみたいデスヨ」


 ずっと布越しに触れていた手が、離れマシタ。それが何を意味するのか、布越しの僕にはわかりマセン。


「他に、ご質問は? わかる限りのことなら、なんでも話しマスヨ」


 …………。


 どれくらい待ったでしょうか。すぐそばにピーコックの気配はするのに、彼は動かないどころか、なかなか口を開きません。それでも僕が急かさないでいると、咳払いが聞こえマシタ。


「これは、相談なのだが」


「ハイ」


「ラズが、旅に出たがっている。吾輩はお前たちに、屋敷の管理を任せたかったが、無理に縛ることはしない。手入れや掃除は、本人のやる気がなければ丁寧にできないからな」


「ラズが、旅に……ずっと森の中で暮らしてきた子デスカラ、人恋しいのかもしれマセン。もっと多くの人と、出会いたいのかも」


「……ラズはお前と聖女も、旅に同行させたいらしい。だが吾輩は置いていきたいそうだ。ここで全員の帰る場所になってほしいと言われた」


「ピーコックも連れて行くとなると、絵画のうちのどれかを一枚、持って行くことにナリマス。小さい絵画ならば、重たい鏡の僕よりも、持ち運びに適しマスネ。デスガ、ラズはあなたを置いてゆくと」


 まだラズと喧嘩しているんデスネ。どちらも互いの説得に応じないまま、ピーコックが不満をもらしに、僕のもとへ来たと。僕の主人の中には女性もいまして、よく鏡の中の僕に愚痴っていたのを、思い出しました。


「ピーコックは屋敷の手入れをする人員を募集しているのに、置き去りにされるのは、困りマスネ」


「……吾輩はお前たちとなら、上手くやれると思っていた。お前たちは仲が良いからな」


「それは光栄デス」


 僕も、ラズたちと一緒にいろいろな場所へ行きたかったデス。デスガ、この体が長旅に適していないことは自覚してイマス。


「布を、取ってクダサイ、ピーコック。あなたの姿が鏡に映れば、僕はあなたの姿で分身が作れマス。お屋敷のお掃除も手伝えマスヨ。同じ道具として、美しく磨かれたい気持ちは、理解できるつもりデス」


 布がめくられ、様子をうかがうように、ピーコックが小首を傾げながら覗きこみマシタ。


「残るつもりか? ラズと仲が良かったじゃないか」


「彼には、僕は重すぎマスカラ」


 僕は彼の顔で、微笑みを作りマシタ。旦那様とよく似ていますが、あなたは全くの別人デス。動いて働く僕を、必要とするのデスカラ。


「ピーコック、もう心配いりマセンヨ。今まで独りで、お疲れ様デシタ」


 旦那様がお屋敷で孤独だった時、あなたは彼を励まし、その心を支えたのデショウ。次はあなたの番デスネ。


 僕はラズの身代わりに、ここに身を置くことにシマス。


 ラズ、今までずっと姿を貸してくれてて、すごく幸せでした、それから……空を見せてくれて、ありがとう。


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