第54話   身代わり鏡②

 小さな足音。おそらく、子供。扉を閉めて、ほっと息を吐いたのが聞こえマシタ。僕より少し離れた位置で、静かに腰を下ろしたのが衣擦れ具合でわかりマス。


「結婚って、きっとこんな形でするもんじゃないよなぁ……」


 そう呟いているのが聞こえマシタ。当時の僕は、倉庫の外をドタバタ騒がす少年ラズの存在を、なんとなく知ってイマシタ。ラズがお城に来てからというもの、倉庫の中にまで、彼の巻き起こす小さな事件が、聞こえてくるのデス。当時の心が死んでいる僕には、どうでもいいことのように感じていマシタガ、扉越しに聞こえるラズの躍動感は、無意識に僕の心の中に、心地よく染み入っていたようデシタ。


 僕はお城に充満する旦那様の魔力を勝手に吸っており、意識だけははっきりしてマシタカラ、彼に声をかけることが可能デシタガ、永らく誰にも期待せずに過ごしてきた自分を鼓舞するのは、大変デシタ。


「ラズ……デスカ?」


 衣擦れの音が、素早く立ち上がったラズの動きを僕に伝えマシタ。


「誰だ? 俺がここに隠れてること、みんなには秘密なー?」


「了解シマシタ」


 倉庫の外から、ラズを探す声が幾つも聞こえては通り過ぎていきマス。


「今度は、何をして叱られているのデスカ?」


「ああ、俺がしょっちゅう叱られてるの、知ってるんだ。じつはさー、今日が旦那様の娘さんと、俺が結婚する日でー、さっきみんなでメシ食ってたんだけどー……なんか、こういうの違うって思ってさー……」


 旦那様にお嬢様がお産まれになっていたとは、この時に初めて知りマシタ。あの時、旦那様の髪に手を伸ばさなければ、僕はお嬢様と語らう旦那様の横顔を、映すことができたのかもしれマセン。


「俺、旦那様には一応、世話になってるし、指示された結婚でも、まあいいかなーって思ってたんだけど、相手がさー……人間と結婚するの嫌がってるんだよ。食事会が、それで荒れてさー……俺もう、イスに座ってられなくて、逃げてきたんだよ」


 ラズが旦那様の娘さんの婚約者だったことも、その日初めて知りマシタ。


「俺は悪い子なのかー? 旦那様に嫌われたら、俺どうなっちゃうのかな。でも、嫌がってる相手と結婚なんて、しちゃいけない気がするし、俺も、裸見せるのヤだしなー」


 道具の僕が質問をされるのは、初めてではありませんデシタ。しかし自我の薄かった昔の僕では、おかしな返答ばかりで。そもそも質問の意味を理解していなかったんだと思いマス。


 シカシ、今は違いマス。


「……ラズは、悪くアリマセン。逃げることができて良かったデス」


 布越しに、ラズが驚きと安堵の入り混じった声でお礼を言うのが聞こえマシタ。


 城内で孤立しているラズを肯定救済したのは、きっと僕が初めてだったのデショウ。


「僕はローゼン・シュピーゲルといいます。ラズ、倉庫に大きな鏡があるのが見えマスカ? 鎖と布で、ぐるぐる巻きにされているのがそうデス。鎖と布を、全て取ってクダサイ。そうしてくれたら、必ずあなたを救出するとお約束シマス」


 ラズがギョッと息を吸ったのが聞こえました。


「旦那様こえーぞ? お前、勝てるのか?」


「ハイ」


 ラズが戸惑いがちに近づいてくるのが、彼の浅い息遣いでわかりマシタ。不慣れな細い指は、やがて決意をこめて手際よく拘束を解いていきマシタ。ラズの、自由になりたいと望む意志が、そうさせているのだとわかりマシタ。

 倉庫の外では、ラズの捕獲目的に探している声が聞こえマス。さぞかし恐ろしかったデショウ、布を引き下ろしてくれたラズは、僕が想像していたよりもずっとずっと小さくて、幼かったのデスカラ。


「ありがとうゴザイマス、ラズ。この倉庫のとなりの掃除道具室に、窓があるので、そこから外に脱出できるかと。僕が時間を稼ぐので、どうかその隙に、自由になってクダサイ」


「え? 俺のために? 何をする気なんだ?」


「僕なら、大丈夫デス。どうかお気になさらずに」


 ラズが怪訝そうに鏡面を眺めてイマス。僕に言われていることの意味が、全く理解できないといった顔デス。その顔のまま、鏡面から彼のドッペルゲンガーを作りだして、床に着地しマシタ。


「うわあ!?」


「声が大きいデス、ラズ。見つかってしまいマス」


 ラズが慌てて口を両手でふさぎマシタ。そして辺りをうかがうので、僕も聞き耳を立てて、誰も付近にいないことを確認しマシタ。


「……え? お前、すごくないか? 俺そっくりなヤツが鏡から出てきたぞ」


「ハイ。僕は鏡に映った相手の姿を、そのまま借りることができるんデス。最長一日しか保ちマセンから、僕が消えたら再度鏡の前に立って呼んでクダサイ」


「わかった……でも、お前が俺の代わりに怒られるなんて、なんかヤだなー。俺がやってほしいことって、そんなことじゃないもん。もっとお前と話していたいよ」


 ……ラズの不満げに寄った眉毛が、本心からそう願っているのだと、うかがえマシタ。


「デモ、僕はラズを楽しませるような話題を、何も持っていマセン。何も知らない、虚像の僕との会話は、きっと時間を無為に使うことにナリマス」


「俺もいろんなこと知らねーよー。なんでか誰も教えてくれねーんだよな。俺がなんでも覚えちまうから、困るんだってさ〜」


 ラズがへらへら笑って言いマシタ。僕が初めて見た、彼の笑顔。


 当時の僕は、ラズの言っていることが何を意味するのか、わかりませんデシタ。すでにラズは、この城でも手に負えない存在となっていたのデス。


「なあ、上を脱いで背中を見せてくれないか」


「え? スミマセン、僕はこの服が脱げないんデス。今のあなたを丸ごと映してるだけナノデ」


「じゃあダメだ。すぐにばれちまう」


 うーん、とラズが両腕を組んで考えマス。その間、僕は自身の背中に何かあるのかと首を回して確認していマシタガ、特に不自然に思うものは何もありマセンデシタ。


「えっとー、どうしようかな……そうだ! お前も一緒に逃げようよ。倉庫にいたって退屈だろ?」


「エ」


「どうせ逃げるんなら、お前も自由になろうぜ! ずっと鎖に縛られてちゃ、どこにも行けねーよ」


「一緒に、逃げる……?」


 ラズは僕を家具としてではなく、同じ人間のように扱っていマシタ。嬉しかった反面、これは僕には無用な感情なのだと悲しくもなりマシタ。


「ありがとうゴザイマス、ラズ。デスガ、僕にはできマセン」


「なんでだ?」


「僕の本体は、この大きくて重たい鏡ナンデス。僕はコレから遠く離れると、ラズの写しを正常に維持することが、できなくなるんデス。だから、一緒に遠くまでは、逃げられマセン」


 僕は置いていってもらう気でイマシタ。そんな僕の目の前で、ラズが鏡の足を「うんしょっと」と苦しそうな顔で持ち上げて見せました。


「うう、こりゃあ、たしかに、重てぇな……」


 しかめっ面で頭をぼりぼり、みるみる頭がぼさぼさに。そんなラズが、ふと、僕の姿に目を留めました。


「そうだ! 二人でなら運び出せるんじゃないか!?」


「エエ!?」


「ほら、俺が鏡全体をおんぶするから、お前は後ろから足を持ち上げててくれ。なんか鏡より、この足がいちばん重たい気がするから、この部分をどうにか宙に浮かせててくれ。疲れたら休憩、そのあと役割を交代しよう」


「ラズ……」


 こんなに重たい鏡を背負っていては、きっと追っ手から逃げきれマセン。僕はそう言って説得しましたが、ラズは聞く耳を持たずに鏡を背負ってしまい、大きくよろけたので、やむをえず僕が後ろ足を持ちました。


 となりの掃除用具室の窓から、外に出るのは、とてつもなく大変デシタガ、


「お前が先に行って、窓の縁をまたぐように座っててくれ。俺が鏡を、なんとか窓の外まで押し出すから、お前は窓の縁から鏡の引き上げを手伝ってくれ」


「ハイ」


 日頃から鍛えているらしきラズは身体能力が非常に高く、鏡の足を肩にかけて窓から押し出すという荒技を生み出し、僕もそれを引っ張り上げて、なんとかなりマシタ。


 鏡面は無事でしたが、彫刻の花弁が窓枠にぶつかって、いくつか破損しマシタ。デスガ、不思議と怖くはアリマセンデシタ。


 彼を外に逃がし、僕が彼の身代わりとなって追っ手に粉々に割られるのが、きっと僕の道具としての最期の役割なのだと悟ってイマシタ。


 デスカラ、今日この日まで一緒にいられるなんて、思ってもみまセンデシタネ。



 ただ自由になりたいという欲求のまま、僕たちは宛ての無い旅に出かけマシタ。すぐに捕まってしまう、そう思っていた僕の前に、手招きで導いてくれる女性が現れマシタ。


「ん~? 誰だ~?」


「あれは――」


 濃く霧がかった森の中で、彼女の真っ赤な瞳が輝いていマシタ。僕は彼女を、何度か映したことがありマシタ。生身の人間であるならば、すでに亡くなっているお歳のはずデスガ……。


「お腹すいたなー。ロゼ、あの姉ちゃんから食べ物分けてもらおうぜ」


「エ? ア、ハイ……」


 シカシ、どんなに歩いても彼女に追いつくことができマセンデシタ。彼女の軽やかな足取りから生まれる一歩は、驚異的な飛距離をもって僕たちから遠ざかってゆくのデス。


「んー? ロゼ、あそこに小さい家があるぞ。煙が出てら」


 こんな所に、土木関係者の詰所が。


「変なのー。旦那様んとこで見た周辺の地図には、この辺りに建物なんてなかったのに」


 外の光に照らされたラズは、目の色がもう少し濃い紫色だった気がしマス。下を向くと、真っ黒に見えマシタ。


 その後、僕たちは不思議と女神様の敬虔な信者の家々ばかりに当たり、施しを受けながら旅を続けることができマシタ。


「お前さん、この子たちはお城で雇われてるんだってよ。何か食べる物、残ってなかったかい」


「ああ、今朝の残りがあったな。そうかそうか、あの真っ黒なお城から、この荷物を運べって命令されたのか。まだ小さいのに大変だなぁ」


 そのような設定の作り話に、皆様、だまされてくれマシタ。


 旅をするうちに、だんだんとラズの顔色が良くなってくるのがわかりマシタ。それは黒に近かった彼の目の彩度が、高くなってきたせい。僕はラズがもっといろんな人と触れ合えば、もっと美しくなるのではないかと思いマシタガ、追われている身で悠長な事はできマセン。


 お世話になった人に、名乗らないのは不自然に思われマス。ラズは僕を「ロゼフィール」と紹介しマシタ。文字通り鏡写しな僕たちは、旅の間は双子の兄弟という設定にしていマシタ。


 僕の本当の名前は、ローゼン・シュピーゲルローゼンが作った鏡です。ロゼフィールとは、どなたの名前なのかと、ラズに尋ねマシタ。


「さあ? あんまり思い出せないけど、大切な人の名前だったことは、覚えてるよ」


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