第53話   身代わり鏡①

 驚きマシタ。侵入者のお一人が、ラズの身内だったなんて。それも、武器を構えて襲ってくるなんて。ラズは大丈夫デショウカ、身内の絆は人間にとって特別になりやすいと、本に書いてアリマシタ。


 聖女様も元の姿に戻ってしまって、今は敵の手中に、物理的に収まってイマス。僕だけお部屋に戻ってしまったのデスガ、それは何かの作戦があったわけではなくて、ただ単に、生首状態の自分が恥ずかしかったからという、誠に自分本位な衝動から生じた感情ゆえデシタ。道具は使い手の役に立ってこそなのに……いろいろな感情が芽生えるようになった以降は、失敗すると恥ずかしくなったり、穴の中に入って隠れてしまいたくなりマス。


 このまま僕は、逃げたり隠れたりしてしまう心に、悩み続けるのデショウカ……以前の自分にできていて、今の自分にできないことが、どんどん増えていくのデショウカ。少し、怖いデス。考え過ぎデショウカ……。


 一人で静かな部屋にいるから、いろいろと思案してしまうのかも。ああ早く、誰か来てくれないデショウカ。僕もピーコックのように、いつでも自由に、歩ければいいのに。


 こうして誰かを待っていると、旦那様のお城の倉庫で、鎖と布でがんじがらめにされて収納されていた日々を、思い出してシマイマス。あの時は、もう誰からも必要とされないんだと思いこみ、誰からの救済も、期待しなくなってイマシタ。初めて自由に外を歩き回ったのは、いつだったデショウ。あの日が間違いなく、僕の大切な記念日となりマシタ。



 僕の役割は、どうしてだか鏡に映りこまないヴァンパイアの皆さんの、身だしなみを整えるために、そのドッペルゲンガーを生み出して、鏡面から登場させることデシタ。


 普通の鏡としての使い方もできマスガ、僕を愛用するのは、もっぱらヴァンパイアの皆様デシタ。鏡職人のローゼンは、生涯をかけて僕を作ったそうで、その製造方法は謎に包まれており、現在も類似品がないそうデス。


 その結果ヴァンパイア界隈では、僕を奪い合っての争いが絶えなかったそうデス。生き物は鏡に映らなくても生きていけるはずデスガ、やはり鏡にくっきりと映る自分の顔に、出会いたいのデショウ。


 僕はいろいろな人の手に渡り、彼らのドッペルゲンガーを、数分ほど顕現させてイマシタ。


 歴代の主人の顔は、全て記憶してイマス。日々黙々と、作業をこなしていた記憶も残ってイマス。デスガ、当時の僕の、僕としての自我は、まだ相当におぼろげだったような気がシマス。


 無心で作業ができるほどのわずかな自我が、あらかじめ作られていたのかもしれマセン。


 あるとき僕は、歴代の主人の中で、飛び抜けて美しい男性のもとに渡りマシタ。彼は画商や古美術商などを手がけており、客商売ゆえに毎日身だしなみには気を遣っていマシタ。それでも、髪の後ろが跳ねていたりと、いつもほんのちょっとだけ気になる箇所を残す人であり、どうやら本気で気づいていないようデシタ。


「よし、もう分身を消していいぞ」


「了解しマシタ」


 交わすのは、いつも最低限の会話だけ。「分身を出せ」と、「分身を消せ」の二つ。僕が実行するのも、その二つだけ。


 僕は主人の、ほんのちょっとの気になる部分を、手で直してあげたり、指摘してあげたいと思うようになりマシタ。喜んでもらえるデショウカ? 笑顔でお礼を言われたりするのデショウカ? もっとたくさん、お話してくれるデショウカ。


 無意識に抱いた欲求は、日に日に強くなりマシタ。もっとこうしたら素敵になるのに、という気になる点は、僕の自我をどんどん育てていき、ついにドッペルゲンガーを、意図せず動かしてしまいマシタ。主人のダークブラウンの後頭部に、手を伸ばしてしまい、気づいて振り向いた主人に、手首を掴まれマシタ。


「……何の真似だ」


 とても恐ろしいお顔デシタ。僕は、返事以外の言葉を喋った経験がありませんデシタ。とっさの言い訳も、用意なんてしておらず、口から漏れたのは、言葉にならないうめき声だけデシタ。


 旦那様が鏡を一瞥、姿が映らないのを確認した後、再び目尻を吊り上げマシタ。


 目にも留まらぬ速さで僕の首を掴み、ギリギリと締め上げマシタ。


「私の顔で、勝手に泣くんじゃない!!」


 言われるまで、泣いていることに気づきマセンデシタ。


 当時の僕は、何もわかりマセンデシタ。涙の堪え方も知りマセンデシタ。泣き虫だった、と言うよりかは、主人の予想外の反応と暴力にびっくりして、パニックを起こしたんだと思いマス。自分でも繊細過ぎると思いマスガ、一度泣くと止まらないのは今でも直っていマセン。


 今思えば、鏡以外の働きを、絶対的に求められていなかったことに……そして、ことに、衝撃が隠せず、激しい悲しみが溢れて、止まらなかったんだと思いマス。


「泣くな!! 私はもう二度と涙は流すまいと誓ったのだ! 血も涙も、人であることも捨て、ヴァンパイアどもと渡り合って生きると決めた! そんな私の心をも模せずして、何が鏡だ! 笑わせるな!」


 中身のない僕の体は簡単に持ち上がり、握り締められた首は、あっさりとちぎれてしまいマシタ。


 床にばらばらと散らかる、肢体。意識が遠のき、その後どうなったのかは、わかりマセン。僕が作った仮初めの姿は、しぼんで消えてしまったんだと思いマス。操るための意識がないと、ドッペルゲンガーは制御できマセン。



 人は、何のために鏡を見るのデショウカ。他人の目に映る自分を、自分自身が納得できる姿になるまで整えるためだと僕は思いマス。鏡は主人の戦化粧を手伝う最高の相棒であると同時に、それ以外の事は、一切してはなりマセン。


 僕は鏡のくせに、それを知りマセンデシタ。


 旦那様が強い覚悟を抱いて、日々身なりを整えていたというのに、何も知らない僕は、軽い気持ちで物理的に手を伸ばしマシタ。旦那様のいつも通りの一日を、壊してしまったのデス。


 虚像が意志を持って勝手に歩き出すのは、主人への最大限の裏切りとなるのデショウ。僕が写す主人の姿は、主人の身なりを整えるための、そのためだけの、借りモノなのデスカラ。


 大事な商談を控えてイマシタ。旦那様がその後どうやって身なりを整えていったのかは、わかりマセン。使用人は多い人でしたから、彼らがなんとかしたんだとは思うのデスガ。


 ……気が付くと、僕はお城の倉庫に、鎖と布でがんじがらめにされて収納されていマシタ。



「あんなに大事になさっていた鏡なのに、なぜ急に、仕舞い込まれたのだろう」


「これは噂だが、鏡が生んだドッペルゲンガーが、勝手に動き出したあげく、旦那様の頭を撫でようとしたそうだぞ」


「なんだって!? 旦那様は哀れまれるのを一番嫌うお人だ。身の程知らずも甚だしい、叩き割られてもおかしくないぞ」


「価値のある鏡だ、そのうちどこかにお売りになるんだろ」


 倉庫の扉越しから、様々な噂話が一人歩きしていマシタ。強く生きると決めた旦那様の頭を、中途半端な哀れみを込めて撫でるのは、確かに逆鱗に触れることかもしれマセンガ、僕がしたかったのは、後頭部がぐしゃっとなってるのを直して差し上げたかっただけ。弁明しようにも、ここは数ある倉庫の中でも滅多に人が整理に入らない、寂しい場所。話を聞いてくれる人もいなければ、僕の鏡面は布に覆われているので、誰の姿も映せマセン。


 そうしているうちに、だんだん声を発するのが恥ずかしくなってイマシタ。旦那様を怒らせて倉庫送りにされた道具という肩書きが、僕から声を奪いマシタ。


 自覚はありマセンガ、僕は永い時間を、倉庫の中で過ごしていたようデス。


 ここでは誰からも必要とされないのだと思いこみ、僕は誰からの救済も、期待しなくなってイマシタ。期待すると傷付く自我に、困惑したまま、何もできずにじっとしてイマシタ。



 そんなある日のことデシタ。誰かが、倉庫に入ってきたのデス。


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