第51話   欲しがりの手①

 ダンさんの大胆な行動には、呆れと恐怖が入り混じってしまいます。私たちの足元を照らしてくれる、小さなロウソクの絵を、額縁ごと炎の魔法で燃やしながら進んで行くんですよ。


「ちょっとちょっとダンさん! ピーコックさんが大事に保管してきた絵を、そんな無遠慮にボーボー燃やしますか!?」


「仕方ないだろう。いくら王子を呼んでもピクチャーデーモンを呼んでも、何の返事もない。それどころか、お前専用の出入り口も全く見つからないぞ。こっちは王子とはぐれて、一刻の猶予もないのだ、これ以上の時間の浪費は絶対的に許されん!」


 私を片手に持っているのはダンさんなので、ここでいくら発言しようとも、私の意見はあまり聞き入れてもらえません。


「誰でも良いから出てこい!! これ以上、大事な絵画を燃やされたくないのならばな!!」


 あーあーもう、すごい火力です。灰になるとか、じわじわ炭になるとか、そんな過程を吹っ飛ばして、花火みたいに火の粉をばらまいて、パッと消えてしまうんですよ。一瞬にして燃え消してしまうんです。私たちにこの魔法が当たらなくてよかった……。


 それにしても、本当に皆さんの姿が見当たりませんね。どこに行ってしまったんでしょう。


 ダンさんが進行方向にある絵画をどんどん燃やしていくので、私たちの後ろは真っ暗闇です。炎の魔法が使えるダンさんにとっては、誰かが用意してくれた明かりなど無用なのでしょうが、ピーコックさんの縄張りとも言える地下室内で、こんなにも大胆に暴れられる度胸は、賞賛に値しますね……。


 道しるべもなくて、困っています。ダンさんがどこまで歩いていっても、似たような景色ばかりで、なんだか一向に先に進んでいる気がしないんです。ろうそくの絵も、燃やしても燃やしても、似たような作品が飾ってあって……同じ絵ばかり集めすぎでは。


 頭上を仰ぎみれば、相変わらず長方形の穴があります。私たちはあそこから落下したんですが……ダンさんには明らかに屋敷外まで続く長距離を歩いてもらったというのに、まだ頭上に長方形が見えるのは、おかしいですよね。満月と地球並みに距離があるとは考えにくいですし、これは、いったい……。


 あ、そうですよ、こういう時は目印をつけるに限ります。


「ダンさん、絵を燃やすのは、ひとまずやめてください」


「なぜだ」


「燃やすのではなく、少し焦がす程度にしましょう。もしも私たちの進行方向に、まだ焦がしていないのに焦げている絵があったら、私たちは同じ道をぐるぐる歩かされていることになります。そうなっていた場合は、別の方法を考えなくては……」


「そんなことを調べて何になる。ヤツの一部である絵画を燃やすだけでは足りんのなら、次はこの壁に生えている気持ち悪い腕どもを、燃やし尽くしてやるだけだ」


「それも多分、効果ないと思いますよ。ダンさんの火力で、周囲の壁も一緒に燃えてますけど、黒い腕たちが弱っているふうには見えませんでした。この地下では、魔法が効かないのかもしれません」


「では直接、拳で壁に穴をあけてやる」


「……わかりました、全てダンさんにお任せします」


 頼りになりすぎて、私の提案を全く聞き入れてくれません。せめて少しは立ち止まって、周囲の様子を観察する時間をくれませんかね。ダンさんは、立ち止まっている暇があったら行動するタイプなんでしょうが、私はもう少しこの不可思議な空間をじっくり観察したいんですよね。せめて私を床に下ろしてもらえないでしょうか、でもダンさんになんと言えば下ろしてくれるでしょう。


 ああ、もう、壁を殴り始めましたよ、この人。腕たちがグミみたいにブニュッと潰されますが、またすぐに復活して、うねうねと動きだします。全然効いていない素振りの腕たちに腹が立ったのか、同じところを執拗に攻撃するダンさん。焦ってるんでしょうね……。


 あら、ダンさんが立ち止まっているおかげで、今のうちに周囲が見渡せますね。どこもかしこも、薄暗くて、壁には手がびっしり生え――ん……? あの腕だけ、手首にロープのような紐が付いてますね。でもダンさんに相談すると、問答無用で攻撃してきそうです。もう少しだけ、私一人で観察してみましょう。


 ロープのついた腕の周辺に、薄暗くてわかりづらいですが、何かが隠れていますね……それは大量の腕たちに高密度で抱きしめられる形で、隠されていました。金色の大きな額縁に飾られた絵画のようです。ロープのついた腕は、その絵画のど真ん中から生えているようでした。


 ああ、ダンさんが殴る位置を変えるのか歩きだしました。この薄暗い中で移動されては、うっかり絵を見失ってしまいます。ここは素直にダンさんに教えましょう。


「ダンさん、そこの壁の、金色っぽい物が見えますか? あそこに、近寄りすぎない程度に近づいてください」


 って、指を差して丁寧にお願いしたのに、ダンさんは視界に絵を捉えるなり、炎を宿した拳を振り上げて「そこかああ!!」って突進するんですよ!


「待って! 止まってください! あの絵は燃やしてはいけません!」


「では破壊する!」


「それもダメです! ちょっとだけ近づいてくださいってば!」


 大型トラックでももう少し小回り効きますよ。まあ、立ち止まってくれて助かりましたけど……あら? 絵を抱きしめる腕がどんどん増えてきて、額縁が壁の中にずぶずぶと沈んでいきます。


 なんと指示したらよいか私が迷っている間に、ダンさんが大きな胸の谷間に私を押し込んで、両手を自由にし、壁に駆け寄って雑草のごとく黒い腕たちを引きちぎり始めました。どんどん露わになる、けっこう横幅のある大きな絵。高さはダンさんの等身大ほど。額縁のデザインは、あの地下室ピーコックさんの絵画の額縁とよく似ていました。偶然、なのでしょうか?


 黒い腕はちぎってもちぎっても、またすぐに生えてきます。何度も絵を抱きしめ、隠そうとするのです。


「これが我々の脱出する手掛かりとなりそうだな! 明らかに他の絵と扱いが違う!」


 うわ、壁から絵画を豪快に引きはがしましたよ、このゴリラ。横に三メートルくらいある長い絵で、よく一人で引っぺがせたものだと驚かされました。さらにさらにダンさんは、額縁下部分を思い切り床に叩きつけて、床に突き刺して自立させました。未だかつて美術品を、ここまで手荒く扱う人は見たことがありません。


「さあ燃やすぞ!」


「ちょ、だから待ってくださいってば! その絵、よく見せてください。ピーコックさんの姿があれば、話しかけることができるかもしれません」


「この絵の中に、ヤツがいるのか?」


「はい。ピーコックさんはお屋敷の絵の中に住んでいますから、今この絵の中にも、姿があるかもしれません」


 寸でのところで難を逃れたキャンバスには、真っ黒な大型犬を真ん中に挟んで、無表情に真正面を見据える双子の男の子が描かれていました。どうしてでしょう、大型ワンちゃんの口の中から、黒い腕が生えています……しかも手招きしているんですよ。手首に巻き付いたロープを揺らしながら。ダンさんがいなかったら、その意味不明さと恐怖で、泣いていたかもしれません。


 ピーコックさんの姿は……どこにもありませんね。


「ラズ君と、弟のロゼフィール君でしょうか? 絵の中に閉じ込められているみたいですね」


 以前ピーコックさんが、どこからか人間の子供たちを誘拐して、絵画の中に閉じ込めてしまうという事件を起こしました。それと同様のことを、どうしてラズ君まで巻き込んで実行を……。


「違うぞ、ミミック。仲間を見間違えるとは、お前の目は節穴か」


「そうですか? どう見ても、ラズ君でしょう」


「生え際と、目の色が違う。服装も上品だ」


 生え際の位置までは、細かく覚えていませんね。けれど、たしかに、よく見るとラズ君の目の色が、空色より少し暗いような……あれ? 黒い? 目の中にもじゃもじゃと、細かい文字がいっぱい書かれています。すごい密度で。しかも微妙に動いていて、文字同士も重なり合ったりと、この薄暗さでは高難易度の脳トレです。しかも私はまだこの世界の言語をマスターしていませんから、早い話が、全く読めません。


 これは厄介な抽象画ですね。いったい何を表現した絵なのか、全くもって理解できません。大きなキャンバスに丸や四角しかない作品よりかは、考察が進みそうですが、動く文字が、本当に読めません。密度が高すぎて、ひらがなでも読める自信がないです。


「これは……人が描いたものではないな」


「同感です。魔法、ですかね」


 わからないことを全て魔法に置き換えてしまっても、その魔法がよくわからないので、けっきょく何もわからないままなんですよね、この世界。


 ダンさんは文字を拾い読みしようとしたのでしょう、絵に顔を近づけたその時、黒いワンちゃんの口から生えたロープ付きの腕が、私を掴んで引っ張ったので、ダンさんが思いきり振り払いました。あらぬ方向へ曲がりくねる、ロープ付きの手首。


「おい犬! なんだその特殊な形状のベロは。言いたいことがあるならば、舌ではなく声に出せ!」


 ……あ、ワンちゃんが、そっぽを向いてしまいました。あなただけ自由に動くんですね。


 ん? この黒いワンちゃん、体全体にびっしりと文字が。ああ、そもそも体が文字の塊でできているんですね。


「何か細々こまごまと書いてあるようだが、暗くて読めん」


 ダンさんがギュッと握った片手をひらくと、大きな火の玉が、磁石で浮くオモチャのように浮かび上がりました。至近距離で火をボッと出されるとびっくりしますね。先ほどから魔法を目の前でバンバン使われるので、羨ましくって仕方ありません。いつか私にも、できるようになるでしょうか。


 今は、魔法に見惚れている場合ではありませんでした。明るい炎に照らされて、双子ちゃんの目の中を泳ぎ回る文字を、ダンさんが視線で追いながら、つたなく音読していきます。


 左の子の黒い目の中には、いろんな書体で書かれた「ラザフィール」、右の子の目の中も、様々な書体でびっしりと泳ぎ回る「ロゼフィール」で真っ黒になるまで埋め尽くされていました。


 ダンさんが後ろに下がりました。胸に突っ込んでいた私を、再び片手に戻します。


「ラズ君たちと、同じ名前ですね」


「だが、別人だ」


「そうですね、生え際が違うそうですから。コレらはおそらく、ここで暮らしていた初代双子ちゃんの名前でしょう。この絵は、初代双子ちゃんの、子供時代の肖像画なんだと思います」


 あ、ダンさんに初代双子と言っても通じないでしょうか。そう思って尋ねると、ダンさんはロゼフィール君のご先祖様の歴史も、予習済みでありました。ほんっとに隙がありませんね……。


「でも、どうしてこんな所に、隠されて……誰にも観てもらえませんよ、こんな薄暗くて不気味な場所だと。最初から誰の目にも触れさせるつもりが、なかったのでしょうか」


「犬のほうも、文字で埋め尽くされているな。どうせ犬の名前だろ」


「ダンさん、どうか犬のほうも読んでもらえませんか。ワンちゃんだけが、全身びっしり黒く書き潰されているのが気になります」


「……ハァ、骨が折れるな」


 露骨に嫌がるダンさんをなんとか説得し、読み上げてもらった文字は、どこかで聞いたことのある単語ばかりでした。ピーコックさんが話してくれた、日記の内容だったのです。


 このワンちゃんは、いったい、なんなのでしょうか……。


「なんだ? 城で習った史実と、真逆のことばかり書いてあるじゃないか」


「そ、そうですね、史実と、違いますよね……」


 ダンさんとロゼフィール君が習ってきたのは、偽りの歴史です。しかし今それを訂正したって、ダンさんたちは信じないでしょうし、今はお勉強ではなくて脱出するための手掛かりを探す時間です。


 ワンチャンが鼻先を地面に押し付けて、腕を口の中にモゴモゴとしまってしまいました。口をモグモグしながら、私たちと向き合います。


 ……無言で見つめ合う、ワンちゃんと私とダンさん。


 ど、どうしましょう……。


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