第48話   呪われた理由を知りたい①

 俺が落ちそうになると、いつも大きな黒い手が受け止めてくれて、そのまま廊下に戻してくれた。けど、今日の手は、ゆっくりと地下へと降りてゆく。


 木枯らしとかじゃなくて、暖かくて優しい風に乗った葉っぱみたいに、ゆっくり揺れながら、降りていった。


 俺の背中にはロゼフィールがしがみ付いていて、壁から伸びる大小様々な手の平を、悲鳴上げながら神経質に叩いている。


「天井や床が降ったり落ちたりするとは聞いていたけれど、壁にこんなモノがあるなんて……」


「初めて見たら、びっくりするよなぁ」


 もしも大きな手が、来てくれなかったら、俺たちがピーコックの夕飯になってたのかなぁ。


「聖女様たち、無事かなー。先に下まで落ちちゃったけど。まあ大丈夫か、俺も助けてくれてるんだし、聖女様ならもっと助けてくれてるだろ。お前の連れは、わかんないけど」


「フン、ダンの硬さを甘くみるなよ。きっと大丈夫だ!」


 なんで相棒の話になると強気になるんだろうな〜。ま、それだけ信頼できる相手がいるって事は、いいことなんだろうけどさ。


 まだまだ降りていくなぁ。きっと落ちるときは一瞬なんだろうな。こんなに長くゆっくり降りていくと、後ろのロゼフィールがまた叫びだしてて、ちょっとおもしろい。


「ダーン!」


 あ、ついに相棒の名前を呼びだした。


 弟の不安そうな声は、どこまでもこだまして、こだまして、俺はちょっと変だなって思ったよ。声がどこまでも響きすぎる。この屋敷の地下って、こんなに、広かったか? 壁が黒いのと、薄暗いせいで、目視じゃ距離感がわからない。


 ……返事は、こないなぁ。あの従者が無視するような性格には見えなかったし、これは本当にロゼフィールの声が届いてないんだな。


 じゃあ俺も〜!


「聖女様〜! ローゼ〜! ピーコック〜!」


 ……あ、声が返ってこないと、すごく不安な気持ちになるんだな。みんな、今どうなってるんだろう。確認したいのに確認できないことが、不安になる。


 ロゼフィールが俺の肩越しに、下の方を眺めた。俺がふざけて少し身を乗り出したら、ビクリと震えて、また後ろに引っ込んだ。高い所が苦手なのか? 昔はベランダの手すりに、よく上ってたのにな。あ、高さが全然違うか。


「兄さん、この先、どうなってるの……? まさか、強力な酸性の胃液が、たっぷりとか」


「何もなかったぞ〜?」


「入ったことあるの!?」


「うん、階段があるんだ」


「……階段、あるんだ……」


 背中越しにロゼフィールが、ため息をついたのが聞こえた。


「なんだか、管理人みたいな台詞だね。兄さんはここで、人食い屋敷を管理してたの?」


「うん」


「なんの迷いもなく返事しないでほしかったよ……。まさか、人の肉とか、食べてたの?」


「うん。兎とかも食べてたけど」


「…………」


 きっとさぁ、俺のしゃべる言葉ひとつひとつが、ロゼフィールの頭の中にある「普通」と違うんだろうなぁ。俺も今の弟のこと、よく知らねーし、まぁ、おあいこだわな~。


 聖女様って、口癖みたいに普通普通って言うんだけど、初めのころは、どうしてそんなことにこだわるのかな~って、不思議だった。けど、けっこう大事なことなんだなって、今では思う。


 聖女様と俺の「普通」も、弟と俺の「普通」も違うけど、でも聖女様はがっかりしたり、怒ったりしないし、聖女様は頭の中にある「普通」の説明をしてくれるから、俺も合わせやすいよ。しかも、身だしなみっていうのを守るようにしたら、体や頭が痒くならないんだ。料理も、名前や材料を知ったら、今までよりすごく楽しくなったし。


 いつか弟と俺の「普通」も、無理なく合わせられるのが普通になればいいな。あー、でも、そうなると、人間とモンスターが友達になるのが「普通」にならなきゃいけないかな~。何年後だろうな……。


 弟はすぐ後ろにいるのに。こんなに近くにいるのに。すごく遠くの人に感じて、すごく寂しくなった。


 でも俺、聖女様とロゼから離れたくないよ。だからまだ、弟の普通に合わせちゃいらんない。


 弟も俺のこと、きっと遠くにいる人だって、思ってるんだろうな。


 距離って、不思議だな。



 お互いに黙ったまま、じっとしていた。やがて手のひらが動かなくなったのがわかって、おそるおそる足を出したら、床に着いていた。


「着いたぞ、ロゼフィール」


「兄さんは、こんなうねうねした紐に背中を撫でられてて、よく平気だったね」


「え? 俺ぜんぜんなでられてねーぞ?」


「え……? あ! 僕を盾にしたな!」


「そうなのか~? ありがとな!」


 俺は弟に背中を叩かれながら、床に両足をつけて数歩だけ歩いてみた。薄暗いなぁ。もうちょっと明かりになる絵が、壁に増えてくれたらいいな。


「あ、そうだ、明かりになる絵を壁から外そうっと」


 俺はそのへんの絵を、触手と引っ張り合って、勝ち取った。


「兄さん、よく近づけるね。引っ張り込まれたらどうしようとか、取り込まれたらどうしようとか、思わないの?」


「これはピーコックの一部だぞ? ピーコックは俺のこと嫌ってるから、取り込まねーさ」


「……本当? 法則が定まっていない以上、僕は何も信じられない」


 なんかブツブツ言ってるけど、まあ心配しててもキリがないから、先に進むな~。


「待って兄さん! 僕の分の絵も取ってよ」


「え~? 自分で取れよ」


「やだよ、できないよ!」


 も~、すぐ癇癪起こすところが、昔とちっとも変わってねーじゃん。昔から卵の白身とか、風邪ひいたときの自分の鼻水とか、手に付くと大騒ぎして手洗いするんだぜ? カエルとか虫は手づかみなくせにさ。


「ほら、取れたぞ」


「あ、ありがとぉ……」


 めっちゃ辺りをきょろきょろしてるな、不安なんだなぁ。俺も森にいて霧が深くなってきたら、不安になるな。寒いし、視界は悪くなるし。どうして乾燥した山の上なのに、森だけ霧が深かったんだろう。あれも旦那様の魔法なのかな。


 俺はずーっと、旦那様の魔法の中で守られてたのかな。今ピーコックが俺たちを、屋敷の中で守ってるみたいに。


「兄さん、早く階段、いこ」


「ああ、そうだったな。ここ広そうだし、別々に分かれて探そうぜ」


「ええ!? やだよ……あ、ゴホンッ! べつに怖くなんてないけど、僕はこの屋敷に不慣れなんだから、こんな薄暗さじゃ階段があっても気づかず素通りしてしまうよ」


「そっか~、なら一緒に探そうぜ」


 それもそれで不満そうな顔をしながら、ロゼフィールは黙ってついてきた。絵を盾にして、辺りを警戒しながらついて来る。隠れたり、自分を守ろうとしてるのは、きっと不安だからだ。知らない場所は、たしかに、いろいろわかんなくて心配になるよな。


「なあロゼフィール、今、不安か~?」


「う……兄さんは不安じゃないの?」


「知ってる場所だしな~」


「じゃあ、階段の場所にも、一応は見当がついてるんだね」


「薄暗くて、よくわかんないや」


「……とりあえず、ついてくね……」



 あれ~? けっこう歩き回ったけど、どこにもねーや。もしかして、ピーコックが出し忘れてるのか?


「おーいピーコックー! 階段がねーんだけど、出してくれねーかな~!」


 ……あれ? 出てこないぞ。


「兄さん、まさか、そのピーコックってヤツから見捨てられてるんじゃ……」


「いや、違う。ここにピーコックがいないのは、ピーコックも不安になってるからだ」


「はあ? 不安?」


「うん。もしも不安じゃなかったら、じゃあどうして隠れてるのか、どうして返事してくれないのかって、聞かなきゃわかんねーや」


「返事しない相手に、どうやって聞くんだよ。それ以前に、魔物に質問したって、まともな答えが返ってくるのかな。嘘つく可能性もあるじゃないか」


「うーん、でも、聞かないよりマシだろ? 声や表情だけでも、嘘か本当か、なんとなくわかるもんだよ。だって俺たち、ずっと一緒にいたからさ! 様子ヘンだな~って思ったら、だいたい当たってるよ。ロゼの様子がヘンだったことにも、俺気づいたもん。ロゼさ~、こっそり一人で泣いてたんだぜ? びっくりしちゃったよ」


「魔物が、泣くの?」


「ああ、泣くぞ。自分がどこへ引き取られても悲劇ばっかり生んじゃうからって、とっても悲しがってた。ロゼは望んで呪ってるわけじゃないんだけど、なんでか、ヤバイことが起きちまうんだってさ」


「……実際にこうして危ないことが起きてる気がするけど」


「これ、ロゼのせいなのか? 違うぞ、お前らが屋敷に来たからだろ」


 まだごちゃごちゃ反論してくる弟を放置して、俺は大きく息を吸った。


「ピーコックー!! なに不安がってるんだよ、ロゼみたいに一人で泣いてるのかー!!」


 返事してくれるのを、待った。いつまでも待とうと思った。


 しばらくして、ざわざわと壁の一面が波打ち、黒いうねうねの中から、あのでっかい金色の額縁の絵が、姿を現した。人骨のような飾りがいっぱいついた、ケガしそうなほど尖った部分の多い額縁。描かれた巨大ピーコックの顔は、別のヤツが乱暴に塗りつぶしたかのように、ぐちゃぐちゃになっている。


 ピーコックが、額縁の左下隅っこに腰掛けているのを発見して、ほっとした。


「ピーコック! なーんだ、元気そうじゃん」


 いつも通りな感じで座ってるから、なんか、全身でほっとしたぜ。泣いてるヤツ励ますの、なーんか苦手なんだよな~。


 俺が絵画に駆け寄ろうとすると、弟が本気で腕を引っ張って止めた。なんでだって聞いたら、アレは本当に危険だから近づいちゃダメだって言うんだ。ヘンなヤツだよな、俺ら何度もメシ食った仲なのに。


 ヘンといえば、ピーコックも反応悪いんだよな。表情も視線の動きもないし、座ってるだけの置物みたいになってるんだ。


 代わりに、動いてるのは、絵画の中の、ぐちゃぐちゃピーコック。口が三日月みたいな形に動いてる。この絵が動いてるところ、初めて見た。


「ラズ、ここが嫌なら、去ってもいいぞ。吾輩はかまわん」


 絵のピーコックが、しゃべった。


「え? なんだよ、急に。俺のこと嫌ってるのは、ピーコックだろ?」


「そうだ。吾輩を疎むお前を、吾輩も疎ましく思っている。しかし殺したいほど憎くは思っていない。今日ここに呼んだのは、なぜ吾輩を嫌うのか、その理由を知りたく思ったからだ。お前の意見を、とても興味深く感じている。ぜひ教えてほしい。吾輩はお前に何をした?」


「なんも悪いことはしてねーよ」


「では、何が気に障る? お前を模した格好が理由なら、別のに着替えるが」


 俺の後ろから、弟の弱々しい呼吸が聞こえる。不安過ぎて、縮まっているせいだ。


「に、兄さん、あの絵、襲ってくる気がする」


「いや、それはないと思うけど……」


 俺とは違う「普通」の二人が、俺の前と後ろに立ってる。うーん……どうしようかな? じゃあ、俺の「普通」と、俺の頭の中で思ってることを、説明するしかないのかな。


 上手くできるかな。俺自身にも、理由がわからない事が多いのに。それで二人とも、理解してくれるかな。俺はピーコックとも、わかり合えないままになるかも、しれない……。


 すごく、悲しい……。


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