第6章  呪いを振りまく絵画の男

第47話   ミミック二箱

 ミミックって、背骨とかあるんでしょうかね。そもそも、骨格の名称どころか、体の部位の名前も知らないんですよね。このお屋敷に、そのような本があれば読んでおきたいところですけど、読書ができるほどの骨が残っていれば、いいですね……。


「おい、チビミミック」


 誰かに呼ばれて、私は目を覚ましました。そして全身にぺったりくっついている、先端が丸くて細長い何かに驚いて、悲鳴をあげました。なんだか黒くてぐにゃぐにゃした触手のようなものに、絡めとられているんです。


 あ、そうだ、私は転落死を覚悟するような高さで、落下したのでした。でも、今こうして生きていて、体のどこも痛くありません。衝撃で体がしびれている、ということもありません。


 この触手には、見覚えがありますね。初めてこのお屋敷の地下に降りて、紙袋に包まれた人肉を取りに向かった時、大きなピーコックさんの絵画と対面しました。あのとき、壁という壁から、このような触手がうねうねしていたような気がします。人の手のように見える部位もありましたっけね。はい、おそらく、私たちごと侵入者を地下に放り込んだピーコックさんが、私たちだけでも触手でつかんで、助けてくれたんでしょうね。本当に、いろんなところが不器用な人です……。


「気がついたか」


 さっきから私に声をかけてきているこの人は、あの鬼強ミミックさんです。ロゼフィール君は、ダンと呼んでましたね。ここは異世界なので、ダンという名前が男性に多いのか女性に多いのか分かりませんが、私の中ではこの人は男性ということになっています。今現在は、女の子の姿をしていますけどね。


 そのダンさんが、墨のように黒々とした床に立って、私を見上げていました。両手を腰に当てて、いつまで寝ているんだとばかりの呆れた顔で。


「おはようございます。ダンさんもご無事のようで、何よりですね」


「思ってもいないようなことを言わなくていい。お前はここの住民なのだろ? では、ここから這い出る方法を教えろ」


「へえ? 階段があるはずですけど」


「そんなものがあったら、ここでお前が目覚めるのを待っていない」


 え? 私たちが初めて地下に降りた時は、階段を使いましたのに。無いんですか?


「私は階段での移動しか知らないので、他の方法があるとしたら、ラズ君かロゼ君か、ピーコックさんが知ってると思いますよ」


「その、ピーコックというのは、誰のことだ? もう一匹モンスターがいるのか?」


「ここの屋敷の主人ですよ。壁にたくさん絵画が飾られていたでしょう? あの絵のモデルさんなんです。この屋敷全体を管理していて、この屋敷そのものでもあるんですよ」


「……もしかして、ピクチャーデーモンのことか? ピーコックとは、ずいぶんと可愛らしい名前を付けられたものだ」


 ピクチャーデーモン? あのコウモリおじいさんが、ピーコックさんをそんなふうに呼んでいましたね。ピーコックさんのほうが呼びやすいですから、このままでいきますね。


 私もそろそろ床に下りたいのですが、体中を固定してくれている黒い触手が、なかなか離れません。私が床にベシャッと着地しないように心配してくれているのか、それとも、毒のあるイソギンチャクのように、魚を捕らえて離さない系の束縛なのかは……あまり深く考えないようにしておきましょう。


 ダンさんが察して、私を両手で掴むと、触手から引きむしってくれました。すかさず触手が、私を取り返そうとするような伸縮性のある動きを見せて、その中には人間の手の形に見えるものもありましたが、ダンさんは動じることなく、壁から遠ざかりました。


「お前、名前は何と言う」


「あ……名前、ないんですよね。周りからは聖女様って呼ばれてるんですけど、もちろん本名じゃありません」


「ふむ……固有名詞がないのは不便だな。では、お前のことはミミックと呼ぼう。おいミミック、あのデーモンの事は仲間と思わないほうがいいぞ。道具から生じた自我は、我々生き物とは考え方と価値観が大きく違うことが多い。かさぶたなどの自己再生ができない彼らは、とにかく破損を恐れる。自分を永遠に保つために、それだけのために生き物たちを利用しながら活動し続ける、魔性だ。お前たちごと罠に嵌めたのも、案外、用済みと判断されたせいかもな」


 用済みだなんて。なんてことを言うんでしょうか、この人は。


 今の私の表情がどうなっているのか分かりませんが、ムッとした感情は伝わったのでしょう、ダンさんが悪そうな笑みを浮かべて私を見下ろしました。


「違うと言うのなら、出口まで案内してもらおうか。お前がピクチャーデーモンの大事なお仲間ならば、お前専用の出口くらい用意しているはずだ。私も連れて行ってもらうぞ」


「わかりました。案内したら、玄関からお城に帰ってくださいね。ピーコックさんは、必ず私に出口を用意されているはずです! あなた方が言うほど、ピーコックさんは悪い人じゃないってことを、証明してみせます」


 胸(?)を張って、断言してみせました。……ミミックの胸ってどこなんでしょうね。


「もしも案内できたら、ピーコックさんを退治する予定は、永遠に取り消してもらえないでしょうか。確かにピーコックさんは、罠だらけで危ないお屋敷ですけど、それは泥棒から身を守るための正当防衛ですから、抵抗する理由にはなると思います。と言うより、罠にかかるのは泥棒さんの自業自得だと思うんですが」


「ピクチャーデーモンが狙うのは、泥棒ではなく人肉だ。たまたま迷い込んだ人間まで罠に巻き込む。ラザフィール王子も、そのうち喰われていたんだろう」


「そんなことはありませんよ! 私もラズ君も、どこかにある出口や階段から、地上に戻ってみせますからね!」


 それにしても、ここは山びこのように声が響きますね。……あれ? なんだか、静かすぎませんか? ……あれ? ええ? 誰もいないように、見えるのですが??


「あのー、ダンさん以外、誰もいないんですか?」


「そうだ。皆一斉にここへ落下したはずなのに、今ここにいるのは私とお前だけだ」


「……そんなこと、あるんですかね」


「敵の腹の中がどういう作りをしているのかは、私にもわからん」


 私たちの足元を心元なく照らしているのは、壁の随所に飾られた、小さな小さな額縁の中の、ろうそくの絵だけでした。風に揺れる様子までリアルに再現されていて、炎に照らされている私たちから伸びる影が、大きく揺れています。


「早く王子と合流したい。敵の腹の中で分断されるなんて、最悪の事態だ」


「そこまで心配されるほど、ヤワな人には見えませんでしたけどね」


「あれで繊細なところもある人だ。今頃は、壁に生えている触手を見て悲鳴をあげていることだろう」


 その悲鳴どころか、声も聞こえませんけど……。ラズ君も、真っ先に大騒ぎしていそうなのに、無言かつ姿もないのは気がかりですね。


 ふと見上げれば、先ほど私たちが落下してきた穴が、長方形に空いています。しかし、触手だらけの壁を登るのはキモいのでイヤですし、そもそもこの触手、私の力では引き剥がせないので、登っていくうちに絡まって、動けなくなって、どうにもならなくなりそうです。


 ダンさんも壁を登る方法は、端から考えていないようで、私を片手に歩きだしました。数多の手を伸ばしてくる壁には近づかないよう、真ん中を歩いています。


 私を片手にしているのは、逃げられないようにでしょうね。私だけ出口に向かって走って行ったら、この人の足じゃ追いつけないでしょうし。


 うわ、歩くダンさんを見上げたら、けっこうなバストが。歩くたび揺れてリアルです。


「ダンさんって、女性なんですか? 男性なんですか?」


「どっちにも擬態できるぞ」


「いや、あの、そうではなくて、もともとの性別、えっとー、卵産むか産まないかです」


 するとダンさんが、にやりと一瞥。


「私の擬態は完璧だ。両方のトイレが使えるぞ」


「……答える気がないのは、わかりました」


 ええ〜? 擬態ってそこまで徹底しないといけないんですか〜? 私、男性と並んで用なんか足せませんよ……。


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