第13話   屋敷の中にある書物について

 このお屋敷には、本棚と本がたくさんあります。本の背表紙には、見たこともない形の文字が、さらに筆記体のように崩して記されて、全く読めません。ただの元女子高生に、英語以外の外国語など読めませんよ。


 ですが、ここに希望が。


 なんとロゼ君が、この地域の文字が読めると言うのです! 資料などは、彼に読んでもらいましょう。


「聖女様は、どんな知識が欲しいのデスカ?」


 本棚がことさらに多い一階の一室で、本を見上げていたロゼ君が私に振り向きました。


「お料理の本や、聖女様の歴史について、ここには様々な資料が揃ってイマス。本棚の端から全て読むよりも、欲しい知識に絞って調べたほうが、効率的かと思いマス」


「それもそうですね。では、ずっと気になっていて、知りたかった事があるのですが、それ関連の資料をお願いします」


「ハイ」


「このお屋敷にたくさん飾られた絵のモデル、ピーコックさんについて、資料が残っていたら知りたいです。本当は本人に直接聞いてみたいのですが、神出鬼没ですからね……」


 絵の前でお願いしてみたりもしたのですが、無反応でして。私たちが絵の前でしゃべっている言葉は、彼に伝わっているとは思うのですが、もうあきらめました。物理的に会えないのなら、どうにもできないです。


 ロゼ君が少し思案していました。


「それは本ではなくて、お屋敷の住民関連の書類になるかも知れマセン。ピーコックという名前も、彼の本名ではアリマセンカラ、調べるのは時間がかかるかと思われマス」


「ああ、そうでしたね。私は、それでも構いませんけれど。ラズ君とロゼ君には、退屈させてしまうでしょうか」


 ふと、可視範囲にラズ君がいないことに気づいて、ぐるりと半回転、彼は私の立っている位置より、かなり離れた本棚の前に立っていました。とても真剣な顔で一冊の本を取り出して、じっと表紙を見つめています。


「ラズ君?」


 あんな顔の彼は見たことがありません。彼は私たちのもとへ駆けてくると、赤銅色した革表紙の表紙絵を見せました。なにやら、花弁の多いお花のような紋章が、青銀色のインクで描かれています。


「なあロゼ、この紙の束は、知りたいことがわかるようになる道具なのか?」


「えーっと、ハイ」


「これの使い方、教えてくれ。どうすればいいんだ?」


 ラズ君の真剣な顔に押されて、数歩下がったロゼ君の背中が本棚に当たりました。


「ラズ、まずはこの国で使われている文字というものを、覚える必要がアリマス」


「わかった、なんでも覚えるよ。だから、教えてくれ」


 ラズ君はどうしても、その本の内容が知りたいようです。これはー、私の要件は後回しになりそうですね。


「私もこの国の文字はさっぱりなので、一緒にお勉強しましょう、ラズ君」


「え? 聖女様も知らないのかー」


「はい、まったく」


 だって一昨日誕生したばかりですからね。


 ラズ君は嬉しそうに私を見上げました。


「いっしょに勉強しような! わかんないところがあったら、教えてやるからな!」


「ええ、お願いします」


「よーし、やるぞー!」


 燃えてきたラズ君。そんな彼を、ロゼ君が眉をひそめて観察していました。


「ラズ、その本でいいのデスカ?」


「うん、俺、これがいいんだ。これで勉強したい」


「わかりマシタ。では、聖女様の調べ物と同時進行で教えマス」


「うん!」


 ロゼ君が怪訝なお顔のままです。あまり内容がよろしくない本なのでしょうか。それはー、ちょっと、今後の読書ライフに悪影響を与えそうですね。普通の本から始めたいところです。


「ロゼ君、この本はおおまかに言うと、どんな感じの本なんでしょうか」


 本は表紙のタイトルだけでも、内容がおおざっぱに推測できることが多いです。私はロゼ君の返答を待ちました。


「表紙の図は、この国の王家の紋章デス。この本は、王家の歴史が記された資料のようデス。初めての読書にしては、良い題材だと、思うのデスガ……」


 言いよどむロゼ君。彼の困惑したお顔も、初めて見ました。


「ラズがいたお城では、ラズに王家の歴史を教えるどころか、書物の一切を読ませませんでした。それがなぜなのか、なぜお城の住民は、ラズに何も教えないままに育てていたのか、そこまでは僕にもわからないのデスガ……この本の内容をラズに教えて、何かラズに良くないことが起きたら、と思うと、少し不安デスネ……」


 お城の住民が、何も教えないままラズ君を育てていた?

 ラズ君のこの破天荒っぷりは、お城の人たちのせいなんですかね。


「俺、何があってもロゼのこと嫌いにならないよ、約束する」


「ラズ……覚悟を決めているんデスネ」


「うん。俺どうしても、このホンが知りたいんだ」


 ラズ君が、本の表紙の紋章を、指でなぞりました。伏した目には、けぶるような密度でまつ毛が生えていて、言動はアレですが本当にキレイな子です。


「俺って、いったいなんなんだろうな。このホンで、それがわかればいいな」


 もしかして、ラズ君はどこかの国の王子様なんでしょうか? さっきロゼ君が、お城がどうのと言っていましたし。


「ラズ君は、お城で暮らしてたんですね?」


「うん。すごく高い崖の上にある城だった。俺はー、朝が来たら朝飯を狩りに外へ出て、昼になったら昼飯を狩りに外に出て、夜になったら夜行性の小さいヤツを狩って食ってた。毎日、ずっとずっと狩りしてた。そんな暮らし」


 ええ……? お城なんて豪華な場所に住んでいながら、誰からも食事を与えられなかったのでしょうか。食べ盛りでしょうに、自分のお腹を満たすために一日中狩りをしなければなりません。ブランド物ばかり買いあさる両親から与えられた、私の小銭コンビニ生活よりも悲惨です。


「ラズ君は、お城では他にどのようなことをしていたんですか?」


「うーん、すっげー花のにおいがする風呂に入れられてた。人間臭いからって」


 人間臭いから、匂いをごまかすための、花のお風呂に?


 ラズ君は、人外の住民とお城で暮らしていたのでしょうか。それならば、人間のご飯を用意してくれない可能性もあるかも、しれませんが……豪華なお風呂の代金を、食費に回すべきだったと思います。やはりラズ君は、普通とは言い難い環境で育ってきたようです。


 一緒に、普通に戻してあげませんと。私と一緒に……。



 そこから、しばらく。ロゼ君も言語学の教師というわけではありませんから、教え方は……ひたすら音読と、リピートアフターミー。私は、あんまり覚えられませんでした……。


 街灯の描かれた絵画に照らされ、絨毯の敷かれた床に座って、ラズ君の読みたい本を、みんなで音読。驚かされたのは、ラズ君がかなりの量の単語を覚えてしまい、ロゼ君よりも先に読み始めたことでした。


「ラズ……?」


「ラズ君、すごいです! とても文字が読めなかった人とは思えないですね」


「そうか? へへ、ありがとな」


 照れ笑いしながら、頭をがしがし掻くラズ君。ああもう、また髪の毛がめちゃくちゃに。


 興味のあることだったら、百万馬力が出る天才型なのかもしれません。もっと勉学に励める環境で生きていたら、今頃多くの人から大事にされていたでしょうに。


 いいえ、今からでも遅くはありません。せめて普通に暮らせるよう、一般常識もばんばん覚えてもらいましょう。


「――以上が、この本に記された内容デス。一人の賢者が、足を使って地道に人助けをし、仲間たちとルールを作って大勢をまとめ上げ、やがて大きな国を築き上げるという、感動的な史話デシタネ。知識はいくらあっても足りマセン。無名の旅人でも、豊富な知識と経験を駆使すれば国は作れるノデス」


「いえ、あの、その賢者さんの脳が特別すごかったおかげのような気も」


 誰もが納得できるルールで信頼を勝ち取り続けるだなんて、誰も真似できませんよ。絶対に不満が出ますもん。


 花びらいっぱいの紋章は、一人一人が寄り添って形を成しつつも、個々が励んで香しくあれという、教えからくる形でした。私も花びら? ではラズ君とロゼ君と、三枚の花びらです。一生懸命に咲いて、匂いたつ普通のお花です。


 なんだか、可愛いらしいですね。王家の紋章に、そんな教えが込められているなんて。


「なぁんだ、残念……俺の知りたいこと、載ってなかったや」


「知りたいことですか?」


「うん、俺の名前。載ってるかなって思ってた」


「新しく見えマスガ、かなり古い本デスカラ、ラズと同年代の人物の記事は無いデスヨ」


 膝を抱えてしょんぼりするラズ君に、私はなぜこの本に興味を持ったのかと尋ねました。


「うーん、俺はこの本の模様……知ってるんだ。みんなは知らないみたいだな。じゃあ、この模様があるのは、俺だけなんだ……」


 模様がある?


「ラズ! あなたが誰にも裸を見せないのは、体に紋章が彫られているからデスカ!?」


 ロゼ君の突然の剣幕に、私とラズ君はちょっと跳ねました。


「あー、うん、まあ、そうなんだけど。でも、誰にもナイショな? 絶対に誰にも言うなって、言われてるんだ」


「誰からですか?」


「んーっと、お城の人。名前はわかんないや。でも、みんなからは旦那様って呼ばれてて、お城で一番偉い人だった。俺も言うことを聞かなきゃダメだった。なんでダメなのかは、よくわかんないけど」


「ラズ」


 ロゼ君が四つん這いでラズ君に詰め寄りました。


「あなたは、オールドマン王家の人間かもしれマセン。帰る場所が、見つかったかもシレマセンヨ」


「俺の、帰る場所……?」


 ラズ君が困惑しています。勉強したての頭に、この情報量の多さ、さすがの天才でも戸惑うでしょう。


「聖女様、俺どうすればいいの?」


 え? 私に話題を振るのですか。えーっと、うーんと……。


「ゆっくり、考えましょう。どうか後悔のないように、たくさん調べてから、ラズ君の中で結論を出しましょう」


「聖女様もロゼも、一緒に考えてくれる?」


「もちろんですよ。私たちは、三枚の花弁ですから」


「ラズ……僕はどこへでも、お供シマスヨ」


 ラズ君が、ほっとしたように、はにかみました。


「ありがと!」


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