第8話   人だったお肉を調理

「なあなあ聖女様ー、また絵の中に消えちまうのか?」


 地下から階段を駆け上って廊下に出るなり、息切れ一つしないラズ君が振り向きました。同じくロゼ君も、平然とした様子で立っています。


 絵の中に消えるとは。聖女様の絵は、どういうわけだか私が擬態したとたんに、消えてしまったんですよね。ラズ君は私が絵の中から出てきて、助けてくれたんだと思っているようです。いったい、どのような環境下で育った子なんでしょうかね、頭がファンタジー過ぎませんか。


「そうですね、私は、その……」


 頭に思い浮かばない言葉は、口から出ることはありません。私には、計画も、行先も、ありません。さっき花畑の中で力尽きて爆睡していましたし、自分の体力のみを頼りに孤独に生きてゆくことは、このベビーミミックには難しいのでしょう。


 聖女様の消えた絵を、元に戻すやり方もわかりません。ラズ君の綺麗な紫色の双眸は、純粋な色にも、毒々しい色にも思えて、どのあたりまで何も知らない子なのか判断に困ります。


「予定ないならさー、泊ってく?」


「え? ですが私は、そのー、本物の聖女様じゃ――」


「へへ、肉なんて待ってれば、また手に入るって。いつもそうだったし。聖女様が一人増えたぐらいじゃ、どうってことないよ」


 ラズ君が、備蓄を消費する仲間に私を加えようとしています。私には、何もできないのに……。


「ロゼもいいだろ?」


「ラズが、よろしいのデシタラ」


「ハイじゃ決まり! 仲間が増えて嬉しいぜ!」


 心底嬉しそうなラズ君の笑顔は、言動こそアレですが、可愛いですね。でも、そのー、ラズ君の背後の壁に飾られたピーコックさんの視線が、すごく気になります。


 ラズ君はくるりと絵画に振り向きました。


「なあ、ピーコックもいいだろ?」


 大勢のピーコックさんは、それぞれの時間帯の空の下で、無反応です。返事を楽しみに待つラズ君。なんとも言えない境地で立ちすくむ私に、ロゼ君が助太刀を入れました。


「僕とラズが勝手に名付けた、この絵の男性の名前デス。孔雀が描かれていないのに、ピーコックと記された作品を発見、きっとこの男性のお名前なのだと仮定シマシタ」


「ふぅん、この男性の本名は、わからないんですね。こんなにたくさん描かれてあるのに。資料も残っていないんですか?」


 学芸員さんに質問する観覧客になった気分で、ずいぶん気安く質問してしまいました。失礼だったかな? と心配しましたが、ロゼ君は気にしていないようだったので、杞憂だったとわかりました。


 絵の中の男性が、どのような反応をすればオーケーしてくれたことになるのでしょうか。生まれてからずーっと、不慣れなこの世界に振り回されている気がします。


 ……いいえ、私は待っていたらダメなんです。受け身では、死んでしまいましたから。


「あの、ピーコックさん」


 私は勇気を出して、絵画の一つに話しかけました。


「私は、この子たちを傷つけたりしません。あなたが大事にしている存在を、壊したり泣かせたりなんて、絶対にしません」


 ピーコックさんが無表情で、まばたきしました。


「聖女様ー、まだ足りないってさ。もう一声、だって」


「え? もっとですか? じゃあ、えっと……私、少しならお料理ができます。それと、家事も慣れていますから、この子たちのお世話のお手伝いができます!」


 お料理って言っても、コンビニの肉まんなどに飽きたときに、うどんや袋ラーメンを買って茹でたり、電子レンジで調理できる物を、少々……あ、でも、家庭科の授業でカレーとか、そういうオーソドックスな料理なら作ったことありますよ。


「どうでしょうか、ピーコックさん……」


 自分を売り込んだことなんて、今までありませんでした。これでいいのかも、わかりません。


 ピーコックさんが身じろぎし、両腕を組みました。するとラズ君が大喜び。


「ピーコックも、ここにいていいってさ!」


「そ、そうなんですか? まだ審議中って顔してますけど」


「こういう顔なんだよ。嫌なことは無反応で返すヤツだから、動いてくれたってことは、そういうことなんだぜ」


「そうなん、ですか」


 とても友好的な表情に見えないのですが、これは絵だからなのでしょうか? 腕が動くなら、眉毛も口角も動かせると思うのですが、難しいのでしょうか。


 謎が増えていきます……。


「そうだ、聖女様ー、メシ作ってくれよ」


「え? めし」


「うん。さっきできるって言ったじゃん」


 あ。

 言いましたねー。やっちまいました。


「ふへへ、楽しみだなーロゼ」


「そうデスネ」


 今回ばかりはロゼ君も助太刀できませんよね。私から言っちゃったんだし。


「うぅ、調味料などがあれば、簡単なものなら作れますけど、あのビンテージ物のコンロに、火は点くのですか?」


「うん、いつも焼いて食ってるよ。味は、よくわかんないや。食えればいいし」


 調味料の有無は、わからないと。


 な、なんとか、なるでしょう、うん。



 さて、双子くんの案内のもと、私は先ほど煮込まれかけたパスタ鍋の転がるキッチンへと、戻ってきました。なんたる皮肉。今度はここで、私が人肉をお料理するのです。


 って、できるわけないでしょ!! どうしましょう、ラズ君がわくわくしながらキッチンをうろうろしています。


 とりあえず、火を通せばいいんでしょうか。あ、戸棚にペッパーミルがあります。中身を確認しないと、案外お塩かもしれませんからね。


 うーん、キッチンが薄暗くて、いまいち手元が。


「あの、ピーコックさーん? 明るくしてもらえると、助かります」


 ほんわりと、優しい明かりがキッチンを照らしました。キッチンの奥の部屋には大きな長テーブルの食堂がありまして、そこに飾られた絵画の一つが、一生懸命光ってました。


 はい、まな板を見つけました。ひとまず、小包みをまな板に置きます。うぅ、紙包みからどす黒い血液がにじんできました。熟成肉みたいな美味しそうな匂いがするんですが、人肉ってこんな感じなんですかね。もとが脂ぎった悪党だという事実が、どうにも食欲を減らします。


 包丁も、シンク下の棚の中で見つけました。ああ、あとはフライパンと、油と、フライ返しに、いろいろ探しませんとね~。


 うふふ~。


 って、全部見つけちゃいましたよ!? このキッチン、揃い過ぎです。少しは現実逃避させてくださいよ、あっという間に、ステーキを作るシェフみたいな状態になりました。泣きそうです。


「あ、そうですそうです、お肉だけじゃいけません。お野菜もいりますよ」


「やさいー?」


「はいー。困りましたねー、どこでしょうねー」


「植物のことかー? だったら、食堂にある大きな絵の中に、いろいろあるぞー。ピーコックが貯めこんでるから、頼めばくれると思うぞ」


 絵の中に、野菜が?


「お隣の食堂の、絵の中に描かれた物が、取れるんですか?」


「うん、だってロゼが、塩とかもらって干物作ってるもん」


 いや、もんって言われても。可愛いですけど。


 ちょっと怖いですね、私はロゼ君に同行をお願いし、隣りの食堂へと、うわあ眩しい! キッチンまで照らしてくれていますから、明度がとてつもない! 家電店か!


「ピーコックさん、もう少し明かりを、絞ってください~」


「僕が額縁ごと、キッチンに運びマショウカ?」


「あ、はい、ぜひ~。でも後でお願いします。今はこの、壁一面の大きな静止画の説明をお願いします」


 部屋の奥の暖炉の上に、たくさんの果物と、それから首筋に猟銃を食らったかのような穴の空いた鹿や兎さんの姿が、豪快な筆さばきで描かれています。力強さと、生と死の対比、静物特有の時間の流れと、無人で無音の中にもじんわりとした画家の執念を感じます。テーブルの端を滴る濁った血の輝きが、これから捌かれて頂かれる命である美しさと森の恵みを象徴し、残虐さの中にも豪華な食卓に今日の家族の命が繋がれてゆく、人の営みまで描かれていて……って、ロゼ君! 暖炉に上っていますよ、わんぱくですね。


「聖女様、どれを取ってほしいですか?」


「ふえ!? あ、そうでした、では、リンゴと、ブドウと……」


 すぐに食べられそうな果物を選ぶことにしました。ロゼ君は、スーパーの棚から取り出すように、絵画の中から取り出しては腕の中へと納めていきます。


 私は、首に穴を空けた兎さんに、目が留まりました。人など食べなくても、ここに兎肉がありますよ。兎肉は食べたことがありませんが、食べることが可能だと、ご近所さんの家のテレビで観たことがあります。


 ああ、こんなことも思い出しました。たしか人間が人間を食べてしまうと、いろいろな病気になってしまうんですよね。けっこうたくさん病名があって、覚えきれませんでしたが、やっぱり神様は共食いをしてほしくないんだろうなぁと思ったのを思い出します。


「ロゼ君、兎肉もお願いします」


 私が声を抑えたので、ロゼ君も声を小さくする気配を見せました。


「ハイ。あれだけではお肉が足りませんデシタカ?」


「いえ、そうじゃなくて、兎肉のほうが美味しいんじゃないですかね。それと、人間が人間を食べると病気になるって聞いたことがあるんです。それで、こっそり兎肉で代用しませんか?」


 この提案、奇妙に思われますかね……と思っていたら、ロゼ君はびっくり顔であっさりとうなずきました。


「ラズの場合は、そうデスネ、兎肉のほうがいいデショウ。じつは人肉は僕が食べていて、ラズはほとんど食べたことがアリマセン」


「え?」


「どうしてもラズに食べてほしくなかったノデス。それで、こっそり別の動物の肉に、すり替えてイマシタ。でも、干肉は僕用に手作りしていて、それをたまにラズが食べてしまうんデス」


 なんということですか。


「それと、人肉はピーコックも食べマス」


 ダブルなんということですか。


「ロゼ君は、兎肉はいらないのですか?」


「ハイ。僕はラズと違って魔物ですから、できれば新鮮な若い女性の血液に、浸けてもらいたいんデスケド、こんな所に来る若い人はいないんで、干肉で我慢してイマス」


「血液と干肉って。生肉のほうが血液が含まれていて、近いのでは?」


「僕が生肉を食べていたら、ラズも真似してシマイマス」


「ああ……しそうですね」


 私とロゼ君は秘密を共有しあう仲となり、兎肉と人肉をすり替えて、いざ細切れ調理開始。


 ラズ君はあんまり味とか興味ないみたいですし、まあ、辛すぎなければ、食べてくれるでしょう。


 問題は……シンクの棚の中に隠した人肉が、すごくすごく気になることです。兎肉よりも、気になります。良い匂いが、ここまで漂ってきて料理への集中力を欠いてしまいます。


 ラズ君は食堂の椅子に座って、ピーコックさんと何やら話していますね。暖炉の上の絵にはピーコックさんがいないのですが、ラズ君はそれに向かって、彼に話しかけています。


 ラズ君がこちらを向いていない、今がチャンスです。


「ロゼ君」


 私は包みを取り出して、ロゼ君に提案しました。


「茹でていいでしょうか。私、今すぐ食べたいんです」


「どうぞ。ミミックは生涯、食べ盛りですカラネ」


 今の余計な一言は、聞かなかったことにして、私とロゼ君の分だけが、パストラミおじさんになりました。


 ラズ君は兎の煮物とフルーツです。え? ステーキ? そんな下ごしらえが要るお料理、知りません。


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