第7話   再来! 巨人おじさん二匹②

 ど、どうやって聖女様に擬態すれば!

 えっと、えーーーっと、あの時は、たしか絵を見上げながらイラついていたような。でも同時に、あんなに美しく描かれて、大事に保存されてきた事実を、羨んでいたような。


 そうです、あの時と同じように、目の前に想像の絵画を登場させて。外国や美術館に行ける余裕はありません、だから、図鑑や学校のパソコンで、目に焼き付けて、それで家の中でも芸術作品を、想像で飾っていました。あの時のように。


 今、目の前に!


 そのクソ生意気な顔で見下ろされるのは癪ですが、どうか聖女様、奇跡をお与えください!


「うぉあ! な、なんだお前!」


 びっくりしたのは、こっちもですよ。急に体が大きくなって、おじさんの目の前に立ちふさがっちゃったんですから。


「えっと、えっと、こんにちはおじさん、さようなら」


「え!? さ、さようなら……」


 互いに手を振って、私だけ屋敷へと走りました。


「って、だまされるかー! お前の口もぐもぐしてるじゃねーか!」


 げ、もうバレました。食い意地が張ってますね、と言うのはブーメラン発言でしょうか。聖女様の足は軽やかで、瞬く間にパストラミおじさんを置き去りに、屋敷の玄関へと到着しました。ブラックチョコレート色の扉は大きく開かれ、真っ暗な玄関ホールが見えました。


 あの双子の背中も見えます。無事なようで安心しました。


「あ、聖女様?」


 ラズ君が振り向くなり、びっくり顔になりました。私が戻ってくるとは、思ってもいなかったでしょうからね。


 指輪おじさんの姿がありませんが、双子を追い越したことに気づかず、屋敷の中を探しているのでしょうか? 誘拐したい相手が室内に逃げたら、普通はあきらめませんか? いえ、誘拐犯の普通とか、そもそもが異常行為ですから意味不明ですね。ここまでするほど、お財布事情が厳しかったんでしょうか。私の場合はご近所さん方が優しくて、食事をもらっていましたから、万引きや窃盗に手を染めることはありませんでした。今後も人身売買に魅力を感じることはないでしょう。


「わわ! 聖女様危ない!」


 ラズ君の突然の引き寄せに、私は転倒しそうになりながら六歩ほど移動しました。


 その横を、パストラミおじさんの太い腕が通り過ぎます。そうでした、私はこの人のお昼を強奪して、追いかけられていたのでした。


 腕が空振りしたおじさんだけが、玄関ホールに躍り出ました。よほどお腹が空いていたのか涙目で、もう一度私たちに掴みかかろうとした、その時でした――我々が映り込むほどぴかぴかの黒い床が、支えなどなかったかのように、ふっと落ちました。


「ええ!?」


 おじさんと私の、語尾の上がった悲鳴が同時に飛び出て、おじさんだけが、縦横幅三メートルほどのぽっかりと空いた奈落へと、落ちていきました。


 それはもう、綺麗に。


 ドッキリ番組に引っかかった芸人さんが、スローモーションでリピート再生されたかのような。


「やった! 引っかかった」


 ラズ君が穴の縁ではしゃいでいます。危ないですよ、とロゼ君が上着の裾を引いて、下がらせます。


「なあなあ聖女様、あのおっさん達は聖女様が呼んでくれたんだろ?」


「はい?」


 私がここに、汚い刃物を持った男の人を呼んだと。どういう意味なんでしょうか。


「だって俺たち、肉が欲しかったからさ。聖女様が叶えてくれたんだろ? ありがとな! ロゼも喜んでるよ!」


 なーロゼ、とラズ君が同意を求めて、意外にもロゼ君が笑顔でうなずいたので私はびっくりしました。今にして思えば、ラズ君の笑顔と全く同じ表情を浮かべていただけだったような。


「まさか、さっきのお二人を食べるつもりなんですか……?」


「うん。二週間は大丈夫かな」


 そんな、ジビエじゃないんですから。


 この落とし穴、相当深いですよ。底が真っ暗で、まるで奈落です……。さすがのミミックも、耐えられないような気がします。着地点で蓋と箱部分がさよならしそうです。


「こ、この落とし穴は、あなたたちが造ったんですか?」


「え? 違うよ」


「では、初めからこのお屋敷に付属してあったのですか?」


「うん。便利だよな~。誰かが来るだけで、こうやって肉が手に入るんだぜ」


 お手軽ですね……。


「聖女様、おっさんたちを連れてきてくれたお礼にさ、肉、分けてやるよ」


「え……」


「それじゃ地下に行こうぜ。食べやすくなってるから」


 た、食べやすくって、まさか、ぐちゃぐちゃになってるんじゃ……今までなんとか耐えてましたけど、実物で生ものを見るのはさすがに正気度が下がります!


 あああ~、ラズ君に片手を奪われたら、もう引っ張られるしかありません。穴の縁を走って通り過ぎ、薄暗い廊下を走って、地下へと続く階段を走って下りていきます。階段幅は狭くはないのですが広くもなく、いよいよ光源がありません。


「ちょっとちょっとラズ君、危ないですから、せめて手を放してください」


 ラズ君がきょとんとした顔で立ち止まります。


「あ、そっか。聖女様、足おっせーもんな」


「知らない場所の薄暗い階段を、走って下りられる人のほうが珍しいと思うんですが」


「そうなのか? じゃあ、明るくしてもらおうか」


 ラズ君が片手を口の横に添えて、息を吸い込みます。


「おーい、ピーコックー! 聖女様が足元暗いって~!」


 ピーコック?


 とたんに辺りが聖夜の街並みのように輝きました。壁の随所に飾られた絵画の中に、さまざまな形の街灯が描かれていて、それらが本物のように明かりを提供してくれました。


 それも充分に驚愕に値しますが、ピーコックとは?


 はてさて、どこかで読んだ記憶が。

 あ、そうです、男性の絵のタイトルの一つに、ピーコックとありました。あの時の私は背の低いミミックで、廊下も薄暗かったですから、じっくり絵を眺めることはできなかったのですが、たしか、孔雀さんがどこにも描かれていなかったような。


 まあ、どこかに描いてあったのかもしれませんが。


「ラズ君、ピーコックとはいったい、どなたなのですか?」


「え? 男の人」


「あなたたちの他にも、人がいたんですね」


「え? 人じゃないよ」


 ラズ君が、さも奇妙なことを訊かれたとばかりに、きょとーんとしている。


「絵だよ。聖女様も、あの部屋で会ったっしょ? たくさんいた男の人だよ。いつも俺たちに優しくしてくれるんだ~」


 絵……? 同じ男性の絵ばかりが、この屋敷には大量に飾られてはいますが……この子たちのお世話を、絵画がやっているということですか???


 画家の絵筆から生まれた明かりに照らされて、いよいよラズ君の足が早くなります。私の後ろでは、ロゼ君が足音を鳴らしています。ラズ君の元気な足音と比べると、かなり軽やかなのが少し気がかりです。


 ラズ君が真っ先に、地下へと到着しました。茶色い包装紙でくるまれた、小包みのような物を両手で掲げて喜んでいます。


 明かりはラズ君の立っている場所まで、満足に届いていませんでした。かろうじて彼が何を持っているのかだけが、確認できます。


「それはなんですか?」


「肉だよー。ピーコックが捌いて、包んでくれるんだ。ロゼに渡すと、干し肉にしてくれるよ。干物がすっごく上手なんだ。日持ちもするし、干物って便利なんだぜ?」


 ヒィヒィ言いながら、私もラズ君の横に並びました。足が、がくがくです。生まれたてベビーに、過酷な運動はやめてください。


 そしてロゼ君は私の背中を押さないでください。はいはい、早くラズ君のとなりに行きたかったんですね。


「ラズ、小包みが一つしかアリマセン。二人分ならば、二つあるはずデス」


「あ、ほんとだー。一人逃げたのかな」


 お日様でも見上げるように、ラズ君は真上に視線を向けました。空いた四角い穴が、まるでそういう形のお月様のように、闇の中でぽっかり浮いています。その端に、お尻がうごめいていました。どっちのおじさんかわかりませんが、なんと、この高さの落とし穴を脱出しているのです。


 刃物が上から降ってきました。脱出に成功したのは指輪おじさんのようです。


「最初に来た男性は、刃物を持ってイマシタ。罠に服が奇跡的に引っかかった後、刃物を使ってよじ登ったのだと思イマス」


「う~ん、ちょっと違うな。後から来たおっさんを囮にして登ったんだな」


 ラズ君がおもしろげにロゼ君と会話しています。


「だってさ、最初に落とし穴に入ったのはあのおっさんなのに、脱出してるのもあのおっさんじゃん。後から落ちたおっさんが、先に落ちたおっさんを助けようとして、それで逆に囮にされて、最初に落ちたおっさんだけ逃げ出せたって感じかな~」


 うむむ、落とし穴内部の処刑の仕組みが、暗くてよくわからないのですが、あのおっさん達なら裏切りもやりかねませんね。


「いつもありがとピーコック。一人逃げちゃったけど、べつに気にしてないからなー」


 どうやら、ピーコックさんはここにもいるようです。じわじわと、辺りが明るくなっていきますが、それは弱火であぶられるように、下からじっくりと、せり上がるような不気味な明かりでした。


 横幅だけでも体育館の床と同じくらいの額縁が、現れます。リアルながいこつで埋め尽くされた、黄金の額縁です。


 明かりはさらに、斜光範囲を上へ上へと広げていきます。


 ダークブロンドの髪色と、この髪型、露出したおでこの範囲に、妙な既視感が。

 これは、廊下に飾られていた男性の胸像画……で、いいのでしょうか? なんだか、背景がムンクの叫びを思わせるようなうねり具合、そして男性の姿は、子供が上からクレヨンで落書きしたかのように、ぐちゃぐちゃ。


 両目は眼窩がんかごと黒のクレヨンで塗りつぶされたかのようですが、まるでついさっき色を置かれた油彩のように、てかてかと濡れています。


 口も同じく赤のクレヨンでぐしゃぐしゃに塗りたくられたようで……ん? あ、違います! これは、グロテスクな赤い臓物!? 口の内部に、生レバーっぽいモノが塗りたくられています……。


 絵画のみを照らし出す不自然な明かりは、周囲の暗闇を払拭しませんでした。なにやら、暗闇から、関節のないタコのような、それでいて真っ黒な、腕のような物が、大量にうごめいているのが見えます。


 おじさん二匹を襲ったのは、この腕なのだと、直観しました。そして、これは長時間眺めていて許されるものではないと、私の本能が告げています。


「お二人とも、上へ戻りましょう」


 私はピーコックさんに一礼してから、二人を急かして階段を駆け上りました。もう足が痛いとか膝が爆笑するとか、弱音を吐いていられません。ここは、生き物がいて良い場所ではありません。


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