No.13:『彼――――完全に規則を破ってるじゃない』
見上げるほど高く伸びた、ステンドグラスの天蓋。
左右対称に並べられた数十にも及び、羅列したチャーチチェア。
年季が入ってはいるものの、綺麗に磨かれ黄金の輝きを放つ巨大なパイプオルガン。
『さぁて……到着だよーっと』
「うぐっ……!」
最深部に鎮座する美しい女神像を前まで歩いたところで、ようやくベテルギウスはエフェメラの肩から手を離す。
「わ、私をどうするつもりですかっ……!?」
痛みから開放されたエフェメラは、大粒の涙を浮かべながらも、ベテルギウスを睨み付ける。
震える言葉の端々からは、涙の浮かんだその眼からは、隠しきれない恐怖の色が明確ににじみ出ていた。
だが、どんな目に合わされようとも、自分が折れる訳にはいかないと自身に言い聞かせ、彼女は必死に虚勢を張ってみせる。
『お嬢ちゃん……今この街においてサタンの存在はタブー同然なんだよねー』
「へ?」
『触れちゃ駄目な存在。話題に出す事すら憚られる存在。それくらい影響力がある厄介な存在なのさー』
そんな彼女を無視して語るベテルギウスは、厄介な子供の悪戯に振り回されている母親の様な、諦めと呆れとが半々に混じっているような、そんな顔と抑揚で――――
「さ、サタンくんはこの街で何をやらかしたんですか……?まだ彼がこの街に来てからそんなに時間は経ってない筈ですよね……?」
ある種、当たり前に抱く疑問を、決して拭いきれない不安を、エフェメラは眼前にいるベテルギウスへとぶつける。
『あの子はねー、この街の秩序を乱そうとしたのさー』
「秩序を乱す?」
『ああ。無償の奉公。弱者の救済。無差別な善行。そんな行為を何度も繰り返し、この街に混沌をもたらそうとしたのさー』
「…………は?」
エフェメラは――――眼前にいる魔人が、当たり前の様に語る言葉が、まるで理解出来なかった。
無償の奉公、弱者の救済、無差別の善行、確かにそれらを彼がやっているだろう事に、思い当たる節はある。
だが、間違いなく善意で行っている彼の善行が、この街に混沌をもたらそうとしていると言う結論に、全くと言って良いほど繋がらない。
『だから、私らはあの子を、サタンをこの街における最重要危険人物に指定した上で、タウン全域に緘口令を敷いたりもしたけど、これが中々に上手くいかないもんで――――』
「ま、待ってくださいっ!それ全然意味がわからないですよっ!?」
『あーん?』
「サタンくんはこの街で良い事をしたって事ですよねっ!?困ってる人達を善意で助けた訳ですよねっ!?なんでそれが街の秩序を乱している事になるんですか?」
叩きつけるような叫びだった。
そこに、サタンに対する憐憫だとか、サタンに対する心配だとか、そんな感情は微塵もない。
だが、無償の善行をした人物が、意味不明な迫害を受けていると言う理不尽な現実に、エフェメラは声を荒げて対峙する。
自らが、ガルドの善意によって、地獄の底から救い上げられた人間であるからこそ――――その事実を、真っ向から否定しているとしか思えない彼女の言葉を、どうしても無視する事が出来なかった。
『あー、なるほど、うん。お互いの認識に齟齬がある。別に私達は人の善意を否定してる訳じゃあない。私だって彼個人の善性はとても素晴らしいものだと思うよ』
激情と共に吐き出されたエフェメラの指摘を、ベテルギウスは誤解だと軽く流すと、そのままどこからか酒瓶を取り出し、ごくりと一息ついてからゆっくりと語る。
『でも駄目なんだ。彼はこの街に居ちゃいけない人間なのさ。私達オリオンタウン側としちゃあ彼のような存在を決して許しちゃいけないのさー』
「……っ」
善人であり善行を成した人間が、周囲に利益を与えた筈の善人が、何故かその存在を否定される。
世間話でもするかの様に現状を語るベテルギウスの言葉は、当事者でない筈のエフェメラにとって非常に不愉快なものだった。
「……か、彼がこの街に居てはいけない理由を聞いてもいいですか?」
『彼の本質が絶対的にこの街とは噛み合わないからさー』
「…………本質が合わない?」
『ごくごくごく、ぷはーっ、あーたまらん』
「…………」
酒をあおりながら、だらだらと語るベテルギウスに、段々とエフェメラの苛立ちが募っていく。
とは言え、会話をほっぽりだしてその場を去ろうとしなかったのは、ひとえに眼前にいるベテルギウスがこの街の有力者らしき人物であること。
そして、逃げたところでまず間違いなく、今より良い状態には決してならないだろう事が、簡単に説明できるから、だった。
『お嬢ちゃんさー、この街にある、三つの規則を覚えてる?』
「街中でドンパチしない、人様に迷惑をかけない、全ての事象は自己責任、ですよね?」
『おー。丸暗記とはやるじゃない。まだ幼いのに中々優秀ね。未来に期待ってとこだねー』
「そんなことよりっ……その三つの規則と、サタンくんの間に、一体なんの関係があるんですかっ!?」
合間に挟まれる飲酒と曖昧に濁す言葉によって、会話のリズムを崩され苛立ちを溜め込んだエフェメラは、感情の棘を隠しもせずベテルギウスを睨み付ける。
だが、彼女は少女の明確な敵意を見てもなんら態度を正す気はなく、まるで美味い酒の肴が出来たと言わんばかりの表情で、にへにへと笑いながら言葉を続ける。
『あるさ――――だって彼……完全に街の規則を破ってるじゃない』
「…………は?」
『三つめだよ三つめ。この街において全ての事象は自己責任――――なのに彼はこの部分を破って好き勝手に人助けをしてるじゃない。何の対価も得ずに人を助けるのは明確なルール違反だよ。この街じゃあ重大な罰則対象だね』
「は?はぁ?はぁぁ?」
満を持して出てきたベテルギウスの答えに、エフェメラは完全なる混乱状態へと陥ってしまった。
(人助けたらルール違反?対価を得ずに人を助けたら罰則の対象?全然意味わかんない!)
「め、迷惑をかけてないなら問題ないでしょっ!?」
『それは、お嬢ちゃん個人の価値観であり、お嬢ちゃん個人の判断さね――――少なくとも、オリオンタウンは彼を異物とみなしているし、彼をこのまま好きにさせるつもりはないよ』
最後の最後で僅かに下がったトーン。
それは、ベテルギウスが、オリオンタウンが、本気でサタンを排除しようとしている事に他なら無くて。
『あー、ところで、今更な感じあるけど……お嬢ちゃんはサタンを見つけて、一体どうするつもりなのー?』
「へ?え、あ、えっと……」
『彼の力を悪用したり、タウンに悪影響を与えるつもりでサタンを探してるって言うなら、先にお嬢ちゃんを先に排除した方が手っ取り早そうだしさ……お嬢ちゃんはどんなつもりでサタンを探してるの?」
ちょっとした小話の様な軽さで、眼前のベテルギウスはエフェメラの進退を尋ねる。
例え冗談でもタウンに悪意を持っていると言えば、眼前の彼女はまず間違いなく本気で自分を殺しにかかるだろう。
その現実を理解した上で、少女は本来であれば覚えなくても良い恐怖に震えながらも、決して折れる事のない自らの目的と決意を口にする。
「ば、バベルを踏破するのに彼の力が必要なので、私の仲間になって貰おうって思ってます……!」
『ほうっ……ほうほうほうほうっ……ふーーーーん…………がぶがぶがぶがぶっ……はふぅっ!』
ベテルギウスは、いまだ混乱から抜け切れていないエフェメラの目的を確認すると、残っていた酒を一息で全て飲み干してから、満面の笑みを浮かべ出口の方を指差す。
『なら問題ないね――――サタンは北東部のスラムにいるだろうから、さっさと他のタウンに連れていっちゃって頂戴よ』
「へ?」
『あの子を物理的に街から排除するのはしんどそうだし、お嬢ちゃんがあの子を説得してこの街から連れていってくれるのなら、それはきっと誰にとっても一番の選択になると思うしさ!』
「え、えっとぉ……ふわっ!?」
ばんばんばん、と浮かれた様子でエフェメラの肩を叩くベテルギウス。
恐らく、彼女の頭の中ではもう、完全にサタンの問題が解決してしまったのだろう。
『よし!そうと決まれば今日は祝い酒だ!やー!ようやくリゲルの奴も肩の荷が下りるだろうなー!よっしゃ!ここは私のとっておき秘蔵酒をアイツにふるまってやろう!ふふふ!リゲルのやつ泣いて喜ぶぞー!そうと決まれば突撃だー!』
「あっ……!?」
一方的に用件だけをまくしたてたベテルギウスは、エフェメラからの返事を待つ事もなく、そのままの勢いで教会から飛び出していった。
「………………」
一人教会に残されたエフェメラは、彼女が残した強烈なアルコール臭と、与えられた情報の洪水に表情を歪めながらも、ゆっくりと深呼吸をして次の目的へと向けて冷静さを取り戻していく。
「とりあえず――――スラムに行ってサタンくんを探そう」
――――――
――――
――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます