No.12:『ごめんなお嬢ちゃん。私が余計な事をしたせいでお嬢ちゃんに怖い思いをさせちゃったねー。ほんとに堪忍なぁ』

「1人部屋が小銅貨3枚って明らかに安すぎる気がする……ごくごく、ぷはっ」


拠点となる一人部屋を無事に確保したエフェメラは、自作ポーションをガブ飲みしながらベッドに腰かける。

ジェミニタウンのベッドと比べると、若干ながら安っぽさを感じるものの、一般的な1人部屋の価格が最低でも大銅貨1枚は持っていかれる事を考えると、半分にも満たないこの安さは最早驚異的とも言える。


「一体どこから利益を出してるんだろ……まあ私が気にする事じゃないか……ごくごくごくごく、ぷはっ……よし休憩おわりっ」


そうして、1分程でポーションを飲み干したエフェメラは、しっかり体の疲労が回復した事を確認するやいなや、すぐさま魔法の袋から先程リゲルから貰ったばかりの地図をベッドに広げる。


「さてさてさてさて……どこから回ればサタンくんは見つかるかな」


――――――――――――――――――――――――――――

白磁の湖↑↑↑ 黒鉄の谷→→→


北部――――教会。酒場。鍛錬所。色街。

中部――――宿屋。武器屋。防具屋。

南部――――ギルド。魔法兼薬屋。


オリオン坑道↓↓↓

――――――――――――――――――――――――――――


「普通なら、まず初めにギルドで情報を集めるのが正しいんだろうけど……さっきのリゲルさんの反応を見る限り、あれ以上サタンくんについて追及するのは難しそうだしなぁ」


ギルドでのやり取りを思い出しながら、エフェメラはこの街にサタンがいるという前提条件だけを頼りに、思考を回していく。


「とりあえず酒場に行って色々と聞いてみようかな……これだけ広いと手間も時間もかかりすぎちゃうもんね」


そうして、最初の目的を決めたところで、エフェメラは改めて手荷物をまとめると、ベッドから立ち上がり部屋から出ようとして――――


「な、なんだよそれ!?明らかに高すぎるっ!ぼったくりにも程があるだろうがっ!?」

『そ、そんなこと私に言われましてもぉっ……!』

「……………………ふぅ」


下の階、フロントでから聞こえてきた大声でのやり取りに、エフェメラは溜息をつきながら再びベッドへと腰を落とした。

今、下に行ったら、間違いなく面倒事に巻き込まれる気がする――――そう本能的に悟ったエフェメラは、下のごたごたが収まるまで、素直に部屋で静観を決め込む事にした。


「だ、だからって1人部屋が大銀貨3枚ってありえないだろっ!?」

『で、ですから、そんなこと言われても、私は雇われ店主なんですから、どうしようも出来ませんよぉっ……!』

「…………」


二階まで聞こえてくる大声でのやり取りに、一体いつまでやるつもりなんだろうと辟易しつつ、意図せずして流れて来た情報にエフェメラは感心と疑問を覚える。


「相手によって価格を極端に変えてたから、私の宿泊代は異常に安かったのか……と言うか、大銀貨3枚って私の1000倍の料金じゃんか、とんでもないな」


ダンジョン内における、宿泊施設の値段は、基本的に安く設定されている。

その理由としては、タウンを管理しているのが人間ではなく魔人だから、という一点にこそある。

安心できる場所を安く提供する事で、探索者にタウンに対する愛着を持たせ、自分が統治するタウンから離れにくくしよう、と言う魔人の思惑があるからこそ、タウン内の宿泊料金は極めて良心的なものが多い。


「くそっ!もういいっ!こんな高いトコで泊まれるかっ!俺は別の安いところを探すぜっ!」


離れていく声。それはある意味で当然の帰結と言えた。


「……そうなるよねぇ」


ようやく下の階が静かになった事を確認したエフェメラは、ふうと溜息をつき改めてベッドから立ち上がる。

今度こそ出発だ。準備は万端だ。深呼吸を一つして少女は部屋の扉に手をかけた。


「でも…………私と、下にいた人の差って、一体なんだったんだろ?」


出発直前、頭によぎった疑問に、少女の足が止まった。

宿を確保出来た自分と、確保出来なかった人物の間に存在する、大きすぎる格差。


「…………」


顔を見ないままのやり取りを聞くだけでも解る、不当な差別と言っても差し支えないほどの明確な区別。

価格設定にして1000倍と言う、あまりにも大きすぎる格差を、解らないままで放置しても果たして良いものか。


「…………違う」


だが、エフェメラはその思考に深入りする事なく、ぶんぶんっ、と軽く首を横に振ってから、両の手で自らの頬をパチンと叩いてきつけを入れる。


「違う、違うっ、そうじゃない……私のやるべき事を思い出せっ」


頬を張った音が室内に消えていく中、頬への痛みが思考の中にじぃんと染み込んでいく中、彼女は自分自身に言い聞かせるようにして、もう一度、バチンッ、と自らの頬を両手で張った。


「よしっ!」


そうして、セルフ折檻によって頬に赤みを残した少女の顔には、もはや先程まで抱いていた不安の色は完全になくなっており。


「今日中にサタンくんの情報を掴んでやるっ……!」


その眼には、ある意味で一端の探索者の証明でもある、未来への希望と根拠のない自信、に満たされていた。


――――――

――――

――


「…………人多すぎ」


宿から徒歩およそ10分。

店内にいる人間を、軽く数えただけでも、恐らく20人は優に超えているだろう。

北部にある酒場に訪れたエフェメラは、昼間とは思えない喧噪と酒臭さ、そして高い人口密集率に思わず顔をしかめる。

だが、探索者と思わしき人間だけでなく、普通に生活をしているであろう人間が、酒場でお互い共存しているというその光景は、この街が非常に安定しているという証明でもあった。


「……みんな首輪つけてるんだな」


ふと覚えた違和感を、なにげなし口にする。

それは、場にいる全ての人間が、例外なく首輪をつけている事にあった。

白、黄色、赤、と色んなバリエーションがあるものの、基本的にはエフェメラがしているものと同じものらしかった。


『んー?んややー?なぁんか知らない顔がいるぞぉ?』


そして、エフェメラが居心地の悪さを感じている最中、不意にどこか間延びした声がフロアの中に響いた。


「へ――――ひっ!?」


エフェメラがその言葉を放った主の方へ、反射的に意識を向けようしたのも束の間――――フロア全体の視線が、全て自分に向けられている事に気づき、堪らず恐怖の声をあげる。


「な、なにっ、なんなのっ……!?」


奇異。好奇。疑問。様々な感情を宿した数十にも及ぶ眼差しが、容赦なく新参者であるエフェメラへと突き刺さる。

無論、それら一つ一つは、決して少女に害を与えるものではなかったものの、完全な不意打ちで集団からの圧力と言う未知のプレッシャーに晒された少女は、文字通りどうしたら良いのか解らず過呼吸になりかけてしまう――――


『おいおいおいおいおい!いくら可愛いからって女の子ビビらせてんじゃねぇよ馬鹿どもがよー!』

「っ……!」


だが、瞬間、ハツラツとした声と共に、集団の一部が吹き飛ばされ、割れた人の波間からずんずんとシスターが歩いてくる。

よくよく見れば、周囲の人物と違い1人だけ首輪をつけておらず、彼女が他と比べて何か特殊な立場にある人物である事がうかがえた。

そして、片手に酒瓶を持って現われたシスターは、そのままエフェメラの元までやって来ると、がしがしと頭をかきながら申し訳なさそうな表情を浮かべ謝罪の言葉を告げる。


『ごめんなお嬢ちゃん。私が余計な事をしたせいでお嬢ちゃんに怖い思いをさせちゃったねー。ほんとに堪忍なぁ』

「あ、ひ、ひぃえ……!」


シスターの謝罪に対し、エフェメラの混乱状態は、なおも継続状態だった。

彼女自身、次から次へとやってきたトラブルに対して、まだ思考の処理が追いついていないと言う事もある。

しかし、いまだエフェメラが強い混乱状態から抜け出せない大きな要因の一つに、現れたシスターの外見があまりにも常軌を逸している事にあった。


(こ、この人…………ガルドよりずっとおっきいっ……!)


小柄な自分と比べても尚、遥かに遠くの位置にある顔。

健康的な褐色の肌。後ろで結われた銀髪のポニー。キレ長の眼を縦断する古傷の痕。

エフェメラが会話する為には、首が痛くなる程に見上げなければならないその巨体は、数字にすれば190を上回っているだろう。

更には、ゆったりとした修道服からの上からでも解る、抜群のプロポーションとガッツリ安定感のあるその下半身は、戦を好まないシスターの身体と呼ぶには、あまりにもイメージとかけ離れ過ぎていた。


『お詫びと言っちゃあなんだが、ミルクの一杯でも奢らせておくれよー!』

「へ?」

『お前らさっさと席をあけな!私は今からこのお嬢ちゃんと一杯やらなきゃいけならないんだ!どいたどいたー!あっちいけー!』


そして、エフェメラが呆気にとられるのも束の間、シスターは座って酒を飲んでいた何人かを蹴飛ばすと、無理矢理に二人分の席を確保し始めた。


『ほら。お嬢ちゃん。席が空いたよ。座ってゆっくりお喋りでもしよっか……ぐびぐびぐび、ぷはーっ!』

「え、いや、それ、空いたんじゃなくて……!」


奪い取った席に座るやいなや、意気揚々と酒をあおり出すその姿は、傍若無人としか言いようが無くて。


[そりゃないぜベテルギウス様ー!]

[確かに怖がらせたのは悪かったと思うけどさー!なにも蹴っ飛ばす事ないじゃんかよー!]

[そもそもお喋りが目的なら自分とこの教会つかえばいいだろー!自分が酒を飲む為の理由に他人を使おうとするなよ卑怯者ー!]


至極当然ごもっとも、としか言えないブーイングの嵐に、エフェメラは最早どうして自分がココにいたのかすら、忘れそうになってしまう。


『うっさいなぁ。そういう文句は私より高い酒頼んで店に貢献するようになってからにしろよなー。メイサに頼んでお前らをこの店を出禁にして貰っても良いんだぞー』

[はーっ!?][ふざけんなよー!][出たよ金額マウント!][発言が完全にその辺の小物!][魔人の癖に器ちっちゃすぎ!][シスターの癖に毎日酒場に入り浸ってんじゃねえよ!][そんなんだからリゲル様にシスター失格の烙印を押されるんだよ!]

『あははははは!金の無い負け犬どもの戯言が五臓六腑に染み渡るねぇ!ぐびぐびぐびぐび……あー酒が美味いっ!』

「…………」


恐らく大量のアルコールが既に入っている状態とは言え、あまりにも中身のない酔っぱらい同士の会話は、聞いているだけで頭が痛くなるものだった。


『ん?どーしたお嬢ちゃん?ミルクは嫌いだったー?』

「えぇ、と……そういうのじゃなくて」

『あ、もしかして、アルコールもやれる口だったり?よし、だったら、とっておきのお酒が――――』

「ですからそうじゃなくって……!」


そして、人とのコミュニケーションが苦手なエフェメラにとって、心理的なボーダーラインを無視して踏み込んでくる周囲の言動と、それら理不尽を楽しむ為に存在するこの場の空気は、モンスターの生息地よりも遥かに厄介きわまりないもので。


「さ、サタンくんって子を探してるんですが、どなたかご存知ありませんかっ……!?」


衝動的ではあったものの、これ以上は我慢できないと言わんばかりに、残った力を絞り出すようにして、彼女は周囲の喧噪に負けないよう声を張り上げていた。

とは言え、エフェメラの叫びは所詮、フィジカルの貧弱な少女が放った弱々しいものに過ぎず、本来であれば一秒も経たず酔っ払い達に掻き消される程度の声量でしかなかった。

もちろん彼女自身、まともな反応が返ってくるとは思ってなかった。誰か一人でも良いから届いてくれれば御の字だと。一人でも素面がいてくれれば何とかなるかもと。その程度の期待しかしてなかった。


[[[――――――――]]]


だが、彼女が抱いていた甘い想像は、彼女が抱いていた淡い期待は、想定とは別の方向で裏切られる。


[…………][…………][…………][…………][…………]


酒場に入店した時と同じように、エフェメラへと向けられる、数十に及ぶ大衆の視線――――先程とは明らかに様子が違った。


[…………][…………][…………][…………][…………]


疑惑。不安。軽蔑。憎悪。狼狽。侮蔑。恐怖。軽視。畏怖。混乱。

それぞれ、抱いているであろう感情の方向性に差はあるものの、共通して言える事は間違いなく彼らを楽しい夢から不穏な現実に引き戻したのは、エフェメラが言った言葉に他ならなくて。


『――――ね、お嬢ちゃん』


そんな、世界から完全に孤立した少女の肩に、ベテルギウスは優しく手を置いて笑う。


『とりあえずココを出ようか……詳しいことは教会で話そうねー』

「痛っ……!」


がっちりと少女の肩に食い込んだ、鷲の爪が如きベテルギウスの指は、逃げ出そうとする少女を激痛でもって、完全に奪っていた。

やらかした――――そうして、エフェメラは自らの失敗が何だったのか確認する暇もなく、今から自分の身に起きるかもしれない不運を想像しながら、涙目でオリオンタウン教会へと連行されるのだった。


――――――

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