No.11:『さっさとあの問題児を回収してくれ――――僕から言える事はそれだけだ』

『よく来たな――――未来の同胞。素晴らしき隣人。そして無知で哀れなヨソモノよ』

「……へ?」


エフェメラが建物に入って1秒もしない内の事だった。

黒い髪。青い瞳。白い肌。目元の黒子。中性的な顔立ち。そして黒の首輪。

大量の書物に囲まれ、カウンターに座っていた、分厚い書物を手にした人物が、そんな言葉を投げかけてくる。


「え、えっと」

『ギルド長のリゲルだ』

「わ……私は探索者のエフェメラです」

『そうか』


お互いの自己紹介を済ませた事を確認したリゲルは、エフェメラに興味がないと言わんばかりに手元の本へ視線を落とす。

エフェメラよりも拳一つ分ほど小さな背丈、まだ声変わりを迎えていない幼い声と中性的な顔立ちは、もし彼が貴族の少年服を着ていなければ、その性別すらも判別出来なかった事だろう。


『このタウンに来た人間には、まず最初に街のルールを教えるようになっているんだが、貴様は最後まで聞くつもりはあるか』

「え、あ、はい、聞きます、最後まで聞きます」


そのまま、目を合わせず続くリゲルの言葉は、どこか排他的な冷たさを感じられるものだった。

だが、エフェメラは若干の緊張を浮かべながらも、次に放つであろう彼の言葉を一言一句、忘れないようにと身構える。


『街中でドンパチしない。人様に迷惑をかけない。全ての事象は自己責任』


リゲルが読み上げる規則を、うん、うんうん、と頷きながら聞くエフェメラ。


『以上――――何か質問はあるか』

「…………へ?」


覚悟していたよりも遥かに短く終わった説明に、思わずエフェメラは呆けた声をあげる。


『街中でドンパチしない。人様に迷惑をかけない。全ての事象は自己責任。以上だ。何か質問はあるか』


そんなエフェメラの反応など、最初から想定済みとばかりに、リゲルは再び同じ言葉を繰り返し紡ぐ。

その顔には、同じ事を説明させられる事に対するマイナスな感情はなく、ただただ事務作業を行うが如き鉄面皮だけが存在していた。


「えっと……規則ってその三つだけなんですか?」

『三つだけだ。細かい規則や、解り難い規則を増やすと、覚えられない輩が出てくるからな。この街における守るべき基本ルールは三つだけだ』

「…………なるほど」

『破った者には相応の罰が与えられる。それだけをしっかりと覚えておけば問題はない』

「わかりました」


自分の中の一般的な認識と、この街におけるルールとの間に、大きな齟齬がない事を確認したエフェメラは、ほっと安堵の溜息をこぼす。


『あとは――――この街は滞在する人間は、基本的にこの首輪をつけて貰う事になっているが、貴様はどうする』


そして、続けてリゲルは、相も変わらず彼女と目を合わさないまま、空いた手で机の引き出しから真っ白の首輪を取り出し、音もなくテーブルの上へと置いた。


「……首輪?」

『貴様がこの街にとって友好的な人物か証明するためのものだ』

「……これって絶対に着けなきゃいけないものですか?」

『着けたければ着けても良いし、着けたくなければ着けなくても問題はない』

「…………」


友好的、にはあまりにも似つかわしくないアイテムと、機械の様に続けられる無機質な彼の言葉は、一瞬でエフェメラに緊張をもたらす。

無論その反応は当然の事と言えた。首輪とは基本的に服従の象徴である。そんなものを友好の印として付けろと言う相手を信用など出来る筈がない。


「……この首輪をつけたらどんな事が起きるんですか?」

『この首輪を装着した事によって貴様の身体や精神に影響を与える事はなく、この首輪を装着した事によって貴様が何か不利益を被る事はない』

「…………」


エフェメラの質問に、明らかにはぐらかした答えを返すリゲルの言動は、探索者である彼女に強い不信感を持たせるには十分すぎるものだ。


「…………わかりました」


だが、エフェメラは二秒ほど沈黙すると、滑らかな動きで机の上にある首輪を手に取り、そのまま憶する事なくそれを自らの細い首へと装着する。


「これでいいんですよね?」


そうして、リゲルと対峙したその瞳と声には、若干ながら不安の色を残してはいたものの、一人前の探索者と呼ぶに相応しい強い決意が宿っており。


『ああ――――改めて。ようこそオリオンタウンへ。勇気あるドウホウよ。僕達は貴様の勇気に敬意を抱く。そして貴様と言う偉大な探索者の来訪を大いに歓迎するぞ』


深く。深く。深く。

先程までの鉄壁の如き態度が嘘だったかの如く、リゲルは持っていた本をテーブルに置いて席から立ち上がると、エフェメラに対して最上級の挨拶を交わしながら深々と頭を下げた。


「あ……え、ええと、その……こ、こちらこそよろしくお願いしますぅっ!」


他人からの純粋な敬意に慣れていない事もあり、慌ててリゲルの真似して深々と頭を下げるエフェメラ。

とは言え、礼儀作法が完全に染みついているリゲルのものと違い、上辺を真似しただけの彼女のお辞儀はあまりにも不格好なものだった。


『さて――――簡単な自己紹介も済んだところで貴様がこの街に来た目的を聞こうか』


だが、リゲルはそんな無様を晒すエフェメラを華麗にスルーし、再び椅子へと座って書物を手にする。

そして、相変わらず視線を合わせないまま、されど先程よりも若干だが柔らかくなった口調で、少女がタウンに来た目的を尋ねる。


「え、あっ、えっと、この街にサタンくんって子が来たと思うんですけどっ……!」

『サタン……?』


サタンの名を出した瞬間、ビクン、とリゲルのこめかみが動いた。


「黒い軍服を着てる、私と同じくらいの年の金髪の子なんですけど、黒麒麟とかも簡単にやっつけちゃうくらい強い子で――――」

『貴様とあの小僧との関係は?』

「へ?」

『貴様とあの小僧との関係はどんなものなのかと聞いている』


ビクッ、ビクンッ、とこめかみに太い血管を浮かせたリゲルは、相も変わらず視線を本に向けたままではあったものの、その声には明らかな苛立ちを孕んでいた。

サタンが、彼がこのオリオンタウンにおいて一体なにを仕出かしたのか、今しがた訪れたばかりのエフェメラには想像もつかない。

だが、少なくとも眼前のリゲルを不機嫌にさせるだけの、ナニカ、をやらかした事だけは間違いなかった。


「か、関係は、まだないです……ちょっとだけ喋った事はありますけど」

『そんな希薄な関係の貴様がどうしてあの小僧を追いかけている』

「えと……ええと」

『貴様があのイカれた小僧を追いかけている目的を言え』


過度にも思えるリゲルの追及は、彼がサタンに対して強い不信、または脅威を抱いていると言う証明だろう。

適当に彼からの追及をはぐらかし、自分だけの力でサタンを探す事も、可能ではあった。


「わ、私がバベルを踏破する為にはっ、彼の力が絶対に必要なんですっっっ!」


しかし、リゲルから圧力をかけられたところで、結局の所エフェメラがやる事は何も変わらない。

タウンの有力者である彼を敵に回してでも、自分はサタンと言う強大な力を手に入れなければならない。

そこだけは絶対に譲れないからこそ、エフェメラはリゲルからの追及に対し、臆する事なく自らの目的を言い放つ。


『……………………なるほど』


一秒、二秒、そして三秒。

たっぷりの沈黙を経て、ずっと眉間に深い皺を寄せていたリゲルの可愛げのない仏頂面に、僅かではあるものの緩みが生じる。


『貴様のことはよく解った――――』


リゲルはそう言って、ぱたん、と手にしていた書物を閉じ、慣れた手つきで机から羊皮紙を取り出すと、くるくると丸めてエフェメラへと投げて寄越した。


「…………これは?」

『オリオンタウンの地図だ』

「わぁ……なんか店がいっぱいある……オリオンタウンって凄いんですねぇ」


渡された街の地図を見たエフェメラは、思わず感嘆の声をあげる。

広いダンジョンタウンというものは、それ自体さほど珍しいというものではない。

だが、これほどまでに発展しているタウンは、少なくともエフェメラの記憶には存在しなかった。


『さっさとあの問題児を回収してくれ――――僕から言える事はそれだけだ』

「へ?」


リゲルはそれだけを言い放つと、来訪者であるエフェメラに見向きもせず、テクテクと奥の部屋へと戻っていった。

去りゆく彼の背中は、苦労人特有の濃い哀愁が漂っており、その姿は置いてけぼりにされたエフェメラとて、みだりに声をかける事が出来ないほどだった。


「……」


そうして、静寂としたギルドに、一人残されたエフェメラはと言うと、渡された地図と去っていったリゲルの後ろ姿を交互に眺め。


「サタンくんってば、一体この街でなにやらかしたんだろ…………初っ端からこれとか先行きが不安すぎるよ」


答えの出ない疑問に思考を巡らせ、明らかに不穏な空気に不安を駆り立てられながらも、少女はとりあえずしばらくの拠点となるであろう宿屋に向かうため、ギルドから出て行くのであった。


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