第2章 理外ノケモノ
No.10:「……とりあえずでも前に進むしかないよね」
「…………」
エフェメラが、ジェミニタウンを出て、二日が経過していた。
月も太陽も存在しない空、されど昼と夜が存在する歪な世界を、彼女は歩く。
小さな林を二つ超え、一夜を静かな湖畔で過ごし、今日も今日とて青々とした草原を進んでいく。
「…………ちっ」
そんな中、エフェメラは前方20メートル先で、ゴブリンが2匹、くつろいでいる光景を目の当たりにする。
恐らく、集団からはぐれた個体、なのだろう。
3分、5分、そして10分が経過しても、彼らはその場から動こうとしなかった。
「移動する気配はないか……メンドくさいな」
普通の感性と実力を持った探索者であれば、最弱モンスターの代名詞でもあるゴブリンの存在など、気にも留める事はなかっただろう。
「ゴブリン相手にはもったいない気もするけど……仕方ないよね」
ゴブリンは弱い。しかしそれは一般的な探索者の戦力と比較した場合の話だ。
油断。集団戦。不意打ち。数えられない数の探索者たちが最弱である筈のゴブリンに命を奪われているのだ。
だからこそ、単独でダンジョンを歩く無謀と愚鈍、そして自分の弱さを知っているエフェメラは、油断も慢心もなく次の一手を投じる。
「ギリギリまで近づいて…………てやっ!」
『『――――!!!』』
彼らから姿が見えない岩場に隠れたエフェメラは、ゴブリン達がいた場所から離れた枯れ木に、自身が死角となるべき方向に思い切り餌玉を放り投げた。
『――!』『――――!』
「喰いついたっ……今っっっ!」
べちゃん、と木にぶつかった餌玉が潰れ、ゴブリン達の意識が餌玉の方へ向いた瞬間、エフェメラは全力で岩場から飛び出す。
手の中にあった時点では何も感じなかった餌玉が、潰れた事によって放たれる強烈な臭気に顔をしかめながらも、少女は全身全霊でゴブリン達が居た場所を駆け抜けていく。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……臭い……ほんと臭い……でも……なんとか抜けられた……」
餌玉。一般的な探索者3日分の食事代に相当するアイテムを消費しながらも、エフェメラは自分が難所を平穏無事に抜けられた事に、ほっと顔をほころばせる。
「ゴブリン相手にはもったいなかったけど……弱い私には必要な消費だもんね」
誰に言うでもない、自分自身を納得させながら、エフェメラは息を整え再び次のタウンに向け、止まらぬ歩みを進めていく。
「…………あ」
そうして、更に三十分ほど歩いたところで、緊張が残っていた彼女の表情がふわりと緩む。
「あったっ……!ニュートラルタワーだっ……!」
潰れた草。露出した土。安定していく足元。
目に見えて人が通った痕跡が出てくる中、エフェメラは人工的な白黒で作られた2本のタワーを発見し、歓喜の声を上げる。
ニュートラルタワー。魔人がタウンを守る為に作った結界であり、魔物がタウンに入ってくるのを防ぐ役割と、タウンの出入口の目印となる大切なものだ。
殆どのタウン、もちろんジェミニタウンにも存在していたものであり、エフェメラ自身、昼夜問わずタウンに戻る際の目印として、幾度となく世話になったものだった。
「ついたっ……ついたっ……ようやくついたっ……!」
ゆえに、タワーを見つけた、つまりタウンの入り口を見つけた事による安堵と達成感から、自然と彼女の足は早くなるのだが――――
「ここは洞窟タイプか……入口でこんなに大きいと中も相当かも……」
二つのタワーに挟まれた間に存在する、洞穴を進んでいる最中。
地面がレンガで作られた、歩きやすいトンネルを進んでいる最中。
左右の壁に松明がかけられており、明るい一本道を進んでいる最中。
「…………これ、人の足跡、だよね」
ハッキリと地面に刻まれた人の足跡、正しく真っ赤な染料で作られた靴の足跡を前にして、エフェメラは立ち止まる。
「……」
足跡は、まるで血で作られたかの如く赤黒く、そして洞窟の奥の奥まで、ずっとずぅっと続いているようだった。
「…………」
周囲の松明のおかげで、手元のみならず前方の殆どが見通せる状態とは言え、道自体が完全な真っ直ぐではない以上、血を彷彿とさせる赤で作られたその足跡は、彼女の余計な不安を掻き立てる要素にしかならなかった。
「…………と、とりあえず足を乗せてみたりして」
とは言え、進まない訳にもいくまい。
なあに、死なないんだから大丈夫、きっとどうにでもなるさ。
そう自分に言い聞かせながら、けれど拭えない恐怖心を好奇心で掻き消そうと、エフェメラはその足跡に、自分の足を乗せてみた。
「――――へっ!?」
それは、足が触れた瞬間、だった。
ばち、と全身に電気が流れたような衝撃が走り、途端に四肢が自由意志で動かせなくなる。
「な、なにこれっ、なにが起きてっ、わぁっ!?動くっ!?勝手に足が動いてるっ!?」
そして、自身の身体に起きている異変の理由を考える暇すら与えられず、エフェメラの身体は勝手に前へ前へと歩き出してしまう。
「ど、どうなってるのっ!?なんでっ!?なんで勝手に動いちゃってるのっ!?わぁああああっ!?とめてとめてとめてとめってぇええええええっっっ!?」
一歩。一歩。また一歩。
全く自分の意図しない手足が、勝手に動いて前へと進んでいく不可思議極まりない現象を前に、エフェメラは終始パニックになりながらも、されど従う事しか出来なかった。
「あ、あわわ、あれっ、明かりっ……で、出口っ……わっ!?」
そうして、三十秒ほど無理矢理に身体を操られ、ずんずんずんずんと歩かされた先――――不意に、目もくらむような光明を感じ、彼女は思わず目を瞑った。
「ん…………あ、れ…………?身体……動くようになって……っっっ!?」
先程まであった不自由さが完全になくなり、きちんと自由意志で動かせるようになった四肢に視線を落とし、それから周囲に意識を向けようとして驚愕に言葉を失った。
「ここ…………タウン……だよね……?」
上。どこまでも遠く広がった青と雲が一切ない大空。
横。恐らく住居と思わしき大量のレンガ造りの建物。
下。歪さを全くと言って良いほど感じさせない石畳。
思わず、ここは本当にダンジョン内なのか、そんな疑問を抱いてしまうほど、眼前に広がるタウンはあまりにも自然すぎた。
「え、えっと……オリオンタウン…………ギルド?」
とは言え、驚いてばかりでは前に進まない、と。今の状況を確認していこう、と。
エフェメラは、眼前にある大きな建物に視線を向け、平静を取り戻しつつ思考を回していく。
「……とりあえずでも前に進むしかないよね」
自身に起きた様々な不可解現象。
されど今の自分にはそれらを理解する為に必要な情報が圧倒的に足りなさ過ぎる。
そう結論づけたエフェメラは、狐に化かされたような気分になりながらも、躊躇なくギルドの扉に手をかけ、ゆっくりと建物に足を踏み入れるのだった。
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