No.9:「あいにく今の私には目的を果たせない事よりも恐ろしいものはないの――――おばさんの長話はもううんざり。私の命は無限でも皆の時間は有限なの。いい加減に答えを聞かせてくれない?」

地の頭が悪い訳ではなかった。

ただ機会に恵まれず、使う為の理由がない、それだけの話だった。

だが、今は違う――――生まれて初めて、彼女は自分の命よりも大切にしたい、そう思えるだけの使命と目標を得た。

ゆえに彼女は、今まで自らの生命維持だけに使っていた時間と労力を、ある種の狂気とも呼べる強い意志の元に使い始めるようになった。


「…………違う」


素材を集め。調合を繰り返し。命を奪われ。心を削られ。思考を練り上げ。決して止まる事なく前に進み続けた。

後悔も反省もそこにはない。なにせ彼女には無限の時間があったから。


「違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う」


失敗する度に何度も何度も何度も何度もやり直した。

常人であれば気が狂っても可笑しくない試行錯誤を繰り返した。

焼かれ、削られ、砕かれ、切られ、刺され、喰われ、それでも前を見続けた。


「ぁ、は」


苦痛と恐怖とで塗り潰された狂気の果て、ようやく出来上がったそれは、あの日少女が届かなかった人類の到達点であり。


「やっと………………やっと出来たぁ」


「出来たよガルド………私ガルドの宿題ちゃんと出来たよ………!」


一つの境地へと辿り着いた眼には――――大切な人を失った時と同じ、大粒の涙が浮かんでいた。


――――――

――――

――


『サタンちゃんを貴方のパートナーとして雇いたい?』


それは、エフェメラがタウンに来てから、丁度半年が経った日の事だった。

完全にタウン暮らしが染みついていた少女の放った言葉に、カストルは目を丸くしながら聞き返す。


「いくらで雇える?」

『えと………………もしかして本気で言ってるの?』

「本気」


呆れた表情を浮かべるカストルに対し、エフェメラは若干の苛立ちを見せながら袋に手を突っ込み、見せつけるようにしてそのアイテムを乱暴に机へと叩きつける。

そして、最初の一つを見せられたカストルの驚きが、二つ、三つ、四つ、五つ、と数を増していく度に、緊張を帯びたものに変わっていく。


『え、エフェメラちゃんっ……こ、これっ、貴方これっ……!?』


大きなタウンに1つあるかないかとされる貴重品が、乱雑に並べられていくその光景を前に、魔人であるカストルが絶句する。

タウン内において、モノの相場を最も熟知しているとされる魔人だからこそ、眼前で起きている異常事態に彼女は強い動揺を抱かずにはいられない。


『も、もしかして、エフェメラちゃん貴方もしかしてっ……!』

「エリクシル。全部で10本。紹介料はこれだけあれば足りるでしょ。それとライフクリスタルもあるだけ頂戴」


ガルドが死んでから見せる、エフェメラの執念には、気づいていたつもりだった。

用意した食事にも手を付けず、憑りつかれた様に毎日探索へ向かい、致命傷を負いながらも決して探索を止めようとはしない。

娯楽に溺れる事もなく、一度も弱音を吐かず、自分の部屋との往復を繰り返す姿を見て、エフェメラと言う少女の持つ執念が普通ではない事を、理解していたつもりだった。


『エフェメラちゃんは…………ガルドちゃんの意志を継ぐつもり?』

「うん」


カストルからの質問に対して、エフェメラは曖昧に言葉を濁す事なく、それが自らの使命なのだと、そう言わんばかりの覚悟で切り返す。

初めてタウンに来た頃、自分には何も出来ないと背中を丸めていた頃、相方から泣き虫と呼ばれていた頃からは考えられない、エフェメラと言う少女の大きな変化であり。


「ダンジョンの外でガルドの帰りを待ってるガルドの子供の足を治さなきゃいけない。それと、彼にダンジョンタウン全ての美味しいメニューと総評の続きを作って渡さないといけないの。それがガルドの意志を継いだ私の役目。私みたいな死なない化物を守ってくれた英雄に出来る恩返し」


何の臆面もなく、何の躊躇もなく、何の憂いもなく、少女は自らが描くべき未来を、自らが抱いた決意をハッキリと言葉にする。

若干だが色褪せた日記を手に、柔らかな微笑みを浮かべて決意を語るエフェメラの顔には、紛れもなく幸せだった過去がある。


「私が――――エフェメラ・クロニーが、ガルド・アッカーマンに代わって、このバベルを踏破する」


だからこそ、それがあるからこそ、少女は改めて宣言する。

多くの探索者たちの夢と希望を打ち砕いてきたこのダンジョンを、紛い物の蜻蛉(エフェメラ・クロニー)と呼ばれた無力な自分が、踏破してみせると。


『……今の貴方よりずっと強かったガルドちゃんですら、成し遂げられなかった事だって理解した上での言葉かしら?』

「うん。だって私は死なないから。他の人と違っていっぱいチャンスはあるから。だから大丈夫」


淡々と。粛々と。さも当たり前のように。

容易に想像できる地獄の未来を、張り付いた笑顔と共に告げる少女の決意を前にして、カストルは表情を曇らせる。


『死なないだけの人間が、黒麒麟から逃げる事しか出来なかった貴方が、このバベルを踏破できると本気で思ってるの?』

「思ってないよ――――思ってないから私は力が必要なの。黒麒麟を一蹴できるほど強い力を持った”人間”であるサタンくんの力が必要なの」

『あらら、サタンちゃんが魔人じゃないってコトまで突き止めちゃうだなんて。ガルドさんでもそこまでは辿り着かなかったのに』

「カストルさん。私は長話を聞きに来たわけじゃないの。私は私が欲しいものを手に入れに来たの」

『せっかちね……でも、そういうのは普通、本人に頼むものじゃないかしら?』

「片手で数える程しか喋った事のない私が頼むよりも、彼の育ての親であるカストルさんを通して頼んだ方が、勧誘が成功する確率は高いでしょう?」

『…………随分とまた深いところまで調べたのね』

「他の探索者を通して情報収集したり、本人から話を聞いたりくらいはしたけどね。でも根本的に二人とも情報を隠そうともしてなかったし、知られたから困る事でもないでしょう?」


にぃ、と白い歯を見せて嗤うエフェメラ。

強者である魔人の圧倒的な力に怯え、人の背後で隠れていただけの少女は、そこにはいなかった。


『そうね……だけど、ああ、うん、そうね…………貴方が本気だって事はよぉく解ったわ』


少女の劇的な変化、異様な成長を目の当たりにして、カストルはエリクシルのグラスを、軽く指で叩きながら嘆息する。

人の良き隣人である魔人にとって、本来短命とされる探索者の成長を見られるのは、ちょっとした幸運と遭遇したに等しいものであり。


『やっぱり人間はいいわ。あんな事があったとは言え、泣いてばっかりだったエフェメラちゃんが、半年も待たずしてこんなにも立派な探索者になったんですもの。感無量だわ』

「カストルさん。御託はいいから。早く答えを聞かせて」

『…………せっかちさんね』


だからこそ、余韻に浸る暇もなく急かされたカストルは、ぶうと不満げに唇を尖らせながらエフェメラを睨む。


『ま、いいわ。サタンちゃんのタウン外警備がなくなるのは惜しいけど、貴方の強い決意と覚悟とこの大量のエリクシルに免じて、話くらいはしておいてあげる…………それは何のつもりかしら?』


少女の手に握られた洋ナシ型の塊を見た魔人の眼差しが、それまでとは比較にならないほど鋭く絞られ、一瞬で強烈な殺意がフロア一帯を満たす。


「話すだけじゃ駄目。今ここで、彼を私のパートナーにすると、契約できちんと誓って――――じゃないとこのフロア全体を吹き飛ばすよ」


エフェメラが袋から取り出したそれは、彼女がゼロから自作した爆弾であり、奇しくもガルドが腐食竜を相手に使用した、グラトニーボムとほぼ同じものだった。


『貴方…………正気なの?』

「これくらいしないとカストルさんは本気になってくれないでしょ?」


全身から噴き出す汗を拭いもせず、奥歯をぎゅうと噛み締め口角を歪に捻じ曲げ、自分よりも遥かに強い存在である魔人を脅す。

一秒後には肉片にされてもおかしくない、それほどの力差がある事を本能で理解させられながらも、少女は決して怯む事なく嗤ってみせた。


『ソレを袋に戻しなさいなエフェメラちゃん…………そもそもサタンちゃんが貴方とのパートナー契約を断るかもしれないって考えはないの?』

「カストルさん。私が聞きたいのは仲間に出来ない言い訳じゃないの。貴方が協力してくれないなら私は彼の帰る場所を奪う。ただそれだけの話よ」

『あらあらあらあら――――死ぬより辛い目に遭わせる方法なんていくらでもあるのよ?』


自らの命よりも優先するタウンへの脅迫に対して、カストルはそれまで以上の敵意を持って警告する。

呼吸すら忘れさせる圧倒的なプレッシャー。強烈な死を予感させる強烈な殺意。

上位の探索者ですら、真正面から受け止めれば強いトラウマを刻まれ、闘争本能を失ってしまう可能性すらある、魂へ根源的な恐怖を刻む暴力を前にして。


「あいにく今の私には目的を果たせない事よりも恐ろしいものはないの――――おばさんの長話はもううんざり。私の命は無限でも皆の時間は有限なの。いい加減に答えを聞かせてくれない?」


かたかたと恐怖に身を震わせ、今にも零れそうな大粒の涙を必死で堪え。

白い八重歯を剥き出しにしてぎこちない笑みを作りながら、少女は爆弾の信管に指をかけて魔人を挑発してみせる。


『………………………………………………………………はぁぁあ』


少女が見せた、勇気、胆力、気丈、大胆不敵で傲岸不遜とも呼べる態度――――否、狂信であり、蛮勇であり、馬鹿であり、明らかな外道を前にして、魔人は大きな溜息を吐く。


『良いわ。サタンちゃんとのパートナー契約を取り持ってあげる。魔人カストルの名において誓うわ』

「っっっ!!!」


先に矛を下ろしたのはカストルだった。

あまりに一方的ながらも少女の脅迫を受け入れた魔人は、けれど子供の我儘に振り回された母親のような苦笑いであり。


『まさか魔人である私に対して、不死性を武器に真正面から啖呵を切ってくるとは思わなかったわ……無知ゆえの、ううん、恐怖も理屈も知った上でやってるから、エフェメラちゃんは正真正銘のお馬鹿さんね』


そう言うと、カストルは虚空から取り出した羊皮紙を彷彿とさせる色褪せた紙に、さらりと自らのサインを一筆し、そのままペンと共にエフェメラへと渡してくる。

魔人の契約書――――ダンジョンの外でも絶対的な効果を持つその契約書は、本来であれば探索者と魔人間における隷属契約や死後の魂譲渡と言った、重大な契約でしか使われないものであり。


「っっっ!ぁっ、がとっざまっすっっっ!」


エフェメラは、久方ぶりの食事を前にした欠食児童のように乱暴に契約書をつかむと、血眼になって記された内容へと目を通していく。

時に因果すら捻じ曲げるとされる重い魔人の契約書。

だが、そこに記された条件は、エフェメラが想像していたものとは、まるきり毛並みの違うもので。


「……………………あ、あれ…………こ、これ、この内容って」

『こっちは虎の子の用心棒をほぼ無期限で貸し出すんだもの。エリクシル10本程度じゃあ釣り合わないわ。追加条件は当然の権利でしょう』


契約しようとしていた内容と、記載されている文字の相違に気付き、思わず出てきたエフェメラの疑問に、先んじてカストルが答える。


――――――――――――[サタンちゃんのレンタル契約]――――――――――――

1.エリクシル3本を、タウンに収めること

2.料理の評価表が完成したら、カストルに見せに来ること

3.魂が朽ち果てる最後の一瞬まで、決してバベル踏破を諦めないこと

4.もしも、上記3つが守れなかった場合、死後にカストルの隷属となること

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


間違いなく悪印象しか与えていなかった筈のカストルとの契約。

だが、実際に蓋を開けてみるとそこにあったのは、彼女からの激励としか思えない内容だった。


「こ、これだけ……?本当にこれだけで良いの……?」

『いやいやいやいや……貴方が考えてるよりも遥かに難易度が高いわよこれ』


苦笑しながら告げるカストルの言葉は紛れもない真実だ。

なにせ、この契約は、数百数千と言う長い年月、人類を拒み続けた最高難易度のダンジョンを踏破した上で、報告の為に再度バベルに挑戦しなければいけないと言う、気狂いとしか思えない契約なのだから。


「エリクシルが3本なのはどうして?」

『純粋に価値があり過ぎて持て余しちゃうのよ。エリクシルを取引できる探索者なんて滅多にいないもの。だから3本も貰えたら十分。そもそも私がたくさん持ってても箪笥の肥しになっちゃうだけだし、残りの7本は私からの選別だと思って貴方の旅に役立てなさいな』

「…………ありがとうございます」


だが、完全にタガの外れている今のエフェメラにとって、その契約は自らの意志を蝕む足枷にもなりはしなかった。

自らの背中を押してくれる魔人に小さく礼を告げ、少女は震える手で自分の名前をサインしてから――――改めて正対し深々と頭を下げた。


「それと……その……さっきは……失礼なことをして……ごめんなさい……」

『そうね。今回だけは見逃してあげるけど次はないわ。他のタウンじゃ気を付けないと駄目よ』

「ぁ――――」


少女の非礼を、少女の謝罪を、優しく微笑み抱き締める魔人の顔には、我が子を戦場に送る母親のような寂しさに満ちていて。


『…………もう出発準備は出来てるんでしょう?』

「う、うん……サタンくんと契約したら……すぐ出発しようと思ってたけど……」

『サタンちゃんは今隣のタウンに居るわ。これを彼に見せたら、その場でパートナーになってくれるわ』


そう言うと、カストルは契約書の写しと、結婚指輪を彷彿とさせる小さな指輪をエフェメラへと手渡す。

これと言った装飾もなく、銀と言うには随分とくすんだ輝きを放つそれは、けれど彼女にとって大切なものであろう事は明らかであり。


「あ……ありが、と」

『本当に今すぐ出発しちゃうの?』

「っ……!」

『そんなに焦らなくても、サタンちゃんが帰ってきてからでも、いいんじゃないの?』


優しい抱擁は、心配の眼差しは、労わりの言葉は、比較する事が馬鹿馬鹿しいほどに、本物だった。

深く。広く。温かく。

エフェメラの幸せを願って向けられた底抜けの温もりは、紛れもなく母から子へと向けられる無償の愛情そのものだった。


「っ……うんっ……ありがとう……でも行くっ……行かなきゃっ……もう決めたからっ……決めたなら今すぐ行かなきゃきっと駄目だからっ……!」

『…………そっか』


だけど、エフェメラは止まらない。もう、止まれなくなってしまった。

初めて植え付けられた人生への渇望が。何も出来なかった事に対する強い後悔が。

極端に死を恐れながらも、生に執着しただけの少女を、優しく温かい安寧から飛び出させた。

超一流の探索者が絶対に持っているとされる狂気――――今のエフェメラには間違いなくそれがあった。


『即断即決は、良い探索者になる為に必要不可欠だものね……うん、頑張りなさい。貴方がそう決めたなら、最後の最後まで抗い続けなさい』

「うんっ……うんっっ……!頑張るっ……私頑張れるからっっっ……!わたし絶対ここに戻ってくるからっっっ!」


エフェメラの声は、今にも泣き出さんばかりに震えていて。

エフェメラの目には、今にも零れんばかりの涙が浮かんでいて。


『だからっ……だからっ……私はっっ……私はっっっ……!』


それでも、泣き虫である彼女が一度も泣く事もなく、痛々しくも気丈に振舞っているのは。

もしも、ここで泣いてしまったら、きっと全てがポッキリと折れてしまうだろうと、本能的に理解しているからで。


『うん、行ってらっしゃい、エフェメラちゃん――――私はいつまでもこのタウンで貴女の帰りを待っているからね』

「ぅ、んっっっ……!行ってきますッッッッッッ!」


今度こそ自らの意志で優しい魔人の抱擁から抜け出した少女は――――ただの一度も振り返る事なく、ただの一度も涙を溢す事なく、次のタウンへと力強く足を踏み出すのだった。

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