No.8「私は――――私はまだっ……貴方に何の恩も返せていないんだっっっ……!」

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『――――ダンジョンの外に生まれつき足が不自由な息子がいてな。そいつに会う為ならどんな非道な手段だって使うつもりだ。必要であれば、他人の命すら犠牲にする覚悟がある。それでも良いならついてこい』


彼は――――私に優しくしてくれた。

まだ私がガルドと会って間もない、ポーションを作る技術も持っていない、正真正銘の無価値だった頃。

彼は目的も生き甲斐も持たずに、生きているだけの私を拾った上で、そう言ってくれた。

安心した。

だって、彼のような価値ある人間が、私のような無価値な人間に対して、本来であれば必要のない筈の配慮をしてくれる時と言うのは、無価値な人間を命を使い捨てる時以外にありえないものだったから。

無配慮にも思える彼の言葉は、だけど決して避けられない現実で、それらを余す事なく伝えてくれる彼の誠実さに、私は一瞬で彼が信頼に値する人間である事を知り、その背中を安心して追いかけるようになった


『――――焦るなエフェメラ。戦えないって事実が解っただけでも十分な収穫だ。戦闘する事だけが探索の全てじゃない。まずはお前がどこまで出来るかを確認した上で、出来る事を少しずつ増やしていく事が今は大事だ。苦手な分野でつまづいたからと言って焦る必要はない』


彼は――――私に生きる術を教えてくれた。

一人では何も出来なかった私を、探索者として一人で生きていけるように育ててくれた。

愚鈍な私を見捨てる事なく、膨大な知識を惜しむ事なく、本来であれば他人である筈の私に、丁寧に教えてくれた。

安堵した。

彼の傍にいる事で、色褪せていた世界が、どんどん色付いていった。

毎日ご飯が食べられるようになって、毎日ふかふかのベッドに寝られるようになって、私は人の顔が見られるようになった。


『――――良かったな、紛い物の蜻蛉(エフェメラ・クロニー)。この成功は間違いなくお前が掴んだものだ。胸を張って心に刻め。今までの苦労は無駄じゃなかったんだってな』


彼が――――私と言う人間に価値を作ってくれた。

誰かが捨てたゴミを拾うだけだった私の人生が、決して無駄ではなかったのだと言ってくれた。

褒めてくれた。否定しないでくれた。自分ですら卑下していた自分自身の未来に、生まれて初めて希望が持てるようになった。

彼の隣、彼の後ろ、彼の近くは、私がいつからかずっと求めて焦がれて止まなかった場所。心から安心できる場所であり安堵する場所であり、幸福の象徴だった


『今後の指針を探してこい――――宿題だ』


私に、課せられた宿題。

幸せを、教えてもらった。

優しさを、与えてもらった。

離れてから、やっと気づいた。

やるべきこと、私の今後の指針。


「私は――――私はまだっ……貴方に何の恩も返せていないんだっっっ……!」


受けた恩を。心地良い温もりを。彼との幸せな思い出を。噛み締めるようにして、私はタウンへの道を走った。

ガタがきている四肢を気力で動かし、血の混じった息を吐きながら、人生で一番の速度でタウンを目指して走った。

途中、怪物たちが私の邪魔をしようとしたけれど、皮膚が裂け肉が削れ骨が折れたりしたけれど、気にならなかった。

そうやって、ようやく辿り着いたタウンの中に、私よりもガルドよりも、ずっとずっと強いカストルさんの姿があって。


「お願い…………お願いします……ガルドを……助けて…………」


そこで――――私の意識は霞のようにふわりと消失した


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――


嫌な予感はあった――――それでも、きっと彼なら戻ってきてくれると、肉体を精神を手ひどく傷つけられようとも、生きて自分の元に帰ってきてくれると、そんな御伽噺のような希望を抱いていた。


『黒麒麟を討伐しました――――それとガルド・アッカーマンの死亡を確認しました』


エフェメラが決死の思いでタウンにいたカストルに、黒麒麟の存在と居場所を伝えてから1時間後。

ガルドとの会話で何度も出て来た少年、サタンが怪物の角を土産にタウンへ現れ、業務報告の如く淡々と報告する。

それは、フロアの隅で小さく縮こまりながら、ガルドの帰還を討伐の吉報を待っていたエフェメラの耳にも聞こえるものであり。


「………………………………そっか」


されど、恩師であり仲間であり、大切な人間の死を知った少女の顔に、さほど大きな驚きはなかった。


「ガルドも、やっぱり、死んじゃったんだ――――」


他の人と、同じだったんだ、と。

少女は独り言のように小声で呟くと、激情のままに涙を見せる事も、伝聞の真偽を疑う事もせず、不幸を現実を受け入れる。


「「「――――――――っ」」」


丁度タウンに滞在していた複数の探索者達が感嘆の声をあげていた。

それらは、黒麒麟の脅威を語る畏怖であったり、希代の化物が屠られた事に対する称賛だったり。

どちらにせよ、今のエフェメラにとっては、何ら意味を持たない、ただ通り過ぎていくだけの些末の情報に過ぎなかった。


『ああ――――ガルドさんの相方であるエフェメラさんですよね?』


そんな中、血や汗や焦げでぐしゃぐしゃの服を着替えもしない彼女の元へ、敵の返り血すら浴びていない無傷のサタンが近づいてくる。

その顔には、怪物を屠ってきた事による疲労の色はなく、相方を失い傷心した少女に対する憐憫や同情もなかった。


『これ。ガルドさんの遺品です。これは貴方が持つべきだと思います。ぜひ受け取ってあげてください』


どこか押し付けられる形で受け取ったそれは、少女が彼とコンビを組んでから誰よりも間近で見てきたもの、ガルド・アッカーマンと言う偉大な探索者が最も大切にしていた、全てを収納する道具袋――――いわば彼が生きた証と言っても過言ではないものだった。


「…………ありがとうございます」


抑揚のない声で少年に礼を告げる少女には、もう何かを考えるだけの力は残ってはいなかった。

友達が、仲間が、恩人が、死んだ……幾度となく突き付けられてきた現実を前に、エフェメラの心は疲弊しきっていた。

今回だって本質的には何も変わらない。仲間が死んだだけ。自分が生きただけ。そう自分に言い聞かせながら、ふらふらと力なく自分の部屋に戻ろうとして。


『エフェメラさんは――――今後どうするつもりなんですか?』


ふと、少年の口から出た何気ない疑問に、憔悴していた少女の意識がぴくりと反応する。


「こん…………ご…………?」

『ええ。他の人みたいに最上階を目指すつもりですか?それともこのタウンに残るつもりですか?』


ダンジョン内において探索者が仲間を失う事は決して珍しい事ではなく、そのショックから次の一歩目を踏み出せなくなる人間は決して少なくはない。

故に、どこまでも前向きに、底抜けに明るい声で紡がれるサタンの言葉は、選択と言うわかりやすい形で未来を示す彼の言葉は、純粋な善意から出ているものだ。


「わたしは――――どうしたらいいんですか?」


しかし、挫折や思考放棄とも違う、考える為のエネルギー自体を失っている少女は、そんな少年の二択にすら曖昧な疑問で返す事しか出来なかった。


『どうしたらいい?不思議な事を聞くんですね?エフェメラさんには何か夢や目標と言ったものがないんですか?』


だが、そんなエフェメラの答えになっていない返事に対し、サタンは心の底から興味深そうに言葉を続ける。


「………………そんなのわかんない」

『エフェメラさんの夢や目標ですよ?それがわからない?ならどうして貴方は生きているんですか?』

「ッ……!」


恩人を失ったばかりの少女に向けるものとは思えない言葉に、エフェメラは忌々しげに唇を噛みながら上目遣いにサタンを睨み付ける。

だが、彼から向けられるその眼差しが、悪意を感じさせない好奇心から生まれているものだと、それが解るからこそエフェメラは言葉を続ける


「私はっ……私はガルドに生かされただけっっっ……!」


瞬く間に膨れ上がっていく激情に飲み込まれた少女が、力任せに机を殴りつけながら悲鳴のように叫ぶ。

悲観、後悔、無念、そして――――根柢にある、自らの無力に対して抱いていた怒りが、とうとう形となって爆発した瞬間だった。


「私が、私が残るって言ったのにっ……!私は死なないから大丈夫だって言ったのにっ!殺されたって死なないからって言ったのにっ!なのにっ……なのにあの人は……私が餓鬼だからっ……弱いから逃げろって言ってっ…………!」


ぼろぼろと零れてくる涙と共に、少女は自らが犯した罪を吐露していく。

死なない、と言う言葉に周囲の数人がザワついたものの、今の少女にそれを気にする余裕などある筈もなかった。

伝令役しか出来なかった自分の無力さに、彼が提案した言葉が嬉しいと思ってしまった自分の薄情さに、結果として恩人を死に追いやってしまった自分の愚かさに。


「もっとっ……もっと早く私が言ってたら……!怖がらなかったら……怯えなかったらっ……!私がっ、死なない化物だってガルドに言ってたらっ……ガルドが死ぬ必要なんてなかった筈なのにっ……!」


少女はボロボロと大粒の涙を流し、癇癪を起こした子供のように激情をぶちまけ、最後には自らの足で立つ事すらも出来なくなり、とうとうその場で声をあげながら無様に泣きじゃくる。


『なるほど――――つまり、ガルドさんはエフェメラさんに、何か夢や目標を託されたから、安心して死ぬ事が出来たんですね』


網膜を焼く太陽の如き眩しい笑み。

金色の髪の隙間から除かせる黄金の双眸。

何の憂いもないにこやかな少年の悪意なき声。

突拍子もない言葉に思考が完全に停止してしまった。


「……………なにを……いってるの…………?」


それは、涙を流す事すら忘れてしまう程に衝撃的で、故にエフェメラは感情を失った声でサタンの意図を問う。

理解が出来ない。理解をしたくない。二律背反の理性と感情の狭間で、少女は震えながらも少年の言葉から意識を離せなかった。


『そのままの意味ですよ――――貴方には彼が命を懸けるだけの価値があったという話です』


心からの善意から紡がれるサタンの言葉が、ぐじゅぐじゅに蕩けたエフェメラの心に侵食していく。


『そして、もちろん残された貴方には、彼の遺志を継ぐ権利があります――――貴方が彼に命を賭して守られたと言う自覚があるのであれば、彼の死を弔いたいと思う心があるのであれば、猶更こんなところで弱音を吐いている時間はない、それだけの話ですよ』

「ッ……!」


少年は優しく諭す――――生き伸びた人間の責任を果たせ、と。

犠牲にしてしまった人間を思い嘆くよりも先に、やるべき事があるだろう、と。

自分が恩人の屍の上に立っている自覚があるのならば、その責務を果たすべきだろう、と。


『泣いてる暇も、膝をついてる暇も、自己嫌悪や思考放棄に陥る時間すらない筈です――――でも大丈夫、ガルドさんが自らの命と引き換えに助けた貴方なら、絶対にガルドさんの夢を達成する事も出来る筈ですから』


初めて産まれた子供が、パパ、ママ、と初めて自分たちを認識してくれた、その瞬間を見た親のような笑顔だった。

罪人が自分の罪を理解し、罪悪感と後悔で心を焼かれながらも、人が心変わりする瞬間を目の当たりにした、敬虔なシスターのような笑顔だった。


『サタンちゃん。エフェメラちゃんも今は辛い時なんだから少しは――――』

「……………………ああ、そっか、そうだったんだ」


情念を感じさせない真っ新な正論に対して、苦々しい顔で助け船を出そうとするカストル。

人よりも人を思う魔人の言葉を遮り、エフェメラはパズルのピースがハマったような表情で小さく呟く。


「私が――――私がガルドの夢を叶えたら問題はないんだ!」


自分が生きる事にしか、執着出来なかった無力な少女が、タウンに訪れて生まれて初めて感じた、充足と幸福。

それらを一挙に失い、生まれた心の空白に強い絶望を植え付けられた少女には最早、自ら未来を掴むための気力など残ってはいなかった。


「そうだよ……私は死なないんだから……どれくらい時間がかかっても……どれくらい辛い事があったとしても……私が諦めさえしなければ……ガルドが届かなかった夢を叶えられるんだっ……!」


彼の命を。彼との幸せを。彼と過ごした一瞬の煌きを。永劫にも感じられる幸福の瞬きを。

一片たりとも、無駄にしてはいけない。絶対に無駄になどしてはなるものか。その思いが少女の空白にピタリとはまった。はまってしまった。

一種の脅迫観念から生み出されたエフェメラの双眸には、されど初めてのダンジョンアタックに夢を抱く探索者のような、爛々と輝く強い意志と気力に満ち溢れており。


『うん。いいですね。素晴らしい気概です。やはり探索者は前を向いていないと』

『はぁぁ…………いくらなんでも荒療治すぎでしょ』


今ここに生まれた、小さな探索者の誕生を見届けた二人の表情は、まるで示し合わせているかのように相反していた。


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