No.7:「さぁて殺り合おうか黒麒麟……ちっぽけな探索者、ガルド・アッカーマンの最期のプライド、その身に刻んでいけッッッ!」
「はあっ、はぁっ、はぁっ、はぁぁあ……やっぱり、ガルドに、ついてきてもらえば、良かったかも」
エリクシルが製造できると気づいてから、エフェメラはすぐにタウンを飛び出していた。
そして、30分ほど歩いて辿り着いた、周辺が苔生した小さな洞窟の前で、改めて自分の浅慮に溜息をつく。
けど、止まれなかったのだ、止まる事なんて出来なかったのだ。一刻も早く彼の名誉を取り戻したくて仕方なかったのだ。
「エリクシルを作る為に必要な素材……7つの内の6つ目まではガルドが持ってる袋の中にあった」
キリン酒。一つ目トロルの背骨。夢咲キノコ。ヌンドラゴラの根。川枯らしの舌骨。ドラゴンの胆石。
24個の候補から選ばれた6個の正解。100000通り以上の組み合わせが存在する中から、一切のミスなく正しい答えに辿り着いた彼女の力は、他に比類なき天賦の才と言えるだろう。
「あと必要なのは…………火炎、トカゲ、の、無精ら、ン、ぐぅぷッっ」
その言葉を口にした瞬間、エフェメラは全身が毛羽立つような感覚に襲われた。
胃の中から一気に競り上がってくる不快感に、彼女は口を抑え身体をくの字に折りながら、何とかギリギリのところで耐える。
「ひ、ひっ、ひぃ、ひぃっ……はぁっはぁっはぁっはぁっ」
呼吸は乱れ思考もバラバラ、足元も力なくガクガクと震えており、今にも崩れ落ちそうだった。
皮を焼かれ、肉を噛まれ、骨を折られ、神経を削られ、骨髄を吸われ、本能に刻みつけられた死の恐怖が、少女を苛む。
「ふーっふーっふーっ……ふーっ、ふーっ、ふーっ……でも、頑張らなきゃ……私が頑張ってっ……ガルドの後遺症を治すんだっ……!」
だが、それでも少女は、二度三度と自らの足に拳を叩きつけて震えを殺し、砕けんばかりに力いっぱい奥歯を噛み締め、目には大粒の涙を浮かべながら、死の象徴が住んでいるであろう洞穴へと正対する。
火炎トカゲの巣。ちょうど月に一度の繁殖期を迎え、凶暴性を増した怪物達が棲むその岩穴は、中堅どころか上級パーティですら相当の目的が無ければ、まず近づかないような危険地帯と化しており。
「ガルドは……ガルドは私に価値があるって言ってくれたっ……ならガルドの価値を取り戻すのは私の仕事だっ……!」
若気の至りで済ませるには、あまりにも無知で無謀で無垢な少女は、生まれて初めて抱いた小さな希望だけを胸に秘め、トラウマを作り出した魔物が住む洞窟へと足を踏み入れるのだった。
――――――
――――
――
「熱い…………それに酷い匂い……!」
洞窟に入ってから10分。
岩穴の中は焦げた肉の臭いと、濃厚な獣集で満たされていた。
ばちばちと至るところで、ナニカ、が燃えているため、視界に関しては苦労しなかった。
そして、穴の直径は驚くほど大きく、彼女が身を隠す為の遮蔽物も多くあったためか、トカゲ達と遭遇する事もなかった。
「…………火炎トカゲの無精卵か」
炭と鉄が混じったような臭気を前に、無力な少女の脳裏によぎるのは――――ガルドと組む、タウンに来る直前の、パーティでの惨劇。
[[[火炎トカゲの無精卵は有精卵とは比較にならない価値がある]]]
そんな情報屋の言葉に釣られて、準備もほどほどにこの巣に突撃し……脳が炭化するまで焼き尽くされ、どんな顔だったかも思い出せなくなった名ばかりの仲間たちの断末魔が、自身もまた焼かれ喰われ刻まれた際に刻まれた死の恐怖が、彼女の足をすくませる。
「あの時は逃げるのに必死で、途中で放り出しちゃったけど、もしちゃんと持ち帰ってたら今頃は……ううん」
だが、彼女はぶんと首を軽く振り、あまりにも馬鹿馬鹿しい仮定を塗り潰す。
(もしそうだったとしても、その私の隣にガルドはいない……ガルドの価値を取り戻せる力をもつ私はいない……そんなの絶対に駄目っ!)
心臓を締め付けられるような恐怖を、矮小な使命感で必死になって塗り潰し、唇を噛み締め赤く血を滲ませながらも一歩また一歩と前へ進んでいく。
「ヒッッッ…………!」
カサカサと虫が這うような足音、むわりと鼻孔をくすぐる独特な青臭さに、堪らずエフェメラは息を殺しながら近くの岩場に身を隠す。
体長2メートル。尻尾まで含めると4メートル近い、錆のようなくすんだ赤鱗を持つワニを彷彿とさせる大トカゲ――――火炎蜥蜴(バーニングサラマンダー)が、舌をチロチロと出しながらエフェメラが先程までいた道を悠々と進んでいく。
(お願い……お願い見ないでぇ……お願いだからこっち見ないでぇっ…………!)
彼女が隠れた場所は、人をずっぽり覆い隠す程に、大きな岩の裏だった。
だが、火炎トカゲが僅かでもそちらに意識を向ければ、容易く見つかってしまう場所であり、だからこそ今の彼女はただ見つからないようにと、強く祈る事しか出来なかった。
「……………………ぷはぁぁっはぁっはぁっはぁっはぁっ!」
おおよそ1分弱。
永遠にも感じられる時間をやり過ごし、火炎トカゲの姿が完全に見えなくなってから、ようやくエフェメラは肺の中で澱んだ酸素を一気に吐き出す。
「はっ……はぁっはぁっはぁっ、ふぅっふぅっふぅぅぅっ……!」
猛烈な痛みと苦しみで刻み付けられた恐怖と記憶は、根源的なトラウマは簡単に拭えるようなものではない。
全身の筋肉は冷たく強張り、心臓は動悸で激しく暴れ、締め付けられる肺の痛みに、無意識の呼吸すら忘れそうになる。
「でも良かったっ……バレなかったっ……見つからなかった……大丈夫……まだいける……まだ大丈夫っ……!」
それでもエフェメラは諦めなかった。
ガタガタと歯を震わせ、過呼吸に陥りそうになりながらも、大丈夫、大丈夫、と自分自身に言い聞かせながら足を進めていく。
「――――――――ぁはっ」
そうして、再び歩いて10分、彼女はようやく火炎トカゲの巣へと辿り着いた。
大きな岩と岩の隙間に敷き詰められた、白色だったり灰色だったりする大小さまざまな大量の枝、のようなもの。
大量のそれらをクッション代わりに、ぽつんと上に乗った真っ赤な焔色をした楕円形の塊、一見で特別と解るそれに少女は狂喜する。
「見つけた――――見つけたっっっ……!」
狂気を孕んだ喜び。恐怖を伴った悲鳴。
どちらともとれる声は、けれど少女以外の誰にも届かなかった。
「はっ、はっ、はっ……今っ、今ならっ……今しかっ……!」
乾燥と疲労で掠れた喉から出た少女の声は、信じられない幸運を前にした狂喜で上擦っている。
その目はギラギラと一点だけを見据えており、興奮剤を打たれたかの如く極度の興奮状態に陥っていた。
だが、彼女の反応は当然と言えば当然だろう――――なにせ、今この部屋には、彼女と卵以外なにもないのだから。
「ぁっ、だ、誰もいないっ……早くっ……早く持って帰らなきゃゃっ……今ならっ……!」
急いで卵置き場に近づいたエフェメラは、林檎ほどの大きさの卵を持ってきていた袋に詰め込んでいく。
1つ、2つ、3つと、殻が割れないよう最低限の注意だけを払ったそれは、時間にして二十秒もかからなかった。
「お、終わったっ……あと、あとはここから逃げればっっっ……!」
ポキン、と。
踵を返そうとしたエフェメラの足が、散らばっていた何かを踏みつけ、渇いた音がフロアに響く。
「あれ、これって…………?」
油断、してしまった。
後は自分がこの卵を持ち帰りさえすれば、全て解決すると安堵してしまった。
だからこそ、自らが踏みつけ粉々にした無数の白枝の正体に、彼女の視線と思考が向いてしまうのは仕方のない事だった。
「いやぁああぁぁッッッっっっ!?」
骨。
骨。骨。骨。骨。骨。
骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨――――10や100では済まない、夥しい量の白骨の山は、火炎トカゲの犠牲となった大小様々な生物たちの末路であり。
「いや、いやっっ、いやぁぁああああああっっっ!」
自分が今いる場所が、紛れもない地獄の底である事実を理解したエフェメラは、半狂乱になってその場から逃げ出そうとする。
「ひッッッ……!?」
だが、あと十秒、その判断が遅かった。
出入り口へと身体を向けた瞬間に漂ってくる、むわりと漂ってくる鉄と肉の臭いに少女の身体は完全にフリーズする。
聞き覚えのある足音、鼻孔にこびりつく濃厚な死臭、記憶に刻みつけられた悲鳴が苦痛が、今しがた植え付けられた底抜けの恐怖と混ざり合い、エフェメラの精神を崩壊させる。
「ぁ、あっ、ぁぁぁぁあぁあぁぁっっっ……!」
狩りから戻ったのであろう家主の帰還。
仄かな暗がりの中でもなお目立つ、理性を持たない無機質な赤眼が四つ。
この惨状を作り上げたであろう二匹の怪物に、逃げ場を塞がれたエフェメラは、ただ半狂乱になって泣き叫ぶ。
「いやっ……いやぁっ……こないで、こないでぇっ…………!」
抵抗する気力すら奪われ、完全に腰砕けになった少女はその場へ崩れ落ち、命乞いをしながら無様に後ずさりする。
幸か不幸か、そんなエフェメラの姿を見たトカゲたちは、自分達に害を与える敵としてではなく、遥か格下の獲物だと判断したのだろう。
ぼう、ぼぼう、と煙草の煙をくゆらすように小さな火を噴き、じわりじわりとエフェメラとの距離を詰めていく。
「ぁ、あ、いや、いや、いやぁああああっっっ……!」
そうして、ついには壁へぶつかり、完全に逃げるスペースを失ってしまった少女は、目の前より迫りくる死神を前にどうする事も出来なくなってしまう。
「たすけて……誰かたすけて……たすけてよぉ……」
3メートル。2メートル。1メートル。
怪物が近づく度に、少女が抱いていた様々な感情が、根源的な恐怖によって黒く塗り潰されていく。
「ひ……ひぃ……ひ、ゃ…………ひゃ、ら……ぃやぁ……!」
眼前に迫る恐怖の象徴、全身の細胞が覚えている死の気配と凄惨な記憶に、少女の精神は最早崩壊寸前であり――――
『――――』
斬、と。
ぎゅっと少女が目を瞑った瞬間に、どこか聞き慣れた音がして――――次の瞬間、べちゃん、とバーニングサラマンダーの首が、エフェメラの足元に落ちた。
「………………ぇ」
数秒後に訪れるであろう激痛に怯え、身を縮こまらせた少女が目を瞑る瞬間に見たものは、馬を彷彿とさせる黒い影。
そして、自らの片割れを殺害した天敵の存在に対して、明らかな警戒心を抱いている火炎蜥蜴の姿。
『GGeHiGuGG……FFSYuRuRRRRRRRRRRRRRR』
「ヒッッッ?!」
直後、ばぢんっ、と洞窟を照らす雷光と共に、敵対していたトカゲの身体がバラバラに吹き飛んだ。
「え、えっ…………?」
一体なにが起きたのか理解も認知も出来ない少女は、ただ眼前にいる二匹を容易く屠ったソレを、見上げる事しか出来なかった。
『RRRRR……Guuu……FuuFFNNN……』
無駄な脂肪を限界まで削ぎ落とした流線形、肋骨の浮き出る程に絞られた筋肉質な胴体から、しなかやかに伸びた四足。
岩壁を容易く蹴り砕く鋼鉄の蹄、根本から七つに別れている意志を持った尻尾、天をも突き刺さんばかりに長く伸びた一本角。
真っ黒なたてがみを、焔の如く轟々とたなびかせながら現れたその姿は、見るもの全てに畏怖の溜息を溢させるに相応しい姿かたちをしていた。
「う、ま…………?」
麒麟。
本来であればランク8に相当するモンスターであり、上級パーティでも簡単に手が出せない怪物。
全身の細胞に発電器官を有しており、帯電させた角から繰り出される斬撃や刺突は、数多の生物を一瞬で死に至らしめる威力を誇っており、先程トカゲを瞬殺したそれも、その圧倒的な発電能力と強力無比な斬撃によるものだった。
「え、えっと…………た、助けてくれて……ありが――――ひィっ!?」
エフェメラはそんな怪物に対し、明後日の方向としか思えない感謝を告げる、が――――ばぢばぢばぢ、と一瞬で数万ボルトまで電圧を上げられた放電が、明確な拒絶として近くにあったトカゲの巣を完膚なきまでに吹き飛ばす。
『GGGGG…………RRRRRR……Guuu』
鋭利な牙をのぞかせ、山羊と同じ横に寝た瞳を歪に曲げて、暴君は自らの強さを眼前の弱者へ誇示してみせた。
俺はいつだってお前を殺せるぞ、と――――麒麟はその太い足を持ち上げ、矮小な少女を蹄で踏み潰そうとして。
「エフェメラ――――つくづくお前は本当に何か持ってるとしか思えないな!」
『RRRRRRRRRxxxxx!?』
瞬間、最大戦速まで練り上げた魔力でもって引き起こされる、鎌鼬を彷彿とさせる超高速の斬撃が、怪物が上げた足をその根本から切り落としていた。
「が、ガルドッッッッッ……!?」
「事情は後だっ!お前はさっさとここから逃げろっ!」
ガルドは、完全に腰が抜けてしまったエフェメラの腕を強引に引っ張り上げて立ち上がらせると、そう叫んで今しがた足を奪った麒麟と相対する。
「に、逃げろって言っても……ひっっっ!?」
『GGGGGGxxxx!GRRRRRRRRRRRxxxxx!!』
先程の放電とはまるきり桁が違う大量の電気が、バヂバヂと嫌な音を立てながら、麒麟の全身を覆っていく。
麒麟の毛がぶわりと逆立ち始め、全身がまるで墨に染められていくかのようにして、黒く黒くと染まり始める。
斬られた足が濃縮した雷によって形成され、空間を切り取ったような真っ黒いシルエットが、その場に顕著する。
「黒麒麟…………遺書の準備をしてくるべきだったかっ……!?」
魔物は基本的に殆どが同じ色形をしているが、時折その中から変異種と呼ばれる、明らかに他とは一線を画した個体が存在する。
それらは、人間を喰い、魔力を増やし、本来の個体寿命を伸ばし、次は自ら好んで人を襲うようになり、最終的にはギルドの明確な討伐対象となる。
そして、変異種は捕食した人間の数が増えれば増えるほど、身に纏っている魔力がはっきりと目視化されるようになり、色と言う解り易い形で顕著するという大きな特徴があった。
喰った数が、10を超えると黄、30を超えると緑、50匹を超えると赤、そして眼前の黒は――――最低でも100を超える人間を捕食してきた、人類種にとって正真正銘の天敵とも言える怪物だった。
「エフェメラ……お前はタウンに戻って魔人を――――がグッッッ!?」
「ガルドッ!?」
このままでは明らかに分が悪いと、ガルドが意識をエフェメラの方に割いた、その一瞬の事だった。
バヂィッ、と油が弾けるような簡素な音が響いたと思うやいなや、目にも止まらぬ速度の斬撃がガルドの脇腹を切り裂いていた。
「がっ、ぐっ、くそったれっ………不意打ちが許されるのはっ……弱者の特権だろうがよっ……!」
だが、ガルドは焼き切られた腹部を一瞥もせず、袋から取り出したハイポーションを一息で飲み干すと、過去の探索で最も頼りにしてきた愛用の中刀を鞘ごと取り出し、改めて怪物と対峙する。
呼吸は荒れ、激痛は尚も継続中ながらも、その瞳にはしっかりと自分を殺しかけた相手への殺意を宿しており、その精神には最早一片の油断すら存在してはいない。
「六眼、速解、剛皮―――――――深化(リゼクト)ッッッ!」
ガルドの本能が叫んでいた。一呼吸の油断すら許さぬ相手だと。ここで切り札を使わなければ殺されると。
脳に多大な負荷をかける祝福を重ね掛けし、神経ニューロンを稼働限界まで加速させ、一刀にて敵対者の命を狩る必殺へと練り上げる。
『RRRRR……G…………xxxxxxxx……RRRRRRRR!』
己に明確な殺意と敵意を向けてくるガルドに対し、麒麟は一度だけ唸り声をあげると瞬時に突貫の構えを見せる。
そこには、強者故の傲慢や慢心は一切なく、あるのは眼前にいる自らの命を狩りうる脅威に対する、正しい意味での敵対行為だけであり。
「…………油断してくれりゃあ多少のやりようはあったってのによ」
ぱち、ぱちぱちぱち、と舞台を見守る観客の拍手を彷彿とさせる、電気が跳ね回る小さなスパーク音が、バヂンっっっ、と静寂の中で一際と大きく散った瞬間、一人と一匹の生死をかけた音速が交錯する――――!
「羅生開門――――月映華ッッッ!」
貴重なギフトと死地を繰り返した経験を基に繰り出された、人間の限界を遥か超えた神速の居合い切り、それは城門すらも断ち切った事もある必殺の一撃。
自然界において最高の硬度を誇るアダマンタートルの甲羅を切り裂き、鏡面かと見違うほどの断面を作り出す一太刀は、命中さえすれば確実に黒麒麟を葬っていただろう。
「――――がふっっっ!」
雷速の突撃を真正面から受けたガルドが岩盤に叩きつけられ吐血する。
そんなガルドとは裏腹に、黒麒麟はぶるんと鼻息を一つ鳴らし、悠々と戦う力を失った敗者を見下ろしている。
雷速を上回る速度で放たれたガルドの居合いは、その圧倒的なまでの速度と横凪ぎと言う大軌道ゆえ、黒麒麟の足胴首のいずれかに命中し致命傷を与える筈だった。
しかし、本来であれば必中である筈の刃が空を切ったのは――――100人以上を犠牲にしてきた怪物、その野生が持つ強烈なまでの生存本能と、天が気まぐれに与えたとしか思えない豪運にこそあった。
「格下相手に……小細工……しやがって……がぶっっっ!」
突撃の瞬間、接触のコンマ秒前、殺ったとガルドが判断した瞬間――――黒麒麟は、全身を完全に脱力させた上で、体内に膨大な電気を用いた強制的な筋肉稼働による、理不尽としか思えない超急制止から超再加速の突進でもって、その巨体を刀の軌道よりも更に下へと沈み込ませていた。
そして、自らの頭上で空を切る必殺の刃をくぐり抜けるやいなや、完全に無防備なガルドの体を圧倒的な質量と速度の暴力でもって弾き飛ばした。
「げぼっ、ぐっ、がっ、げほっげほっ、ぉげぇっっ」
元来であれば即死級のカウンターを受け、内臓に致命傷を負ったガルドが、足元に大量の血だまりを作っていく。
握った刀を杖替わりにして、何とかまだ戦う意志を見せてはいるものの、その身体はもはや戦うどころか自らの足で歩く事すら困難なほどだ。
「ガルドっっっ!」
「馬鹿…………さっさと……逃げろって……言っただろうが……!」
半死半生、むしろ自分の力で立っている事が奇跡と言っても良い彼が、それでも眼前の怪物に対しての闘争心の火を絶やさないのは、ひとえに自分が倒れれば怪物の矛先が少女へ向くだろう事を理解しているからで――――
『GGGGGGuuuu…………RRRRRRRuuuuuuRRRRRRxxxxxxx!!』
「っ……!」
ばぢっ、ばぢっ、と黒麒麟からの放電が雨あられと打ち込まれる度に、ガルドはエフェメラを庇う形で身体に無数の傷を負い、残り少ない体力を余分に奪われていく。
一発一発が容易く人を殺傷する雷の嵐から、身を挺してエフェメラを守ろうとするその姿はまるで、大切な娘を守ろうとする父親のようで。
「が、ぁぐぅっ!?」
連撃によって、バランスを崩しガルドから離れてしまった弱者、その存在を麒麟がそれを逃す筈もなく――――次の瞬間、エフェメラは、背中から串刺しにされた。
心臓を貫いたその一撃は、誰が見ても致命傷だと解るものであり、目の前で少女の死を突きつけられたガルドは、戦場において一瞬ではあるが完全に思考を放棄してしまう。
「エフェメラっっっ……ぐぁっ!」
そして、ガルドを見た麒麟は、お前が大切なものを奪われたその時の顔が見たかった、そう言わんばかりに口角を醜悪なまでに釣り上げると、エフェメラを乱暴に放り投げると歓喜と狂気のまま放電を繰り返した。
もはや目標すらなく、無造作に放たれていく無数の落雷が、一発、二発、三発、と二人の身体を痛めつけていき、かろうじて残っていた精神すらも、二度と元に戻らぬよう念入りにへし折っていく。
(ああ畜生……身体が動かねぇ……もう俺の番かよ……くそったれ……)
段々とぼやけていく視界、徐々に麻痺していく肉体。
一ケ月前にも味わった感覚に、ガルドは苦笑する事しか出来なかった。
(成功確率が低くても初手で逃げるべきだった…………すまねぇなエフェメラ……完全に俺の判断ミスだ……)
ガルドは段々と薄れていく意識の中、心臓を穿たれ岸壁に叩きつけられ、先に逝ったであろうエフェメラへと後悔と懺悔の眼差しを目を向ける。
だが――――
「はっ……はぁ、はぁ……がるど……がる、ど……これ……」
紛れもなく致命傷だった、間違いなく即死だった、心の臓を貫かれた筈だった。
なのに、少女は這いつくばりながらではあるものの、ガルドがいる場所まで近寄ってきていた。
「エグドラシル、ポーション……これ飲んで…………そうしたら……逃げられるから……」
誰がどう見ても、満身創痍としか言えない身体のまま、少女は見覚えのある透明な瓶に入った液体を差し出す。
鈍い輝きを放つ鋼鉄の腕に握られたそれは、いざという時の保険として持っておけと言われた、エフェメラの命を守る為の最終生命線とも呼べるアイテムだった。
それを渡す事がどういうことか、その意味を理解しているからこそ、ガルドは自らの無力と無能に憤慨し後悔し、自らの命を犠牲にしようとする少女に声を荒げかけ――――現実を目の当たりにして絶句する。
「お前……その傷…………!」
思えば――――初めて会った時から違和感はあった。
常人なら死んでもおかしくない致命傷ながらも、会話すら出来る異常なまでの生命力。
いくらエグドラシルポーションを使ったとは言え、予後不良もなくあれほどの深手が綺麗に完治すると言う奇跡。
「わたしは……だい、じょうぶ……これくらいじゃ……しなない……しねない、か、ら……っ」
そうする間にも、少女が呼吸を一つする度に、体に刻まれた無数の痛ましい傷が、まるで時間が巻き戻るようにして塞がっていく。
ポーションによるものではない。ポーションとは明らかに治り方が違う。細胞の回復が内側ではなく外側から形成されていくというあまりにも異質な光景。
「しなない、の……わたし…………どんなにいたくても……ぜったい……しねない……から……」
「…………っ」
「だから……がるどは……にげて……わたしが……おとりになるから……そうしたら……がるどは……たすかるから……」
不死。不老不死。
多くの人間が求め、届く事のなかった共通の夢であり呪いを一身に受けた少女の、全てを諦めた笑みと共に紡がれたその言葉は、言い訳のしようもないほどに、どうしようもない、ものであり。
「馬鹿、餓鬼がっ……いっちょまえに……まっとうな幸せも知らないくせに、安易に自己犠牲なんて選んでんじゃねぇッッッ……!!!」
「っっっ……!?」
人より遙かに多い死と苦痛と別れとで磨り減らされた彼女の心と体。それがどれほど悲しく辛いものなのか。想像するだけでガルドは慟哭をあげてしまいそうになる。
痛かったろう。辛かったろう。苦しかったろう。悲しかったろう。それでもなお、死にたくないと願った少女が見せた、あの幸せそうな笑顔を思い出すだけで、自らの無能無力無知のあまり激昂し叫びだしたくなる。
(ああ、ふざけるな、ふざけるなっ、巫山戯るなッ……このまま……こんな無様が許せる筈がねぇだろうが……この心優しい少女の魂を、ようやく幸せを知ったこの子の心をっ、眩いほどの高潔な魂を、こんな場末の探索者の命なんかと引き換えに壊させてたまるものかよッッッ……!)
怒り。
人間の最も根源的な感情をもってして、ガルドは再び両の足でずんと床を踏む。
そして、エフェメラからポーションを乱暴に奪い取ると、一息にて飲み干し少女と怪物の間で剣を構えた。
徹底抗戦――――ガルドのそれは、誰の目から見ても、愚策としか思えない行動だった。
「が、ガルドっ……なにしてるのっ!?」
「エフェメラ。お前はタウンに戻って助けを呼んで来い。コイツの存在とこの場所を魔人とギルドに知らせろ」
「っ、で、でもっ……そうしたらガルドがっ……今度こそ本当にっ……!わ、私なら死なないからっ……痛くても死なないからっ……!だからガルドは逃げてっ……!」
現状、絶体絶命のこの場に、最適解はエフェメラにあった。
エフェメラは死なない。だからこそ、不死である彼女がここに残り、麒麟の足止めをしようとするその判断は、間違いなく正しい選択なのだろう。
「やかましいっっっ!」
「ッッッ……!」
「死なないからなんだってんだっ!痛ぇのには変わらないんだろうがっ!苦しいのには変わらないんだろうがっ!怖い事には変わりねぇんだろうがっ!」
「それ……は……わぷっ!?」
わしわし、と少女の頭を、血塗れの手で乱暴に撫でながら、男は歯の欠けた締まらない顔で笑ってみせる。
ごつごつとした手の平には、深い皺がはっきりと解るその笑顔には、今しがた生死を彷徨った男とは思えない力強さがあって。
「人生の半分も生きてねぇ餓鬼が……生意気いってんじゃねぇっ……餓鬼はもっと大人を頼れっ……大人の為に我慢しようとすんじゃねぇっ……自己犠牲だの合理性だの……そういった難しい事を選ぶのは、もっと人生の酸いも甘いも知ってからでも十分に間に合うんだよっ……!」
「っ……でも、わぷっ!?」
例えそれが理に適った選択であったとしても、自分の息子と変わらない無力な少女が、その身を犠牲にして自分を救おうとしている。
許さない、許せない、ガルドの意地が、ガルドのプライドが、そのような選択を決して許しはしない。
少女が見せた高潔を、男であれば大人であれば探索者であれば、絶対に守らねばならない。
勇気を。ここで引いてしまえば終わりだ。探索者は廃業だ。だからこそ叫ぶ。
「ああ、だがな、コイツは絶対に逃がしちゃいけねぇ……絶対ここで倒さなきゃいけねぇんだっ!コイツの意識を縛り付ける役目は、戦えないお前じゃあ無理なんだよっ!俺だっ!俺がコイツの足止めをするっ!お前は俺が死ぬまでにコイツを倒せる奴をタウンから呼んでこいっ!」
「っっっ……!」
ガルド・アッカーマンは決して譲らなかった。
少女が出した正論を、僅かばかりの正義と理屈、猛烈な激情でもって押し潰す。
数多の修羅場を生き抜いてきた男が放った言葉と強い決意、それを死なないだけの人生しか知らなかった少女が説得し返す事など、出来る筈もなくて。
「だから走れっ!歩けるようになるまで回復したらさっさと味方を呼んでこいっ!俺を死なせない為に全速力でタウンまで走れっっっ!」
自分を死なせたくない為に走れ、無様な言葉を吐き、改めてガルドは怪物と対峙する。
「っ……絶対っ……絶対に誰か呼んでくるからっ……!だからっ……だから絶対っ……!絶対ガルドも死んじゃ駄目だからねっっっ……!」
そして少女は、完治とは程遠い、されど走れる程度まで回復したところで、目に大粒の涙を浮かべながらそう叫び――――走ってその場から逃げ出した。
『GGGG……RRRRRxxxx!』
「お前の相手はこっちだッッッ!」
逃げるエフェメラに気づいた麒麟が、戯れとばかりに放電しようとするものの、ガルドから強烈な敵意を浴びた怪物はすぐに意識をそちらへと戻す。
油断は――――ない。結果だけを見れば圧倒的な戦いだったとは言え、その相手が自分の命に手が届く力を持っていた事を理解している、ゆえに黒麒麟はガルドに対し明確な敵対心を崩さない。
「殆ど無傷で勝っておきながら、随分と慎重じゃねぇかクソったれ…………ちょっとくらいは敗者に花を持たせてくれても良いってのによぉ」
ガルドはそんな黒麒麟を見ながら、軽口を溢して苦笑する。
呼吸は落ち着いている。身体の傷も殆ど塞がった。失っていた体力も完全に戻った。今が万全と言っても良いだろう。
だが、ガルドは解っていた。もう二度と眼前の怪物の首に自らの武器は届く事はない事を。単身で眼前の怪物を屠る事など決して出来ない事を。
「まあいいさ、魔人が来るまで俺がお前を釘づけに出来るか、その前にお前さんが俺を喰ってこの場から逃げ出すか……どちらにせよここから出られるのは片方だけだ」
そう言うと、ガルドは含み笑いを浮かべ、エフェメラが出て行った一つだけの出入り口に向け――――岩盤破壊用の爆弾を放り投げた。
きっかり三秒後。猛烈な爆発によって岩盤が砕け、通ってきた道が落盤によって塞がり、フロアには生きた怪物と人間だけが残る。
『RRRRRRRRRRRxxxxx!GGGGGGGGGxxxx!』
「おーおー。俺が何をしたか理解したんだな。ケモノ風情が一丁前にプライドを傷つけられたつもりか?」
雷を乱発して怒り狂う黒麒麟を、ああ愉快とばかりに嘲笑ったガルドは、改めて自分が最も信用する武器を手に眼前の怪物と対峙する。
肌を刺すような強者の重圧。敗北の際に刻まれた苦痛と恐怖。どれほどの小細工を弄しても浮かばない勝利へのビジョン。抗いようのない濃厚な死の予感。
それでもなお、その手に武器を握り、勝てない敵に立ち向かおうとするのは、彼自身が既にここが死地であると言う理解と、この場で死ぬかもしれないと言う強い覚悟を決めているからであり。
「さぁて殺り合おうか黒麒麟……ちっぽけな探索者、ガルド・アッカーマンの最期のプライド、その身に刻んでいけッッッ!」
ガルドの叫びがフロア全体を震わせ――――魂を懸けた死闘の火蓋が切って落とされた。
――――――
――――
――
10分。種族と言う圧倒的な性能差から放たれる、放電と雷突とがガルドの精神を肉体を削っていく。
20分。爆弾。毒ガス。腐食液。人間の知恵と悪意と貪欲さとで放った攻撃も、その悉くが過敏なまでの動物的本能によって事前に捻り潰される。
30分。持ってきていた回復アイテムも完全に底を尽く。かけていた祝福も魔力が枯渇した事でその効能を失い始める。それでも怪物は追撃を緩める事はなかった。
「が……げぼっ……何分……だ……あと…………どれくらい、だ……?」
そうして1時間が経過した――――夥しい出血と度重なる疲労によりその意識は混濁し、焼かれ切られ刺された身体は見る影もない程にずたずたにされ、それでもなおガルドは愛剣を両の手で握り眼前の怪物と対峙していた。
祝福も消え、道具も失いながらも、積み重ねてきた知恵と経験でもって、彼は種族値ではどう足掻いても届く事のないであろう、モンスター全体を見ても上から数えた方が早いであろう黒麒麟を相手に、見事1時間という時間を稼いでみせた。
元来存在している固有の種族値を考えれば、弱者中の弱者である人間が成したそれは、まさしく奇跡と言っても過言ではない偉業であり――――黒麒麟はようやく本当の意味で理解する。魂が言っている。眼前にいる矮小なニンゲンは、決して弱者などではないのだと。
『GRRRRRR…………Gxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx!!!』
黒麒麟が一際と強く低く唸る。
今までとは比較にならない黒雷が巨体に圧縮されていく。
静電気で毛羽立っていた全身の毛すら黒く塗り潰し、圧倒的なまでのエネルギーがその身体に集まっていく。
黒く。濃く。周囲から浮いた真っ黒のシルエットに触れた足元の石が、圧倒的な電熱によって溶かし尽くされドロリとその輪郭を失った。
「は、はは…………ようやく……今頃になって……奥の手を……本気を出してくるのかよ…………クソったれ……っ」
石に触れるだけで溶かすほどの圧倒的な電力。
間違いなく生物は近づくだけで感電死する事は間違いないだろう。
あれは災害だ。戦うとか逃げるとかそう言う範疇にない。人に出来るのはいかに遭遇しないか祈る事だけだ。
『―――――――xxx』
黒麒麟が小さく唸る。
元来であれば必要のない全身全霊は、眼前で死にゆくガルドに対しての手向け。
自分より遥かに矮小で脆弱な人間が見せてくれた煌びやかな輝きを、決して忘れはしない事を告げる強者ゆえの傲慢。
「か、ふは、は…………俺如きに……本気を出すかよ……は、ははは、いいね……ちょっとだけ……救われるよ……」
その姿を見てガルドは笑い――――折れた。完全に戦う気力を失った。
届かなかった。自分の全てを賭けてなお、決して届かない境地を思い知らされた。
それでも、自分は間違いなく怪物の本気を引き出す事が出来たのだと、慰めにも近い現実を前にしてほくそ笑む。
『―――――Rxx!』
直後、黒麒麟は一呼吸にも満たない溜めを経て、音すら置き去りにする速度で地面を蹴り上げ、限界を超え肉体の崩壊が始まったガルドへと襲い掛かる。
極限の集中がもたらすニューロンの高速稼働によって、限界まで引き伸ばされたガルドの網膜が映すスローモーションな世界は、されど彼の死を覆す事が出来なかった。
(ああ…………これで終わりか…………黒麒麟相手に単身で一時間…………自分でも………よくもった方だ…………)
迫りくる雷速の突貫。
触れるだけで死に至る一撃は今度こそ確実に自分の命を奪うだろう。
ああ、その前に肉体の崩壊が先に意識を断ち切るかもしれない。そうなれば痛みを感じずに済むかもな、と。
笑ってしまうほど楽観的に、自らの死を悟った彼の脳裏によぎったのは、自分を信じてタウンへ助けを呼びにいった少女の泣き顔であり。
(悪いなエフェメラ…………出来ればお前にもう少しだけ…………人生の楽しさってやつを……教えてやりたかったな)
男の手が空しく虚空に伸ばされ――――死闘と呼ぶにはあまりにも一方的な蹂躙は終わりを告げた
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